憑依未満の夏葬

そうだ、きっとこの幽霊は同い年くらいだから若くして亡くなってしまったために未練があって成仏できなかったんだ。だから俺の体を乗っ取って人生やり直そうとしているのかも。

叫び声のおかげか、それまで隔てられていた空間が音もなくほどけ、どっと外の空気が流れ込んできた。
同時にバタバタとした足音がだんだん近づいてきて、重たいはずのホールの観音扉が勢いよく開く。

「凪君⁈」
三浦さんだ。

「どうしたの大丈夫?」
駆け寄って倒れた脚立を見ると、サッと顔色を変えて俺の頭をさわって確認した。

「落ちたの? 怪我は? 頭は打ってない?」
「だ、大丈夫です。それより三浦さん……」

三浦さんが来てくれてホールの空気はガラッと変わったのに、見えるものは変わらなかった。幽霊がまだそこにいるじゃないか。
三浦さんの真横に浮いている幽霊は、目があうとニヤリと笑う。

消えるどころかその姿はさっきより色が濃くなって、隣の三浦さんとほとんど変わらなく見える。
俺が指さす方向に三浦さんは振り返るが、すぐに眉を顰めた。

「なに? どうしたの?」
「え、み、見え……」

見えていない……? こんなにはっきりとそこにいるのに?

「なあにぃ。やだ、怖いこと言うのやめてよ? わたし今日ラストで鍵閉め当番なんだから」
「いや、その……」

隣に幽霊が浮いてますって言っていいんだろうか。
しゃべったら呪われるとかないよな?

想像しただけで背筋が凍ったので、それ以上は口を噤む。

「すみません。おっきい虫が飛んできてびっくりしちゃって」
「なあんだ! もーびっくりさせないでよ。私たち霊感ない同盟組んでたのにさ~とうとう見てしまったか⁉ って思っちゃったじゃん」

別に同盟は組んでいない。
こういう場所で働くことに抵抗はないのかって話題に上がった時、見えないから気にしたことがないって考えが同じだっただけだ。

霊感のあるなしで言えば、ご遺体を搬送する寝台車ドライバーの土田さんは、五十五歳。タクシードライバーから転職してこの道二十年の大ベテランだが、土田さんはそういった感覚がある人で不思議な体験をいくつも話してくれる。

タクシー運転手の時に心霊体験をして、そこから興味を持って、より心霊に遭遇する可能性が高い仕事に転職してきたというから、まあ変わり者ではある。

「別に存在も否定しないし見えなくてもいいんだけど、恨まれたり憑りつかれたりするのは怖くない? 怪我とか病気は勘弁したいな~」

三浦さんは脚立を起こし、落ちた花を拾ってくれる。
立ち上がっておしりをはたくと、俺も花を拾った。

「ねぇ、こういうところで働いてると霊感強くなったりするのかな?」
「さぁ。五年も働いてなんともないなら大丈夫なんじゃないですか」

幽霊は三浦さんの会話も聞こえているみたいで、からかうように周囲を飛び回っているが、彼女は一向に気づく気配がない。

『こいつに霊感は皆無だな』

幽霊は空中であぐらをかいて、あはははと笑う。

声もどんどんクリアになって、まるで本当にそこにいるみたいにリアルに聞こえる。
じゃあ、なんだ。俺は急に霊感が湧き出たのか? 

それとも、すでにこの男に憑りつかれているのか。
怖いことを想像してしまい、ごくりと唾を飲む。

「さー仕事仕事!」

三浦さんは腕まくりをすると余分な椅子を片付け始める。

――とりあえず無視だ。

俺はどうしたらいいのか迷いながら、なるべく幽霊と目を合わさないように作業を進めた。

仕事を終えると、いつになく体力を消耗していた。それもそのはずだ、気にしないなんて無理で、幽霊はずーっと俺のまわりをうろちょろしていた。

見ないようにしているのに、無理やり俺の視界に入ってくる。どうしてこんなにしつこいのかわからない。この間、この幽霊を怒らせるような何かをしてしまったのか? 記憶を探ってみても、あの日の仕事はいつも通りだった。思い当たることなんてない。

でも、幽霊にそんなそぶりはなく、とにかく『なぁ』と話しかけてくるのである。
同情するのは良くないと聞いたことがあるからひたすら無視をしていた。

途中、土田さんが帰ってきたからそれとなく見えないか聞いてみたが、特に指摘はされなく、土田さんにも見えていないようだった。
――それなのにどうして俺だけが?

「はぁ、土田さんにも見えてないのか……」
相談できると思ったのに。

事務所に戻って、ロッカー室に入ると制服に着替える。

「お祓いでもいくか……?」

ぼやくと、背後の空気がざわっとした。
ずっと薄目にして俯いていた顔を上げると、数時間前よりぼやけた状態の幽霊がいた。

「えっ」

ずっと見ないようにしていたから気が付かなかった。いつのまにこんなに薄くなっていたんだろう。

なんだ? 不安定なのか?
あんなにはっきり見えていたのに、今はぼやけてほとんど見えていない。輪郭も曖昧で、また透明になってしまって向こう側の景色まで見えている。

場所なのか、時間なのか……それとも、成仏するとか?

『やめ……く……』

声も、ザーザーとした風の音にかき消されるようにほとんど聞こえなくて、とっさに「大丈夫?」と言ってしまった。
はっと口を押えるが時遅し。

次の瞬間、幽霊は笑ったようだった。
漂っていた煙がぎゅっと集まって、幽霊の姿がはっきりと表れる。

「っえ、ええっ⁉」

魔法で突然人間に変身したみたいだ。
幽霊も驚いていて、自分の手を見つめる。

『すげぇ』

嬉しそうに笑う幽霊は、学校の友達と何ら変わりはなかった。
その笑顔にドキッとした自分の胸に手を当てて、今何が起こったのか考えを巡らせる。
なんだこれ。

その表情に引き込まれ、目を逸らせずにいた。