「……どうしてそう思う」
「その店から自宅までの間に、お地蔵さんがあるそうです。バイト先の先輩から聞いた話では、昔痛ましい事故があって、犠牲になった子どもの霊を慰めるために作られたとか。でもその先輩が五月の連休頃に見かけた時には、誰かに蹴り飛ばされたかのように倒れていたそうです」
頬杖をついたまま、四谷はやはり静かに陽向の話を聞いていた。
「六月に通りかかった時にはちょうど誰かが直してくれていたみたいですが、それって四谷さんですよね?」
「えー、見られてたんだ。恥ずかしいな」
ちっとも恥ずかしいと思っていないような顔で、彼はわざとらしく笑ってみせる。
「そのお地蔵さんにひどい事をしたの、うちの兄なんじゃないかと思うんです。理由は分からないけど、道端に立てられていたそれを蹴り飛ばしたとかで。それで、その……事故で亡くなったっていう子を、連れて来てしまったんじゃないかと」
言っている途中で自信がなくなり、最後の方が尻すぼみになる。四谷は陽向の突拍子もない話を馬鹿にするわけでも笑うわけでもなく、神妙な面持ちで聞いていた。
「自分でも非現実的な事を言っているのは分かっています。でも、そう考えると辻褄が合うような気がするというか。そもそも実際に起こっている出来事が非現実的なので、その原因も人知の及ばないようなところにあるんじゃないかって」
「いや、言いたい事はよく分かるよ」
長い指がウィンストンの箱に掛けられる。「やっぱり吸っていい?」と彼は中身を一本取り出した。どうぞ、と陽向が了承すると四谷は慣れた手付きでライターをかざし、先端に火をつける。ゆっくりと煙を吸い込むと陽向から顔を逸らし、窓の方を向いて息を吐き出した。
「ごめん、先に謝っとく」
「え?」
「もし君の考えが正しかったら、悠君……君のお兄さんがそんな風になってしまったのは、俺のせいだ」
四谷は窓の方に視線をやったまま、ぽつりと呟いた。六時近くになり、外では長く伸びた電柱の日陰が道に落ちている。
「それって」
「四月のあの日な。ウチが貸した金を踏み倒して蒸発した債権者の一人を、この近くで見たって話をある筋から聞いて。様子を見に行くように上から言われたんだ。そういえば前にも担当した別の顧客が雲隠れしたけど、そいつは連帯保証人がきっちり耳揃えて返してくれたから良かったなとか思ってたら、まさかの鉢合わせってわけ」
「つまり……あの日、兄は四谷さんと偶然会ってしまったんですね」
「そういう事。こっちとしては貸した分と利息さえ払ってもらえればあとは用なんてないから、別にお互い気付かないフリして通り過ぎれば良かったんだけど。悠君の方はそうはいかなかったみたいでね。俺を見た途端に急に顔色を変えてさ」
「それで、兄はどうしたんですか?」
陽向が食い気味に質問すると、四谷はどこか遠くを見るような眼差しをする。
「あれはもう、まさにパニック状態ってやつだったんだろうね。俺もさっき聞くまで彼がアルコールに溺れてるなんて知らなかったけど、確かに最後に見た時より痩せた顔してるなとは思ったんだよ。クマもひどかったしね」
「パニック状態、ですか」
「多分すぐ逃げたかったんだろうけど、腰が抜けて走れなかったんだろうね。わあわあ喚きながら地面にへたり込んで、ようやく立ち上がったと思ったら酔っ払いみたいな足取りでフラフラ歩き出してさ。というか、本当に酔ってたのかもね」
四谷の言う通り、あの頃の兄は昼間から一日中飲んだくれている事も珍しくなかった。酩酊状態の中で過去の嫌な記憶を思い出させる相手に出会ってしまったとなると、取り乱してしまうのも無理はない。
「俺もあの時は声掛けて落ち着かせた方がいいのか、さっさと立ち去った方がいいのか、すぐに分からなくて。恥ずかしい話、俺が固まってる間に道端に安置されてたあぐり君の地蔵を、悠君がうっかり蹴飛ばしちゃったんだよね」
「あぐり君?」
「あれ、そのバイト先の先輩って人から聞いてないの? あそこで事故に遭った子の名前」
「いいえ。先輩も、詳しくは覚えていないようだったので……」
そっか、と言いながら四谷はタバコを咥え直す。しばらく煙を味わった後、再び窓の方を向いて息をついた。


