「雰囲気あるねぇ」
呑気にヨタカが呟く。
ヨタカの背は、高嶺より幾分か高い。ピシッとした背筋も、彼の背丈をより高く見せることに一躍買っている。だが、それ程の高身長でありながら、威圧感を感じさせないのは、後輩である高嶺の背中に、その大きな背広をしまい込んでいるからだ。それは小学の時からで、普段の緩い口調と賑わいを避ける性分もあって、彼の身長の高さを理解しているのは、家族以外には高嶺しかいないという残念な結果になっている。
場違い極まりない幼い顔立ちの集団は、ゾロゾロ連れ立って1階を回った。
ヨタカの記憶のとおり、1階は地場産の食品を扱うコーナーだったらしい。取り壊しが決まった今も、レジカウンターやら冷蔵ボックスやらはそのままだ。
真ん中に設置された高めの棚には、『特産ももジャム』と書かれた値段シートが着いたまま残っていた。その周りには、アイスケースがあり、中にはシートがしかれたままになっている。
ヨタカは高嶺に身を寄せた。
「ここって、なんで取り壊されるのか知ってる?」
「あー……確か、ここ、そんなに賑わってなかったみたいなんです。ほら、ただでさえ駅の裏側で暗いし、何よりビルが縦に長いでしょう?ご高齢の方々は登りにくかったとかで」
「ほえー。じゃあ、心霊系のスポットでは無くない?」
「あはは……雰囲気さえあればどこだって心霊スポットですよ」
「確かに」
クスクス笑い合う。
前方が「上がるぞー」と叫んだ。
高嶺の手を引いて、声のした方へと進む。
「えー!!これ上んの!?」
「こんぐらいチョロいだろー?」
「でも、これ、うぇえ……」
何やら不満げな女子の声が聞こえてくる。何事かと覗き込んで、視界に飛び込んできたものに、彼女たちの声に納得した。
「汚ったな……」
2階に上がるための非常階段は酷い有様だった。懐中電灯の頼りない灯りが、空に舞うホコリを照らして古っぽい空気を感ぜさせる。
所々剥がれたタイルには、手のひらサイズの何かが寝転がって倒れており、フサフサ具合からして、鼠か何かだろう。
一段ずつに、何が入っているか分からない袋やらダンボールやらが置かれており、歩くスペースを狭めていた。
「ねぇなんか動いたよー!!」
「あそこに死んでるの鼠じゃね……?」
「うわ! ねぇ今カサカサ言ったってば!!」
「押すなよ!!」
大渋滞である。仮にも深夜帯とは思えない賑やかっぷりに、ここまでハツラツだと霊もどっか行くんじゃないかと思ってしまう。
「ねぇ〜あたしここやだ! 別の道ないの?」
「ここか、あとはエレベーターだけだろ」
「え! エレベーターあんの!? じゃあ、そっちから行こうよ!!」
「いやいや!! もう閉鎖されてんだろ。動かねーよ」
エレベーターなんてあったか?と思い、先程のフロアを見回す。すると、レジカウンターの向こう側にトイレの表札と、見慣れた四角い扉があった。あれか、とひとり納得する。
「……あれ」
エレベーターのボタンは、まだオレンジの灯りが点っていた。作動はするようだ。
「よたかさん?」
「え、あ。ごめん」
「どうかしました?」
高嶺がふわふわとした茶髪を揺らして、顔を覗き込む。朱色の瞳に、ヨタカの怪訝な顔が映っていた。
「……いや、動いてるんだなーって」
「え? ああ、みたいですね。使えるのかな?」
「どちらにしろ、危ないからやめた方がいいよ。行こう」
「はい!」
にこぱっ!と花を散らさんばかりにニコニコの笑顔を向けてくる高嶺に、無いはずの母性本能がくすぐられる。今なら気合で出産できるな、なんてから恐ろしいことを考えながら、高嶺の手を取った。
2階への階段を進む。パタパタと歩く音が、よく響いて耳朶を打った。
先程までヒィヒィ言っていた女子生徒も、今は黙り込んで、如何に汚れたタイルを踏まないかに神経を使っている。
