バイトに行きたくないと思ったのは初めてかもしれない。
授業を終えて、学校から家業でありアルバイト先の水無瀬葬祭まで三十分、自転車を走らせる。途中、実家もあるが今日は少し早めにいきたいので寄らずに向かうことにした。
そろそろ梅雨にはいるのか、湿気でちょっと漕いだだけでも汗んでしまう。赤信号で止まるとズボンのポケットからハンカチを出して額にじわっと浮いた汗をぬぐった。
幼い頃から式場は俺にとって日常だけど、小学生の時は線香くさいだとかおばけが背中についてるだなんて揶揄われ、親の仕事を恨んでそれを父親に泣きながら訴えたこともあった。
『お父さんのせいでバカにされたじゃないか!』
今思えば、なんてひどい言葉をぶつけたものだ。でも父さんは落ち着くように俺の頭を撫で、ゆっくりと説明してくれた。
『ここはね、ただ単に弔う場所じゃないんだ。故人の人生に触れ、遺された人に寄り添う場所だ。人生の終わりに立ち会うっていうのは、感慨深いものだよ。誰かの人生に関るなんてこと、普通に暮らしていたらなかなか感じられないからね。葬儀屋は目立つ仕事じゃないし、来る人たちが楽しい場所でもない。でも、ここで催事を終える頃に気持ちの整理をできる場所にしてあげたいって思っている。お父さんはね、そんな瞬間に関わるこの仕事を誇りに思っているんだよ』
正直、父さんの言っていることは難しくてよくわからなかった。けれど、みんなが言うような怖い場所なんかじゃないってのはわかる。だって、俺だってそんなふうに思ったことが一度もなかったから。
誰も彼も、落ち込んで、悲しんで、時には怒ってる人もいた。けれど帰る頃には少しすっきりした顔をしているんだ。
だから特別な空間なんだと思えた。
当たり前の話だけど、結婚式みたいに「この日にやります」と決まる仕事じゃない。
人がいつ死ぬかなんて誰にもわからないから、葬儀場は急に忙しくなる。
水無瀬葬祭は個人経営の小さな式場だけど、百名くらい入れる大ホールと、四十人くらいでできる小ホールがあって、繁忙期には連日休みがないほどフル回転している。
葬儀に繁忙期?って思うかもだけど、真夏と真冬は気温や感染症で波のように一気に増えることがある。満月の日に出産が多くなるみたいな、科学的にはなんの根拠もないけれどなんとなくそう、みたいなのがこっちにもあって三、四日平和だな~って思っていると、一気に四件問い合わせが来た、なんてこともある。
会場がふたつしかないので、一日にできる式は二組の式のみだ。
予約が殺到した時は日程をずらしてもらう必要があって、すぐに葬儀が執り行えない時は待っていてもらわなくちゃいけない。
そんな時ご遺体はどうするかというと、一度自宅に帰って待っていてもらったり、うちの安置所で預かったりもする。病院でも霊安室はあるけれど、日々亡くなる人はいるわけで回転率あげなくちゃだし、あくまでも治療する場所ってことで長い時間は預かってもらえないのが一般的だ。
不幸が重なると、搬送、打ち合わせ、準備でてんてこ舞いだ。中学生のころから軽い手伝いはしていたけれど、高校生になって一歩踏み込んだ仕事をさせてもらえるようになってよりその大変さが身に染みている。いずれは葬儀を取り仕切るコーディネーターをやらせてもらいたいと思っているけど、これがまた難しい。
打ち合わせから手配までの舵取りをするのがコーディネーターだけど、宗派ごとのマナーに、法律と手続きについても知っていなくちゃいけない。火葬場や寺院とも懇意になっておく必要があるし、事務では見積もりもつくったりするから経理関係の知識も必要だ。
そんなこんなで膨大な知識を詰め込まなくちゃってのもあるし心が張りつめている人を相手にするので、所作とか言葉選びとかめっちゃ大事だったりする。
打ち合わせもスムーズに進行出来ないことも少なくないようで、突然登場した親戚と予算でもめたり、ある家族は新聞の訃報欄に乗せるか乗せないかで親子で大げんかしていた。
そんな感じで提案力とか対応力なんてもの求められるから、トラブルを目撃することがあるとつくづく大変な仕事だなーなんて思う。
