「渋澤先輩、一口ちょーだい!」
それが陸上部の後輩、甘田瑠衣の口癖だ。
太陽光が燦々と降り注ぐ真夏のグラウンド。鮮やかな運動着姿の部員たちが、肩で息をしながら飲み物を流し込む。
俺はぬるくなったペットボトルに口をつけながら、いつもと同じ素っ気ない態度で答えた。
「やらねーよ、自分の飲め」
「全部、飲んじゃったんですよー。干からびて死んじゃう」
「俺だってそんなに残ってねーんだよ。水でも飲んどけ」
「水だけじゃ熱中症予防にならないって知ってます?」
「知ってるけどやらねー……あっ」
俺の右手からペットボトルがしゅっと抜き取られた。
抗議をする間もなく、甘田はまるで自分の物のようにペットボトルに口をつける。ごくん、と喉仏が上下した。
「ん、美味し!」
ぬるくなった飲み物を一口だけ飲んで、甘田は満足そうだ。俺は手を伸ばして甘田からペットボトルを奪い返した。
「返せよ!」
「はい、返します。ご馳走さまでした!」
にっこりと笑う甘田は土臭いグラウンドに不釣り合いな爽やかさ。長めの栗毛は猫のように柔らかで、日に焼けた肌にはニキビはおろかホクロ一つない。
人なつこい猫を思わせる2つの瞳が、やけに近いところから俺を見ていた。
……相変わらずイケメンだな、何食ったらこうなんの。
俺――渋澤巧は緑栄高等学校の2年生だ。陸上部に所属しており、専門種目は走り高跳び。
長身であるほど有利な種目だが、俺は平均より少し低いくらいだ。顔立ちも地味で、誰かに褒められたことは一度もない。
俺がもう少し目立つ容姿をしていたら、甘田とのやりとりも絵になるんだろうけど、今のままじゃイケメンに飲み物を奪われる残念な奴でしかない。
「甘田ー、飲み物ねぇの? 俺、もう1本持ってきてるけど」
そう声をかけるのは同級生の長谷部優だ。筋肉質のハードラー、甘田ほどではないけどそこそこイケメン。
「大丈夫です! 渋澤先輩のがいいんで!」
「あ、そう?」
いやそこは長谷部から貰っとこうぜ。俺のがいいって何だよ。
俺が心の中で突っ込んでいると、長谷部は小声で尋ねてきた。
「なぁ、何で甘田ってあんなに渋澤に懐いてんの?」
「わかんねー」
「中学は別なんだっけ?」
「うん、別」
甘田は、この春、緑栄高等学校に入学したばかりの一年生。やたら目立つ容姿をしているので、入学早々あちこちで話題になっていた。ちなみに陸上は初心者らしいが運動のセンスはある。不器用な俺とは正反対だ。
「実はどこかで会ってるとか?」
「や、どーだろ……甘田が陸上やってたんなら会ってる可能性もあるけど……」
「じゃあ一目惚れか。ひゅー」
「ヤメロ」
俺は長谷部の胸を小突いた。そういう冗談は好きじゃない。誰かが聞いていて変な噂が流れでもしたら、甘田に申し訳なくて仕方ない。
「あんなの、ただの気まぐれに決まってるだろ」
長谷部はつまらなさそうな顔をした。
「ま、そーだろーけどさ。俺もあるわ、大人しめのクラスメイトにやたら絡みたくなる時期」
「……やられる方はつらいだけだぞ、それ」
ひそひそ声で会話をしていると、ふと横顔に視線を感じた。首を捻ってみると、甘田が少し離れたところから俺と長谷部を凝視していた。怖い、瞬きしろ。
「レスト、残り1分!」
マネージャーの筒美あかねが、ストップウォッチを見ながら大きな声を出した。
季節は夏。1年のうちで最も大きな大会である高体連は終わってしまったが、秋には新人戦が控えている。陸上協会が主催する記録会も予定されている。
練習といえども手を抜くことはできないわけで、重たい足を引きずりながらスタート地点へと向かった。
「あー、きっつ」
誰かの独り言を耳にしながら、俺はまた甘田の方を見た。また、目が合った。こうして目が合うことは珍しくない。俺が誰かと話しているとき、一人でストレッチをしているとき、ふとしたときに甘田の視線を感じる。
「わけわかんねぇんだよ、もー……」
理由がわからずに向けられる好意は落ち着かない。嫌なら振り払えばいいと思うのだが、嫌とは言い切れないところが厄介だった。
◇◇◇
「渋澤先輩、一口ちょーだい!」
「やらねーよ」
「一口だけでいいから……えいっ」
「あ……こら、甘田ぁ!」
今日もそんなやり取りをして1日の練習が終わった。
夏休みも近づいてきた土曜日の正午どき。俺が練習で使ったスパイクシューズを靴袋にしまっていると、長谷部が話しかけてきた。
「渋澤。このあと飯、どう?」
「いーよ」
「キングバーグ行こうぜ。誘いたい奴、いる?」
「んー……」
帰り支度をする部員たちを眺めていると、横顔にビシバシと視線を感じた。甘田だ。……誘ってほしいのか?
