憑依未満の夏葬


次の日、午前中に葬儀場へ向かうと、事務所は開いており、社員さんがご遺族と打ち合わせをしていた。
事務所を使うことだけ声を掛けて、向かうと、共用のパソコンを立ち上げる。

過去のリストにアクセスし、〝雨宮〟を検索に打ち込んだ。
結果がでるのは一瞬だ。ごくりと唾を飲み、震える手でエンターボタンを押す。受験の合否を確認するときより緊張していた。
画面に注視していると、すっと検索結果がでる。

「――っあった‼」

喪主、雨宮鷹司。

雨宮家のファイルをクリックし、詳細を閲覧する。
比喩ではなく心臓が口から飛び出そうだった。

ヒューゴも真剣な面持ちで見守る。

「故人……――雨宮鶴子、享年八十七」

確認と同時に天井を仰いで大きく息を吐く。

ヒューゴじゃない。ヒューゴじゃなかった!
それは声にはならず、胸の奥でだけ強く跳ねた。
表には出ないまま、感情だけが行き場を失う。

これは、がっかりすべきなのか? 喜ぶのも違う気がした。
ヒューゴが額を抑える仕草をした。

「どうしたの? 頭痛い?」
『いや、大丈夫だ。他には?』
「……ない、検索にひっかかったのは一件だけだよ。これ、うちの記録しかないから……」
『そうか』

ヒューゴは短くため息をついた。

さすがに他の葬儀屋のデータを見ることは難しい。とすると、学校か新聞のお悔やみ欄くらいしか調べる術がない。
画面をもういちどよく見ると、あることに気が付いた。

「この方、ちょうどお葬式の日程が十二年前だね」
『え?』
「六月十三日。ヒューゴの誕生日。それに現れた日と一緒だ」

妙な偶然があるものだ。

「ヒュー……」

声を掛けようとすると、事務所の中の物がカタカタと鳴りだす。

『ぐっ……』

ヒューゴは突然、頭を抱えて顔を苦し気に歪めた。
デスクの書類が床に落ち、飲んでいた缶ジュースのアルミがベコッとへこむ。
まだたっぷり入っていた炭酸がデスクに溢れる。

あの時と一緒だ。ヒューゴが消えた時と一緒。
ポルターガイストのような現象が起こった後に、ヒューゴがいなくなった。

一度は帰ってきたからといって、また次も戻るとは限らない。

「ヒューゴ! 顔を上げて!」

意識を朦朧とさせるヒューゴがゆっくりと顔をあげる。
いつもは勝気な顔が、ひどく頼りなく見えた。

――消える。

そう思った瞬間、考えるより先に体が動く。

躊躇している時間なんてなく、ただ「消えるな」と叫ぶみたいに、勢いのまま自分の口をぶつけた。
ここに残る確証もないけれど。もしかしたら、消えずに済むかもしれない。

――残ってほしいってことは、俺はヒューゴが思い出すのを邪魔してしまっているってことだ。

舌を差し込むとヒューゴの喉がこくりと動き、じわじわと全身が淡い光を放つ。
すぐに俺の背中に手がまわり抱きしめられた。

こちらからしたはずのキスはいつの間にか受け身になっていて、ヒューゴのリードで繰り返した。

しばらくそうしていると次第に揺れは収まった。
唇が離れ、ヒューゴは俺の肩に顔を埋めた。色めいた吐息が鎖骨にかかる。

――消えなかった……。
成功か?

『凪……ありがとう』
「ごめん、勝手な事した」
『いや、俺も凪と離れたくなかったから、助かった』

とっさに、ここに繋がりを持てば消えないんじゃないかと思ってやってみただけだけど、上手くいったようだ。

「でも、記憶戻るとこだったよね。それ、邪魔しちゃった。ほんとごめん……」

この仕事をやっている理由は、遺族に寄り添い、節目として故人の最後の時間を美しく彩って送り出してあげたいからだ。
自分のことになった途端このざまで……――なにをやってるんだろう。
目指す理想より随分と矛盾してる。

『いや、ちゃんと記憶も戻った。凪と離れずに思い出せたのは、凪ががんばってくれたおかげだろ』
「――戻ったのか?」
『ああ、この雨宮鶴子に関することだけだけどな。これも、凪がヒントをくれたおかげだ』

さっきの自分の行動が、胸の奥に小さな棘みたいに残っていた。
正しかったのかどうか、答えはまだ出ないまま呼吸だけが落ち着いていく。

本当に、こんな風に引き留めてよかったのか――そんな疑問が残るのに、腕の中はやっぱり心地いい。

『そんな顔するなって。凪が、日付に気が付いてくれたからなんだから』

力が入ったままの眉間をヒューゴが指で撫でた。
その直後、ふっと重力に上から押されたみたいに自分の身体が重くなる。
キスの効果が切れたようだ。

名残惜しさを感じながらゆっくりと離れると、落ちた書類を拾い、こぼれた炭酸を拭きとった。

『鶴子は俺のばーさんで、この年の六月十三日は俺の十八の誕生日だ』
「え、じゃあ、この雨宮は親族ってこと?」
『だな』
「やっぱり、ヒューゴはこの水無瀬葬祭に過去に来たことがあったんだ」

十二年前なら、俺は五歳。ここに出入りしている。
けれど、さすがに保育園の時の参列者の記憶などない。

控室でよく遊んで待っていたから、そこで会うとか一緒に遊んでいれば、わずかな記憶が残っている可能性がなくもない……。

「あ……」

待て待て。待ってくれ。
控室。金髪。おとなの男。

――これって、最近よく見ていた夢に似ていないか?

おとなだと思っていたのは、夢の中の自分が幼くて年齢など見分けがつかないから。
高校生だって十分おとなに見える。

心臓が急に跳ね上がった。バクバクさせながらヒューゴを見る。

「その日、ヒューゴ、控室で泣いて無かっ……た……?」
『――っ』

不意打ちの質問だったようで、ヒューゴは息を呑んだ。

「おばあさんの式の時、俺たち、会ってないかな」

――あの夢が、俺の過去の記憶ならば、あの金髪の男性は。

『セーラー服みたいな、制服、だった……か?』

今度は俺が言葉を詰まらせた。

「――っき、着てた! 保育園の制服で、俺、父さんと母さんの仕事が終わるの待ってて……それでっ!」

驚きと戸惑いが同時に浮かび、互いに固まって見つめ合った。

『あの男の子は、凪……か?』
「やっぱり、ヒューゴだったの……?」

動揺で考えがまとまらないが、なんとか頭を動かすとじわじわと理解が追い付いてくる。

「俺たちは十二年前、ここで会ってたんだ……」

ヒューゴはたくさん泣いていて、それを俺は慰めた。
確か……おばあさんが亡くなって、ひとりになってしまうようなことを言っていた。

「……あ、でも、待って。ヒューゴはおばあさんの葬儀に参列した親族だ。ってことは、その時は生きてたってことだよね」
『ああ、確かにあの時は幽霊じゃなかった』

ヒューゴは肩を竦めた。
自分が死んだ時のことを思い出したのかと聞きたかったけれど、どう伝えれば傷つけずにいられるのかわからなくて、口にだすのは憚られた。

どうやって死んだかなんて、話したがらないだろう。