利用する層のことを考慮すれば、エレベーターを主流とするのは正しい判断と言えるだろう。実際、ほとんどエレベーター以外は使われていなかったようだったし、今登っている階段も非常階段の役目としてしか見られていなかったようだ。
なんとか階段を登りきると、真っ先に『2F』と書かれた文字が飛び込んできた。
「ドア閉まってんな」
誰かが呟く。
2階の壁にはドアがあり、どうやらそこは開かないようだ。
託児施設だった名残か、ドアに折り紙でおられた虎の飾りが着いている。取れかかっていたので、そっと手を伸ばして直す。高嶺が後ろでクスッと笑った。
「開きそう?」
「……無理ね、鍵かかってる」
「じゃあいいよ。ここ飛ばそう」
幽霊を見た目撃場所では無いからか、彼らの興味は長引かなかった。そのせいか、あっさりと探索をやめて、3階へと階段を登る。
ちらりと見た『2F』とその横の虎が、なんだか不気味に見えてしまって、相乗効果ってやつかな、なんて風流もあったものでは無いことを考えた。
3階はなんだったのか、よく知らなかった。だが、ようやくわかった。ヨタカの茶色の瞳に映るのは、羊の頭だ。それも、そこそこの大きさの。
「……よたかさん。それ楽しい?」
「まっっっっったく」
「すんなよ」
羊の剥製を穴が空くほど見つめる遊びをやめ、謎に包まれていたフロア3階を見回す。
ここはどうやら郷土記念館のような目的で作られたらしい。古ぼけたモノク ロ写真やら地元の動物の剥製やら、これまた古めかしい古書やらがケースの中に鎮座している。地域に親しみを持ってもらいたいなら、1階に作れよと思わざるを得ない。
1階は食品店だったからか、それ用のブースしかなかったが、3階は会議室のような場所も取られていた。中の、1番奥の大きな部屋が、今ヨタカ達がいる部屋だ。
「ここの骨董品は無くなってないんだね」
「まだ回収されてないみたいですね。変なの」
高嶺がつんつん、と指先でヤギの置物をつついている。幼さの残る行為に、微笑ましくなってしまい、頬が緩んだ。
しばらく、ぐるぐると部屋の中を回る。中にあった備品用の倉庫へと入った。
昔の音楽楽器やら、古い書物やらが置かれている。倉庫という目的で作られたからか、床は安易な木製だ。高嶺曰く、ここの木材が、特別な木を使ったものらしく、ここだけリフォーム出来なかったらしい。壊すことが決定しておきながら、何を言っているのやら。歩く度ギシギシいうそれは、舞い散るホコリも相まって、やけに古びた印象を受ける。
「……よたかさん。僕のこと嫌いになったのかと思ってた」
なんだか既視感のあるその部屋で、クルクルと回っていれば、高嶺がポソリと呟いた。
突然の言葉にヨタカは目も口も大きく開けて、『ポカン』を顔全体で表現してみせた。
「な、なんで!? 僕、君になにかした!?」
「何となく」
「そんなことないよ!! 僕、高嶺くん大好きだよ!? めっちゃ好きだよ!! 顔の良さを除けば!!」
「そういうとこめっちゃよたかさんだよねぇ」
高嶺は自嘲気味に笑った。反対に、ヨタカにとっては心外極まりない発言だった。
嫌いになんて、なる理由がない。それは、2人の関係が『親友』へと移行してからずっとだ。
「僕、高嶺くんに助けて貰ったんだよ?」
あの薄暗い音楽準備室からヨタカを救い上げたのは、他でもない高嶺だ。
「嫌いになるわけ無いんだよ。なんで今その話になったのかは、わかんないけど」
もごもごとしか喋れない自分の口が憎い。
ぱちぱち、と瞬きを繰り返す高嶺に、どうにか言葉を伝えようとするのに、一向に届いていない事態に、焦れるしかなかった。
ヨタカは、元から饒舌な方ではない。クラスの中にこれといって親しい友人が居ないのも事実だ。
それでも、高嶺は別枠だった。
高嶺は、友人や親友、幼馴染なんかとは、ずっと遠いところにいる。自分でも分からないような、深い位置にいる、“特別”なのだ。
「あーんも、なんて言うかぁ、ほら、えっとぉ」
なんだか次第に恥ずかしくなってくる。
徐々に赤くなる顔を自覚しながら、意味もなく倉庫の奥へ進んだ。
