新学期。短い春休みも終わり、今日から高校二年生が始まる。
ピロティに貼りだされたクラス分けの前には、科ごとに人だかりができていて、
ため息や小さな悲鳴が聞こえてくる。
比較的すいている理数科の前に立ち、俺は自分の名前を探した。
(水野、水野……あった。えっ……?)
俺は名簿を確認するなり、急いで階段を駆け上がった。
二階の角部屋、二年八組の教室まではそこそこ距離があり、息が上がる。
「あ、まるじゃん。おはよー。まるの席ここ。今年も席、前後だぜ」
まる――っていうのは俺のあだ名で、雪丸の丸からきている。
まぁ、それだけの理由ではないけど……
「もっちー、おはよう。そうなんだ。今年もよろしく」
「おう!まじで数学ついていける気しねーんだけど。
まる、テスト前に勉強会してくれよな」
「いや、だから俺、成績真ん中くらいなんだって。
もっと賢いやつに教えてもらえよ」
「俺よりは賢いんだからさー。つれないこと言うなよぉ」
もっちーこと持田悠介は、去年も同じクラスで、
出席番号が前後だった俺たちは自然と仲良くなった。
「ってゆうか、わかってたけど……理系クラスってほぼ男だな……」
もっちーは片肘をついて、窓側に目をやった。
俺もつられて、まじまじと教室内を見る。
あたりまえだが、同じ詰襟の制服を着た男がたむろしている。
セーラー服の姿はまだない。
「まあね……クラス替えっていっても、
理系は二クラスしかないんだから、ほぼメンバー一緒ってわかってたじゃん」
「そうだけどさぁ。あーあ。俺も普通科にすればよかった。
うちの女子の制服、可愛いのになぁ。クラスでもセーラー服拝みたい。
ってか、彼女ほしい!青春したい!まるも同じ気持ちだろ?」
もっちーは机に突っ伏して、俺の二の腕をつんつんしてくる。
「俺は――、とりあえず窓側行きたいな。まだ四月は廊下側寒いよね」
もっちーがじろりとこちらを睨む。
「そういうこと言ってない。冷めすぎなんだよ、まるは。
でも窓側行きたいのは同意。五十音順なら、あ行が廊下側行ってほしいよな」
「俺もそう思うよ」
「え?」
突然、俺たちの間にぬっと大きな影が入ってきた。
「うわ、牧村君じゃん。同じクラス、いえーい」
「持田君、おはよ。まさか同じクラスになるとは思わんかった。で、こちらは?」
「こいつは水野雪丸。吹部だよ。で、去年も同じクラス」
「俺は牧村隼人。陸部です。よろしくね、雪丸君」
俺は、目の前に立つ男から目が離せなかった。
いつも窓越しに見ていた燕君が、今、俺の前の席に座っている。
近くで見ると、思っていたよりずっと大きい。
肩幅も、脚の長さも、全部。俺は思わず「燕君、でかっ」と、声に出してしまっていた。
「つばめ?」
「まる、なにいってんの?」
「あ、え、えーっと……」
ごまかそうにも、もう遅い。観念した俺は、すべて正直に話した。
「まるの趣味が人間観察ね。で、牧村君が観察対象だったわけだ」
「ははは。なーんだ。そう言うことだったのか。雪丸君、おもしろいね。
ってか、吹部から二グラ見えるんだ。どうだった?俺、かっこよかった?」
椅子を反対向けてこっちを向いた彼は、にやにやしながら俺に聞いてきた。
「う、うん……かっこよかったよ。俺、初めて見たとき感動したもん。
あんな幅を三歩で進むじゃん?しかもハードルもめっちゃ高い。
それなのに、なんか、跳ぶってよりは跨ぐ感じで走っていくから……
スゲーって思って、目が離せなくなって……」
勢いよくまくし立ててから、ハッとして口を噤んだ。
これじゃ、ただのストーカーみたいだ。
彼はと言えば、両手で顔を覆って耳まで真っ赤にしている。
「め、めっちゃ褒めてくれんじゃん。茶化したのに、逆に照れるんだけど……」
もっちーはその様子を見てゲラゲラ笑っている。
「でも、実際会ったら想像よりでかかった!身長どんくらい?」
「百八十三センチっす……」
「まじ?牧村君、俺より二センチもでかいじゃん!
