落日の影

「穂高、一緒に映画に行ってくれない?」

 そう言って、映画に誘ってくれた中学二年生の春。準が映画のフライヤーを穴が空くほど見ていたことも、誰よりも早く前売り券を買っていたことも分かっていた。だけどまさか誘って貰えると思っていなくて、声をかけられた俺は固まってしまった。
 準の好きなアクション映画のシリーズ。人気作なので何度もテレビで再放送しているが、準は毎回必ず放送を観る。DVDだって買っているはずだし、天気が悪くて出掛けられない休みの日なんかも何周も何周も観ているはずなのだが、それでも準は必ずその映画を観た。
 俺が泊まりに行っている日なんかも、直前までゲームをしていても放送が始まると中断して、必ずテレビに齧り付いている。俺はいつも隣で一緒に観ながら、CMの合間に熱く語る準の解説と合わせて内容を覚えていった。
 そんな映画の久々のシリーズ最新作。それだけ入れ込んでいるのできっと準は一人で行くだろうと思っていたのだが、まさかの誘いに俺は驚いてしまう。

「あれ……だよね?準、一人で行くんじゃないの?」
「いや!オレがあれだけ熱く薦めるのを毎回聞いてくれてるだろ。穂高にも観てもらって感想が聞きたいんだよ」
「俺も一緒に行っていいの?」
「なんだそりゃ。むしろオレが一緒に来てほしいの!」

 お願いします!なんて言って準はチケットを差し出してくる。面白い映画だし、準と話もしたいし、準が観に行った後に普通に自分も観に行こうかなと思っていた。だけどまさか、自分の分のチケットまで準備してくれているとは。

「俺も観たかったんだ。一緒に行こう」
「サンキュー!どうしても誰かと感想の共有をしたくてさ」
「チケット買ってもらってるし、俺がポップコーンとかジュースは奢るよ」

 映画は普通に楽しみだ。だけどそれ以上に、ふたりで映画に行くということがうれしくて。

「公開初週の土曜でもいい?なるべく早く観に行きたくてさ……」
「いいよ。その日にしよう」
「やった」

 準は嬉しそうにガッツポーズをする。俺はそれを見て笑った。
 休日にときどき一緒に遊びに行くこともあるし、準とは色々なところへ出かけている。だけど映画に行くのは初めてのことだった。

 指折り数えているうちに、あっという間に約束していた日になって。
 なんとなく普段よりも少し背伸びした服装を選んだ。別に映画に行くだけなのでいつも通りでも良かったのだけれど、なんとなく浮き足立ってしまう。おかしくないかな、と何度も姿見の前で全身を確認していた。
 約束した時間になったら準が家まで呼びに来ることになっている。だが、そわそわして待ちきれなくて、家の外で待っていようと思って玄関を出る。するとドアを開けた瞬間に目の前に準が現れて、俺は驚く。

「あ、あれ?時間間違えてた?」
「ちがう、なんか落ち着かなくて、早く来ちゃった」

 そう言ってはにかむ準の服装も普段とは少し違う雰囲気で、なんとなく大人びて見える。もしかしたらお互いに同じことを考えていたのかもしれない。俺は思わず笑ってしまった。


 映画館は最寄りの駅から数駅先にある。電車に乗るとずっと準が自分の考えたストーリー予想を熱く語ってくれていて、あっという間に目的地に着いてしまった。
 準が座席を確保しているうちに、約束通りジュースとポップコーンは用意しておく。映画は少し長めなのでどちらも大きめを用意しておいた。

「はい、準はサイダーだよね」
「さすが穂高、俺の好みはお見通しだな」
「いつも飲んでるやつだもんね」

 ずっと見ているのだから飲み物や食べ物の好みはだいたい把握している。準はそんな俺を気味悪がるのではなく、いつも感心してくれた。

 映画が始まってからは、お互いに内容に没頭する。
 このシリーズはハードボイルドなアクション映画で、主人公の男は凄腕のヒットマンだ。本人は至って真面目でありながら少しおちゃらけた態度を取るのが魅力なのだが、いつでも仕事は冷徹に完璧にこなして。滅多にピンチに至ることも無い姿に爽快感を感じるタイプの内容だ。
 シリーズの最新作では、無敵だった男に恋人ができる。今まで仕事一筋で人とは深く関わらなかった彼が、自分の通うお気に入りのパン屋の女の子に恋をするのだ。
 このシリーズ以外にも、どちらかの家にいる時に準と映画を観ることはあった。だけど今まで一緒に観てきたアクション映画にはそれらしいシーンがあまりなかったので、しっとりとした恋愛描写のあるシーンを観るのは初めてだった。
 彼女と話すことで、男は身に覚えのない気持ちに胸の痛みを感じて、味わったことの無い不思議な気持ちになっていく場面。男がそれを恋なのだと気がつくのは、物語の終盤に入った頃だった。