足元からギッギッと嫌な音が軋む。軽い木面から、振動が伝わってきた。
「……僕は、高嶺くんのおかげで、」
そこまで言って、もう一歩足を踏み込んだ。──瞬間、バキッと嫌な音をたててヨタカの体がグンッと下に下がった。
「ッ、!!」
ヒュッと喉が鳴り、五臓六腑が上にズレた感覚が走る。その若葉色の瞳が見開かれる。
大きく開いた視界の先で、こちらに飛び込むように体を伸ばした高嶺が見えた。
「っと、!」
地面に体制を低くしたまま、ヨタカの手を掴む。飴色の髪が、崩れて額の上を滑った。
「…………せー、ふ」
「うひゃ〜……や、ば」
まだバックバクと音をたてている心臓を、服の上から撫でて宥めてやった。指呼の間というには近すぎる距離に、高嶺の精悍な顔がある。眉間に皺を寄せ、足が床を突き破っている状態のヨタカの腕を、痛いほどしっかり掴んでいる高嶺に、ヨタカは、へらりと抜けた顔で笑った。
「こんっの、ばかよたか……」
「えへへ。ごめん」
普段から他人に気を遣える彼が、ここまで力加減なく手を掴むということは、相当焦っていたということだろう。それが、なんだか嬉しくて、ヨタカは緩む口角を隠せなかった。
倉庫は木製だったからか、ただ単純に古かったのか、ヨタカの体重を支えきれなかったようで、彼の足を象って抜けてしまった。
この腐敗度合いであれば、たった今抜けた穴を原点にまた崩壊しかねない。
そろそろ、と足を抜き、身体を起こす。着いた手のポイントから、ギシリ、と恐怖の音がした。
「でも、ほら見て高嶺くん。下にマットが見える!大発見かもしれない」
「はいはい下が託児施設だからねーほら、さっさと立って」
「うす!」
カラフルなマットを見て気をまぎらわせて欲しかったのだが、さすが高嶺、そんなことでは据わった目を立たせることもしなかった。
「ごめーんね!」
「今一気に許す気無くなりました」
「ごめんよ!」
「……はぁ」
ため息をつきながらも、手を差し伸べてくれる高嶺は、やはりヨタカに甘い。それは長い付き合いだから、ヨタカも自覚がある。
いつだって、こうしてヨタカの手を引くのは高嶺だ。ヨタカが伸ばした手の先には、いつだって高嶺がいる。光を背負って揺れるのは、その飴色の髪だ。
「僕、高嶺くんのこと本当に嫌いにならないからね」
立ち上がりながら、ヨタカが言った。
照れくさそうに目を細めて、曖昧に笑った高嶺は、何も言わず握る手を強くした。そして「行きましょ」とだけ呟く。
そんな高嶺の耳が紅くなっていたので、ヨタカはニヤニヤを隠そうと頑張らなくてはいけなくなった。
倉庫から出ると、クラスメイトたちはどこか不満げな顔でウロウロしていた。
お目当ての心霊現象が起こらなくて不完全燃焼、といったところだろうか。
「何も起きないね」
「ほら、レジャーって言ったでしょ?」
呆色を滲ませて、高嶺はポソと呟く。
発案者の男子生徒が声を張った。
「もう遅いし、帰ろーぜ!」
「えー!結局なんも無かったじゃーん!」
「ただのお前の見間違いかよー!」
「うっせぇ。帰んぞ!!」
嘘つき扱いされるのが余程嫌だったなのか、苛立った口調で男子生徒が背を向ける。荒々しくドアを開け、汚れた階段へと足を進めた。
なんにもなかったねぇ、とどこか緩んだ空気が学生団体の中に浸透していた。
時刻はとっくに1時を回っていて、欠伸をするものもいる。眠気が底で揺れていたヨタカにとっても、帰宅の流れになったのはありがたい事だった。
「てか、そもそも見間違えたんだよ!!俺が人影見たのは、2階だったかもしんねーだろ!!」
まごまごと言い訳めいたことを呟きつつ、ヨタカの前を歩く男子生徒の声が、汚れた階段で揺れる。周りの少女達もやんややんやと囃子たてた。
階段を駆け下りた少年が、ノブに手を回し、力任せに引く。
当然のことではあるが、ドアは開かない。
「もう眠いです……」
「だねぇ……」
