人を呪わば夜が明ける?

「ねぇ知ってる?」

 やけに浮き足立ったクラスメイトの女の子の声が、不思議と耳に残った。
 一限の授業を終えて、ガヤガヤと喧騒の大きくなった教室では、誰が何を言っているのか、判別なんてつきやしない。それでも確かに耳朶を打つ声は、今度はそれを潜めて、隣の席の男の子へと話を続ける。

「最近あった事件にさ、バスタブに足滑らせて死んだってやつあったじゃん?」
「ああ。なんかすっげーダサいやつな」
「あれさ、隣の私立の中島さんらしいよ。中等部の。ほら、美術部にいた、」
「まじ!?」
「ウチ、妹もいるんだけど、そこで話があったって。めっちゃ素行良かったし、編入も決まってたらしいよ」
「うわ。人生何があるかわかんねぇ〜……可哀想過ぎんだろ」
「ね」
「あ、そういやさ、こないだ俺心霊体験しちゃったわ」
「え、どこ!?」
「ほら、駅の裏側の、森に近い廃墟ビル」
「あ! あの取り壊されてない場所か」
「そそ。あそこにさぁ、人影見えちゃって。やばくね?」
「え! どんなんだったん!?」 

 気づかないうちに逆転していた質疑応答を、伏せた頭でぼんやり聞きながら、話題の廃墟ビルを思い出していた。

 自然に囲まれた田舎、と言えば聞こえは良いが、所詮は本州の端くれの森だらけのルーラル地域だ。夜の道を照らすのは、小バエの集った街頭の陳腐な白光と、ブロロロロと耳障りな音をたてて走行する軽トラばかり。後は、山から降りてきた猪とか、狸とか。どちらにせよ、迷惑なことには相違ない。
 暴走族よりも、ハイブリッドではない軽トラの方が音が大きいという異常事態が起きているのだ。田舎の暴走族は、深夜の赤信号で止まる奴らばかりである。

 県内のうちの高校も、私立以外はすべてがセーラー服と学ランだ。
真っ黒なそれに、海外からの訪問者や都会の民達は憧れを抱くそうだが、実際身に包めばそれは幻想であると分かるだろう。風を通さない素材。やけに重い布。冬になると首回りを襲うカラーの冷気。すべてを体感した時初めて、人は成長するのだ。そしてその身にまとったブレザーを寄越しやがればいい。田舎者にとっては、ブレザーは最早ステータスである。

 その中にある、地域の憩いの場として建設された灰色のビル。
 一階は県産食材を売る食品コーナー。二階は小さい子のための託児施設。三階は、なんだったんだろうか。覚えていない。
 確か、つい先月に取り壊されることが決まったはずだ。理由は知らない。田舎狭しと言えど、知らないものは知らないし、興味のないものには、誰も飛びつかないのだ。それは世界のどこでも同じことである。

「元々噂はあったんだよ。出るって」
「えっ、そうなの!?」

 こわぁい、とキンキンした声を張り上て、女が盛大に仰け反ったのが見えた。話していた男も、そんな反応に悦を感じたらしく、先程より少し上がった声調子で「だろ」と言った。

「見たって人もめっちゃいるし」

 アホくさ、と思いながら、次の教科の本を引っ張り出す。
 学校規定のバッグの中で、しわくちゃになったジャージがのさばって、教科書の脱出を邪魔している。ぐしゃぐしゃに寄れた紺色のジャージを取り出すのは、なんとなく気恥ずかしくて、無理くり端に寄せて、表紙の折れた数学の参考書を取り出した。

「じゃあさ、行ってみようよ」
「えー、怖いよ! やめよう」
「じゃ、クラスの女子誘ってみろよ。俺も男子誘うからさぁ」
「あー、みんなで行くの?」
「肝試しみたいでさぁ、いいじゃん」

 いつの間にか、怪談噺はレジャーに変貌を遂げていた。教科書救出作戦決行中のほんの僅かな数分に、なんとまぁ爆速で話が進んだものだろうか。

 若いな、なんて白けた目で見ている、 唐突にぐるん、と体を捻って振り向いた男の方と、ガツン、視線が噛み合った。

(あ、やば)

 そう思っても、時すでに遅しとはまさにこの事。「ああ、こいつが居たわ」と言わんばかりの表情を浮かべた男が、口を開く。

「ハイバラ。お前、今日の夜暇?」

 悲しいかな、クラスの端っこで休憩時間、寝たフリと読書しかすることの無い奴はカースト最底辺なのである。そもそも自分の名前は灰原、と書いてカイバラと読む珍名であることすら指摘できないヨタカが、カーストランク上位の男子運動部に勝てるはずもなかった。