(恋をすると、胸の奥が苦しくなるんだ)

 想いを通じあって二人は恋人同士になるのだが、今までヒットマンとして生きてきた男は普通の幸せには辿り着けない。
 男が自分の気持ちに気付いた直後に、男の恋人が拉致される。ずっと無敵で弱点のなかった彼だが、彼にとって恋人の存在が弱点になってしまっていたのだ。
 だが、男は依頼の遂行を優先して、彼女を救うことを諦めてしまう。依頼の達成後、亡骸となってしまった彼女の手を握りながら、男は二度と人と心を通わせ合わないことを誓う。爽快感あるラストが特徴である今までのシリーズとはテイストが全く違った、まさかのエンディングとなった。

(好き同士なのに幸せになれないんだ……)

 言いようのない悲しさに、エンドロールを眺めながら涙がこぼれる。きっと今までの作品のようにスカッとした最後だろうと予想していたので、意外すぎる結末に頭の中が上手くまとまらない。

(準は……?)

ちらりと隣を見ると、準の瞳からつうと涙がこぼれ落ちる。もしかしたら、準も俺と同じ気持ちになっているのかもしれない。


「すごい話だったね」

 上手く言えなくて、映画館から出ると俺はそう言う。

「オレの予想とはだいぶ違ってたな」
「準は彼女が一緒にヒットマンになるって予想だったもんね」

 準は腕を組んでうーんと考え込む。準の予想では、主人公はピンチになったヒロインを救い、なんだかんだあって最後にはヒロインも男の裏稼業を手伝うようになるエンディングだった。なので予想とは掛け離れた結末になってしまった。

「……オレは今回のやつ、あんまり好きじゃないな」
「そう?俺は結構好きだった。最後は悲しい話だったけど……」
「オレがあいつだったらさ、依頼よりもあの子を助ける方を選んだんだよ。でもあいつは仕事人間だからさ、彼女の方を諦めちまって。なんかそれがモヤモヤするんだよな」

 男は一瞬の葛藤の後に、あっさりと彼女を切り捨ててしまった。物語の最後には男は冷徹なヒットマンに戻り、彼女のために涙すら流さなかった。
 そのシーンが印象的で、その哀しさが頭に残る。そりゃ準の言う通り彼女を助けてハッピーエンドのほうがいい話だっただろう。だけど俺は、その物悲しい展開に心を打たれた。

「でもさ、穂高と一緒に来てよかった。オレ一人だったらたぶんこの感じに耐えれなかった……」
「それは良かった。俺も準と一緒に観られてよかったよ」
「くそー……やっぱりモヤモヤする。穂高、また前のシリーズ観たいから今度付き合ってくれよ」
「いいよ」

 それが俺たちのはじめての映画館。あとから思えば、俺にとっては初めての準とのデート。そんな準のエピソードも含め、俺にとっては大切な思い出。
 あの映画を観たあとから、準が他の誰かと話している時の胸のチクッとした痛みの正体がようやく分かる。

(そっか、俺は、準のこと……)






 俺は静かな部屋の中でずっとスマートフォンの通知欄を眺めている。
 別に毎日話すわけではないのだ。そう都合よく連絡が来ないことは分かっている。でもなんとなく落ち着かなかった。

 言ってしまった。
 俺からの突然の告白に、準はぽかんとして立ち尽くしていた。嫌がっているとか照れているとかそういう事ではなく、何が起こっているのか分からない。そんな表情。



「好き、って……?」
「…………」
「オレも穂高のこと好きだよ。ずっと仲良くしてきた親友だと思ってるし」
「…………」
「そういうことじゃ……なくて?」

 いたたまれない気持ちでどうしたらいいのか分からない。そんなときに追い詰められた弱い俺が起こす行動は、いつもこれで。

「……ッ!」

 準に背を向けて、俺は逃げ出そうとする。ここで逃げてしまったらこれからどう接したらいいのか分からなくなってしまうことなんて考えずに、ただ保健室から飛び出そうとした。
 だが、すぐに準に手首を握られてしまう。

