憑依未満の夏葬

それに気がついた途端、頭に雷が落ちたみたいに衝撃が走って、全てのピースが繋がった。

――あれは、あの夢は、俺と出会ったときの記憶と、ヒューゴが死んでから見た世界だ!
あのひとは、きっとヒューゴの義理の母。

気がつけば、バスの列を離れ女を追いかけていた。
ヒューゴに名前を呼ばれたかもしれないが、それを振り切って走る。

「あの……っ‼︎」

怒りにまかせ、呼び止めて何を言おうとしたんだろう。

ヒューゴが寂しい思いをしていたこと、幼い子供にどうしてあんなひどい仕打ちをできたのかと問い詰めてなじりたかった。
女は迷惑そうに振り返り、「誰ぇ?」と眉を顰めた。強すぎる香水が鼻につく。

同じ声だ。
何度も見た夢なのだから、間違えるはずがない。
一緒に歩いていた男性も振り返る。

「なんだぁ? お前」

男の顔を見た途端、息を呑む。

――似ている。

すっと高い鼻筋に、切れ長の細い瞳。年齢を重ねているせいか精悍さは薄れるが、パーツは口や耳の形までそっくりで、紛れもなくヒューゴと血縁関係であると言えた。

――この人、ヒューゴの父親だ。

声も少し似ていた。
お前が大事にしなかったせいで、と殴り掛かりたい衝動に襲われる。でも、そんなことヒューゴが喜ぶだろうか。

『凪、やめろ』

ヒューゴが後ろから俺の肩を掴んだ。

「あっ……」

後ろに引かれぐらりと体制を崩す。

「変な子ぉ」

勝手にひとりで転びそうになっている俺を、女は訝し気な目で見た。

「ほっとけ。行こうぜ」

ふたりはすぐに踵を返してさってしまう。
待ってと言おうとしたのに、ヒューゴに口を塞がれて声が出なかった。

バス待ちの人たちにもじろじろと見られ、結局何も言えず立ち尽くす俺は惨めだ。

「知り合いじゃねえの」
「知らないわよあんなガキ。あたしがガキ嫌いなの知ってるでしょ」
「新しい金ずるかと思ったんだよ。そろそろあいつの遺産も使い切るんだろ」

去り際に聞こえた下卑た笑いに、やっぱり殴って、罵倒してやればよかったと後悔した。

遺産ってなんだ。
それって、ヒューゴのおばあさんが、ヒューゴに託したものじゃないの。
なんでお前が使ってんの。

いたいことは腹の中でぐるぐると回っているのに、吐き出せず苦しかった。

『聞くな』

両耳を塞がれて、周囲の音がくぐもる。
けれど、甲高い女の声はその手を突き抜けて鼓膜を刺した。

「高校生でしょ。勘弁してよ。せっかく忘れてたのに、思い出しちゃったじゃない」

忘れていたものが何を指すのか、簡単に想像できた。
悔しさで、唇を噛む。

『俺のことはいいから、あんな奴に関わるな』

ヒューゴを助けるつもりで動いたのに、何もできずに逆に慰められている。

「ごめん……」

何をやってるんだろう。
軽率に追いかけたせいで、ヒューゴに不要なことを聞かせてしまった。

『帰ろう』

宥めるように言われ頷くと、ヒューゴの手を握ろうと手を伸ばした。

――が、繋げずに手が空を切る。

はっとヒューゴを見ると、その姿は陽炎のように揺らいでいた。

「ヒューゴ?」
『大丈夫だ、行こう』

ヒューゴがゆらりと前を飛ぶように歩く。

そうは言うが、瞳が濁りどこを見ているのか分からなかった。
翳りのある気配を纏う姿に、妙な焦りが生まれる。
これは、ただの時間ぎれ? それとも……。

バスを待つ列並び直そうとすると、さっきよりもっと列は長くなっていた。
気持ちが急いていて、ただ待つことができなくて、一時間ほどかけて歩いて家まで帰った。

自分のせいで、ヒューゴが今度こそ消えてしまうのではないかと不安で堪らない。
途中少し走って、歩いてを繰り返した。それでも早歩きてだから、息も切れているし汗が止まらない。

『凪、大丈夫だからゆっくり帰ろう』
「いやだ」

息を切らす俺を、ヒューゴは気遣った。
このままじゃ触れられないじゃないか。こんなに近くにいるのに、やっぱり俺たちは別々の世界を生きてるんだって思い知らされる。
越えられないこの一線がもどかしい。

もう一度ちゃんと謝って、そして抱きしめて、俺がいるから大丈夫だって安心させてあげたい。

家について階段を駆け上がる。
自室に入ると、すぐにヒューゴにぶつかるようなキスをした。

「ヒューゴっ」

ヒューゴは驚いて目を見開いたが、抵抗せずに受け入れた。
キスをしながら自分のシャツのボタンを外す。

「ヒューゴも脱いで」

気持ちが急いていた。ヒューゴはすぐにその通りにしてくれる。
互いに裸になると俺はすぐに抱きついた。触れ合った場所から淡く光だす。

『ああ、そういうこと』

汗が作用してることに気がつき、ヒューゴがふっと口元を緩めた。さっきまでの生気のない目ではなくなっているが、笑顔に元気がない。

「ごめんっ……ごめんな」

なんて浅はかだったんだろう。
どうしてあの時、追いかけてしまったんだ。

自分でも理由がわからない。
ただあいつらが許せなくて、文句を言わなくちゃだなんて意味のない正義感を掲げた。

ヒューゴが会ってしまったらどう思うかだなんて、そんなところまで気が回らなくて。
嫌に決まってるのに。

自分がスッキリしたかった。ただそれだけだ。

『なんで謝るんだよ。大丈夫、あいつらがあまりにも変わってなくて、びっくりしただけだから』

諦め切ったヒューゴのセリフに、俺が耐え切れなくなった。

『十二年も経ってるのに、馬鹿なやつら……。ほら、凪が泣くなって』

苦笑したヒューゴが、背中を撫でて落ち着かせてくれる。