「なんで、こんな、ことに……!!」

 ほぼ独白に近い形で、前方を歩くクラスメイトの団体を睨む。怨念を込めてはみたが、ドラマやらアニメのように身体が内部から破裂したりもしない。勿論、それこそが平和で良いのだろうけれど。
 ぐおーっ!と手を伸ばす。その時緩んでいたのかヘアピンが、ヨタカの香染色の髪を滑った。かちゃんと軽い音が鳴る。

「よたかさん。顔怖いよ」

 カラカラ、と去年まで中学生だったことをありありと感じさせる笑みを浮かべた、明るい髪の少年は、ヨタカの人を殺さんばかりの視線を見てなお楽しそうに笑った。そして、身を屈めて、ヨタカの落としたピンを「落としましたよ」と微笑みながら渡してくれる。
 地毛にしては明るいその髪に、くりくりとした琥珀色の瞳。10人見たら、11人が「いい子だ」と信じるであろう、人好きのするかんばせ。彼が1つ下の年齢だなんて、きっと家がお隣にならなければ分からなかっただろう。

「僕が来てあげたでしょ? もう大丈夫ですよ!」
「高嶺くん……!!」

 思わず涙ぐんだ。なんて良い子なんだろうか。
 急に深夜の心霊スポットに連れ出され、クソ寒い冬夜に薄着で駆り出された時は、間違いなく全員呪ってやるお前ら顔覚えたからな絶対ぇ四肢はもぎ取ったるでぃとヤル気に満ちていたのだが、実際に彼らを前にすると、「全然マッテナイヨ! サァ! ユウレイミニイコ! タノシミィ!!」なんて言い切った自分の口が憎い。もぎ取ってやろうか。
 そんな彼の最後の抵抗が、絵に描いた優等生、幼馴染であり別中学の、1つ下 の後輩である秋月高嶺の同伴だった。情けないことここに極まれり。

「ごめんよぉ、高嶺くん。僕が不甲斐ないばっかりで……」
「いやいや、アンタのそれは今に始まったことじゃないでしょーが」

 なんてことないように言って、肩を揺らした彼には、文字通り頭が上がらない。この調子で、ヨタカはずっと彼に迷惑をかけ続けている。

「それにほら、僕こういうの好きですから」

 そう。高嶺は、専らこういうジメッとした、薄暗い、おどろおどろしい様なタイプの小説やら、映画やら、ドラマやらが好きだ。それは、彼の天真爛漫な性格からは考えられないだろう。付き合いの長いヨタカも実際、彼に言われるまでそんなこと知らなかった。

「それに、久しぶりによたかさんと遊べて楽しいし!」

 ああ、なんていい子なんだろう。再度認識して、思わず視界が水気でぼやけた。

「高嶺くん、君は、ほんとに、良い子だ」
「ハイハイ。良いからいいから。ほら、早く行きましょう」
「うん……!」

 第三者がいれば、どっちが歳上なんだか、と肩を竦めただろう。というか、そういった反応はもう既に両者の親から言われ慣れている。ヨタカも特に異論は無いし、高嶺は周囲の評価に自分の心根を揺るがすことのない人間だった。詰まるところ、当人たちは一切気にしていなかったのである。
 泣き真似をやめて、前を歩く高嶺の手へと腕を伸ばす。手馴れた仕草で手を握ると、高嶺は視線だけこちらに寄越して笑った。

「よたかさんと手ぇ繋ぐの久しぶり」
「最近あんま会えなかったもんねぇ」
「よたかさんは嫌でも、俺は久々に話せたから、嬉しいですよ」
「僕だって嬉しいよ!」

 まるで高嶺だけが憧憬の念を抱いていたとでも言いたげな口振りに、ヨタカは噛み付いた。

 幼馴染であり家も隣の2人が、こうして話すのが久々であるのは事実だ。
 というのも、ヨタカがようやっとギチギチに絡められた小学生という殻を脱ぎ去った矢先、高嶺の中学受験が開始したため、2人でどこか遊び行こうといった雰囲気にならなかったのが原因である。ヨタカも、息抜き程度なら良いでしょと顔を覗かせようとしたのだが、元から成績優秀者である彼の努力の妨げになる、と考えたヨタカの母から、ヨタカは厳しく隔離された。

 高嶺の母親は、教育ママではあるが、それ以外に関しては、彼を愛情たっぷりに育てている。東に病気の高嶺あらば、繁忙期の会社に辞表を提出する勢いで辞め、西に授業参観の高嶺あらば、ジェット機を飛ばす勢いで帰国し、エトセトラエトセトラ。やや過激な愛ではあるものの、彼は蝶よ花よと、ではなく、「あれは虫よ」と正確な知識をより綿密に教えられて育った。その愛情の矛先は、自惚れではなく、ヨタカ家にも注がれている。高嶺の家族にとって、灰原家もまた家族だ。「実質血族」と高嶺の両親が言っていたのも聞いたことがある。