高嶺の欠伸に、ヨタカは思わず微笑んだ。
その横顔にふと、先程の高嶺の寂しげな顔を思い出して、ヨタカはある提案を持ち掛けた。
「ねぇねぇ高嶺くん。もし君が良かったらなんだけど、今度から一緒に帰んない?」
高嶺の目が大きく見開かれる。
「でも、よたかさん学校違うじゃないですか」
高嶺の学校は、ヨタカの通う公立高校の横に創立された、新設の私立だ。公立の古ぼけた設計と違い、2年に1回のペースでリフォームされている金持ち校である。
だが、部活動などで外部の活動も認めているからか、他校の制服を来ている生徒であれば、余程の不審者でもない限り中に入れる。
ヨタカの記憶の中の高嶺は、いつだって笑顔で溌剌とした好青年だ。その顔に影が落ちるのは、ヨタカの欲する所ではない。
「待つぐらいならいいだろ?一緒に帰りたいんだ」
「……もちろん」
しばらくこちらを伺うように見つめていた高嶺は、どこか吹っ切れたように笑って、首肯した。
ヨタカはその笑顔に満たされる感覚を覚える。そして何の気なしに手摺に手を置いた。
「……?」
階段の下が明るい。手すりについた指先が、オレンジ色になっている。
「どうしました?」
高嶺の声が、やけに鮮明に聞こえた。
それはきっと、その場にいた全員が息を殺していたからなのだけれど、その時のヨタカがそれを理解することはなかった。
「……ねぇ、あれ」
ヨタカは、ついと指の先を伸ばした。
気がつけば、周囲の生徒たちはある一点を見つめて息を殺していた。
「誰?」
そう呟いたのは誰か、分からない。
ただ、1階から登ってきたのは、
──炎に包まれた、大柄の男だった。
「………あ?」
有り得ないものを目にした時、人はこうまでも言葉が出ないものなのだろうか。
ぱちぱちと音を立てながら燃え盛る炎と、静けさの象徴のような夜の風はそぐわない。それが、より現実離れした感覚を連れてきたのだろうか。
「あーーーーーーーーー」
喉から絞り出したような声を上げて、 男が咆哮する。そして、床に転がっていた何が入っているか分からないダンボールを掴んだ。瞬間、ダンボールが燃え上がる。弾かれたように、全員の肩が上がった。
ばけもの
誰かが呟く。
意味をよく知るその言葉が、当初の目的だったはずのその言葉が、周囲に浸透した刹那、
「ぃやああああああああああああ!!!!!!!!!」
先頭にいた女子生徒が転がるようにして3階へと駆け上がる。つられて、彼女のそばにいた生徒たちも、悲鳴を上げて階段を上がった。
悲鳴、金切り声、絶叫。
色んな声が、脳味噌に直接届いたように反響して、ヨタカの背筋が泡立つのがわかった。
「逃げろ!!!!!」
もはや誰の言葉か、そうと明確に言ったのかさえ分からない。
ただ半狂乱になって、蜘蛛の子を散らさんばかりに階段を上がる。もともと物が置かれてあったせいで狭い道は、我先にと詰め寄れば通行は安易ではなかった。
ほぼほぼ地べたに這いつくばるようにして、階段を上がる。
先程の部屋へ大声を上げながら逃げ込んだ。叩きつけるようにドアを閉める。
「なに、何あれ!!」
「ほんとに、いた、」
「ねぇ1階が燃えてる!!」
「誰か何とかしてよ!!!」
「窓から出れ無いの!?!」
「火が、火が、出てる、」
「誰か警察呼んで!!!」
阿鼻叫喚の嵐。先程までのレジャー気分はどこかへ行ってしまった。決定的なものを見たからだ。
ヨタカはカクカク震える膝を行使して、郷土館の奥へと進む。
(隠れなきゃ、隠れなきゃ)
脳髄がその言葉に支配されたように、身体が安寧の場を求めて彷徨っていた。
ついと上げた視線が、大事そうに展示された椅子を捉える。
「あ、」
椅子の下。
夜目でも分かる、人ではないものの形。
女だ。
首を90度曲げた髪の長いそれが、身体の関節を無視して、椅子の下からこちらを見ている。
「あああああああああああぁぁぁっ!!!!!!!!」
飛び退いた視線の先で、異型の真っ白 な顔の女が、にたと笑った。