「待って、穂高。ちゃんと話がしたい」
「話、って……?」

 嫌な答えなら聞きたくない。
 そう思ったが、こうなってしまったら話し合わないかぎりはどうすることも出来ない。

「えっと……穂高の好きとオレの好きは、きっと違う好きってことだよ、な……?」
「……うん」

 準は確認するように、やさしく俺にそう問う。
 どうして言ってしまったんだろう。
 泣きたくて、熱くなった顔を見せないように準から顔を背ける。感情が溢れて、これ以上気持ちを抑えることが出来なくなってしまった自分を恨む。

「穂高、オレは……分からないんだ。友達じゃない好きとか、そういうのよく分からない」
「…………」
「穂高がいつもオレのこと色々覚えてくれてたり、オレのためにいろいろしてくれてるのは分かってる、でもそれって仲がいい親友だからってオレは思ってたんだ」
「……ちがうよ」
「やっぱり違うんだよな……?」

 目を合わせられない。いま準はどんな顔をしているのだろうか。知るのが怖かった。
 臆病な俺は準に手を握られたままで、なんとか逃げる方法ばかり考えていた。悪魔は今、俺の影の中には居ないのだろうか。いま声を掛けられたら、ここから逃がしてくれとすぐに助けを求めてしまうだろう。

「オレ、穂高に好きって言ってもらえてうれしいよ。だけどオレがさ、それに応えられる自信がなくて」
「……いやじゃ、ないの?」
「嫌だなんて……そんなことは絶対にない!」

 ぐい、と強く手を引かれて、準と目が合う。
 真っ赤になった真剣な顔。初めて見る表情だった。

「だからさ、すぐに返事できなくて悪いんだけど……まずはお試し期間、みたいな時間がほしいんだ」
「……え?」

 本当の気持ちを告げてしまえばきっと、準は俺のことを避けるようになる。準にとって俺はそういう対象では無い。それがわかっていたから。だから伝えられなかった。
 だけど準の出した答えは、俺にとっては考えもしなかったもので。

「中途半端な答えしか出してやれなくてごめん。てもこれが今オレが出せる精一杯の答えなんだ」

 気味悪がるでも避けるでもなく、準はちゃんと俺に向き合ってくれる。
 こんな唐突な告白の答えとしては、これ以上ないくらい優しいもので。

「それで……いいよ、ありがとう……」

 下手くそな精一杯の笑顔を作ると、準もそれに応えるように俺に向かってはにかんでくれた。



 それから残りの授業を受けて、いつも通り一緒に帰って。
 だけどいつものように話が進まない。お互いに何を話せばいいのか探っているような、そんな状況。
 何となく気まずい空気のまま、気がついたら準の家の前までたどり着いてしまい。

「じゃあ、また明日な」
「うん……」

 家へ入っていく準の背中を見つめる。
 きっと自分が想像していたような悪い方向へは向かっていない。だけれど、なんとなく不安な気持ちが拭いきれない。

「……」

 準の家から自分の家までの短いはずの道のり。それなのに、ぼんやりとしていて迷ってしまいそうなくらい遠く感じる。とにかく気持ちが落ち着かなかった。
 それから家に戻って、ずっと電気もつけずに部屋に籠ってベッドの上でスマートフォンを見つめていて、今に至る。

(……そういえば、あれから悪魔のやつ何も言わなかったな)

 じきに分かる。
 奴はそう答えた。それは脅しだったのか、ただ答えてくれただけなのかも分からない。きっと今後も、奴は自分の望む答えはくれないだろう。
 ただひとつ分かってきたことは、やはり相手は頼るべきではない存在なのだろうということ。
 つい先刻も助けを求めようとしていたものの言うことでは無いが、このまま奴の誘いに乗っていたらきっとろくな事にはならない。分からないなりに自分で自分にそう言い聞かせる。

(準の……ためにも)

 明日はもう少しうまくやろう。準がくれたチャンスを無駄にしないためにも。
 ひとりでそう決心していた時、SNSの通知音が鳴って、俺は肩を跳ね上がらせる。

「明日の放課後、新しくできたとこ行きたい」

 準から届いた短めのメッセージと、一緒に送られてきたURL。
 クリックしてみると、この間オープンしたばかりの食べ歩き用のフライドポテトの専門店の紹介サイトへ飛ぶ。
 SNSで紹介されているのを見て、ここが気になるんだよね、と準には先日話していた、自分が好きな珍しい味のフレーバーがあるらしい。

(……準だって、俺のことよく覚えてくれてるじゃん)

 嬉しくて思わずほくそ笑みながら、すぐに返信をした。






(……大丈夫、いつも通り、いつも通りに)

