今日は一件、大ホールで葬儀があった。
隣町の九十歳のおばあちゃんのだけど、生前から誰にでも優しい性格が慕われていたそうで、昨夜取り行われた通夜にはたくさんの人が参列したそうだ。今日は学校で小テストがあったから、昨日の夜はシフトに入っていなかったんだけど、あんなに参列者がいたのは久しぶりだと父さんが言っていた。
事務所につくと、隣の更衣室へ入り背負っていた大きなリュックをロッカーに仕舞い喪服に着替える。去年は少しぶかぶかだったけれど、この一年で背と一緒に体も大きくなったみたいで今じゃ丁度いいサイズになった。靴下も黒に変え、スニーカーから黒の皮靴に履き替える。
ネクタイを締め、上着のポケットにメモ帳やティッシュを詰め込んだ。シルエットが崩れるからあまり詰め込むなといわれているが、すぐにメモを取る必要があったり、泣いている人にティッシュを渡したりとなにかと要りようなのだ。今日はもうお客さんはいないから必要ないが、いざという時の為にいつも入れておくようにしている。
「あ、凪君お疲れ様~。早く来てくれたんだね、ありがとう」
支度を終えてホールに出ると、三浦さんが祭壇の片付けに追われていた。三浦さんは短大を卒業してから五年ほど働いてくれている二十五歳の女性だ。こんな小さな個人経営の葬儀場に来てくれるなんて稀有な人だと思ったら、短大在学中に事故で父親を亡くし、この水無瀬葬祭で葬儀を行った。その時、葬儀コーディネーターを担当した父さんが寄り添ってくれたことですごく救われたそうで、その後、ここで働きたいと来てくれたわけだ。
「祭壇片付けちゃいますね」
「お願い~。私花輪の受け取りにいってくるから」
「はい」
三浦さんは焼香台の掃除を終えると、電話をしながらホールを出て行った。
今日の告別式は初七日法要も告別式と一緒に取り行っていて、精進落としの会食は火葬場で終えてそのまま解散になっているので、もう遺族は戻ってこない。なので、会場をリセットし、明日の式の為の準備にとりかかる。
明日取り行われる通夜の指示書を見ながら、椅子の配置や注文された飾りを確認する。やることはたくさんあるが、まずは花を片付けることにした。生花は棺への花入れと遺族へ配ったりして無駄にしないようにするのだが、それでも余ってしまった花は破棄となってしまう。
脚立を持ってくると祭壇の上から順に集めていく。
その時、ふと部屋の音が止んだ。
「――え?……」
思わず振り返って周囲を確認する。
これまでに感じたことのない空気だ。まるで雪の中にいるときみたいに、耳の奥がキンとする静かさ。
耳の奥がぼーっとして、そのうちにキーンと耳鳴りがした。
「なんだ……?」
特段変なことは起こっていない。まだ日だって暮れていないし、電気だってついている。
建物のどこでみんなが働いているはずなのに外からの物音もしないし、この世から切り取られたみたにの部屋だけが異様に変化していた。
これまでひとりで作業することはいくらでもあったけれど、怖いと感じたことはなかったのに、今は背中がぞくぞくとする。
そういえば、幽霊が現れたのはこの大ホールだ。もしやまたあいつが――……。
『――』
その時、ふぅっと耳元に息がかかった。
「うわあ!」
咄嗟に耳を塞ぐと、脚立の上で作業していいた俺はぐらりとバランスを崩す。あっと思った時には背中から床に落ちていくのがわかった。
(やばっ……)
瞬間、ざわっと空気が動く。自分の周りで渦を巻くように流れ、ほんの少し体が浮いた気がした。
冷たい風が頬を撫で、線香の匂いがふわりと鼻を掠めた。
浮遊感は一瞬で、脚立が倒れてガターンと大きな音が響き、俺はお尻からどすんと床に落ちた。
「あいてっ」
怪我をするほどではないが、打ちつけた痛みにおしりをさする。少し痣ができるかも。でも思ったより怪我は大きくない。
「も〜なんだよ〜」
耳に生暖かい感触が残っていて、手のひらで強く擦った。
『悪い』
声がして顔を上げると、三日前に見た幽霊が目の前に浮かんでいる。
金髪に、夏の制服姿。
血まみれだとか首がないとかそんなことはなく、輪郭が曖昧で透き通っていることさえ除けば、普通の高校生に見えなくもない。
『驚かせるつもりはなかった』
「え、だっ……」
誰、と聞きたかったが声がでない。だってこれってやっぱり幽霊だよな⁈ この間と同じやつだ。
『俺のこと見えてるよな? 声は? 聞こえてんの?』
あわあわと口を開いたり閉じたりしかできなくて、答えられずにいると、幽霊は首を傾げた。実に人間らしい仕草だ。
『おっかしいなぁ。おい、お前――』
幽霊の手がぬっと伸びて来る。
あっと思った時には目の前に迫って、そのまま幽霊の腕が俺の顔面を突き抜けた。
「は……?」
瞳が曇ったみたいに視界が濁る。
突き抜けた。腕が。顔を。
――突き抜けた‼︎
『チッ』
舌打ちが聞こえる。
「うわああああ!」
しっかりと状況を理解するとやっと悲鳴が出た。
悲鳴っていうか雄叫びっていうか、とにかくこれまで人生で出したことのない声がでた。だって気持ち悪いじゃないか。幽霊が俺の体を突き抜けるなんて。呪われるのかもしれないし、体を乗っ取られるのかもしれない。
