本当に小さなお地蔵さんだ。石造りの顔と体に、赤い布が掛かっている。
地蔵のすぐ前に花束が供えられていた。しおれかかっている事から、少し前に誰かが置いたのだろう。
四谷だ。直感的にそう思った。
一旦花束をどけ、赤い布を外して脇に寄せた。最初に乾いたクロスで大きな土埃や砂粒を払う。その後はクロスを水で濡らし、細かい汚れを落とした。最後にバケツに残った水を掛け、洗い流す。
乾いたタオルで大まかに乾燥させ、取り外した赤い布を戻した。しおれかけの花束はこちらで回収する事にし、新しく持ってきた花を供える。
陽向はしばらくの間、地蔵の前でしゃがみ込んでじっとしていた。真夏の太陽が照り付けているというのに、ほとんど暑さを感じない。
不意に隣から涼しい風が吹いた。顔を向けると、ワンピース姿のあの子がすぐ傍に立っている。
あぐり君と呼び掛けると、彼はその小さな手を陽向の肩に添えた。
突然意識が遠くなる。何が起こったか理解する前に、どこかの景色が脳裏に閃いた。
葬儀会場のようだった。目の前に小さな棺と幼子の遺影が飾られている。視界ははっきりしているが物に触れたり体を動かしたりする感触は感じない。少し違うのかもしれないが、白昼夢のようだ。
「だからあれほどあの子を一人にするなと言っただろう。まったく、子育てをお前に任せたのが間違いだった」
「何よ、私のせいだって言うの!? 元はと言えばあんたが仕事ばっかりでろくに家にいないから、全部私がやる事になってたんじゃない!」
「なあ、いい加減にしろよ。あぐりの遺影の前なんだぞ」
「あんたもあんたよ! お兄ちゃんなのに、弟の面倒一つまともに見もしないで!」
「はあ!? ふざけんなよ、俺らのせいだってのか! テメエら一度でも我が子に対して親らしい事してくれたかよ!?」
見ていられなくて目を閉じたいのに、まぶたが動かない。再び意識が遠くなり、今度はここと同じ路上の景色に移った。
「地蔵を置く場所はここで決定という事にしよう。後で必要な経費をまとめておいてくれ」
「了解っす。何か、あの事故から変な噂が立ってるらしいですね」
「そうなんだよ、迷惑な話だ。幼児の霊だ祟りだと……まったく、いつまでも未練がましい」
「さっさとあの世に行ってくれませんかねー」
作業着姿の男性二人が、聞くに堪えない話をしている。耳を塞ごうとしたがやっぱりできなくて、涙が零れそうになったところでようやく意識が元に戻った。
隣を見ると、やはりあの子が無表情でこちらを見つめている。今のはきっと、彼が亡くなってから起きた事の再現だ。
陽向はほとんど反射的に少年を抱きしめた。華奢な体を両腕で抱き、小さな頭を何度も撫でる。
「君の、周りの大人たちは」
涙交じりの声だが、きちんとこの子に届くようにはっきりと発音した。
「君の近くにいた大人たちには、全員に、君を守る義務があったんだ。君は、守られるべきだったんだ」
しっかりとそう伝えた瞬間、不意に腕の中の感触がなくなった。あやうく前のめりに転びそうになり、慌てて体勢を整える。
あの子はもう、どこにもいなかった。影も、足音も、何も残っていない。
ふと、ボディバッグの中から振動を感じた。スマホがメッセージの着信を知らせている。発信先は辰巳の家族からだった。
息子の意識が戻りました。骨がいくつか折れていますが、命に別状はないそうです。本人はとにかく陽向君が無事で良かった、と言っています。
画面が滲んでしまって読みにくい。道路の端っこで、一度だけ深く息を吸った。
良かった。本当に、良かった。
夏の空は何もなかったかのように青く、どこかで蝉の鳴く声が響いた。