今からサッカー部どう?走れる奴募集中!」
(二人とも百八十超えか……
高校生男子平均身長の俺なんか、ちんちくりんに見えるんだろうな)
たかが身長、されど身長……燕君ももっちーも、
日焼けした首筋とか、机に置かれた大きな手とか、運動部って感じがする。
途端に自分の学ランだけが薄っぺらく感じてしまう。
「てゆーか、二人は何繋がりなの?」
「あー、それね。陸部は二グラだから筋トレ器具がないんだよ。バーベルとかベンチプレスとか。
だからウエイトトレーニングするときはメイングラウンドに行ってるんだけど、
ちょうどサッカー部の部室前なんだよね」
「そうそう。頻繁に来るから、仲良くなっちゃった。
牧村君って長いし、隼人って呼んでいい?それか……燕?」
もっちーがにやにやしながら俺をからかってくる。
「じゃあ、俺ももっちーって呼ぼ。俺のことは、隼人でも燕でもいいぜ?」
燕君までさわやかな笑顔でいじってきた。
「……俺も、これからは隼人って呼ぶ……」
「無理しなくてもいいのに。ってか、水野君はなんでまる?
雪丸なら『まる』より『ゆき』のが自然じゃね?」
「そういえばそうだな。今更だけど、なんでまるなの?」
「あぁ――えっと……」
思わず言葉に詰まった。
二人は純粋な目で覗いてくる。俺は話すしかない状況に腹を括った。
「俺、兄貴いんだけど、すげー優秀で。
昔から勝手に比べられてきたんだけど、いつだっけかな?
お前全部平均だから通知表の丸みたいだなって兄貴に言われて……」
隼人のこめかみが、一瞬ぴくっと動いた。
「そこからまるって呼ばれるようになって、自然と登校班の子とか友達もまるって呼ぶようになって。
それが今まで続いてる感じです」
三人の間に少しの沈黙が落ちる。
俺はすぐ前のめりに声を上げた。
「で、でも変な感じとかいじりとかじゃなくて、兄貴もほんとかるーく言っただけだし。
俺もなんとも思ってないし。それに実際、全部普通だしね。
家族みんな大きいから身長くらい大きくなるかと思ったけど、万年平均のままだった」
「そんな経緯があったんだ」
「うん。あとずっと丸眼鏡だしね」
「ははは。そこもなんだ。でもさ、普通てすごくね?」
なんでもないみたいに、好きなご飯の話をするみたいに、ごく自然に隼人が言った。
「だってさ、俺、どう頑張っても英語は平均取れないべ?
それにハードルは跳べるけど、長距離はマジで無理。すぐばてる。シャトルランとかマジ無理」
「確かに!去年、理系合同で体力テストやった時、陸部のくせにヘボすぎって言われてたの覚えてる」
隼人は背伸びしながら「陸上っつっても、なんでもできるわけじゃないっつーの」と、悪態をついた。
「……っふ、ふふ」
思わず笑いが込み上げた。
確か俺はシャトルランも平均くらいだったなと思い出したのと同時に、
周りからヤジを飛ばされて不貞腐れている隼人の姿が容易に想像できて、笑いが止まらなくなった。
「何笑ってんの?そんなウケるとこあった?」
隼人は燕と同じ、つやのある漆黒の髪をクシャっと潰して俺をのぞき込んだ。
その瞬間、黒曜石のような瞳に目を奪われる。心臓が、ドクンと大きく高鳴った。
「はい、席つけー」
教室の扉が閉められ、去年と同じ担任が教壇に立つ。
(うわ……動悸やば。新しいクラスで緊張してんのか?)
教室の空気が少しだけ引き締まって、慌てて椅子に座り直す音が重なった。
さっきまでざわついていた室内に静寂が訪れる。
俺は動悸の正体をつかめないまま、隼人の広い背中越しに担任を眺めた。