呑気にヨタカが呟く。
ヨタカの背は、高嶺より幾分か高い。ピシッとした背筋も、彼の背丈をより高く見せることに一躍買っている。だが、それ程の高身長でありながら、威圧感を感じさせないのは、後輩である高嶺の背中に、その大きな背広をしまい込んでいるからだ。それは小学の時からで、普段の緩い口調と賑わいを避ける性分もあって、彼の身長の高さを理解しているのは、家族以外には高嶺しかいないという残念な結果になっている。
場違い極まりない幼い顔立ちの集団は、ゾロゾロ連れ立って1階を回った。
ヨタカの記憶のとおり、1階は地場産の食品を扱うコーナーだったらしい。取り壊しが決まった今も、レジカウンターやら冷蔵ボックスやらはそのままだ。
真ん中に設置された高めの棚には、『特産ももジャム』と書かれた値段シートが着いたまま残っていた。その周りには、アイスケースがあり、中にはシートがしかれたままになっている。
ヨタカは高嶺に身を寄せた。
「ここって、なんで取り壊されるのか知ってる?」
「あー……確か、ここ、そんなに賑わってなかったみたいなんです。ほら、ただでさえ駅の裏側で暗いし、何よりビルが縦に長いでしょう?ご高齢の方々は登りにくかったとかで」
「ほえー。じゃあ、心霊系のスポットでは無くない?」
「あはは……雰囲気さえあればどこだって心霊スポットですよ」
「確かに」
クスクス笑い合う。
前方が「上がるぞー」と叫んだ。
高嶺の手を引いて、声のした方へと進む。
「えー!!これ上んの!?」
「こんぐらいチョロいだろー?」
「でも、これ、うぇえ……」
何やら不満げな女子の声が聞こえてくる。何事かと覗き込んで、視界に飛び込んできたものに、彼女たちの声に納得した。
「汚ったな……」
2階に上がるための非常階段は酷い有様だった。懐中電灯の頼りない灯りが、空に舞うホコリを照らして古っぽい空気を感ぜさせる。
所々剥がれたタイルには、手のひらサイズの何かが寝転がって倒れており、フサフサ具合からして、鼠か何かだろう。
一段ずつに、何が入っているか分からない袋やらダンボールやらが置かれており、歩くスペースを狭めていた。
「ねぇなんか動いたよー!!」
「あそこに死んでるの鼠じゃね……?」
「うわ! ねぇ今カサカサ言ったってば!!」
「押すなよ!!」
大渋滞である。仮にも深夜帯とは思えない賑やかっぷりに、ここまでハツラツだと霊もどっか行くんじゃないかと思ってしまう。
「ねぇ〜あたしここやだ! 別の道ないの?」
「ここか、あとはエレベーターだけだろ」
「え! エレベーターあんの!? じゃあ、そっちから行こうよ!!」
「いやいや!! もう閉鎖されてんだろ。動かねーよ」
エレベーターなんてあったか?と思い、先程のフロアを見回す。すると、レジカウンターの向こう側にトイレの表札と、見慣れた四角い扉があった。あれか、とひとり納得する。
「……あれ」
エレベーターのボタンは、まだオレンジの灯りが点っていた。作動はするようだ。
「よたかさん?」
「え、あ。ごめん」
「どうかしました?」
高嶺がふわふわとした茶髪を揺らして、顔を覗き込む。朱色の瞳に、ヨタカの怪訝な顔が映っていた。
「……いや、動いてるんだなーって」
「え? ああ、みたいですね。使えるのかな?」
「どちらにしろ、危ないからやめた方がいいよ。行こう」
「はい!」
にこぱっ!と花を散らさんばかりにニコニコの笑顔を向けてくる高嶺に、無いはずの母性本能がくすぐられる。今なら気合で出産できるな、なんてから恐ろしいことを考えながら、高嶺の手を取った。
2階への階段を進む。パタパタと歩く音が、よく響いて耳朶を打った。
先程までヒィヒィ言っていた女子生徒も、今は黙り込んで、如何に汚れたタイルを踏まないかに神経を使っている。
利用する層のことを考慮すれば、エレベーターを主流とするのは正しい判断と言えるだろう。実際、ほとんどエレベーター以外は使われていなかったようだったし、今登っている階段も非常階段の役目としてしか見られていなかったようだ。