でもやっぱりこの仕事には魅力を感じていて、父さんの働く姿はかっこいいし、尊敬している。できたら家を継がせてもらうつもりで、積極的に仕事に関わってきた。
そして今日は、あれ(・・)以来のアルバイトの日だ。
あれっていうのは、三日前の事件。
その日、最後の戸締りを任されて鍵の確認だけして帰ろうとしてとき、俺はこの世のものではないなにかに遭遇した。
きっとあれはいわゆる幽霊ってやつだと思う。
金髪高校生の幽霊は、大ホールをぐるぐる回って俺の方めがけて飛んできた。
葬儀屋の息子なのに幽霊を見たのは十七年生きてきた中で初めてで、つい悲鳴を上げて逃げてしまったけれど、あいつはあの後どうしているだろう。暫くしてから戸締りに戻った時にはもういなくて、どこかにいってしまったか、それともまだ式場で飛び回っているのか……。
こんなにも気になるのは、あいつが話しかけてきたせいだ。
『……ねえ、俺のこと見えてんの』
そう聞いてきたあいつは、悪霊には見えなかった。
半分透けていたがすらっとした体形で、自分より背が高そうで、切れ長の猫のような目と薄く形のいい唇がやけに印象に残っている。
その後も何か話したそうに感じたのは気のせいか。
一目散に逃げておいてなんだけど、冷静になってみるとあいつから伝わってくるのは恐ろしさとはまた違うように思う。
――悲鳴を上げたのは驚いただけだ。
自分にそう言い訳をする。
もし助けを求めていたなら可哀そうだったし、呪縛霊とかで成仏できなくて困っているなら住職に相談が必要だ。故人を送り出す仕事をしているのに、なにも見極めずにその場を放り出したことをちょっとばかり後悔していた。
式場に行くのは逃げ帰って以来なので、今日は朝からどうにも落ち着かなかった。
授業中もあいつのことばかり考えて、先生に指さされても気が付かないと言う失態を犯し、おかげでクラスメイトには目を開けたまま寝てるのかなんて馬鹿にされた。
――あ、そういえばあいつ、足があったじゃないか。
どうしてこんなに気になるのか考えていたらあることに気が付いた。
――あいつ、俺と同じ学校じゃん。
すぐに高校生だとわかったのは、同じ学校の制服を着ていたからだった。
授業を終えて、学校から家業でありアルバイト先の水無瀬葬祭まで三十分、自転車を走らせる。途中、実家もあるが今日は少し早めにいきたいので寄らずに向かうことにした。
そろそろ梅雨にはいるのか、湿気でちょっと漕いだだけでも汗んでしまう。赤信号で止まるとズボンのポケットからハンカチを出して額にじわっと浮いた汗をぬぐった。
幼い頃から式場は俺にとって日常だけど、小学生の時は線香くさいだとかおばけが背中についてるだなんて揶揄われ、親の仕事を恨んでそれを父親に泣きながら訴えたこともあった。
『お父さんのせいでバカにされたじゃないか!』
今思えば、なんてひどい言葉をぶつけたものだ。でも父さんは落ち着くように俺の頭を撫で、ゆっくりと説明してくれた。
『ここはね、ただ単に弔う場所じゃないんだ。故人の人生に触れ、遺された人に寄り添う場所だ。人生の終わりに立ち会うっていうのは、感慨深いものだよ。誰かの人生に関るなんてこと、普通に暮らしていたらなかなか感じられないからね。葬儀屋は目立つ仕事じゃないし、来る人たちが楽しい場所でもない。でも、ここで催事を終える頃に気持ちの整理をできる場所にしてあげたいって思っている。お父さんはね、そんな瞬間に関わるこの仕事を誇りに思っているんだよ』
正直、父さんの言っていることは難しくてよくわからなかった。けれど、みんなが言うような怖い場所なんかじゃないってのはわかる。だって、俺だってそんなふうに思ったことが一度もなかったから。
誰も彼も、落ち込んで、悲しんで、時には怒ってる人もいた。けれど帰る頃には少しすっきりした顔をしているんだ。
だから特別な空間なんだと思えた。
当たり前の話だけど、結婚式みたいに「この日にやります」と決まる仕事じゃない。
人がいつ死ぬかなんて誰にもわからないから、葬儀場は急に忙しくなる。
水無瀬葬祭は個人経営の小さな式場だけど、百名くらい入れる大ホールと、四十人くらいでできる小ホールがあって、繁忙期には連日休みがないほどフル回転している。
