二
「あーっつい!暑すぎる!」
もっちーの声がクラス中に響き渡る。
「確かにな。まだ四月ってのに半袖でも暑いもんな」
運動部二人がカッターシャツの胸元をザックリ開けて下敷きでパタパタと扇ぐ中、俺はまだ学ランを着ていた。
「そんな暑い?」
「あっついよぉ?ってか、まる見てたらこっちまで暑さ倍増なんだけど」
「朝練組、お疲れ」
気づけば、昼休みも移動教室も、俺の両隣にはもっちーと隼人がいた。百八十センチ超え二人に挟まれる生活にも少し慣れてきた……と思ったけど、やっぱり威圧感はすごい。二人が並ぶたび、自分だけ場違いな気がしてならない。
「ほら、またあの二人絡んでるよ」
「持田君、制服着崩してるのいい」
廊下の窓の外から、女の子たちのはしゃぐ声が聞こえてきた。明らかにそれが増えたのは、先週の部活紹介が終わってからだ。全校生徒の前でハードル走を見せた隼人と、華麗なリフティングを披露したもっちーは、瞬く間に学校中の人気者になった。まぁ、世間一般でいうイケメンには入るんだろう。理系クラスに埋もれていた原石発見、みたいな感じだ。
俺は窓の隙間から廊下を覗く。女の子たちは何度も髪を整え、窓ガラスに映る自分を確認している。ほんの数秒でも目が合えばいい。振り向いてもらえたら嬉しい。そんな期待が透けて見える。なんというか――みんな健気だ。
そんな女の子たちを見ると、どこか自分とは別の世界の出来事みたいだった。人のことはさんざん観察してなんでも分かったように思えるのに、自分のことはてんでわからない。
「まる、また意識宇宙いってるよ」
突然もっちーが頬っぺたをブスブスつついてきた。
「あ、いいな。もっちーだけずるい。俺も触ろ」
間髪入れずに反対のほっぺたを隼人が優しくつつく。
「前から触ってみたいと思ってたんだよね。雪丸、細いのに顔は丸いじゃん?なんか餅みたいって思ってた。やっぱり、つきたて餅じゃん」
「つきたて餅って……」
そんな感想、男子高校生に向けるものなのか。
二人の指先は、本人たちが「暑い」と言っていた通り、驚くほど熱を持っていた。 「やわらけー」といいながら、スクイーズのようにいじり倒すもっちーに呆れながら、俺の意識は右の頬に偏っていた。
(……なんか、隼人の触り方……むずむずする)
姿は見えない。でも、窓の隙間からじわっと殺気だけは伝わってくる。
「ってかさ、ゴールデンウィークは吹部と陸部、どんな感じ?」
やっと頬から手を離したもっちーが、予定が合ったら遊ぼうと誘ってきた。
「陸部は一日大会っていうか、記録会ってのがあるけど、あとはひたすら練習。学校の日もあるし、他校と陸上競技場の日もある。でも、大体午前で終わるよ。吹部は?」
「うちは休みもあるし、午前練の日も午後練の日もある。サッカーは?」
もっちーは目をキラキラさせながら、
「一泊二日の合宿と練習試合二日! 休みは中日の三日だけ!」
と、胸を張った。
思わず「お前が一番忙しいんかよ!」と突っ込む。
確認すると、三日は俺も隼人も午前練だった。
「じゃあ、午後暇じゃん」
もっちーは勝手にうんうんと頷く。
「決まりな。三日、映画!」
「え、もう決定?」
「もちろん」
俺と隼人が返事をする前に、映画の予定は決まっていた。
ゴールデンウィークの学校はやけに静かで、陽射しはもう春というより初夏に近かった。
俺は集合時間より少し早く視聴覚準備室へ入る。窓を開けると、少し湿った風が埃っぽい淀んだ空気をかき混ぜる。
第二グラウンドでは陸上部がリレーの練習を始めていた。
「おお」
バトンをつないで走る四人の先頭には、見慣れた黄色いスパイク。
(うわ、カッコよ)
俺は思わず顔がにやけた。足元から謎のゾクゾクした感覚がせりあがってくる。思わず自分も走りだしたくなるような謎の高揚感に戸惑いながらも、俺はオイルをさして譜面台を立てた。軽く音出しをしてから、トランペットを構える。
――プーーーーー
ロングトーンの音が、朝の校庭に広がった。 (頑張れよ)
きっと彼には音しか届かない。けれど、俺は隼人を思いながら息を吹き込んだ。
『熱出たー。明日いけないから二人で楽しんでくれ。俺も映画行きたかったー』
もっちーからそんなメッセージが来たのは二十時だった。合宿疲れかな、と少し心配になる。
『もっちーお疲れ。しっかり休めよ』と、すぐに三人のトークグループにメッセージを送ったが、朝になっても二人からの返事はない。もっちーは仕方ないとして、隼人からも返事がないのは少し気になっていた。既読もついていない。
「七時十四分……まだ寝てるか……」
約束は十三時に駅前の赤いモニュメントの前。俺はもう一度布団にもぐりこんで、そっと目を閉じた。
「まる!母さんが朝飯食わんのかってキレてんぞ!いつまで寝てんだよ!」
勢いよくあいた扉の音と兄貴の声で目が覚めた。眼鏡を探すもすぐに見つけられなくて、仕方なく目を細めてスマホを見た。
(十時四十分……、え、十時??)
