土曜日は昼過ぎに今井くんと山崎くんが僕の部屋に来た。折りたたみのテーブルを出して三人で勉強をする。
静かな部屋にページを捲る音とペンが走る音だけが響いていた。
集中して問題を解いていると、扉が開いて肩を跳ねさせる。
扉を開けたのは浬。今井くんも山崎くんも驚いて目を丸くしていた。
「え? どうしたの?」
今日は遊べないと言ったはずだ。
「三人で勉強するって聞いたから、混ぜてもらおうと思って。だって全員勉強できるだろ」
浬は「あげる」と今井くんと山崎くんにオレンジジュースを渡して、僕にはカフェオレをくれて座った。
二人は「ありがとう」とおずおず受け取る。
「恵斗は高良くんと仲良いの?」
「浬はお向かいさんだから」
今井くんに聞かれて、しどろもどろに答える。
「邪魔しないし、俺も一緒に勉強していい? あっ、わからないとこあったら聞くと思うけど」
二人は浬のためにテーブルの上から使っていないものをどかした。
四人で勉強を再開する。
部屋の中は静かになり、ときおり浬が質問をして、みんなで教え合った。
一時間ほど勉強をして、お菓子をつまみながら休憩していると、山崎くんのスマホが鳴る。山崎くんは「彼女からだ」と呟き、電話に出るために部屋を出て行った。
「山崎くん彼女いるんだ。今井くんは?」
浬に聞かれて、今井くんは顔を赤くしながら首と手を振った。
「俺はいないよ。……でも、部活の先輩で気になっている人はいる。高良くんはいるんだよね? この前、教室で話しているのが聞こえたんだけど、相手のことを大事に思ってるんだなって思った」
「うん、めっちゃ大事。恵斗は?」
浬に話をふられて、僕はカフェオレを吹き出しそうになった。口を押さえて必死に飲み込む。
「ぼ、僕?」
浬はわかっているのに、なんでそんなことを聞くんだろう。
浬と今井くんにジッと見られて、顔が熱くなった。俯いてしまう。
扉が開き、山崎くんが戻ってきた。
全員が揃ったから、勉強を再開する。
今井くんと山崎くんに、浬と付き合ってることを言った方が良かったのかな? 浬は僕の友達に紹介されたかったのかな?
勉強と休憩を繰り返して日が沈みかけると、今井くんと山崎くんは帰る支度を始める。
僕は拳を握って大きく息を吸い込む。
「僕もすごく大事な人、いるよ」
僕の声は裏返ってしまった。急に大きな声を出したから、今井くんも山崎くんも浬も目を瞬かせて僕を見る。
言うタイミングおかしかったのかな?
僕は顔から湯気でも出てしまいそうなほど、熱が集まる。
「なんの話?」
「山崎が電話してる間、好きな相手の話をしてたから」
山崎くんに今井くんが答える。
浬は口元を緩めて、優しく目を細めていた。
浬が嬉しそうで、僕はホッと息を吐く。
「恵斗はそんな話、全然しないもんな」
「今度会わせてよ」
今井くんと山崎くんが和やかに笑う。
「えっと、もう、会ってる」
恥ずかしすぎて、俯きながら呟く。
「俺が恵斗の『すごく大事な人』だよ」
浬の声はイキイキとしていた。
部屋が静まり返る。恐る恐る顔を上げた。
今井くんと山崎くんが目を見開いて「えー!」と叫ぶ。
「じゃあ高良くんが一途な相手は恵斗?」
「そうだよ」
「よし、すぐ帰ろう。邪魔してごめん」
「いや、俺が勝手に来たんだし。勉強教えてくれて助かった」
今井くんと山崎くんは「またね」とそそくさと帰って行った。
僕は火照る頬を冷やすために、両手を添える。
「恵斗が友達に言ってくれてすげー嬉しい」
「緊張した」
胸を押さえて、深呼吸を繰り返す。
「今井くんと山崎くんに好きな相手がいること知れただけで良かったのに、もっといいことあった」
「なんで二人の好きな人を知りたかったの?」
「恵斗のことを狙ってないか気になったから」
「僕はモテないから、そんな心配いらないよ」
浬は男女共にモテるけれど、僕は浬以外に好きだと言われたことなんてない。
「なぁ、俺も話していい? 絶対に恵斗に迷惑かけないように騒ぎにするなって言うし」
僕は小さく頷く。見た目が派手で少し苦手だったけど、浬と仲が良いんだから、みんな良い人たちなんだろう。
「それでさ、テスト終わったらデートしない?」
「したい!」
「行きたいとことかある?」
「ブックカフェ! またあそこに行きたい」
「そんなに気に入ったの?」
浬が「いいよ」と頬を緩める。
「だって、前はデートの練習だったし。ちゃんとしたデートで行きたい」
浬の好きな人は僕だと思っていなかったから、いっぱい嫉妬していた。今度は楽しい気持ちでブックカフェデートがしたい。すごく居心地のいいお店だったから。
「そうか、デート楽しみにしてる」
「僕も」
浬の手が僕の顎に添えられる。そっとキスが落とされた。
テスト明けの土曜日の朝、僕はクローゼットを眺めてため息を吐いた。やっぱりおしゃれな服なんて持っていない。
Tシャツにカーディガンを羽織り、ジーンズを履く。
前回とは違う雰囲気にしたかったけれど、カジュアルすぎるかな?