「甘田、このあと」
「行きます!」
「早い早い、まだ途中までしか言ってない」
俺と甘田、長谷部を含め、8人のメンバーが集まった。
自転車に乗って駅前まで移動する。そこにあるハンバーグ&ステーキのチェーン店が陸上部の御用達。練習後にがっつり肉を食べることができるし、学生割引のドリンクバーがあるのが嬉しい。
俺がボックス席の奥側に座ると、光の速さで甘田が隣に滑り込んできた。
「渋澤先輩! お隣、失礼します!」
「素早いなお前」
「そりゃ渋澤先輩のお隣は譲れないですよ」
「そうかよ」
素っ気ない返事を返しながらも悪い気はしなかった。毎日のように飲み物を奪っていく失礼な奴とはいえ、可愛い後輩であることに違いはない。
「渋澤、ここいい?」
甘田に続いてテーブルにやってきたのは、マネージャーの筒美だった。俺が返事をするよりも早く席に着き、マネージャー仲間である1年生の秋保凜々に呼びかける。
「凜々、こっち。一緒に座ろう」
「あ、はい……!」
秋保がとてとてと小動物のように走り寄ってくる。色白で可愛らしい顔立ちをした秋保は部内の妹的な存在だ。
「渋澤先輩、何食べます?」
俺が何気なく秋保の挙動を目で追っていると、横から甘田が話しかけてきた。俺の視界を遮るように、顔の前にメニュー表を広げてくる。近い近い、近すぎて逆に見えない。
「えーと……普通にランチセット。チーズハンバーグで」
「じゃあ俺もランチセットにします。デミグラスハンバーグ」
15分も経つと、テーブルには4人分の料理が運ばれてきた。ほかほかと湯気を立ちのぼらせるハンバーグは美味そうだ。口に入れるとじゅわっと肉汁が溢れ出してくる。
「はー……うま」
俺がハンバーグを噛み締めていると、横から甘田がにゅっと顔を出してきた。
「渋澤先輩のチーズハンバーグ、美味しそうですね。一口ちょーだい?」
「やらねーよ。自分のを食え」
「一口ずつ交換しましょうよ。デミグラスソースも美味しいですよ、ほら」
甘田はフォークに刺したハンバーグを俺の口元に押しつけてきた。デミグラスソースがたっぷりと絡められたハンバーグは確かに美味そうだが、これを食べると甘田の「あーん」を受け入れたことになる。冗談じゃない。
「いらねーっつぅの。ちょ、ソースが垂れるから止めろ……むぐっ」
強引に口の中にハンバーグを突っ込まれた。
「……美味しいでしょ?」
「美味いけどさ……」
美味けりゃいいという話じゃねぇ。溜息を吐きながらも、一口分のチーズハンバーグを甘田の皿にのせてやる。交換しよう、と言われたのだからこれで文句はないはずだ。
「ねぇ、あたしにも一口ちょうだいよ」
シンプルなハンバーグをつついていた筒美が、俺のチーズハンバーグを見ながら言った。
「……別にいいけど」
「じゃあ交換ね。食べきれないからちょっと多めにあげるよ」
「さんきゅ」
ナイフでチーズハンバーグを一口分に切り分ける。その途中で甘田に手首を掴まれた。何だよ。
「食べ物のやりとりするのは良くないと思いますよ。風邪とかうつるでしょ」
「風邪の時期じゃねぇだろ。つーかお前がそれ言うの?」
「俺はいいんですよ。でも他の人はダメ」
「わけわかんねぇよ」
甘田の言い分には耳を貸さず、切り分けたチーズハンバーグを筒美の皿の端っこにのせた。ああっ、と悲痛な叫び声が聞こえる。甘田が大切な宝物をなくしたときのような顔でチーズハンバーグの欠片を見つめていた。お前にとって俺のチーズハンバーグは何なんだよ。もうやらねぇぞ。
俺と甘田のやりとりを眺めていた秋保が、おずおずと切り出した。
