モイライ来りて糸を繰る


 秋の涼しい風が吹く道を並んで下校する。
 何とか無事に退院した辰巳だが、まだ松葉杖が手放せないようだ。必要な時だけ手助けしながら、陽向は彼と共に過ごしていた。

「そういえば、やっぱり大学行く事にしたんだって?」
「うん。兄さんにあれほど勧められたら、ね」

 あれから見違えるほど意識がはっきりした悠心は、どうもここ数ヶ月の記憶がないようだった。あれから酒をきっぱりと止めた彼はある日急に出掛けたかと思うと、家に帰ってくるなり陽向を呼びつけた。

「俺、大学中退してきた」
「えっ、今?」
「そう。んで、就職先探しにこれから職安行く」

 生徒会副会長時代を彷彿とさせる恐るべきフットワークの軽さで行動を始めた兄は、陽向の目を真っ直ぐに見てこう言ったのだ。

『だからさ、陽向は大学行きなよ。もっと広い世界を見て、自由に生きるべき人間だよ、お前は』

「悠さん、元気になって良かったな」
「うん、まあ、元気過ぎてかえって心配になるけど……」
「しばらくは経過観察ってやつだな。俺のこれと一緒で」

 辰巳はそう言って軽く松葉杖を持ち上げる。くすくすと笑う陽向の横を、小さな人影が通り過ぎた。
 短い黒髪に半ズボン。タタタタ、と軽やかに駆ける彼は、少し先で陽向の方を振り返る。

「さよなら、ひなたおにいちゃん」

 え、と動揺する陽向の目の前で、男の子は砂が舞うように消えた。
 どうした、と聞く辰巳に、今そこに男の子がと伝える。

「子どもなんていなかったぞ」

 彼の言葉にますます混乱して、陽向は辺りを見回した。だが紅葉が始まった木の葉がさらさらと踊っている他は、特に何もおかしなものは見当たらない。

「陽向、ちょっとこっち向いて」

 言われた通りに辰巳の方を振り返ると、唇を何か柔らかいものが掠めた。

「俺といる時は俺の事だけ見ててよ。俺は陽向の事しか見えてないんだからさ」

 キスされたのだ、という事実に頬が熱くなる。秋の風がまた一陣吹いて、小さな子どもの笑い声が風に乗って聞こえた気がした。