スニーカーを履いて家を出ると、浬も同じタイミングで出てきた。
浬はロングカーディガンにジーンズを合わせている。僕はショート丈のカーディガンだけど、また同じような格好になった。
「今日は手を繋いでもいい?」
浬に手を差し出される。前回は手を取られてすぐに引っ込めた。浬の好きな人の代わりにされていると思ったから。
僕は浬の手を握る。
「聞かなくても握っていいいよ」
浬と僕は付き合っているのだから。そう込めて言えば、浬には伝わったようで、表情を和ませて手に力が込められた。
二駅先のブックカフェに入り、前回と同じ席に座る。今回も向かい合うのではなく、浬と並んだ。
アイスのカフェオレを選び、浬が注文してくれている間に、僕は本を取りに行く。
前回読めなかった推理小説を本棚から抜いて席に戻った。浬はファッション誌を眺めている。
僕が隣に座ると、すぐに手が繋がれた。僕は足の上に本を置いて、片手で支える。
ページを捲りにくいけれど、離して欲しいとは思わない。
本に集中していると、浬が繋がった手に力を込めた。浬に目を向ける。
「なぁ、腹減ったから何か食わないか?」
時計に目を向けると十二時を過ぎていた。
「そうだね。お昼ご飯を食べよう」
メニューを眺めて、たまごサンドとカツサンドを注文した。
サンドウィッチなら片手で食べられるし、手を離さなくてもいいと思ったから。
食事がテーブルに運ばれると、本を傍に置く。
柔らかいパンにゴロゴロとしたゆで卵がたっぷり挟まったたまごサンドは、からしマヨネーズがアクセントになっていて大人向けの味付けだった。
カツサンドはカツは柔らかく、甘めのソースとシャキシャキの千切りキャベツも相性バッチリ。
どちらも美味しくて、二人でペロリと食べきった。
その後は一時間ほど本に集中して、お店を出る。
「この後どうする?」
「次は浬の好きなところに行こうよ」
読書は僕の趣味だ。
今日で楽しい思い出に上書きできて、もう満足している。
「じゃあ帰りたい」
「お家がいいの?」
浬は僕の耳に口を寄せた。
「恵斗ともっと引っ付いていたい」
顔が離れていき、熱い視線で見下ろされる。
僕は熱の灯る顔を下げて「帰ろう」と絞り出した。
浬の部屋に入るなり、思いっきり抱きしめられた。驚き過ぎて身体が硬直してしまう。
「朝からずっとこうしたかった」
耳に熱い吐息がかかり、いつもより低い声に胸が轟くように躍った。
額をくっつけられて、至近距離で見つめ合う。
緊張と羞恥が限界に達して、視線を逸らしたいのに、浬が愛おしそうに僕を見るから逸らすことができない。この表情を脳裏に焼き付けておきたくて。
抱きしめられていた腕が解かれ、浬は僕の頬を宝物のようにそっと包み込む。温かくて大きな手だ。
僕は目と口を閉じた。
唇が触れ、すぐに離れる。
瞼を持ち上げると、浬は困ったように笑った。
「座るか」
僕は手を引かれて、テーブルの傍に腰を下ろす浬の隣に座った。
僕がいつまでも身体に力が入っちゃうから、浬はあんな顔をしたのかな。
恥ずかしくてどうしようもないけれど、浬に僕もキスをしたいことを、わかってもらいたい。
言葉で伝えても、浬はいつも気を遣ってくれるから、どうしたらきちんと伝わるのだろう。
気持ちがすれ違うことが辛いと知っている。もうあんな経験はしたくない。