 そう思いながらも、いつもよりもずっと長く鏡の前で自分の顔とにらめっこする。寝癖は治した。制服のネクタイも曲がっていないし、シャツにシワもない。
 大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながら、玄関のドアを開ける。

「おはよ」
「おっ……おはよう」

 心の準備もできないまま、なんと、外に出たらすぐに目の前に準が現れる。いつもなら集合場所で待っているはずなのに。
 中学のころ、一緒に映画を観に行った時にこうして準が待っていたのを思い出す。あのときも俺は驚いてドキドキしていた。

「来てくれてたんだ……」
「あー……ゴミ捨て頼まれてたから早く出て、そのまま来ちまった」

 ちょっと照れくさそうに準はそう言う。本当はゴミ捨て場は俺の家から少し離れてるけど、敢えて何も言わない。

「そうなんだ、ありがとう」
「行くか」

 薄青色の通学路。
 いつも通っている道なのに、何を話せばいいのか考えては思いつかずに落ち着かなくて。
 いつも通りでいいのだとあれだけ自分に言い聞かせていたのに、逆に不自然に話せなくなってしまう。

(今日……どうして早く来てくれたんだろう)

 ただの気まぐれかもしれないし、本当にゴミ出しのためだったかもしれない。だけど、もしかしたら自分のことを気にかけて早く来てくれたのではないかと、そう期待してしまう自分がいて。

「穂高」
「は、はい」
「その……」

 準は珍しく言葉を詰まらせる。
 何を言われるのかとドキドキして、俺は思わず身構えてしまう。

「実は……昨日の宿題忘れちまってたの朝思い出してさ、よかったら着いてから写させてくれね?」
「え」
「だから早く来たんだよね……なんつって……」

 ごめん、と謝りながら、バツが悪そうに準が言う。
 それを聞いた瞬間に、一気に肩の力が抜けてしまう。

「いいよ」
「ほんとごめんな……」

 至っていつも通りの会話に、いつも通りの様子の準。
 昨日のことがあっても、特に何も変わったことは無い。
 気持ちは楽になったが、どこか引っ掛かりは感じる。でもこれでいいはずなんだと、自分にそう言い聞かせていた。



 それからもいままで通り。
 学校に着いたら準はすぐに俺の宿題を写して、休み時間は準と二人ではなくグループで集まって他愛もない会話をして、昼休みもグループの数人でランチに行って。
 変に身構えている必要はなかったのだと安心する気持ちと、少し残念な気持ちと両方で。だけど考えてみれば、今までの自分たちの関係を考えれば、急激に変わることなんてないのだと分かってはいたのだが。

――オレ、穂高に好きって言ってもらえてうれしいよ。だけどオレがさ、それに応えられる自信がなくて。
――すぐに返事できなくて悪いんだけど……まずはお試し期間、みたいな時間がほしいんだ。

 準がくれた優しくもあり残酷でもある答え。
 いや、否定される訳では無かったので充分すぎるほど希望があるのだが。
 変に期待してしまうのは間違いだと分かっている。それでも、どうしても、今までよりも近くなった関係のかたちにざわついてしまって。

「穂高」
「あ、うん……どうしたの?」
「行こうぜ、昨日言ってたとこ」

 あれこれ考えていて上の空のまま一日が終わる。おかげで全然授業の内容が頭の中に残っていない。
 気がつけばホームルームも終わっていて、机の横に迎えに来てくれた準が立っている。

「え……そ、そっか、行こう」
「たしか2駅先だったよな?」
「そうそう、前に行ったハンバーガーの店が移転したから、その場所にオープンしたんだと思う」
「なるほど、じゃあ行くか」

 いつもにも増して乗り気な準について行くため、慌てて荷物をカバンに入れていく。
 思い返してみれば店の情報を見せていた時の反応も良かったし、もしかしたら準も気になっていたのかもしれない。

(……俺の、自惚れかな)


 目的の店は学校の最寄り駅からふたつ先、少し栄えた街の中心部にある。背の高いビルも多く、衣食住とジャンルも様々な店が多数揃っているが、それが故に店の入れ替わりも早い。
 俺と準は定期券を使って通学しているので、ちょこちょことこの付近に遊びに来ている。
 自分たちが暮らす町はここからもっと先の駅にあり、この辺りと比べればかなり静かで、人も少ない落ち着いた住宅街だ。なので高校に進学する時は、賑やかな街で遊ぶことへの憧れもあった。