なんとか階段を登りきると、真っ先に『2F』と書かれた文字が飛び込んできた。
「ドア閉まってんな」
誰かが呟く。
2階の壁にはドアがあり、どうやらそこは開かないようだ。
託児施設だった名残か、ドアに折り紙でおられた虎の飾りが着いている。取れかかっていたので、そっと手を伸ばして直す。高嶺が後ろでクスッと笑った。
「開きそう?」
「……無理ね、鍵かかってる」
「じゃあいいよ。ここ飛ばそう」
幽霊を見た目撃場所では無いからか、彼らの興味は長引かなかった。そのせいか、あっさりと探索をやめて、3階へと階段を登る。
ちらりと見た『2F』とその横の虎が、なんだか不気味に見えてしまって、相乗効果ってやつかな、なんて風流もあったものでは無いことを考えた。
3階はなんだったのか、よく知らなかった。だが、ようやくわかった。ヨタカの茶色の瞳に映るのは、羊の頭だ。それも、そこそこの大きさの。
「……よたかさん。それ楽しい?」
「まっっっっったく」
「すんなよ」
羊の剥製を穴が空くほど見つめる遊びをやめ、謎に包まれていたフロア3階を見回す。
ここはどうやら郷土記念館のような目的で作られたらしい。古ぼけたモノク ロ写真やら地元の動物の剥製やら、これまた古めかしい古書やらがケースの中に鎮座している。地域に親しみを持ってもらいたいなら、1階に作れよと思わざるを得ない。
1階は食品店だったからか、それ用のブースしかなかったが、3階は会議室のような場所も取られていた。中の、1番奥の大きな部屋が、今ヨタカ達がいる部屋だ。
「ここの骨董品は無くなってないんだね」
「まだ回収されてないみたいですね。変なの」
高嶺がつんつん、と指先でヤギの置物をつついている。幼さの残る行為に、微笑ましくなってしまい、頬が緩んだ。
しばらく、ぐるぐると部屋の中を回る。中にあった備品用の倉庫へと入った。
昔の音楽楽器やら、古い書物やらが置かれている。倉庫という目的で作られたからか、床は安易な木製だ。高嶺曰く、ここの木材が、特別な木を使ったものらしく、ここだけリフォーム出来なかったらしい。壊すことが決定しておきながら、何を言っているのやら。歩く度ギシギシいうそれは、舞い散るホコリも相まって、やけに古びた印象を受ける。
「……よたかさん。僕のこと嫌いになったのかと思ってた」
なんだか既視感のあるその部屋で、クルクルと回っていれば、高嶺がポソリと呟いた。
突然の言葉にヨタカは目も口も大きく開けて、『ポカン』を顔全体で表現してみせた。
「な、なんで!? 僕、君になにかした!?」
「何となく」
「そんなことないよ!! 僕、高嶺くん大好きだよ!? めっちゃ好きだよ!! 顔の良さを除けば!!」
「そういうとこめっちゃよたかさんだよねぇ」
高嶺は自嘲気味に笑った。反対に、ヨタカにとっては心外極まりない発言だった。
嫌いになんて、なる理由がない。それは、2人の関係が『親友』へと移行してからずっとだ。
「僕、高嶺くんに助けて貰ったんだよ?」
あの薄暗い音楽準備室からヨタカを救い上げたのは、他でもない高嶺だ。
「嫌いになるわけ無いんだよ。なんで今その話になったのかは、わかんないけど」
もごもごとしか喋れない自分の口が憎い。
ぱちぱち、と瞬きを繰り返す高嶺に、どうにか言葉を伝えようとするのに、一向に届いていない事態に、焦れるしかなかった。
ヨタカは、元から饒舌な方ではない。クラスの中にこれといって親しい友人が居ないのも事実だ。
それでも、高嶺は別枠だった。
高嶺は、友人や親友、幼馴染なんかとは、ずっと遠いところにいる。自分でも分からないような、深い位置にいる、“特別”なのだ。
「あーんも、なんて言うかぁ、ほら、えっとぉ」
なんだか次第に恥ずかしくなってくる。
徐々に赤くなる顔を自覚しながら、意味もなく倉庫の奥へ進んだ。