「甘田くんって、渋澤先輩と仲良しだよね……」
「うん、大好きだから」
いや、誤解を生む言い方すんな。
放っておくと面倒なことになりそうだったので、俺は慌てて訂正した。
「甘田の『好き』は犬が飼い主に懐くのと同じだから。変な意味じゃないから」
「そ、そっか。そうですよね……」
それで納得するのもどうかと思う。
「甘田って、付き合ってる人とかいるの?」
そう質問するのは筒美だった。
「いないですよ」
「じゃあ好きな人は?」
「渋澤先輩ですね!」
おい、と俺は強めに突っ込んでしまった。答えにくい質問からに逃げるのに俺を利用しないでほしい。筒美も苦笑いを浮かべている。
「今は、渋澤を除いて答えてほしいかなぁ」
「うーん……それなら特にいないですね」
「じゃあ好みのタイプは?」
筒美はぐいぐい質問する。筒美の隣では、秋保が口元を押さえながらハラハラした表情だ。
……そういえば秋保は甘田が好きなんだっけ。そんな噂を耳にしたことがある。つまり筒美の質問は秋保の恋を応援するためのものだということ。
筒美の思惑に気付いているのか、いないのか、甘田は生真面目に唸った。
「好みのタイプですか……渋澤先輩は除かないといけないんですよね」
「何でそこ再確認すんだよ」
箸を片手に突っ込んでみるが、甘田は動じない。
「それなら尊敬できる人がタイプですね」
甘田が出した答えに、すかさず筒美が食いつく。
「尊敬って、具体的にはどういう面で尊敬できる人?」
「どんなでもいいですけど……相手を尊敬できるって恋愛において重要じゃないですか?」
「確かにね」
尊敬できる人、か。それなら俺は甘田の好みのタイプにはあてはまらないな。
少し残念な気持ちになってから、いやいやと頭を振った。俺が甘田の好みのタイプを気にしてどうするんだ。
会話から離れたくて席を立った。空のグラスを片手にドリンクサーバーへと向かうと、後ろから甘田がくっついてくる。犬か。
「何、飲みます?」
「コーラ」
「好きですもんね」
「何で知ってんの?」
「たまに練習終わりに飲んでるじゃないですか」
「あー……うん。確かに」
ドリンクサーバーにグラスを置き、コーラのボタンを押す。
「渋澤先輩の好みは?」
「ん、コーラの話?」
「人間の話です。どんな人が好みのタイプ?」
前置きのない質問だったのでボタンを押す指先が揺れた。
「……どうだろ。あんま考えたことない」
「年上とか年下とか、同い年がいいとか」
「話題がずれない範囲ならこだわらない、かな」
俺の答えはお気に召したのだろうか、そうでもなかったのだろうか。甘田はもう一つのドリンクサーバーにグラスを置き、ほんの数口分だけアイスティーを注いだ。席へと戻る途中で、思い出したように口を開く。
「俺は年上一択ですけどね」
「へぇ」
「誰のことかわかります?」
「……へ?」
甘田は笑っていなかった。今まで見たことのない真面目な顔をして俺のことを見つめていた。息が止まる。
返す言葉を見つけるよりも早く、甘田はくるりと向きを変え席へと戻って行ってしまった。俺はドリンクサーバーの前で立ち尽くした。
甘田の行動はいつだって不可解だ。俺が口をつけたものをやたらと欲しがって、口を開けば好きだのなんだの。みんなの前で言われるだけなら冗談だろうと割り切れるのに、わざわざ二人きりになってまで伝えてくるのは何なんだ。
本気? いやまさか、そんなはずない。だって俺は甘田に好かれる理由がない。一目惚れされるような容姿じゃないし、面倒見がいいわけでもない。尊敬されるような記録も持ってない。誇れるものなんて何もないのに。
