モイライ来りて糸を繰る


 バス停近くの喫茶店というのはすぐに分かった。大通り沿いにある、昔ながらのレンガ造りの店だ。大きな店ではないが、オムライスが評判で昼時には結構混むらしい。

「すみません、お待たせしました」
「お勤めご苦労様」

 四谷は窓際のソファ席に陣取り、冷たい紅茶のグラスを前に頬杖をついていた。
 注文を取りに来たスタッフに冷たいアールグレイティーを頼み、おしぼりで軽く手を拭く。

「俺も同じのを頼んだんだよ。気が合うね」

 四谷の言葉に愛想笑いを返した後は、陽向の注文した品が届くまでしばらく黙っていた。夏の西日が、外のアスファルトを白っぽく見えるほどに焼いている。狭い店内には業務用エアコンの稼働する音が低く響いていた。

「それで? 何を聞きたいの」

 運ばれてきたアールグレイに口を付けていると、四谷が先に切り出す。

「四月頃になるんですけど」
「うん」
「兄が土まみれになって帰ってきた事があるんです」

 陽向はぽつりぽつりと、今年の春からの出来事について話し始めた。

「兄は精神的なショックが大きかったのか、うちの親が借金を払い終えてくれた後も大学に戻る事ができませんでした。お酒を覚えてからは毎日のように酒浸りで。心療内科にも通っていたんですけど、行ったり行かなかったりを繰り返して、薬もきちんとは飲んでいないみたいでした」

 四谷は途中で口を挟まず、ただ静かに陽向の話に耳を傾けている。

「僕が高校生になる頃、父に異動の話が来ました。ポジションとしては昇進になるんですが、地方へ転勤する必要があって。最初は家族全員で引っ越す予定だったんですけど、僕が高校に入ったばかりだったのと兄の状態を見て、単身赴任という形になりました。でも母が付いていったので、今の僕らは二人暮らしをしています」
「それって、家事は誰がやってるの?」
「ほぼ全部僕がやっています」
「学校に行って、バイトもしながら?」
「はい。あ、でも生活に必要なお金は親が出してくれているので。今までは母がパートしながら兄の世話や家事をしてくれていたので、向こうで両親が落ち着いて過ごせているなら、僕は嬉しいです」
「……」

 四谷は何か言いたげだったが、開きかけた口を結局閉ざして紅茶を一口飲む。陽向もそれに倣ってグラスを口に運んだ。アールグレイの爽やかな香りが鼻腔を満たしてくれる。

「四月の半ば頃、学校から帰ったら兄がいなかったんです。てっきりまたお酒でも買いに行ってるんだろうと思ってそのままバイトに行ったんですが、帰ってきたら体中を土で汚した兄が家の中にいました。酔っ払って転びでもしたんだろうと着替えさせようとしたら、突然震え出して」
「震え出した?」

 四谷の確認に陽向は頷く。

「震えるというより、痙攣していました。背骨が折れるんじゃないかってぐらい体を反らして、目もほとんど白目を剥いていて。只事じゃないと思ったので救急車を呼ぼうとしたら、いきなり痙攣が止まって言葉を発しました」

 四月の二十日、神の怒りが曙を焼く。

「神の怒り……」
「最初はうわ言か何かだろうと思いました。でもその日、僕の通う高校の桜に雷が落ちて。引火したんです。僕もその日初めて知ったんですが、桜の別名で曙草っていうのがあるみたいで」
「なるほど。それで『神の怒りが曙を焼いた』ってことか」
「はい。それからしばらくは何もありませんでした。あの日から兄は、あれだけ飲んでいたお酒をまったく口にしなくなりました。それで、あの痙攣も飲み過ぎか何かによる一時的なものだったんだろうと安心したんですが……」
「違ったんだね」

 力なく頷く陽向に、四谷は先を促した。

「それから一月ほど経った頃、また同じような痙攣が起こったんです。今度は、『五月の二十日あまり三日、鋼を持った男がよろずを売る店に現れる』と」
「五月の二十日あまり三日……二十三日か。あれ? その日って確か」
「僕のバイト先のコンビニに強盗が入った日です」

 四谷は一瞬信じられないという表情をする。

「それってまさか」
「予言、だったんだと思います。それ以来、同じ事は起きていないんですが」

 陽向はそこで一度言葉を切り、アールグレイのグラスに視線を落とした。氷が少しずつ溶け、水色がわずかに薄くなっている。

「二回目の予言を聞いた時、部屋の中に小さな影が見えました。まだ幼い子どものような、それぐらい小さな影。それから、兄を総合病院に連れて行く前日にも、誰もいない廊下を走るような音が聞こえたんです。年端もいかない子どもが、パタパタと走っているような」
「子どもの影と足音、か」

 四谷はテーブルに置いたウィンストンキャスターの白いパッケージを手先で弄んでいる。この店はどうやら喫煙可能なようで机の真ん中に灰皿も置かれていたが、目の前に吸い殻は一本も捨てられていなかった。

「あの、タバコ吸っていいですよ」
「いや、未成年の前でも吸わなきゃいられないほど依存してるわけじゃないから。それより続きを聞かせてもらえる?」

 彼はタバコの箱をまさぐっていた手を引っ込め、再び頬杖をつく。少し垂れた目元は、やはり陽向を真っ直ぐに映していた。

「……ここから少し行ったところの私立大学、ご存知ですよね?」
「うん。薬学と看護が有名だよね」
「そこから南に下ると、少し大きめのスーパーがあるの、知ってますか?」
「ああ、酒の売り場がやたら広いトコね」
「そうですね。兄は一時期、そこでお酒をよく買っていました。四月のあの日も、多分あの店に行こうとしていたんだと思います」

 陽向は意を決して前を向き、四谷の目を見つめ返す。

「単刀直入に聞きます。四谷さんはあの日、兄に何があったかご存知なんじゃないですか?」