すれ違いのキス

 着いたのは、二駅先にあるブックカフェ。

「ここには来たことある?」
「ない。興味はあったけど、おしゃれすぎて入れなくて」
「じゃあ、今日は楽しんで」

 浬が自動ドアの前に立って先に進むから、僕は慌てて追いかけた。
 広い店内には壁一面に大型の本棚が配置されている。
 テーブルの間が広めに設けてあり、隣を気にせず本を読めそうだ。
 座り心地のいいソファに腰を下ろすと、浬は正面じゃなくて隣に座った。
 二名掛けのソファだけれど、テーブルを挟んだ先にあるソファの方がゆったりできるのに。

「なんで隣に座るの?」
「隣に座りたいから」

 僕は首を傾けるけど、デートの練習だということを思い出して納得した。予行練習してるんだ。やっぱり浬の好きな人のことが頭を掠めると、心の中がモヤモヤしていく。

「好きなの頼めよ」

 浬が二人で見やすいように、メニューを真ん中に広げた。
 二人で覗き込む。肩は触れ、顔も近付き、僕の顔は火照った。

「僕はアイスカフェオレにしようかな」

 頭から汗も滲んできて、冷たいものが飲みたい。

「注文しとくから、本を見てこいよ」
「ありがとう、見てくる!」

 僕は本棚を端から順に眺めていく。気になっていたSF小説と推理小説を持って席に戻った。
 浬は音楽雑誌を眺めている。
 僕が隣に座ると、こちらに顔を向けた。

「読みたい本あった?」
「うん、読むの楽しみ」

 学校の図書室にはない本だから。
 本は好きだけれど、お小遣いを考えると、月に一冊くらいしか買えない。友達とだって遊びたいし。
 僕はSF小説を先に読む。
 本の世界に引き込まれ、集中して一章を読み終わった。
 いつの間にかテーブルにカフェオレが置かれている。氷が溶けて、小さくなっていた。
 本に夢中で気付かなかった。
 隣に目を向ける。浬が退屈していないか気になって。
 浬は僕を見ていて、視線が交わる。

「ごめん」
「なにが?」
「浬は退屈じゃない?」

 音楽雑誌はテーブルの上で閉じられている。浬は新しく本を持ってきてもいない。

「全然。俺も楽しんでるから、恵斗は本を読んでなよ」

 僕はおずおずと頷いた。
 浬の好きな人も本が好きなのかな? だから図書委員になったり、ブックカフェを選んだのかな?
 浬の好きな人のことが頭の中を占める。
 浬には悪いけど、今日で練習はやめにしよう。
 僕の心が持ちそうにない。ちくちくと胸が痛んで、考えるのをやめにしたくて本に目を落とした。




 本を読んでいると、肩を叩かれる。

「ちょっと混んできたから出ようぜ」

 時計を確認すると、すでに二時間経っていた。

「わかった。返してくるね」

 本を元の位置に戻してお店を出る。

「次はどこにいくの?」
「恵斗はデートをするならどこに行きたい?」

 僕の意見なんて参考にならないと思うけど。僕は図書館とか本屋巡りをするのが好き。
 でも浬は興味ないだろう。僕は浬も楽しめるところに行きたい。
 僕が唸りながら迷っていると、ポツポツと雨が降ってきた。

「傘持ってきてないな」
「帰ろうか」

 駅まで走る。電車に乗って、二駅先の自宅の最寄駅に着いた。
 雨足は強まっている。アスファルトは色を変えていた。

「走ろうか」
「そうだな」

 僕たちは駆け出す。浬の方が足が速いのに、僕の速度に合わせてもらっているのが申し訳なかった。




 僕の家は留守だった。鍵もないし家に入れない。呆然としていると、浬が「うちに来いよ」と誘ってくれた。
 浬のお母さんが玄関までタオルを持ってきてくれて、濡れた身体を拭う。
「風邪を引くといけないから」とシャワーも使わせてもらった。
 僕の服は洗濯機に入れられて、用意されていた浬の服に袖を通す。
 少しくたびれたスウェット。浬がいっぱい着たんだな、と思うと顔に熱が集まる。
 浬の服は僕には大きくて、袖と裾を折り曲げて脱衣所を出た。
 階段を登って、二階にある手前の浬の部屋に入る。