いつの間にか三時間以上も寝こけていたことに驚いた。
「朝飯はテーブルの上。昼は食べるなら自分でどうにかしろ。母さんは友達とランチ。俺はゼミのやつらと出かけるから。ちゃんと勉強もやれ。だらだらすんな」
早口で簡潔に要件と嫌味を伝えると、兄貴はまた勢いよくバタンと扉を閉めて出ていった。
静けさが舞い戻った部屋でボーっとしていると、スマホにメッセージが届いた。俺はもう一度眼鏡を探し、指紋がついたレンズ越しに白いもやがかかった画面を見る。
『もっちー、お疲れ!熱大丈夫か?盛大にネタバレしてやるからしっかり休めよ』
心配と笑いが混ざった隼人らしいメッセージに思わず笑みが零れた。すぐにもっちーからも『配信始まったら一緒に見て!それまで耐えて!』と返事が来ていた。
そしてベッドから降りようとした瞬間、またメッセージが届いた。
通知画面の名前を見て、心臓がピクッと跳ねた。すぐさまアプリを開く。
『雪丸、おはよ。もっちー残念だったね。俺と二人でデートになるけど大丈夫?OKなら約束通り、モニュメントの前で待ってるね』
個別に届いた隼人からのメッセージに、俺は思わずうずくまった。
(え、デートって……ええー?)
隼人って、こういうことをさらっと言う。そういうところが、一軍男子すぎる。本人は何気なく言っているつもりでも、俺はその一言だけで簡単に振り回されていた。
行き交う人をぼんやり眺めていると、人混みの中でもひときわ背の高い人影が目に入った。隼人だ。
「雪丸!遅れて、まじごめん、電車、乗り遅れちゃって」
「隼人、お疲れ……」
俺は隼人から目が離せなかった。 水色の爽やかなストライプシャツに黒のハーフパンツ。白い靴下に、ごつめのスニーカー。別に特別おしゃれな格好じゃない。なのに何かがおかしい。同じ格好をしても、俺なら部活帰りの中学生だ。隼人だと雑誌の一ページになる。
「雪丸?ね?ゆーきーまーる!」
「はっ、え?俺また飛んでた?」
「うん、多分。遅刻して怒ってんのかと思ったけど、違うなってさっき思った」
駅の時計を確認すると、十三時一分を指している。
「いや、こんなの遅刻に入んないでしょ」
「駄目だよ。一分でも遅刻は遅刻。ほんとごめんね。雪丸とデートだと思ったら、服気合い入れて悩みすぎて電車乗り遅れた」
(…………)
「……ほえぇ……」
俺は思わず語彙を失い、ため息に似た間の抜けた声が出た。
「え、何、その反応……」
隼人はツヤツヤの黒髪をかき上げながら不思議そうにこちらを見る。
「あぁ、いや、こうやって女子は恋に落ちていくんだなって思って……。一軍男子こえーよ……」
「いや、雪丸の言ってることがマジで意味わかんないんだけど」
「いやぁ、モテメンはさらっとキュンとすること言うんだなって」
「あ、雪丸俺にきゅんとしたの?恋に落ちてくれた?」
どこか得意げで、子供みたいに嬉しそうにこちらをのぞき込んでくる。
「女の子なら、の話だよ。魔性の燕め」
「でた!久しぶりの燕呼び!雪丸が燕呼びするときは褒めてるってことだよな。ってことはちょっとはキュンとしてくれたってことだな」
「な、そんなことない!」
「雪丸君?人間観察してるのは自分だけだと思うなよぉ?」
ぐっと顔を寄せられ、思わず後ずさりそうになる。
「ほら、行こ!絶対混んでるよね」
隼人は何事もなかったみたいに歩き出す。ドキッとさせた本人だけが平然としているのはずるい。
「予約しとけばよかったかなぁ?」
「た、確かにそうかも……無理なら次の回でもいいんじゃない?」
「いいな!そうしよ、雪丸」
たわいもない会話をしながら映画館につながる商店街を歩いていく。人ごみでごった返すアーケードの中でも、隼人は頭一つ分抜けているから見つけやすい。