「あー……」
考えたくなくて意味もなく声をだした。
甘田の好きはただの気まぐれ、あるいはただの女除け。好きな人はいないのかと聞かれたとき、「渋澤先輩が好き」と答えておけば角は立たないだろうから。ついでに笑いもとれるし。
いつの間にか満杯になってしまったグラスに口をつけた。冷えたコーラが喉に染みる。どんなつらい練習の後でもコーラを飲めば気分が晴れるのに、今日はちっともだった。グラスの底から次々と湧いてくる気泡みたいに、不可解な感情が消えることはない。
――甘田は気まぐれや女除けのために誰かを利用するような奴じゃない。そんなことはよくわかっていた。
それが陸上部の後輩、甘田瑠衣の口癖だ。
太陽光が燦々と降り注ぐ真夏のグラウンド。鮮やかな運動着姿の部員たちが、肩で息をしながら飲み物を流し込む。
俺はぬるくなったペットボトルに口をつけながら、いつもと同じ素っ気ない態度で答えた。
「やらねーよ、自分の飲め」
「全部、飲んじゃったんですよー。干からびて死んじゃう」
「俺だってそんなに残ってねーんだよ。水でも飲んどけ」
「水だけじゃ熱中症予防にならないって知ってます?」
「知ってるけどやらねー……あっ」
俺の右手からペットボトルがしゅっと抜き取られた。
抗議をする間もなく、甘田はまるで自分の物のようにペットボトルに口をつける。ごくん、と喉仏が上下した。
「ん、美味し!」
ぬるくなった飲み物を一口だけ飲んで、甘田は満足そうだ。俺は手を伸ばして甘田からペットボトルを奪い返した。
「返せよ!」
「はい、返します。ご馳走さまでした!」
にっこりと笑う甘田は土臭いグラウンドに不釣り合いな爽やかさ。長めの栗毛は猫のように柔らかで、日に焼けた肌にはニキビはおろかホクロ一つない。
人なつこい猫を思わせる2つの瞳が、やけに近いところから俺を見ていた。
……相変わらずイケメンだな、何食ったらこうなんの。
俺――渋澤巧は緑栄高等学校の2年生だ。陸上部に所属しており、専門種目は走り高跳び。
長身であるほど有利な種目だが、俺は平均より少し低いくらいだ。顔立ちも地味で、誰かに褒められたことは一度もない。
俺がもう少し目立つ容姿をしていたら、甘田とのやりとりも絵になるんだろうけど、今のままじゃイケメンに飲み物を奪われる残念な奴でしかない。
「甘田ー、飲み物ねぇの? 俺、もう1本持ってきてるけど」
そう声をかけるのは同級生の長谷部優だ。筋肉質のハードラー、甘田ほどではないけどそこそこイケメン。
「大丈夫です! 渋澤先輩のがいいんで!」
「あ、そう?」
いやそこは長谷部から貰っとこうぜ。俺のがいいって何だよ。
俺が心の中で突っ込んでいると、長谷部は小声で尋ねてきた。
「なぁ、何で甘田ってあんなに渋澤に懐いてんの?」
「わかんねー」
「中学は別なんだっけ?」
「うん、別」
甘田は、この春、緑栄高等学校に入学したばかりの一年生。やたら目立つ容姿をしているので、入学早々あちこちで話題になっていた。ちなみに陸上は初心者らしいが運動のセンスはある。不器用な俺とは正反対だ。
「実はどこかで会ってるとか?」
「や、どーだろ……甘田が陸上やってたんなら会ってる可能性もあるけど……」
「じゃあ一目惚れか。ひゅー」
「ヤメロ」
俺は長谷部の胸を小突いた。そういう冗談は好きじゃない。誰かが聞いていて変な噂が流れでもしたら、甘田に申し訳なくて仕方ない。
「あんなの、ただの気まぐれに決まってるだろ」
長谷部はつまらなさそうな顔をした。
「ま、そーだろーけどさ。俺もあるわ、大人しめのクラスメイトにやたら絡みたくなる時期」