葬儀に繁忙期?って思うかもだけど、真夏と真冬は気温や感染症で波のように一気に増えることがある。満月の日に出産が多くなるみたいな、科学的にはなんの根拠もないけれどなんとなくそう、みたいなのがこっちにもあって三、四日平和だな~って思っていると、一気に四件問い合わせが来た、なんてこともある。
会場がふたつしかないので、一日にできる式は二組の式のみだ。
予約が殺到した時は日程をずらしてもらう必要があって、すぐに葬儀が執り行えない時は待っていてもらわなくちゃいけない。
そんな時ご遺体はどうするかというと、一度自宅に帰って待っていてもらったり、うちの安置所で預かったりもする。病院でも霊安室はあるけれど、日々亡くなる人はいるわけで回転率あげなくちゃだし、あくまでも治療する場所ってことで長い時間は預かってもらえないのが一般的だ。
不幸が重なると、搬送、打ち合わせ、準備でてんてこ舞いだ。中学生のころから軽い手伝いはしていたけれど、高校生になって一歩踏み込んだ仕事をさせてもらえるようになってよりその大変さが身に染みている。いずれは葬儀を取り仕切るコーディネーターをやらせてもらいたいと思っているけど、これがまた難しい。
打ち合わせから手配までの舵取りをするのがコーディネーターだけど、宗派ごとのマナーに、法律と手続きについても知っていなくちゃいけない。火葬場や寺院とも懇意になっておく必要があるし、事務では見積もりもつくったりするから経理関係の知識も必要だ。
そんなこんなで膨大な知識を詰め込まなくちゃってのもあるし心が張りつめている人を相手にするので、所作とか言葉選びとかめっちゃ大事だったりする。
打ち合わせもスムーズに進行出来ないことも少なくないようで、突然登場した親戚と予算でもめたり、ある家族は新聞の訃報欄に乗せるか乗せないかで親子で大げんかしていた。
そんな感じで提案力とか対応力なんてもの求められるから、トラブルを目撃することがあるとつくづく大変な仕事だなーなんて思う。
でもやっぱりこの仕事には魅力を感じていて、父さんの働く姿はかっこいいし、尊敬している。できたら家を継がせてもらうつもりで、積極的に仕事に関わってきた。
そして今日は、あれ(・・)以来のアルバイトの日だ。
あれっていうのは、三日前の事件。
その日、最後の戸締りを任されて鍵の確認だけして帰ろうとしてとき、俺はこの世のものではないなにかに遭遇した。
きっとあれはいわゆる幽霊ってやつだと思う。
金髪高校生の幽霊は、大ホールをぐるぐる回って俺の方めがけて飛んできた。
葬儀屋の息子なのに幽霊を見たのは十七年生きてきた中で初めてで、つい悲鳴を上げて逃げてしまったけれど、あいつはあの後どうしているだろう。暫くしてから戸締りに戻った時にはもういなくて、どこかにいってしまったか、それともまだ式場で飛び回っているのか……。
こんなにも気になるのは、あいつが話しかけてきたせいだ。
『……ねえ、俺のこと見えてんの』
そう聞いてきたあいつは、悪霊には見えなかった。
半分透けていたがすらっとした体形で、自分より背が高そうで、切れ長の猫のような目と薄く形のいい唇がやけに印象に残っている。
その後も何か話したそうに感じたのは気のせいか。
一目散に逃げておいてなんだけど、冷静になってみるとあいつから伝わってくるのは恐ろしさとはまた違うように思う。
――悲鳴を上げたのは驚いただけだ。
自分にそう言い訳をする。
もし助けを求めていたなら可哀そうだったし、呪縛霊とかで成仏できなくて困っているなら住職に相談が必要だ。故人を送り出す仕事をしているのに、なにも見極めずにその場を放り出したことをちょっとばかり後悔していた。
式場に行くのは逃げ帰って以来なので、今日は朝からどうにも落ち着かなかった。
授業中もあいつのことばかり考えて、先生に指さされても気が付かないと言う失態を犯し、おかげでクラスメイトには目を開けたまま寝てるのかなんて馬鹿にされた。
――あ、そういえばあいつ、足があったじゃないか。
どうしてこんなに気になるのか考えていたらあることに気が付いた。
――あいつ、俺と同じ学校じゃん。
すぐに高校生だとわかったのは、同じ学校の制服を着ていたからだった。



