憑依未満の夏葬

『――ぎ、――凪』
微睡みの中、求めていた声に包まれた。ヒューゴが俺を呼ぶ。

ずっとヒューゴのことを考えながら寝ていたら夢を見たようだ。
目を開けないまま腕を上げて伸びをする、いつのまにかまた眠ってしまっていた。

何時だろう。
時計を確認しようとうっすら目をあけると、すこしもどかしそうな声が飛んできた。

『おい、凪ってば!』

急に脳が覚醒して、声のした方を見るとヒューゴが浮かんでいた。

「……え、な、なん……」

どうしたんだよ。なんでいるの。
成仏できたのかもっていう希望をフル無視だ。

歓喜で体が震えるなんで、これまでの経験ではなかった。戻ってきたヒューゴを見たら、どうしても嬉しくて堪らない。
散々泣いたはずなのに、またじわじわと涙が浮かぶ。
やば、俺、水分足りなくて干からびるかも。

「ヒューゴぉ。どこいってたんだよぉ」

豪快に泣くと、ヒューゴは申し訳なっそうに微笑んだ。
流れる涙に指を添えて、その体を変化させる。ヒューゴは自分の手が実体化していることを確かめると、俺の頭を撫でた。

『悪かった』
「うう……」

謝ればいいってもんじゃない。
俺を放って、ふつかも何してたんだ。束縛の強い彼女みたいなことしか浮かんでこなくて、唇を噛む。

「っだ、抱きつきたい……」

感動の再会なのにハグもできないなんて、なんて不便なんだ。
恥じらいとか、どうでもよかった。それどころじゃない。だって、ヒューゴが目の前にいる。

高槻住職から貰った和三盆をひとつ取り出すと、ヒューゴに差し出した。
ヒューゴは一瞬驚いてから、ふっと口の端で笑う。

ゆらりと距離を詰めると、涙で濡れた唇に顔を寄せた。
ヒューゴの唇が光る。生身の肉体を手に入れると、その範囲を広げようと涙を舐めた。

差し出したお菓子を口に含むと、以前と同じように全身が淡く発光する。
変化を確認した瞬間、俺はヒューゴに飛びついた。

『わ、ちょっとっ』

ヒューゴは俺を受け止めると、ぐらりとバランスを崩してベッド横の床に『いてっ』と尻もちをつく。

「ヒューゴ! ヒューゴ!」

ヒューゴのあばらが折れても構わないくらい強く抱きしめた。

『凪……心配かけたな』

背中に手が回る。その感触に強張っていた心がほどけていく。
この腕の中が、こんなにも安心するなんて。

「ま、また消えちゃう……?」

嬉しさと、また消えてしまうかもしれない恐怖が半々で、最初に確認しておきたくて聞いた。

『どうかな……もうないとは思うけど、わかんねぇ』

不安な顔を見せると『大丈夫だ』と背中を撫でた。

『正確には消えてたわけじゃなくて、過去の記憶に意識が飛んでたって感じなんだ』
「記憶が戻ったってこと……?」
『全部じゃないけど、断片的にな。本当に少しだけ。その記憶の時期に移動して、映画を観るみたいに見てた。だから、思い出すことがあったらまた同じようなことが起こるかも。俺、何時間くらいいなかった?』

「ふつか」
『ふつか?』

ヒューゴは普段は細い目を丸くする。

「まるふつかだよ!」
『そんなに? 悪い、記憶辿ってる間って時間の感覚なくて。でも、消えるわけじゃないからさ』

そんなのわかんないじゃん。

「まぁ、戻ってきてくれたんならいいけど」

俺だけ必死なのがくやしい。でもヒューゴのせいじゃないし、記憶が戻ったことは喜んであげたい。文句を言うのは聞き分けない感じで恥ずかしいから口を噤んだ。

『いいって顔じゃないな。口が尖ってるし』

ヒューゴは視線を落として小さく笑みをこぼすと、腰を引き寄せ不満を主張する唇をぱくりと食んだ。

「――あ」

僅かに開いた隙間から、すぐに柔らかい舌が割って入る。片方の手が俺の後頭部を支えると、途端にそれは深いものに変化した。
背中をのけ反らせながらそれを受ける。

長く続くにつれて鼻にかけた変な声が出て恥ずかしかった。
でも、こうしていればヒューゴと触れあえる。

唾液を絡めとり、ヒューゴの喉がこくんと動く。

飲み込んだヒューゴの身体の中心が光って、実体を保つ時間が長くなる。
涙じゃなくてもいいことに、互いに気が付いていた。

生気を吸われてるのだとしたらヒューゴは幽霊じゃなくて吸血鬼とか……。
やっぱり俺ってヒューゴの栄養だ。

血を与えたら完全復活するなら、喜んであげようと思うくらいには、俺の中でヒューゴの存在が大きくなっていた。
すこしぐらいの犠牲はなんともない。

他のひとでも大丈夫ってことはないよね? だって、ヒューゴは俺にしか見えない幽霊。おれだけの幽霊だ。こんなこと、俺以外の誰にもして欲しくない。

たくさん俺を食べて。だからもっと一緒にいてほしい。
首に手をまわして自分の口を押し付け、もっと、と強請った。

***

雨宮(あまみや)彪(ひゅう)吾(ご)。
それがヒューゴの名前だ。
いない間のヒューゴの見たものの説明は、とても曖昧だった。

断片的な映像だったらしい。例えるなら夢を見ている状態で、起きるとすべてを覚えているわけではないのとよく似ている。
『名前と、幼少期の思い出をいくつか。途中で……すごく大切なものに、ぶつかった』
「ぶつかったって?」
『俺が、見えない記憶と一緒に川に流されてる感じ。それで、アルバムっていう記憶の箱にぶつかると、中身がはじけて記憶がのぞけるって感じ……かな』

抽象的で難しい。

「大切なものって名前?」
『いや、違うな。大切にしたいと、強く願った時の記憶……?』