足元からギッギッと嫌な音が軋む。軽い木面から、振動が伝わってきた。
「……僕は、高嶺くんのおかげで、」
そこまで言って、もう一歩足を踏み込んだ。──瞬間、バキッと嫌な音をたててヨタカの体がグンッと下に下がった。
「ッ、!!」
ヒュッと喉が鳴り、五臓六腑が上にズレた感覚が走る。その若葉色の瞳が見開かれる。
大きく開いた視界の先で、こちらに飛び込むように体を伸ばした高嶺が見えた。
「っと、!」
地面に体制を低くしたまま、ヨタカの手を掴む。飴色の髪が、崩れて額の上を滑った。
「…………せー、ふ」
「うひゃ〜……や、ば」
まだバックバクと音をたてている心臓を、服の上から撫でて宥めてやった。指呼の間というには近すぎる距離に、高嶺の精悍な顔がある。眉間に皺を寄せ、足が床を突き破っている状態のヨタカの腕を、痛いほどしっかり掴んでいる高嶺に、ヨタカは、へらりと抜けた顔で笑った。
「こんっの、ばかよたか……」
「えへへ。ごめん」
普段から他人に気を遣える彼が、ここまで力加減なく手を掴むということは、相当焦っていたということだろう。それが、なんだか嬉しくて、ヨタカは緩む口角を隠せなかった。
倉庫は木製だったからか、ただ単純に古かったのか、ヨタカの体重を支えきれなかったようで、彼の足を象って抜けてしまった。
この腐敗度合いであれば、たった今抜けた穴を原点にまた崩壊しかねない。
そろそろ、と足を抜き、身体を起こす。着いた手のポイントから、ギシリ、と恐怖の音がした。
「でも、ほら見て高嶺くん。下にマットが見える!大発見かもしれない」
「はいはい下が託児施設だからねーほら、さっさと立って」
「うす!」
カラフルなマットを見て気をまぎらわせて欲しかったのだが、さすが高嶺、そんなことでは据わった目を立たせることもしなかった。
「ごめーんね!」
「今一気に許す気無くなりました」
「ごめんよ!」
「……はぁ」
ため息をつきながらも、手を差し伸べてくれる高嶺は、やはりヨタカに甘い。それは長い付き合いだから、ヨタカも自覚がある。
いつだって、こうしてヨタカの手を引くのは高嶺だ。ヨタカが伸ばした手の先には、いつだって高嶺がいる。光を背負って揺れるのは、その飴色の髪だ。
「僕、高嶺くんのこと本当に嫌いにならないからね」
立ち上がりながら、ヨタカが言った。
照れくさそうに目を細めて、曖昧に笑った高嶺は、何も言わず握る手を強くした。そして「行きましょ」とだけ呟く。
そんな高嶺の耳が紅くなっていたので、ヨタカはニヤニヤを隠そうと頑張らなくてはいけなくなった。
倉庫から出ると、クラスメイトたちはどこか不満げな顔でウロウロしていた。
お目当ての心霊現象が起こらなくて不完全燃焼、といったところだろうか。
「何も起きないね」
「ほら、レジャーって言ったでしょ?」
呆色を滲ませて、高嶺はポソと呟く。
発案者の男子生徒が声を張った。
「もう遅いし、帰ろーぜ!」
「えー!結局なんも無かったじゃーん!」
「ただのお前の見間違いかよー!」
「うっせぇ。帰んぞ!!」
嘘つき扱いされるのが余程嫌だったなのか、苛立った口調で男子生徒が背を向ける。荒々しくドアを開け、汚れた階段へと足を進めた。
なんにもなかったねぇ、とどこか緩んだ空気が学生団体の中に浸透していた。
時刻はとっくに1時を回っていて、欠伸をするものもいる。眠気が底で揺れていたヨタカにとっても、帰宅の流れになったのはありがたい事だった。
「てか、そもそも見間違えたんだよ!!俺が人影見たのは、2階だったかもしんねーだろ!!」
まごまごと言い訳めいたことを呟きつつ、ヨタカの前を歩く男子生徒の声が、汚れた階段で揺れる。周りの少女達もやんややんやと囃子たてた。
階段を駆け下りた少年が、ノブに手を回し、力任せに引く。
当然のことではあるが、ドアは開かない。
「もう眠いです……」
「だねぇ……」
高嶺の欠伸に、ヨタカは思わず微笑んだ。
