憑依未満の夏葬


7月に入り梅雨が明けそうな気配がしてきた。暑いのは苦手だけど、毎日曇りだと青空が恋しくなる。
じめじめじめじめ。

「あーあっつ。なんかさ、ヒューゴの近くだと少し空気ひんやりして気持ちいいかも」
『俺は冷房がわりか』

そんなことを言いながらも、ヒューゴはベッドに寝そべる俺の背後に覆いかぶさるようにぴったりと寄り添っている。もちろん重さは感じないが、そわそわとした空気の動く感触は肌に感じるのでくすぐったく感じることがたまにある。

『次、早くめくって』
「まって、もうちょっと」
『読むの遅くね?』
「俺は流し読みはしないの。一文字ずつ大切に読んでるんだよっ」
『はぁ? 効果音まで読んでるんじゃねーの』

文句ばっかりだ。

物に触れられないヒューゴの為に、漫画は一緒に読んであげているのだが、読むスピードが違って、俺のページをめくるスピードが遅いって毎回文句を言われる。

――あれからさらに二週間がたち、ヒューゴとの生活は日常になりつつあった。
新たな情報もなく、俺も調べようとしてもなかなか時間がとれないのが現状だ。唯一分かった新情報は、ヒューゴは十八歳、ということだ。

先週母親の誕生日だったんだけど、家族でケーキを食べていたら、自分の誕生日が六月十三日だったと突然思い出したらしい。
その流れで年齢も思い出したようだが、六月十三日といえば、俺とヒューゴが初めて出会った日だ。出会ったなんていうとドラマチックだが実際は怪奇現象に遭遇した日だ。

『な、早くしろって』

首の後ろから背中にかけてふわりと感触がある。
慣れたからなのか敏感になっているからなのか、以前よりよりヒューゴの体温や感触がわかるようになった。

ヒューゴは片腕で頬杖をつき、もう片方の腕は俺の肩を抱いている。
腕の中にすっぽり収まっている状態に、同じ高校生男児としてこうも体格に差が出ると複雑な気持ちになった。
俺だって男なのに。

ヒューゴの体つきは大きくて逞しい。顔だって、シャープな顎のラインと高い鼻が同年代よりおとなっぽい雰囲気に仕上げている。生きていた時はモテていたに違いない。

『何? 俺じゃなくてマンガ早く見ろって。続き気になるじゃん』

いつの間にかヒューゴの顔を見ていた。

「ヒューゴは男って感じだよね。いいなぁ」

しみじみしながら言うと、ヒューゴは何を今さらとでもいうように目を眇めた。

『凪はほそっこいもんな。この腕とか、俺の半分って感じ』

ヒューゴが手を伸ばして触る真似をする。産毛だけ撫でられているようなもどかしい触れ方だ。

「さすがに半分は言いすぎ。俺だって鍛えてるし」

身長は百六十八だからだいたい平均程度だ。正確には高校二年生の平均身長は百七十くらいだけど、数センチなんて誤差。気にすることはない。鍛えてもなかなか筋肉が付かないのがコンプレックスでひょろひょろしている自覚はあるが、細マッチョは不可能な夢じゃない。

『全体的にコンパクト』
身もふたもない言い草だ。

「まだ背は伸びてるし、俺はこれからなの。見てろよ、そのうちヒューゴが見上げるようになるから」
『凪はこの大きさだからいいのに。抱き枕にぴったりのサイズだ』
「こらこら、ぬいぐるみじゃないぞ」

チョップをするふりをすると、ヒューゴはすっと避けた。

「なんでさわれないのに逃げるんだよ」
『気分的に。攻撃をくらうなんて耐えられない』
「なー、やっぱりヒューゴって不良で喧嘩ばっかりしてたんじゃないの?」
『さー? 記憶ない。不良って、金髪が理由なだけだろ』
「金髪なだけでも十分な状況証拠な気がするけど。だってうちの高校染めるの禁止だし。あ、あとピアスの穴も開いてるよ」