「穂高、今日は調子は大丈夫そう?」
「う……うん、平気だよ」
「そっか。まだちょっとぼーっとしてる感じがするから、体調どうなのかなって」

 揺れる電車の中で、気遣いながら準が尋ねてくれる。
 人が多いので座れないのが常だし、揉まれて押しのけられることも多々ある。だが今日は準が俺を壁側に追いやって、その正面で人混みから守るように盾になってくれている。

(……なんか、ちょっと、恋人みたい)

 カップルなどが同じ電車に乗っている時によく見る光景だ。揉まれながらも今日も人が多いな、と準と話しているときに、俺はそういうふたりをいつも見ていた。すし詰めになった電車の中でもふたりだけの世界に入っている彼らのことを、羨ましいなと思っていた。
 それを今、自分が。

「……」
「穂高?どうした?」
「な、なんでもない」

 ありがとう、と言いたかったが、準にそんなつもりがあるかどうか分からない。
 ここに至るまでは特に変わったことはなく、至っていつも通りだった。せっかくの夢の時間だというのに、変に意識してそんなことを言ってしまって気まずくなるのは嫌だ。

(でも、なんか)

 少し前に比べると、準は格段と男らしくなった。
 男にしてはかなり貧相な自分と違い、準は元々体格が良かった。だが筋肉質だったり背が特別高かったりする訳ではなくて、普通にしていれば気が付かない程のもので。運動部で活躍する部員たちと比べればかなりスマートではあったのだが。
 だがいま至近距離で目の当たりにしていると、彼の成長をまざまざと思い知らされる。
 シャツの首元から見える隆起した太い鎖骨、その下の胸囲はかなり鍛えられていることが制服の上からでもわかる。壁について俺を囲う腕も、逞しい肩や上腕に引っ張られてシャツがピンと張っている。

(見ていられない……)

 何年も彼を想い続けてきた自分にとって今の状況はこの上ないご褒美なのだが、あまりにもいたたまれない。

「じゅ、準」

 直視出来なくなってきて少し視線を逸らしながら、小さく彼を呼ぶ。線路の音や他の乗客の話し声で聞こえないかと思ったが、すぐに彼はまっすぐに自分の方を向いてくれる。

「どうした?」
「その……すごいね」

 何が?という表情で準は首を傾げている。

「すごく、逞しくなった」

 意識して見ていたのがバレバレなのではないかと思いながらも、身の置き場がなくて言わずにもいられなかった。変な意味ではなくて、純粋に彼の成長に驚いている。ずっと見てきたのに気が付かなかった。

「やっと気づいた?オレ、結構鍛えてんだぜ」

 準はそう答えてニカッと笑う。

「そうだったの?」
「そ!部活はやってないけどさ、やっぱ助っ人もあるし」

 たしかに準が呼ばれる部の種別は様々だ。準は子供の頃から走ることが得意なので、陸上系で人数が足りないから……というパターンが多いが、時にはラグビー部や野球部などの筋力が求められるところの助っ人へ行くこともある。
 声が掛かったタイミングで直ぐに動けるように体づくりは欠かさない、ということだろうか。

「腹筋とかスクワットとか基本的な筋トレメニューは基本的に毎日やってるし、体力キープしたいから走り込みもしてんだぜ」
「ずっと続けてたの?」
「そう!オレ、運動するの好きだから苦じゃないし」

 小学生の頃から体育の時間が一番活き活きしていたし、得意なだけではなく体を動かすことが好きなはずの準が部活をやらなかったのは勿体ないと思っていたが、そんな形で続けられていたとは。
 努力家な面もあるし、各部の部長や顧問は正式に所属して貰えなかったのをさぞかし残念に思っただろう。

「ずっと見てるのに気が付かなかった、ごめんね」
「ずっと見てるから気が付かなかったんじゃねぇか?」
「それもそうか、あはは……」

 恋愛感情として意識し始めてからは恥ずかしくて凝視できていない、というのもあるが。

「俺は貧相だからさ、準のように……とまではいかなくても、多少はがんばらないとね」

 準に限らず、ほかの友人たちに比べて自分は細身だ。運動も苦手だし、筋力もあまりない。コンプレックスでもあるので自分でなんとかすべきだとは思うが、体が思うように動かない辛さでトレーニングをやると先に心が折れてしまう。

