その日は夕方頃までのシフトだったので、帰りに近所のスーパーまで足を伸ばし、作り置き用の食材を買った。新玉ねぎと豚バラが安く売られていたのでメインのおかずはそれで作ろうと決め、他にいくつか野菜を買う。
バイトに出る前に洗濯機を回しておいたので、帰ったらもう終わっているだろう。元々ドラム式で乾燥までできるタイプの物を使っていたので干す手間はないのだが、その分一回あたりに洗濯できる量が多くないので、兄と二人暮らしとはいえそれなりの頻度で回すようにしている。家族四人で暮らしていた時は毎日だったのだろう。今更ながら母に申し訳なく思う。
「ただいま」
やはり返事はないが、それでも習慣として口にする。玄関には兄の靴が揃っていたので、今は家にいるようだ。
土にまみれて帰ってきたあの夜から、悠心は滅多に外出しなくなった。二、三日に一度は行っていた酒の買い出しもなくなり、今はほとんどの時間を部屋でぼうっと過ごしている。一応、あれ以来あのひどい痙攣は起きていないようだ。専門的な事は無論分からないが、飲み過ぎによる何か一時的な症状だったのだろうか。
あれだけ飲んでいた酒をこうもいきなり止められるとかえって心配になるが、アルコールによる体への負担がなくなっていることに間違いはないだろう。そろそろまた心療内科の予約を取り直して、通院を再開した方が良いかもしれない。
「兄さん、ちょっといい? 入るよ」
部屋の扉を軽くノックし、声を掛けてから中に入る。悠心はベッドの上に座り、ヘッドボードに体を預けるようにして、やはりぼんやりとしていた。
「あのね、病院の予約なんだけど、来月の土曜日に入れておいてもいい?」
ベッド脇に立ち、兄と同じぐらいの目線になるよう少し腰を屈めて確認する。悠心は陽向の言葉を聞いているのかいないのか、目が虚ろで反応が薄い。
「兄さん」
もう一度呼び掛けるが、やはり兄は上の空だ。
ふと、今日バイト先に来た男性の事を思い出した。思い出してみると年齢的には悠心と近そうであったし、ひょっとしたら兄の知人だったのかもしれない。だから弟である陽向を見て、似ていると気が付いたのではないか。
「今日さ、バイト先で変わった事を言われたよ」
話の方向性を変えてみる。兄は小さく息を吐くだけで、やはりこちらを見もしない。
「そのお客さんの知り合いと僕が似てるんだって。年が近そうだったし、ひょっとしたら兄さんの知り合いかも。金髪で口元にピアスもしていたから、兄さんとはちょっとタイプが違う感じがしたけど」
「……あ」
兄が反応らしい反応を返したのは、陽向がその男性の特徴を伝えた時だった。蚊の鳴くような声だったが、確かに彼は呟いた。
「知ってる人?」
「あ……あ……」
悠心は視線をキョロキョロと忙しなく動かし、酷く怯えたような顔をする。その尋常ではない様子に陽向は兄に触れようとするが、彼はガタガタと震え出す。
「兄さん?」
「よ、四谷……ヨツヤ……あああああっ!」
悲鳴のような声を上げると、悠心は頭を抱えて何かを振り払うように激しく首を振る。
「あああ、あいつ、アイツ、どうして! 払ったのに、全部払ったのに!」
「兄さん、落ち着いて! ごめん、もうその人の話はやめるから!」
只事ではない様子の兄を前に、陽向は慌てて謝罪する。それでも悠心の錯乱は収まらず、彼はひっ、ひっと苦し気に息をしながらベッドの上でのたうち回った。陽向は兄を抱きしめるようにしてどうにか押さえ込み、「ごめん、大丈夫、大丈夫だから」と声を掛け続ける。
「何で俺が、俺ばっかり。どいつもこいつも、ああ……」
次第に落ち着きを取り戻した悠心は、今度はブツブツと何事かを呟き始める。陽向はそんな兄の体を抱き、疲れたらしい彼が眠りにつくまで優しくその背中を擦り続けた。