「雪丸、迷子なる?手繋ぐ?」
先を行く隼人が、今度は真剣な顔で真面目に聞いてくる。
(なんだよそれ……もう……)
俺も高校生の男なんだけど……と言うと、それもそうかと笑っていた。
映画館に着くと、狭いロビーは人であふれていた。どこがチケット売り場で、どこが売店なのかも一瞬わからないくらいで、店員さんの誘導で流れに乗り、券売機の列に並んだ。が、すぐに気づいてっしまった。学校でも何度か感じた、まとわりつくような視線。
「背高いね。どこ高かな?」
「いいなぁ。隣に並びたい」
聞こえないふりをしながら、耳だけは勝手にそっちへ向いてしまう。
「何部かな?足大きいし、サッカーとか?」
(陸部だよ。ハードルを跳んでる姿はもっとかっこいいよー。ちなみに足は二十八センチ)
ただの友達なのに、心の中で自慢する。自分の方が隼人のことを知っている。隣にいるのは俺だ。そう思った瞬間、胸の奥がぞわりとした。
(……え?やば、最近おかしい……)
「雪丸、どうしたの?」
「いや、何もないよ」
「そう?人混みに酔ったとかなら教えてね」
「うん……」
ロビーの予告が一周回ったころ、ようやく券売機までたどり着いた。空席状況を開いた瞬間、思わず眉が下がる。最前列しか残っていない。隣に助けを求めようと顔を向けると、隼人はゾンビ映画の予告に釘付けになっていた。
「隼人、どうする?」
「え、あぁ……首死にそうだよな」
顔を見合わせて少し沈黙が落ちる。
「もしかして……ゾンビ気になってる?」
「えっ、あ、うん。前作も結構面白くてさ。また一人で見に来ようかなって」
「え、じゃあこれにしようよ。俺も見たし、面白いよな韓国ゾンビ。全力で走ってくるし」
「そうなんだよ!え、雪丸も見たの?ゾンビいけんの?マジ?」
「うん。いけるよ。だから、これにしよ」
隼人は目を輝かせながら、俺の肩を掴んだ。
「いいの?まじサンキュー!」
隼人は屈託のない笑顔で肩に腕を回してきた。「うわまじか」とか、「見たかったんだよな」とか言いながら、比較的すいてる座席表を眺める。
「俺、足ぶつけそうだからこの列がいいんだけど、雪丸は一番後ろ派?どこでもいい?」
「俺はどこでもいいよ。こだわりない」
隼人が指定したのは、真ん中の通路を挟んだ一番前の列。
「ほんと?じゃあ、ここにしよっと」
――足をぶつけそうだから席を選ぶ。そんな贅沢な悩み、一度でいいからしてみたい。
隼人の日焼けした長い指が次々と画面を進めていく。そして、「ポップコーンとコーラはマストだろ?」と言いながらまぶしすぎる笑顔で俺を覗き込んでくる。売店も長蛇の列で周りが少しピリついている中、「チュロスも捨てがたい」などど、メニューを真剣に見つめている。その姿がなんだか可愛い。
「隼人、俺ポップコーンキャラメル派なんだけど。でも、ちょっと塩気も欲しい……」
「何か意外。甘いの苦手かと思ってた。購買のパンもおかず系が多い気がするし」
「うん、間違ってないよ。でも、なんでかポップコーンだけは甘いのがいいんだよな。なんでだろ?」
「ははは。じゃあ、俺塩買うから。わけっこしようぜ」
わけっこって……
隼人はたまに、俺を弟かなにかだと思っている節がある。このむずむずした気持ちを引きずったまま、俺はスクリーンへ入った。ゾンビが全部吹き飛ばしてくれることを願って。
「ゴールデンワーク明けの今日は、各地で気温が上がり、夏日となる予想です」
朝のニュースキャスターが寒暖差の注意喚起とともに蘇る。
家から自転車で十分と少し。通学時間としてはかなり短いであろうこの距離も、二十五度を超えてくると中々に辛い。
「暑すぎる……」