僕は浬の袖を摘んで、くいくいと弱い力で引く。
「どうした?」
浬の声は極めて優しい。
僕は瞬きも忘れるほど浬の顔を凝視する。
奥歯に力を込めて意気込み、浬に自分からキスをする。勢い余って、強く押し付けすぎてしまった。
慌てて口を離すと、浬は目を見開いて表情を止める。
僕は顔を両手で覆って俯いた。
「ごめん」
「えっ? なんで謝るの?」
「だって、上手くできなくて」
浬の両手が僕の肩を掴んだ。僕は身体を跳ねさせる。
「顔を見せて」
甘くねだるような声に、ゆっくりと顔を上げる。
浬はとびっきりの笑顔を見せてくれた。
「恵斗からしてくれて嬉しかった」
「いつもしてもらってばかりだし、恥ずかしがってばかりでごめん」
浬の手が僕の後頭部を撫でる。
「恥ずかしがってんのも初々しくて可愛いよ。俺は無理しないでって言ったはずだけど」
「無理してないよ。……僕がしたかったからしたの!」
全身を真っ赤に染めながら叫べば、浬は目を閉じた。
「またしてくれる?」
浬は少し口を尖らせてキスを待っている。
浬の真似をするように、僕は浬の頬を両手で支えた。
緊張で手が震えてしまう。浬は僕の手を覆うように重ねた。
浬の温かさで少し心は落ち着けて、僕は浬に唇を重ねる。
離すと、今度は浬からキスをくれた。僕ももう一度自分から口付ける。何度もキスを繰り返した。
静かな部屋にページを捲る音とペンが走る音だけが響いていた。
集中して問題を解いていると、扉が開いて肩を跳ねさせる。
扉を開けたのは浬。今井くんも山崎くんも驚いて目を丸くしていた。
「え? どうしたの?」
今日は遊べないと言ったはずだ。
「三人で勉強するって聞いたから、混ぜてもらおうと思って。だって全員勉強できるだろ」
浬は「あげる」と今井くんと山崎くんにオレンジジュースを渡して、僕にはカフェオレをくれて座った。
二人は「ありがとう」とおずおず受け取る。
「恵斗は高良くんと仲良いの?」
「浬はお向かいさんだから」
今井くんに聞かれて、しどろもどろに答える。
「邪魔しないし、俺も一緒に勉強していい? あっ、わからないとこあったら聞くと思うけど」
二人は浬のためにテーブルの上から使っていないものをどかした。
四人で勉強を再開する。
部屋の中は静かになり、ときおり浬が質問をして、みんなで教え合った。
一時間ほど勉強をして、お菓子をつまみながら休憩していると、山崎くんのスマホが鳴る。山崎くんは「彼女からだ」と呟き、電話に出るために部屋を出て行った。
「山崎くん彼女いるんだ。今井くんは?」
浬に聞かれて、今井くんは顔を赤くしながら首と手を振った。
「俺はいないよ。……でも、部活の先輩で気になっている人はいる。高良くんはいるんだよね? この前、教室で話しているのが聞こえたんだけど、相手のことを大事に思ってるんだなって思った」
「うん、めっちゃ大事。恵斗は?」
浬に話をふられて、僕はカフェオレを吹き出しそうになった。口を押さえて必死に飲み込む。
「ぼ、僕?」
浬はわかっているのに、なんでそんなことを聞くんだろう。
浬と今井くんにジッと見られて、顔が熱くなった。俯いてしまう。
扉が開き、山崎くんが戻ってきた。
全員が揃ったから、勉強を再開する。
今井くんと山崎くんに、浬と付き合ってることを言った方が良かったのかな? 浬は僕の友達に紹介されたかったのかな?
