モイライ来りて糸を繰る


 何とも言えない罪悪感を抱えたまま四時間目まで授業を受け、昼休みになる。チャイムが鳴り、惣菜パンを抱えて教室を出ようとする陽向の腕を、大きな手が掴んだ。骨ばっていて男性的だが、指は細くて爪の形が綺麗だ。

「陽向、ちょっといいか」

 声をひそめて話し掛けてきた辰巳に、体育館裏まで連れて行かれる。とにかく人のいない所が良いらしい。辿り着いた場所は普段の学校生活では滅多に通らない場所で、名前も分からない大きな木が緑の葉を揺らしながら立っている。時々吹く夏の気配を忍ばせた風で木陰が揺れ、梅雨の晴れ間の陽光がいたずらに形を変えて降り注いでいた。

「朝、途中で行っちまっただろ」

 辰巳は木の幹に背中を預け、制服のポケットに手を突っ込みながら陽向を見る。責めるような言い方ではなく、ただ確かめているだけという口調だった。

「ごめん。梶山君と仲が良さそうな人が来たから、邪魔しちゃいけないかなと思って」
「邪魔って何だよ。俺はお前に話があったのに」

 彼の眉間に微かに皺が寄る。それだけで陽向の胸は針で刺すように痛くなった。

「話って?」
「お前のバイト先に来てるっていう金髪……四谷だっけ。アイツのこと。俺の親父、東京の会計事務所で働いてるって、知ってるよな?」

 話の流れが今一つ掴めず、陽向は首を傾げる。幼稚園の頃から付き合いがある幼馴染の父親の仕事なら何となく知ってはいるが、それと四谷と何の関係があるのだろう。

「親父がこの前、勤め先の近くのビルに入ってる貸金業者に、やたらと派手な見た目の男が出入りしてるって言ってたんだよ。金髪に染めてるだけならまだしも口にピアスまでしてて、いくらグレーな会社だからってあんなスタッフ雇ってて大丈夫なのかって」
「待って、金髪にピアスって」
「多分アイツだろ。その貸金業者って、宣伝上は普通の金融会社なんだけど」

 木の葉が揺れ、柔らかい光の斑点が辰巳の肩を滑る。

「実際には結構無茶苦茶な取り立てをやってるらしい。かなりブラックな顧客にも金を融通してくれるけど、その分回収する時に容赦がないって言うか。トップが頭回るのか、直接的な暴力とかは使わないんだけど。支払いが滞ってる人間には法律上はウチの方が正しいから、万が一弁護士に相談しても無駄だって逃げ道を塞いでくるんだって。そうやって精神的に孤立させて、法外スレスレの利息をむしり取るそうだ」
「そのやり方……」

 確かに覚えがある。兄が連帯保証人になった金融会社も、同じような言葉で追い詰めてきた。
 陽向の中で、散らばっていたピースが静かに繋がっていく感覚があった。陽向の顔を見て悠心に似ているとすぐに気が付いた彼。四谷の名前を出すとひどく取り乱す兄。あの時の兄が、『払ったのに、全部払ったのに』と喚いていた理由。

「四谷さんは、兄さんが連帯保証人になってた金融会社の社員ってこと、だよね」
「そう考えた方が筋は通るよな。悠さんにとっては二度と関わりたくない相手だろうから、四谷の話をした時に取り乱すのもしょうがないっていうか」

 一瞬、コンビニのレジカウンター越しに見た四谷の姿が頭に浮かんだ。優しそうに細められた目元。穏やかな声。頑張ってね、と労ってくれた時の唇の動き。
 全部ウソだったのだろうか。本当は、自分が破滅させた相手の弟が小さなコンビニで必死に働いているのを見て、馬鹿にしていたのではないか。
 陽向は目の前が暗くなる思いがした。夏前の太陽はこんなにも明るいというのに。

「で、でも。それなら何で、今になって僕のバイト先に来るようになったんだろう。借金だって親が全額きちんと返しているはずだし、向こうにとってもう関わる理由はないと思うけど」
「そこが分からないんだよな。ただの嫌がらせか鬱憤晴らしか、それとも別の理由があるのか」

 辰巳は低い声で続ける。

「お前、まだバイト続けてるんだろ? できるなら四谷が来たら別のスタッフに対応を変わってもらうとか、最悪もう辞めて別のバイト探すとかした方がいいんじゃないか」
「……そうだね。僕、四谷さんが兄さんのことを知ってるなら、兄さんの状態が良くなるきっかけを教えてくれるかもって、期待してて……」

 もちろん、兄のためというのは間違いない。しかし、あの人が陽向に向けてくれた優しさに裏があったかもしれないという疑惑は、想像した以上に陽向の心を苛んでみせる。
 バイト先で出会った少し年上の美しい彼に憧れのような尊敬のような、そんな敬慕の念を抱いていた事にようやく気が付いた。

「そんな顔するなよ。俺もまたその会社について他に何か知ってる事はないか、親父にそれとなく聞いてみるから」
「うん、ありがとう。ごめんね、こんな事に巻き込んじゃって」

 若干鼻声になりつつある。辰巳にもそれが分かったのだろう。もたれ掛かっていた木陰から陽向の元へと歩み寄り、ポケットに突っ込んでいた手を出してポンと頭の上に置く。

「とりあえず場所移動して昼飯食おうぜ。腹減ったわ」

 先に歩き出した辰巳の背中を追いながら、陽向は自分の頭に触れる。ほんの一瞬だったが、まだ彼の手のあたたかさがそこに残っているようだ。
 その短い行為に隠された重さを、陽向は測れずにいた。