耳たぶをじっと見ると、右に1つと左にふたつ穴があった。

『へー、両方?』
「うん」

ヒューゴは鏡に映らないので、自分の姿がわかっていない。たまに、ヒューゴの調子がいい時――なんの調子なのかはわからないけれど――ぼんやりと窓ガラスや鏡に映ることがある。
ぼんやり輪郭は映っても、表情までは見えないらしい。

自分の顔すら、もう曖昧なんだと言っていた。
触れないけれど、指先で耳たぶを突く真似をするとヒューゴが首を竦ませた。

『なんか背中がぞくぞくする』
「幽霊のくせに?」

寒気を感じるのはこっちのほうだ。

『怖いのじゃなくて、こっちの』

耳にふーっと息を吹きかけられ、俺はひゃあっと飛び上がった。
ヒューゴは発する風だけは受けられるのはどういうシステムなんだろう。

「なにすんだよ!」
『背中ぞくぞくしただろ?』
「や、なんかおしりのあたりがムズムズした……」
『なんだそれ。エロいな』

ヒューゴは面白がって何度も息を吹きかける。
抵抗したけど幽霊のすばしっこさには勝てなくて、首にも足にもやられて全身擽られてるみたいになって、身もだえた。

「わ、ははっ、ちょっとやめろって」

足をばたつかせて暴れていると、部屋のドアがノックされた。

「凪―、友達きてるの? 高槻住職からお菓子わけてもらったからいる?」
母さんだ。

慌ててベットを飛び降りて部屋のドアを開けると、箱菓子を持った母さんが立っていた。

「あら、ひとり? 話し声がしたと思ったのに」
「ひとりだよ。友達と電話してた」

顔が火照っていた。ヒューゴとじゃれていたことを誤魔化すのは、部屋に連れ込んだ彼女を隠すような気分だった。まぁ、彼女なんていたことはないけれど。

「檀家さんからたくさんいただいたからって、おすそ分けしてくださったの。凪、これ昔から好きだったでしょ」

箱の中は和紙に包まれた小粒の和三盆だった。口の中にいれると優しい甘みがほろりと溶けるのが好きだ。

「ありがとう。食べる」
「高槻住職から凪に〝お連れの方はお変わりございませんか〟って聞かれたんだけど。何の事かわかる? お寺に遊びにでもいったの?」

住職からの伝言にどきりとする。

もしやそれを伝えたいが為にお菓子をくれたのか……? いや、それならバイト中でも何度かチャンスはあった。
高槻住職の寺へは、友達と遊びにいったと適当に誤魔化して扉を閉めると、あぐらを組みながら浮かぶヒューゴのとなりに座った。

『それなんだ? 住職からなんだろ』
「これ、和三盆っていう砂糖菓子だよ。俺、昔からこれ好きで」
『へー。食べたことない』
「じゃあヒューゴも食べてみ……」

一粒差し出してから、動きを止める。
ヒューゴも目を丸くしていた。

そうだ、食べられないんだった。わかっていたのに、どうして勘違いてしまったんだろう。ヒューゴがあまりも人間らしくて、ときどき幽霊ってことを忘れてしまう。

「ごめん……」
『別に、謝るなって。俺も死んでんの忘れて食わしてって言いそうになったわ』
「ごめん、うっかりしてた」
『だからいいって。ほら、好きなんだろ。食べろよ。おっきくなれないぞ』
「いや、だから俺別に小さくないし。クラスでも身長真ん中くらいだし」

本当は真ん中よりちょっと前だけど。

気まずい気持ちは消えなかったけど、ヒューゴは本当に気にしていないようだった。

和紙を開いて、ころんと丸い塊を口にいれる。瞬間、ほろっとくだけて上品な甘みが口いっぱいに広がった。甘みを感じると同時に、胸もほっこりするのはなんでだろう。
自然と笑顔になる。

『そんなうまいの?』

聞かれて、やっぱりヒューゴにも食べてもらいたくなった。
包を開けると、摘まんでヒューゴの口元に持っていく。ちょうど唇に当たるくらいでぴたっと止めた。

「どうぞ」
『なんだよこれ』
「食べるふりだけでも。な?」