勉強と休憩を繰り返して日が沈みかけると、今井くんと山崎くんは帰る支度を始める。
僕は拳を握って大きく息を吸い込む。
「僕もすごく大事な人、いるよ」
僕の声は裏返ってしまった。急に大きな声を出したから、今井くんも山崎くんも浬も目を瞬かせて僕を見る。
言うタイミングおかしかったのかな?
僕は顔から湯気でも出てしまいそうなほど、熱が集まる。
「なんの話?」
「山崎が電話してる間、好きな相手の話をしてたから」
山崎くんに今井くんが答える。
浬は口元を緩めて、優しく目を細めていた。
浬が嬉しそうで、僕はホッと息を吐く。
「恵斗はそんな話、全然しないもんな」
「今度会わせてよ」
今井くんと山崎くんが和やかに笑う。
「えっと、もう、会ってる」
恥ずかしすぎて、俯きながら呟く。
「俺が恵斗の『すごく大事な人』だよ」
浬の声はイキイキとしていた。
部屋が静まり返る。恐る恐る顔を上げた。
今井くんと山崎くんが目を見開いて「えー!」と叫ぶ。
「じゃあ高良くんが一途な相手は恵斗?」
「そうだよ」
「よし、すぐ帰ろう。邪魔してごめん」
「いや、俺が勝手に来たんだし。勉強教えてくれて助かった」
今井くんと山崎くんは「またね」とそそくさと帰って行った。
僕は火照る頬を冷やすために、両手を添える。
「恵斗が友達に言ってくれてすげー嬉しい」
「緊張した」
胸を押さえて、深呼吸を繰り返す。
「今井くんと山崎くんに好きな相手がいること知れただけで良かったのに、もっといいことあった」
「なんで二人の好きな人を知りたかったの?」
「恵斗のことを狙ってないか気になったから」
「僕はモテないから、そんな心配いらないよ」
浬は男女共にモテるけれど、僕は浬以外に好きだと言われたことなんてない。
「なぁ、俺も話していい? 絶対に恵斗に迷惑かけないように騒ぎにするなって言うし」
僕は小さく頷く。見た目が派手で少し苦手だったけど、浬と仲が良いんだから、みんな良い人たちなんだろう。
「それでさ、テスト終わったらデートしない?」
「したい!」
「行きたいとことかある?」
「ブックカフェ! またあそこに行きたい」
「そんなに気に入ったの?」
浬が「いいよ」と頬を緩める。
「だって、前はデートの練習だったし。ちゃんとしたデートで行きたい」
浬の好きな人は僕だと思っていなかったから、いっぱい嫉妬していた。今度は楽しい気持ちでブックカフェデートがしたい。すごく居心地のいいお店だったから。
「そうか、デート楽しみにしてる」
「僕も」
浬の手が僕の顎に添えられる。そっとキスが落とされた。
テスト明けの土曜日の朝、僕はクローゼットを眺めてため息を吐いた。やっぱりおしゃれな服なんて持っていない。
Tシャツにカーディガンを羽織り、ジーンズを履く。
前回とは違う雰囲気にしたかったけれど、カジュアルすぎるかな?