「シャワー先に使わせてくれてありがとう」
「ああ、俺もいってくる」

 浬が部屋を出ると、僕は部屋に一人っきり。
 ベッドと学習デスクとガラステーブルが置かれた、シンプルな部屋だ。
 この部屋に最後に入ったのは一年以上前。
 浬の匂いがして落ち着かない。
 僕はうろうろ部屋の中を歩き回っていたけれど、階段を登る音が聞こえて急いでテーブルの傍に腰を落とした。
 扉が開き、浬がタオルで髪を拭いながら入ってきた。

「大丈夫か?」
「なにが?」

 僕が部屋の中を動き回っていたことがバレた?
 冷や汗をかきながら聞くと、浬は僕の額に手を当てる。

「熱はないか。顔が赤いから、風邪を引いたのかと思った」

 手が離れていき、僕の心臓はバクバクと轟く。
 触れられて、心配されて、僕は気持ちが急浮上した。

「熱はないよ。ちょっと熱いからかな?」

 僕は顔を手であおいだ。
 浬は僕をじっと見つめる。熱い視線を受けて、身体の火照りは全然引いてくれない。

「どうしたの? じっと見て」
「いや、俺の服、恵斗にはそんなにでかいんだなって」
「僕は小さくないからね」

 もうすぐ一七〇になるんだ。高二の平均身長くらいはある。浬が大きいんだ。

「なんか、俺の服を着てるのいいなって」

 浬は照れくさそうに視線を外した。
 妄想したのか。自分の服を着ている好きな人のことを。
 僕の心は冷えていく。

「ねえ、僕は練習相手になるのやめたい」

 俯きながら、小さく漏らす。

「なんで? 俺、恵斗の嫌がることしたか? 勝手に手を繋いだから? それはすぐやめたけど、そんなに嫌だった?」

 切羽詰まった声を出し、浬は僕の傍に座り直す。

「そうじゃなくて、そんなに好きなら、本人にした方がいいって。僕といると、好きな人に勘違いされちゃうかもしれないでしょ」

 それはないか……。浬と僕では釣り合っていないだろうし。

「それでいい」

 僕との関係を勘繰らせて、好きな人の気を引きたいってことなのかな。それは僕が耐えられそうにない。

「僕は嫌」

 下唇を噛んで、眉尻を下げながら浬を見つめる。

「恵斗は好きな人を諦めるんだろ? だったら俺と噂になってもいいんじゃないの? ……それともやっぱりまだそいつが好きなの?」

 なんで僕の話になったんだろう。僕が嫌なのは、浬と噂になることじゃなくて、ダシに使われることなのに。
 目を瞬かせていると、浬は切なげに眉を寄せた。

「はっきり言わなきゃダメ? 僕は」
「待って! 言わないでくれ!」

 浬に大声で遮られた。僕は目を瞬かせる。

「俺のことが嫌だとか、迷惑だとか聞きたくない」

 浬は肩を震わせて俯いた。
 なんで浬はそんな勘違いをしたんだろう。浬のことが好きだから、練習相手になりたくないのに。

「嫌だなんて思ってないよ」
「じゃあなんで?」

 浬が眉尻を下げて顔を上げた。
 僕は深呼吸をして、震える拳を握る。
 友達でいようと思っていたけれど、きちんと伝えて振られよう。
 友達なら、浬と好きな人の仲を応援しなきゃいけない。僕はそれができなさそうだと、今日で知った。
 僕が振られてまた離れれば、浬と好きな人のことを考えないで済むかもしれない。

「あのね……」

 意気込むけれど、緊張から言葉が出てこない。浬は真剣な表情で僕の言葉を待っている。
 乾燥した喉を、唾を飲み込むことで潤した。

「あの……僕は、浬が好き」

 小さな声を絞り出した。
 浬は目を大きく見開いて固まる。
 僕は浬の顔をそれ以上見ることができなくて、視線を下げた。

「ごめん、友達に戻りたいって言われたけど、僕には無理みたい。浬、僕のことを振ってよ」
「え? 恵斗は俺のことが好きなの?」

 戸惑いの声に小さく頷いた。

「でも、俺がキスした時『好きな人としかしたくない』って怒っただろ? 俺のこと好きなわけないじゃん」
「それは、浬が『つい』とか言うから。僕は好きな人としかしたくないのに、浬は誰とでもできるんだなって思ったら辛くなって」
「いや、俺は恵斗にしかしないけど。『つい』って言ったのは、顔が近くて思わずしちゃったからそう言っただけで。恵斗以外なら『つい』なんてないから」