「よたかさんこういうの苦手じゃない?」
「みんなで来いって言われたら行くしかないじゃん……」
「あはは……。断れないもんねぇ、優しいから」
「まっさか! 優しいんじゃないよ! カースト! カーストだよ! カーストのせいで僕の夜の平穏は奪われたんだよ!」
「声でかい!」

 ふと一行の動きが止まった。
 1番先頭を、キャピキャピと歩いていた浮かれ集団ども(発案者たち)は、目の前に聳える古い建物に「怖いぃー」と甘い声を上げている。

「結構雰囲気ありますね」
「だね……なんか、……ほんとに、居そう……」

 怖々、と呟く。すると前方で元凶である男が声を張り上げた。

「じゃあ入っか。1階からグルっと回って、上まで行こう」
「えー! 最上階まで上がんの!?」
「その方がホラー感出るだろ?」

 やや昂ったような声音。夜の廃墟で肝試しという行為に、罪悪感やら背徳感やら興奮やらで、アドレナリンが馬鹿みたいに放出されているに違いない。その証拠に、彼は先程から、落ち着きなくプラプラと足を動かしている。

「じゃー入んべー」

 ヨタカは、ここで「はいじゃーペアなって!」とかとち狂ったことを言われなかったことに、心の底から安堵した。ヨタカのクラスは奇数である。男子18人、女子17人。今日の突然企画で、来ていない人物も数人いるが、それでも奇数である。言わずもがな、ひとりあぶれが出る。そうそれがヨタカだ。その予定だった。もちろん、そうなった時は高嶺を引っ張りこんで強制的に偶数にする所存ではあったが。

「よたかさん。手ぇ離さないでくださいね」
「僕が高嶺くんの手を話したことなんてあったかい?!そんなに頼れる人物じゃないよ!」
「胸張って言うことじゃないですねー僕年下ですからねー」

 高嶺になだめすかされながら、彼から離されない手に安堵する。幼い頃から変わらない体温に、懐かしさを感じながら、廃ビルへと進んだ。




「あー……」

 口を『あ』の形にして、顎が外れるほどの形をキープしたまま声を上げた。

──ふと、考える。
 
 『あ』という一文字に、どれほどの感情が詰められているのだろうか、と。無論、過去の文献を探ればその言語が出来た経緯は探れるだろうし、その記号が平仮名48個の筆頭になっている理由も見つかるだろう。だがそれをするつもりは無い。サラサラない所の騒ぎではなく、サラサラどころかツルツルだ。ツルツル無い。微塵もない。
 何故なら、面倒だから。
 面倒という理由はいくつも挙げられる。
 ひとつは、それに該当する本やらサイトを探す労力が無駄だから。仮にもし『この世界から今現在暇なヤツ全員殺す令』が発令されでもしたら、嬉嬉として体を起こしてサイトを漁るし本屋に出向く。裏を返せば、そうでもしないとしたくない。何故ならしなくてもいいからだ。しなくてもいいことをわざわざする事に人間は特化していない。「無駄イコール効用だ」という人間がいたらしい。神経を疑う。無駄は無駄であり、それ以上も以下も存在しない。底辺であり頂点であり原点である。言い換えるなら「無駄=無駄である」だ。
 それから2つ目。これは無い。特に思つかなかった。だから無い。それだ。それだけだ。そうなのだ。それでいい。

「1秒半……や、ギリ1秒か?」
「は?」

 背中合わせに作られた椅子で、仰け反るようにして『あ』を夢想していた男は、脈絡なしに投げられた言葉を拾って、体を起こした。背もたれに押し付けられていた外ハネの茶髪が、ピヨッと飛び出す。
 アーモンド型の翠眼に、向かい合って座る蒼髪碧眼の男を写して、首を傾げた。

「曲輪くんが変なこと考え始めて、結論に至るまでの秒間」
「んははは!!凄すぎ!数えてたの?」
「無理だわ。目の動き。あとは瞬きの回数」
「ひゃ〜凄すぎ。夫婦じゃん」
「勘弁して」
「ひっど」

 結露したガラスの表面を指先で叩いて、先刻曲輪と呼ばれた少年は、自身の瞳と同じ色のメロンソーダを眺めた。
 小さな気泡が、上へ行って弾ける。上へ行って弾ける。この規則的かつ不規則的な感じは嫌いではない。曲輪はニタ、と三日月形をした唇を舐めた。