スニーカーを履いて家を出ると、浬も同じタイミングで出てきた。
浬はロングカーディガンにジーンズを合わせている。僕はショート丈のカーディガンだけど、また同じような格好になった。
「今日は手を繋いでもいい?」
浬に手を差し出される。前回は手を取られてすぐに引っ込めた。浬の好きな人の代わりにされていると思ったから。
僕は浬の手を握る。
「聞かなくても握っていいいよ」
浬と僕は付き合っているのだから。そう込めて言えば、浬には伝わったようで、表情を和ませて手に力が込められた。
二駅先のブックカフェに入り、前回と同じ席に座る。今回も向かい合うのではなく、浬と並んだ。
アイスのカフェオレを選び、浬が注文してくれている間に、僕は本を取りに行く。
前回読めなかった推理小説を本棚から抜いて席に戻った。浬はファッション誌を眺めている。
僕が隣に座ると、すぐに手が繋がれた。僕は足の上に本を置いて、片手で支える。
ページを捲りにくいけれど、離して欲しいとは思わない。
本に集中していると、浬が繋がった手に力を込めた。浬に目を向ける。
「なぁ、腹減ったから何か食わないか?」
時計に目を向けると十二時を過ぎていた。
「そうだね。お昼ご飯を食べよう」
メニューを眺めて、たまごサンドとカツサンドを注文した。
サンドウィッチなら片手で食べられるし、手を離さなくてもいいと思ったから。
食事がテーブルに運ばれると、本を傍に置く。
柔らかいパンにゴロゴロとしたゆで卵がたっぷり挟まったたまごサンドは、からしマヨネーズがアクセントになっていて大人向けの味付けだった。
カツサンドはカツは柔らかく、甘めのソースとシャキシャキの千切りキャベツも相性バッチリ。
どちらも美味しくて、二人でペロリと食べきった。
その後は一時間ほど本に集中して、お店を出る。
「この後どうする?」
「次は浬の好きなところに行こうよ」
読書は僕の趣味だ。
今日で楽しい思い出に上書きできて、もう満足している。
「じゃあ帰りたい」
「お家がいいの?」
浬は僕の耳に口を寄せた。
「恵斗ともっと引っ付いていたい」
顔が離れていき、熱い視線で見下ろされる。
僕は熱の灯る顔を下げて「帰ろう」と絞り出した。
浬の部屋に入るなり、思いっきり抱きしめられた。驚き過ぎて身体が硬直してしまう。
「朝からずっとこうしたかった」
耳に熱い吐息がかかり、いつもより低い声に胸が轟くように躍った。
額をくっつけられて、至近距離で見つめ合う。
緊張と羞恥が限界に達して、視線を逸らしたいのに、浬が愛おしそうに僕を見るから逸らすことができない。この表情を脳裏に焼き付けておきたくて。
抱きしめられていた腕が解かれ、浬は僕の頬を宝物のようにそっと包み込む。温かくて大きな手だ。
僕は目と口を閉じた。
唇が触れ、すぐに離れる。
瞼を持ち上げると、浬は困ったように笑った。
「座るか」
僕は手を引かれて、テーブルの傍に腰を下ろす浬の隣に座った。
僕がいつまでも身体に力が入っちゃうから、浬はあんな顔をしたのかな。
恥ずかしくてどうしようもないけれど、浬に僕もキスをしたいことを、わかってもらいたい。
言葉で伝えても、浬はいつも気を遣ってくれるから、どうしたらきちんと伝わるのだろう。
気持ちがすれ違うことが辛いと知っている。もうあんな経験はしたくない。
僕は浬の袖を摘んで、くいくいと弱い力で引く。
「どうした?」
浬の声は極めて優しい。
僕は瞬きも忘れるほど浬の顔を凝視する。
奥歯に力を込めて意気込み、浬に自分からキスをする。勢い余って、強く押し付けすぎてしまった。
慌てて口を離すと、浬は目を見開いて表情を止める。
僕は顔を両手で覆って俯いた。
「ごめん」
「えっ? なんで謝るの?」
「だって、上手くできなくて」
浬の両手が僕の肩を掴んだ。僕は身体を跳ねさせる。
「顔を見せて」
甘くねだるような声に、ゆっくりと顔を上げる。
浬はとびっきりの笑顔を見せてくれた。
「恵斗からしてくれて嬉しかった」
「いつもしてもらってばかりだし、恥ずかしがってばかりでごめん」
浬の手が僕の後頭部を撫でる。
「恥ずかしがってんのも初々しくて可愛いよ。俺は無理しないでって言ったはずだけど」
「無理してないよ。……僕がしたかったからしたの!」
全身を真っ赤に染めながら叫べば、浬は目を閉じた。
「またしてくれる?」
浬は少し口を尖らせてキスを待っている。
浬の真似をするように、僕は浬の頬を両手で支えた。
緊張で手が震えてしまう。浬は僕の手を覆うように重ねた。
浬の温かさで少し心は落ち着けて、僕は浬に唇を重ねる。
離すと、今度は浬からキスをくれた。僕ももう一度自分から口付ける。何度もキスを繰り返した。