 僕は顔を上げる。
 浬は目を細めて、僕を愛おしそうに見つめていた。甘い表情に全身が熱くなる。

「浬が僕のこと好きみたいじゃん。そんなわけないのに」
「俺は恵斗が好きだよ」
「でも、僕は浬のこと振ってないし」
「キスした後に『好きな人としかしたくない』なんて言われたら、他に好きな人がいると思うだろ。だから俺は振られたと思ったんだ」

 僕たちは一年以上も勘違いしていたようだ。
 鼻の奥がツンと痛くなる。

「あのさ、俺と付き合ってくれる?」

 僕が頷くと、浬は大きく息を吐き出した。身体から力が抜けたように、床に寝転がる。

「良かった。今日手を繋ぎたくないって言ったのも、俺が嫌なんじゃなくて、俺に好かれてないと思ったから?」
「そう。浬の好きな人の代わりは嫌だなって」
「じゃあ今は繋いでもいい?」

 浬は勢いよく起き上がる。
 僕は右手を浬に差し出した。浬に指を絡めるように握られる。

「キスもしていい?」
「うん」

 僕は目と口をキツく閉じた。

「力入りすぎ」

 浬の指が僕の唇に触れる。浬の唇が指より柔らかかったことを思い出して、身体から力を抜くことができず、さらに強張らせた。
 頬に柔らかなものが触れる。チュッと音を鳴らして離れていった。
 口にされると思ったから、驚いて目と口を開いた。
 浬が穏やかに笑い、唇が重なる。すぐに離れた。
 鼻先が触れ合う距離で見つめ合う。
 顔から火が出そうなほど熱い。

「もう一回していい?」

 僕は目と口を引き結んで待つ。

「顔が戻ってる。力抜いて」

 そんなことを言われても、僕には難しい。
 浬の腕が僕の身体に回る。首元に顔が埋まった。少し痛んだ髪が触れてくすぐったさに身を捩る。
 僕はこわごわと目を開いた。
 キスではなく、ハグをされている。

「浬、……しないの?」
「うーん、したいけどやめとく。恵斗に無理してほしくないから」

 僕が嫌がっていると思ったの? 緊張しすぎていただけだけど、もう勘違いですれ違いたくないから、恥ずかしいけれど、自分の気持ちを伝える。

「いや、あの……無理なんてしてないよ。緊張してるだけ」
「恵斗はキスしたいの?」

 浬は顔を上げて、僕の瞳を見つめる。浬の瞳には、目を大きく見開いている僕が写っていた。

「したいと思わなければ、しなくていいから」

 浬は眉尻を下げて笑い、僕の頭をあやすように撫でた。

「あ、あのあね。したいよ。浬とキスしたい!」

 浬の袖を掴んで、自分の気持ちを吐露した。
 緊張するし恥ずかしいけど、好きな人と触れ合いたい。浬を求めている。
 浬が目を見張り、すぐに頬を緩めた。
 ゆっくりと唇が触れる。柔らかくて温かくて、全神経が唇に集まっているのではないかというほど、その感触に集中する。
 唇を舐められて、驚きすぎて口を引き結んだ。
 浬の口が離れてしまう。
 僕が拒否したようになってしまって、慌てて否定する。

「あ、ごめん、違うの。嫌とかじゃないんだ」
「びっくりした?」

 僕は小さく頷く。
 浬にそっと抱きしめられた。

「急ぐ必要ないよな」
「どういうこと?」
「だって恵斗は俺が好きなんだろ?」

 僕は腕の中で頷いた。

「それで充分! 今日だけじゃなくて、明日も明後日もできるんだし」

 浬は僕に気を遣って止めてくれた。
 キスでバクバクと早鐘を打つ心音が、優しく抱きしめられることによって、落ち着いてきた。この腕の中は安らぐ。
 僕は浬にしがみつくように腕を回した。

「浬」
「どうした?」
「また明日して」
「ああ、俺もしたい」

 その後は外が暗くなるまで、浬と引っ付きながらいっぱい話した。