山の中にあるうちの学校は、駐輪場が坂の中腹にある。この距離だからって自転車に変速機能を付けなかったことが心底悔やまれる。立ち漕ぎしても重力に負けてふらふらしている俺の横を、「雪丸おはよー」と、スイスイと隼人が追い抜いた。
「お、おは、よう……」と言ってみるも、もう彼の姿はない。
(これが筋肉量の差か……)
ふいに、ハーフパンツの下から見えた隼人の脚が頭をよぎる。
(やばい……重症だ)
結局、ゾンビの躍動感をもってしても俺の胸のざわつきは吹っ飛んでくれず、いまだにこんな状態だ。
「うわっ!」
俺は自分の思考に動揺すると、バランスを崩し、ついには登り切れずに自転車を降りた。
「雪丸―!坂、登り切れなかったの?軟弱だなぁ」
太陽の下で、キラキラと輝く一軍の彼。どんくさい友達に駆け寄り、優しく声をかけてくれる爽やかすぎるイケメン――。
「まぶしいなぁ、燕君は」
「はは、なんで今褒められてんの、俺。ほら、一緒に教室行こ」
「……うん」
隼人の隣を歩くだけで、歩幅が少し浮つく。
なにかに気づいたような、気づいていないような、そんな感覚に襲われる。
(やっぱり、自分のことは全然観察できないしわからない……)
それでも気づけば、俺の視線はまた隼人の背中を追いかけていた。
「なぁ、もう来週中間テストって知ってた?」
焼きそばパンにかぶりつきながら、もっちーが当たり前のことを言う。
「知ってた。でも知ってるだけで何もしてない」
前の席からメロンパンを食べながら、隼人が言う。こいつら、さっきの休み時間弁当食べてたよな……?
「まる、勉強会しようよ。お願い、数学。人助けだと思って」
「雪丸、俺英語。英語やってほしい」
「お前ら……」
「ってか、俺古典もヤバいんだよな」
「わかる。ってか理系なのに古文と漢文っていんのかって思うよな」
「じゃあ古典も勉強会に入れよう」
(…………)
一軍ふたりは断られるということを知らないらしい。俺の返事を待たずにどんどん話が進んで行く。
「おい、持田。お前理科室行かなくていいのか?」
廊下から隣のクラスのやつが顔を出す。
「やべ、今日サッカー部の集まりあんだった」
そういって、もっちーは半分残っていた焼きそばパンを口にくわえたまま教室を飛び出していった。
「騒がしい奴だな」
いや、隼人も人のことは言えない気がする。でも言ったら面倒そうなので、お前もだろと心の中だけで突っ込んでおいた。
「ってかさ、もっちーには何度も言ってるけど、俺、成績真ん中ぐらいだから。ほんと教えられるようなこと何もないんだよ。だから、本気で成績上げたいなら他あたったほうがいいよ」
コロッケパンを開けると、ふんわりソースの甘い匂いがした。いつもは食欲をそそるのに、今日は何故か気が進まない。もちろん俺は早弁なんかしてないし、これが一つ目のパンだ。包装を開けたまま固まっていると、メロンパンを食べ終えた隼人が俺の机で頬杖をついた。さっきまで笑っていたくせに、俺のノートへ目を落とした途端、少しだけ表情が変わる。そして、空いた左手でほっぺをツンツンしてきた。
「俺はね、賢い奴に教えてもらいたいんじゃなくて、雪丸に教えてもらいたいの。ちゃんと先生の話を聞いて、丁寧に板書してる。雪丸のノートは整理されてて誰が見てもわかりやすい。そんなの、普通じゃないからね。もっと自分を褒めなさい、つきたて餅くん」
ニカッと人懐っこく笑う、隼人。
(…………あ)
俺はこの瞬間、落ちた。
教室のざわめきも、窓の外の声も、世界からすべての音がミュートされたみたいに遠くなっていく。
今日までの意味の分からな
かったもやもやも、謎の動悸も、全部がつながって……
そして、恋という得体のしれないものに、俺も転げ落ちてしまったんだ。