「1.5かぁ。鈍ったかな」
「そう?」
「前までだった、桁が1個低かった」
「……0.15」

 そこまでいったら俺もわかんねーよ、と碧眼が呆色に揺れる。それに笑みを打ちながら、2人は閑散とした店内へと視線を投げた。

 深夜帯のファミレスは人もまばらだ。工事現場勤めと思われる、ツナギの割合が圧倒的に多い。あとはコブを二三抱えていそうな髪の長い女やら、死人もかくやと思われるほど顔を青くした大学生やらと個性の強い客がポツポツ、と不規則に座っていた。

 そんな中、ここいらでは有名な私立高校の制服と、わかりやすい学ランに袖を通し、ケーキを平らげたあと、なにを頼むわけでもなく向かい合って座る男二人は、はっきり言って異常だ。
 時刻の長短針は、12へ入ろうとしている。恐らく一般的には学生の外出が許可されていない時間帯だ。それも相俟って不審の目で見られているのに、渦中の彼らは気が付いていない。

「よし!決めた!」
「なにを」
「ゼノンのパラドックスは本当にパラドックスかについて語ろう!!それかP≠NP予想について語ろう!!理論計算機科学程度なら俺にもわかる!!」
「自分の脳味噌の活動量について知らないの?お前に分かっても、俺にわかるわけないでしょーが」
「Merlin-Arthurプロトコルって知んないの?対話こそが真実への最も近道なんだよ。ソクラテスもやってた」
「あれは一種のプロパガンダだろ。対話じゃない」
「それは見方を間違えてますよ。だって、」
「あのう、お客様」

 曲輪が身を乗り出したのと、おずおずといった様子で店員が話しかけてきたのはほぼ同時だった。
 曲輪の翠眼と、硯の碧眼が同時に動いて、店員を捉える。
 アルバイトだろう女性店員は、にこ、とマニュアル通りの笑顔を浮かべて、足元を手のひらで指した。

「申し訳ありませんが、足元に荷物を置くのは、他のお客様のご迷惑になりますので……」
「ん、あぁ、ホントだ。すみません!」

 足元に転がった、布に包まれた長い何かの袋を視界にとめると、慌てたようにそれを拾う。筋の通った手の中から、ガチャン、と金属の音がした。

「ごゆっくり」

 ぺこり、と頭を下げた店員に、ヒラヒラ、と手を振って相好を崩す。人懐っこさはその小柄な体躯からくる幼さも要因に含まれているだろう。
 人たらしめ、とため息混じりにソーサーごとカップを持ち上げ、縁に唇を這わせる。花色の唇が真白の陶器と相まって、一種の芸術にも見えた。
 体をぐにゃんと倒した曲輪は、ケタケタ笑いながら蒼髪の青年を見やる。

「あれ思い出すなぁ。額縁の概念」
「美術品よりもってやつ?」
「そうそう。まぁ人間なんてそんなもんですよね。概念に固着する生き物。それが、人間。うぅん。イイカンジ」
「かもね」

 再び悪戯に彼らの間を沈黙が満たす。だが、気まずそうにしているかと言われればそうではなく、むしろそれをあるべきものとして享受していた。居心地良さげに細ばめられた瞳が言葉よりも悠然とそれ語る。
 ブーッ。結露の着いた机の上で、スマホがバイブして横にずれた。それを間をおかずして捕らえ、手馴れた動作で画面で指を動かす。そして深夜の海原のような瞳で曲輪を見やる。彼は、とっくに席を立って、足元の長い堤を肩にかけていた。

「お呼び?」
「七瀬から」
「長かったねぇ〜」

 ダルかった!と伝票を碧眼の青年に押し付けながら、曲輪は席を立つ。それをさり気なく曲輪の手に押し付け返すと、彼はどこまでも平坦な声で告げた。

「場所は廃ビル。中に入った人が重症。ってのがニュースだけど、どうだか」
「何人?」
「改装しようとして中に入った地主と、その奥さん。それから“怪異(かいい)”に遭遇した工事現場の人達。それ以降の正確な情報は無い」
「あひゃー。こりゃ長くなりそうだ」

 そう言いつつも楽しそうに目尻を歪ませる曲輪の背中に、バシッと強い力で伝票を叩きつける。「っでぇ!!」と呻き声を上げた曲輪に、べぇっと舌を出して、「外で待つわ」と口早に告げた。

「俺持ちかよ!!」
「投資だよ。トーシ」
「おっとなげねぇの!」
「なんとでも」

 肩を揺らしながら、携帯を耳にあてる青髪を睨む。そして、諦めたように身を竦め、レジへと進んだ。