「実はね、俺も元々の出身はこの辺なんだ」
「そうなんですか?」
「本当、本当。まあ、中学の頃から少年院とシャバを行ったり来たりしてたから、ろくに知り合いもいないんだけど。高校もまともに出てないから、普通のホワイトな仕事には就けなくてね。東京に出て、どうにか今のところに拾ってもらったの」
あっけらかんと言ってのけるが、なかなかにハードな過去だ。見た目以外、特に物腰などはそんな雰囲気を感じさせないが、昔は結構荒れていたらしい。
「ウチは両親が離婚してて母親に引き取られたんだけど、父親がろくに養育費を払わなかったらしいんだ。母は夜の仕事で俺を食わせてくれたけど、ああいう仕事してると昼間に寝ないと体がもたないし、保育園なんかにも入れなかったらしくてね。小学校の頃までは、まだ存命だった祖母に面倒を見てもらってた」
短くなったタバコを灰皿に押し付けて消火しながら、彼は淡々とした調子で話す。
「あれは小学校に入ってすぐぐらいの頃だったかな。学校から帰って道端で壁打ちみたいなボール遊びしてたら、すごい剣幕で祖母に怒られたんだよ。道で遊ぶな。昔、道路に絵を描いて遊んでいた子が、車に轢かれて亡くなってるんだからってね」
「もしかしてその亡くなった子が、あぐりっていうんですか?」
「大正解。ちなみにその子、どっちだと思う?」
「どっちって?」
「男の子か女の子か。名前だけの印象で」
突然の問い掛けに陽向は考え込んでしまう。
人の名前であぐりというと確か、昔の日本で女の子ばかりが生まれる家に、もうこれ以上娘はいらないという理由で末の子に付けられた名前だと聞いた事がある。溢れるとか余るとかそういう意味で、これが最後の女の子になりますように。つまり、次は男の子が生まれますようにという願いが込められているのだという。
何とも大人都合というか、子どもにとってはふざけるなという話であるが。
「ええと、確か女の子に付けられる名前ですよね。あ、でもさっき『あぐり君』って」
「よく気が付いたね。その通り、男の子だったんだよ」
ごめん、やっぱりもう一本吸っていい?
四谷は陽向に断りを入れると、再びウィンストンを箱から出して火をつけた。
「今から数えるともう四十年近く前になるのかな。昭和の終わりか、平成の始まりぐらい。最初はね、外から見る分には普通の家庭だったそうだよ。父親と母親と、上に息子が三人。四人目が生まれるってなった時に、両親は娘を強く希望していたそうなんだ」
彼は一本目の時より早いペースでタバコを吸い潰しながら話を続ける。
「ところが、生まれてきたのはまた男だった。それで親は壊れたらしくてね。生まれてきた末息子にあぐりと名付けて、女の子の服ばかり着せていたんだ。髪の毛も切らせなかったそうだよ」
「そんな……」
あんまりにも自分勝手な話に陽向は絶句する。
そういえば、亡くなった子は近所であまり良い意味ではなく有名だったと英梨が言っていた。もしかしたら、そういう理由で有名だったのかもしれない。
「そんな環境の子だから、周囲の同い年ぐらいの子どももあまり寄り付かなくてね。いつも一人で遊んでいたんだ。特に絵を描くのが好きだったみたいで、よく道路にチョークでお絵描きして遊んでいたらしい。昔はその辺のルールが緩かったのかな? 俺もよく知らないんだけど」
四谷は二本目のタバコを灰皿に押し付け、ふうっとため息をつく。
「彼がまだ小学生にもならないような年齢の頃。いつものように道端で絵を描いていたら、速度制限を無視した車が突っ込んできたそうだ。運転していたのは別の地域から遠出していたドライバーで、まさかこんな道に子どもがいるなんて思わなかったんだろうね」
「気の毒、ですね」
「まったくだ。おまけに何が醜いって、事故の責任を彼の関係者全員が押し付け合って、最終的に一家離散なんていう結末を迎えた事だよ。あぐり君を轢いた運転手は別の地方在住だし、家族は全員さっさと地元から出ていってしまった」
「……」
もはや二の句が継げない。陽向は呼吸するのも忘れて、四谷の話に聞き入っていた。
「あぐり君が亡くなった後、それまでほとんど事故なんて起きなかったあの道で交通事故が多発するようになってね。それで地蔵が置かれたんだけど、それも町内会の連中が余所者に祟りだの何だの好き勝手言われるのを疎んだからなんだよ。誰も、本当の意味で彼の死を悼んじゃいない。ひどい話だ、浮かばれるわけがない」
二本分の吸い殻が捨てられている灰皿に視線を落としながら、四谷が呟く。
「本当に、嫌な話ですね」
「そうとしか言えないよね。でも、こうして言葉にしてみると、悠君とあぐり君ってちょっと似てるかも」
「似てる? どこがですか?」
「だって、二人とも自分を破滅させた相手に怒りたかっただろうに、その相手がもはや手の届くところにいないだろう? 悠君は自分に借金を押し付けて逃げた大学の知り合い。あぐり君は自分を轢き殺した運転手と、ろくに面倒を見ずに路上で遊んでいるのを放置した家族。蒸発したり遠くに引っ越したりで、この土地に残っている相手はもう誰もいないからね」
「なるほど……」
グラスの外側に付いた水滴をおしぼりで押さえつつ、陽向は考えをまとめる。
衝撃的な話だったが、これでようやく兄をおかしくさせている原因に思い当たった。陽向が察知した影と足音は、あぐりという少年の霊なのではないか。にわかには信じ難いが、やはり兄が地蔵を蹴り飛ばしてしまった事が原因で封じ込められていた霊が飛び出し、彼に取り憑いてしまっているのでは。
しかし、だとしたら一つ気になる事がある。