隣町の九十歳のおばあちゃんのだけど、生前から誰にでも優しい性格が慕われていたそうで、昨夜取り行われた通夜にはたくさんの人が参列したそうだ。今日は学校で小テストがあったから、昨日の夜はシフトに入っていなかったんだけど、あんなに参列者がいたのは久しぶりだと父さんが言っていた。
事務所につくと、隣の更衣室へ入り背負っていた大きなリュックをロッカーに仕舞い喪服に着替える。去年は少しぶかぶかだったけれど、この一年で背と一緒に体も大きくなったみたいで今じゃ丁度いいサイズになった。靴下も黒に変え、スニーカーから黒の皮靴に履き替える。
ネクタイを締め、上着のポケットにメモ帳やティッシュを詰め込んだ。シルエットが崩れるからあまり詰め込むなといわれているが、すぐにメモを取る必要があったり、泣いている人にティッシュを渡したりとなにかと要りようなのだ。今日はもうお客さんはいないから必要ないが、いざという時の為にいつも入れておくようにしている。
「あ、凪君お疲れ様~。早く来てくれたんだね、ありがとう」
支度を終えてホールに出ると、三浦さんが祭壇の片付けに追われていた。三浦さんは短大を卒業してから五年ほど働いてくれている二十五歳の女性だ。こんな小さな個人経営の葬儀場に来てくれるなんて稀有な人だと思ったら、短大在学中に事故で父親を亡くし、この水無瀬葬祭で葬儀を行った。その時、葬儀コーディネーターを担当した父さんが寄り添ってくれたことですごく救われたそうで、その後、ここで働きたいと来てくれたわけだ。
「祭壇片付けちゃいますね」
「お願い~。私花輪の受け取りにいってくるから」
「はい」
三浦さんは焼香台の掃除を終えると、電話をしながらホールを出て行った。
今日の告別式は初七日法要も告別式と一緒に取り行っていて、精進落としの会食は火葬場で終えてそのまま解散になっているので、もう遺族は戻ってこない。なので、会場をリセットし、明日の式の為の準備にとりかかる。
明日取り行われる通夜の指示書を見ながら、椅子の配置や注文された飾りを確認する。やることはたくさんあるが、まずは花を片付けることにした。生花は棺への花入れと遺族へ配ったりして無駄にしないようにするのだが、それでも余ってしまった花は破棄となってしまう。
脚立を持ってくると祭壇の上から順に集めていく。
その時、ふと部屋の音が止んだ。
「――え?……」
思わず振り返って周囲を確認する。
これまでに感じたことのない空気だ。まるで雪の中にいるときみたいに、耳の奥がキンとする静かさ。
耳の奥がぼーっとして、そのうちにキーンと耳鳴りがした。
「なんだ……?」
特段変なことは起こっていない。まだ日だって暮れていないし、電気だってついている。
建物のどこでみんなが働いているはずなのに外からの物音もしないし、この世から切り取られたみたにの部屋だけが異様に変化していた。
これまでひとりで作業することはいくらでもあったけれど、怖いと感じたことはなかったのに、今は背中がぞくぞくとする。
そういえば、幽霊が現れたのはこの大ホールだ。もしやまたあいつが――……。
『――』
その時、ふぅっと耳元に息がかかった。
「うわあ!」
咄嗟に耳を塞ぐと、脚立の上で作業していいた俺はぐらりとバランスを崩す。あっと思った時には背中から床に落ちていくのがわかった。
(やばっ……)
瞬間、ざわっと空気が動く。自分の周りで渦を巻くように流れ、ほんの少し体が浮いた気がした。
冷たい風が頬を撫で、線香の匂いがふわりと鼻を掠めた。
浮遊感は一瞬で、脚立が倒れてガターンと大きな音が響き、俺はお尻からどすんと床に落ちた。
「あいてっ」
怪我をするほどではないが、打ちつけた痛みにおしりをさする。少し痣ができるかも。でも思ったより怪我は大きくない。
「も〜なんだよ〜」
耳に生暖かい感触が残っていて、手のひらで強く擦った。
『悪い』
声がして顔を上げると、三日前に見た幽霊が目の前に浮かんでいる。
金髪に、夏の制服姿。
血まみれだとか首がないとかそんなことはなく、輪郭が曖昧で透き通っていることさえ除けば、普通の高校生に見えなくもない。
『驚かせるつもりはなかった』
「え、だっ……」
誰、と聞きたかったが声がでない。だってこれってやっぱり幽霊だよな⁈ この間と同じやつだ。
『俺のこと見えてるよな? 声は? 聞こえてんの?』
あわあわと口を開いたり閉じたりしかできなくて、答えられずにいると、幽霊は首を傾げた。実に人間らしい仕草だ。
『おっかしいなぁ。おい、お前――』
幽霊の手がぬっと伸びて来る。
あっと思った時には目の前に迫って、そのまま幽霊の腕が俺の顔面を突き抜けた。
「は……?」
瞳が曇ったみたいに視界が濁る。
突き抜けた。腕が。顔を。
――突き抜けた‼︎
『チッ』
舌打ちが聞こえる。
「うわああああ!」
しっかりと状況を理解するとやっと悲鳴が出た。
悲鳴っていうか雄叫びっていうか、とにかくこれまで人生で出したことのない声がでた。だって気持ち悪いじゃないか。幽霊が俺の体を突き抜けるなんて。呪われるのかもしれないし、体を乗っ取られるのかもしれない。