「……穂高はそのままでいいよ」
「え?」

 ――ゴトン

 話に夢中になっていた直後、電車が大きく揺れる。ふらついてひっくり返りそうになる俺を、準は逞しい腕で支えてくれる。

「ごめん……」
「いや、それより大丈夫だったか?」
「平気だよ、ありがとう」

 ドキドキしていること、気が付かれてしまっただろうか。
 その直後、まもなく駅へ到着するというアナウンスが流れる。もう少しこの時間が続いて欲しかったがあっという間だ。
 同じ目的地の人混みに流されながら、なんとか俺たちは改札を出た。

 時間を問わず人の行き交う繁華街。この時間帯は学生が多いが、少し離れた位置はオフィス街になっているのでおそらく昼間や夜はスーツの社会人で溢れているだろう。
 カフェやスイーツ専門店、バーなど様々な飲食店が立ち並ぶ中に目的の店がある。似た店も多く迷子になりやすいが、移転前のハンバーガー屋は準のお気に入りだったのでよく覚えている。

「ここだ」
「外装もほぼ前の店と同じ感じだな」
「きっと居抜き物件なんだね」

 前の店舗の面影を残したままだが、テイクアウト専門店なのでイートインスペースはなくなっている。店舗には入れず、表側で注文してそのまま受け取るスタイルだ。

「サイズとフレーバーはどうしよう」
「デカいのひとつ頼んで二人で分けてもいいぞ。味は穂高の選んだやつでいい」

 実は訪れる前からソルト&ビネガー味が目的だった。いわゆる甘塩っぱい味だ。塩が主流のポテトの味としてはなかなかないタイプで、偶然出かけた先の出店で買って初めて食べたときから癖になっている。だがなかなか次にお目にかかることがなかったので、ここの情報を見てどうしても気になっていた……ということだ。

「甘塩っぱいやつにしてもいい?」
「もちろん。それが食いたかったんだろ?」
「知ってたの?」
「前食べたやつうまかったって何度も話してるもんな。ここの情報見せてきたときに、たぶんこれが食いたいんだなーってわかってた、へへへ……」

 そんなに話していただろうか。そうだとしたら無意識だったので、なんとなく恥ずかしくなる。
 タイミングよく比較的空いていたので、割と早めに注文ができた。揚げたてを提供してもらえるタイプなので、揚がるまでしばらく準と一緒に受け取りスペースで待つ。その間に、注文口にはかなりの列が出来ていて驚く。
 待っている間に話していて、絶対に穂高が好きだろうから早めにここへ連れて来たかった、なんて話が出る。俺が初めに話題に出してすぐに準も調べてくれていたらしい。ついついにやけてしまうのを何とか見られまいと誤魔化した。

 しばらくして番号札の呼び出しがある。受け取ると匂いからもすぐに自分の求めていた味のものだとわかる。でもだからこそ、出来れば準に先に食べてもらいたいなんて思っていると、準が横からひょいと1本掴みあげる。

「ほら」

 準はそれを口に運ばずに俺に向けて差し出す。目を白黒させていると、唇の先をポテトの先でつつかれる。

「ありがと……」

 促されて口に運ぶ。すると想像していた通り、いやそれ以上に美味しいと感じる。揚げたてなのも、好きな味なのもあるが、きっと準が口に運んでくれたから。

「うまい?」
「うん、すっごくおいしいよ」

 準もひとつ摘んで口に運ぶ。うんうんと頷きながら、確かにめっちゃうまいな、なんて言う。
 俺はきっとこの日食べたポテトの味を、今日という日の幸せをずっと忘れないだろう。そう思うくらいに今日は特別な日になった。



「すっごく美味しかったね」
「確かに初めて食べる感じだ。穂高が言ってる意味がよく分かったよ」

 いつもの帰り道も、ずっと俺たちは味の感想を言い合う。自分の気にいったものを準も気に入ってくれたことがとても嬉しい。

「他にも新しい店がいっぱい出来てるって言ってたよな」
「うん。あの店の情報見てたら、どんどんおすすめで新しい情報が流れてきて……」

 準はハンバーガー店や甘いものの店が好きだ。彼が好きそうな店も色々とオープンしているので、今度は自分から声を掛けて連れて行ってあげたい。

「また行こう」
「うん……」

 話しているうちに、あっという間に準の家の前まで着いてしまう。いつも以上に時間の流れが早く感じる。

「穂高、」
「ん?」
「また明日な」

 そう言って、俺の頭をぽんぽんと叩いて準は家の中へ入っていく。
 その姿が見えなくなってからも、俺はしばらくの間そこに立ったままで。

(……この時間が、永遠に続いてくれればいいのに)

 無理だと分かっていながらも、そう思わずにはいられなかった。