「……やられる方はつらいだけだぞ、それ」
ひそひそ声で会話をしていると、ふと横顔に視線を感じた。首を捻ってみると、甘田が少し離れたところから俺と長谷部を凝視していた。怖い、瞬きしろ。
「レスト、残り1分!」
マネージャーの筒美あかねが、ストップウォッチを見ながら大きな声を出した。
季節は夏。1年のうちで最も大きな大会である高体連は終わってしまったが、秋には新人戦が控えている。陸上協会が主催する記録会も予定されている。
練習といえども手を抜くことはできないわけで、重たい足を引きずりながらスタート地点へと向かった。
「あー、きっつ」
誰かの独り言を耳にしながら、俺はまた甘田の方を見た。また、目が合った。こうして目が合うことは珍しくない。俺が誰かと話しているとき、一人でストレッチをしているとき、ふとしたときに甘田の視線を感じる。
「わけわかんねぇんだよ、もー……」
理由がわからずに向けられる好意は落ち着かない。嫌なら振り払えばいいと思うのだが、嫌とは言い切れないところが厄介だった。
◇◇◇
「渋澤先輩、一口ちょーだい!」
「やらねーよ」
「一口だけでいいから……えいっ」
「あ……こら、甘田ぁ!」
今日もそんなやり取りをして1日の練習が終わった。
夏休みも近づいてきた土曜日の正午どき。俺が練習で使ったスパイクシューズを靴袋にしまっていると、長谷部が話しかけてきた。
「渋澤。このあと飯、どう?」
「いーよ」
「キングバーグ行こうぜ。誘いたい奴、いる?」
「んー……」
帰り支度をする部員たちを眺めていると、横顔にビシバシと視線を感じた。甘田だ。……誘ってほしいのか?
「甘田、このあと」
「行きます!」
「早い早い、まだ途中までしか言ってない」
俺と甘田、長谷部を含め、8人のメンバーが集まった。
自転車に乗って駅前まで移動する。そこにあるハンバーグ&ステーキのチェーン店が陸上部の御用達。練習後にがっつり肉を食べることができるし、学生割引のドリンクバーがあるのが嬉しい。
俺がボックス席の奥側に座ると、光の速さで甘田が隣に滑り込んできた。
「渋澤先輩! お隣、失礼します!」
「素早いなお前」
「そりゃ渋澤先輩のお隣は譲れないですよ」
「そうかよ」
素っ気ない返事を返しながらも悪い気はしなかった。毎日のように飲み物を奪っていく失礼な奴とはいえ、可愛い後輩であることに違いはない。
「渋澤、ここいい?」
甘田に続いてテーブルにやってきたのは、マネージャーの筒美だった。俺が返事をするよりも早く席に着き、マネージャー仲間である1年生の秋保凜々に呼びかける。
「凜々、こっち。一緒に座ろう」
「あ、はい……!」
秋保がとてとてと小動物のように走り寄ってくる。色白で可愛らしい顔立ちをした秋保は部内の妹的な存在だ。
「渋澤先輩、何食べます?」
俺が何気なく秋保の挙動を目で追っていると、横から甘田が話しかけてきた。俺の視界を遮るように、顔の前にメニュー表を広げてくる。近い近い、近すぎて逆に見えない。
「えーと……普通にランチセット。チーズハンバーグで」
「じゃあ俺もランチセットにします。デミグラスハンバーグ」
15分も経つと、テーブルには4人分の料理が運ばれてきた。ほかほかと湯気を立ちのぼらせるハンバーグは美味そうだ。口に入れるとじゅわっと肉汁が溢れ出してくる。
「はー……うま」
俺がハンバーグを噛み締めていると、横から甘田がにゅっと顔を出してきた。
「渋澤先輩のチーズハンバーグ、美味しそうですね。一口ちょーだい?」
「やらねーよ。自分のを食え」