その横顔にふと、先程の高嶺の寂しげな顔を思い出して、ヨタカはある提案を持ち掛けた。
「ねぇねぇ高嶺くん。もし君が良かったらなんだけど、今度から一緒に帰んない?」
高嶺の目が大きく見開かれる。
「でも、よたかさん学校違うじゃないですか」
高嶺の学校は、ヨタカの通う公立高校の横に創立された、新設の私立だ。公立の古ぼけた設計と違い、2年に1回のペースでリフォームされている金持ち校である。
だが、部活動などで外部の活動も認めているからか、他校の制服を来ている生徒であれば、余程の不審者でもない限り中に入れる。
ヨタカの記憶の中の高嶺は、いつだって笑顔で溌剌とした好青年だ。その顔に影が落ちるのは、ヨタカの欲する所ではない。
「待つぐらいならいいだろ?一緒に帰りたいんだ」
「……もちろん」
しばらくこちらを伺うように見つめていた高嶺は、どこか吹っ切れたように笑って、首肯した。
ヨタカはその笑顔に満たされる感覚を覚える。そして何の気なしに手摺に手を置いた。
「……?」
階段の下が明るい。手すりについた指先が、オレンジ色になっている。
「どうしました?」
高嶺の声が、やけに鮮明に聞こえた。
それはきっと、その場にいた全員が息を殺していたからなのだけれど、その時のヨタカがそれを理解することはなかった。
「……ねぇ、あれ」
ヨタカは、ついと指の先を伸ばした。
気がつけば、周囲の生徒たちはある一点を見つめて息を殺していた。
「誰?」
そう呟いたのは誰か、分からない。
ただ、1階から登ってきたのは、
──炎に包まれた、大柄の男だった。
「………あ?」
有り得ないものを目にした時、人はこうまでも言葉が出ないものなのだろうか。
ぱちぱちと音を立てながら燃え盛る炎と、静けさの象徴のような夜の風はそぐわない。それが、より現実離れした感覚を連れてきたのだろうか。
「あーーーーーーーーー」
喉から絞り出したような声を上げて、 男が咆哮する。そして、床に転がっていた何が入っているか分からないダンボールを掴んだ。瞬間、ダンボールが燃え上がる。弾かれたように、全員の肩が上がった。
ばけもの
誰かが呟く。
意味をよく知るその言葉が、当初の目的だったはずのその言葉が、周囲に浸透した刹那、
「ぃやああああああああああああ!!!!!!!!!」
先頭にいた女子生徒が転がるようにして3階へと駆け上がる。つられて、彼女のそばにいた生徒たちも、悲鳴を上げて階段を上がった。
悲鳴、金切り声、絶叫。
色んな声が、脳味噌に直接届いたように反響して、ヨタカの背筋が泡立つのがわかった。
「逃げろ!!!!!」
もはや誰の言葉か、そうと明確に言ったのかさえ分からない。
ただ半狂乱になって、蜘蛛の子を散らさんばかりに階段を上がる。もともと物が置かれてあったせいで狭い道は、我先にと詰め寄れば通行は安易ではなかった。
ほぼほぼ地べたに這いつくばるようにして、階段を上がる。
先程の部屋へ大声を上げながら逃げ込んだ。叩きつけるようにドアを閉める。
「なに、何あれ!!」
「ほんとに、いた、」
「ねぇ1階が燃えてる!!」
「誰か何とかしてよ!!!」
「窓から出れ無いの!?!」
「火が、火が、出てる、」
「誰か警察呼んで!!!」
阿鼻叫喚の嵐。先程までのレジャー気分はどこかへ行ってしまった。決定的なものを見たからだ。
ヨタカはカクカク震える膝を行使して、郷土館の奥へと進む。
(隠れなきゃ、隠れなきゃ)
脳髄がその言葉に支配されたように、身体が安寧の場を求めて彷徨っていた。
ついと上げた視線が、大事そうに展示された椅子を捉える。
「あ、」
椅子の下。
夜目でも分かる、人ではないものの形。
女だ。
首を90度曲げた髪の長いそれが、身体の関節を無視して、椅子の下からこちらを見ている。
「あああああああああああぁぁぁっ!!!!!!!!」
飛び退いた視線の先で、異型の真っ白 な顔の女が、にたと笑った。