「一口ずつ交換しましょうよ。デミグラスソースも美味しいですよ、ほら」
甘田はフォークに刺したハンバーグを俺の口元に押しつけてきた。デミグラスソースがたっぷりと絡められたハンバーグは確かに美味そうだが、これを食べると甘田の「あーん」を受け入れたことになる。冗談じゃない。
「いらねーっつぅの。ちょ、ソースが垂れるから止めろ……むぐっ」
強引に口の中にハンバーグを突っ込まれた。
「……美味しいでしょ?」
「美味いけどさ……」
美味けりゃいいという話じゃねぇ。溜息を吐きながらも、一口分のチーズハンバーグを甘田の皿にのせてやる。交換しよう、と言われたのだからこれで文句はないはずだ。
「ねぇ、あたしにも一口ちょうだいよ」
シンプルなハンバーグをつついていた筒美が、俺のチーズハンバーグを見ながら言った。
「……別にいいけど」
「じゃあ交換ね。食べきれないからちょっと多めにあげるよ」
「さんきゅ」
ナイフでチーズハンバーグを一口分に切り分ける。その途中で甘田に手首を掴まれた。何だよ。
「食べ物のやりとりするのは良くないと思いますよ。風邪とかうつるでしょ」
「風邪の時期じゃねぇだろ。つーかお前がそれ言うの?」
「俺はいいんですよ。でも他の人はダメ」
「わけわかんねぇよ」
甘田の言い分には耳を貸さず、切り分けたチーズハンバーグを筒美の皿の端っこにのせた。ああっ、と悲痛な叫び声が聞こえる。甘田が大切な宝物をなくしたときのような顔でチーズハンバーグの欠片を見つめていた。お前にとって俺のチーズハンバーグは何なんだよ。もうやらねぇぞ。
俺と甘田のやりとりを眺めていた秋保が、おずおずと切り出した。
「甘田くんって、渋澤先輩と仲良しだよね……」
「うん、大好きだから」
いや、誤解を生む言い方すんな。
放っておくと面倒なことになりそうだったので、俺は慌てて訂正した。
「甘田の『好き』は犬が飼い主に懐くのと同じだから。変な意味じゃないから」
「そ、そっか。そうですよね……」
それで納得するのもどうかと思う。
「甘田って、付き合ってる人とかいるの?」
そう質問するのは筒美だった。
「いないですよ」
「じゃあ好きな人は?」
「渋澤先輩ですね!」
おい、と俺は強めに突っ込んでしまった。答えにくい質問からに逃げるのに俺を利用しないでほしい。筒美も苦笑いを浮かべている。
「今は、渋澤を除いて答えてほしいかなぁ」
「うーん……それなら特にいないですね」
「じゃあ好みのタイプは?」
筒美はぐいぐい質問する。筒美の隣では、秋保が口元を押さえながらハラハラした表情だ。
……そういえば秋保は甘田が好きなんだっけ。そんな噂を耳にしたことがある。つまり筒美の質問は秋保の恋を応援するためのものだということ。
筒美の思惑に気付いているのか、いないのか、甘田は生真面目に唸った。
「好みのタイプですか……渋澤先輩は除かないといけないんですよね」
「何でそこ再確認すんだよ」
箸を片手に突っ込んでみるが、甘田は動じない。
「それなら尊敬できる人がタイプですね」
甘田が出した答えに、すかさず筒美が食いつく。
「尊敬って、具体的にはどういう面で尊敬できる人?」
「どんなでもいいですけど……相手を尊敬できるって恋愛において重要じゃないですか?」
「確かにね」
尊敬できる人、か。それなら俺は甘田の好みのタイプにはあてはまらないな。
少し残念な気持ちになってから、いやいやと頭を振った。俺が甘田の好みのタイプを気にしてどうするんだ。
会話から離れたくて席を立った。空のグラスを片手にドリンクサーバーへと向かうと、後ろから甘田がくっついてくる。犬か。
「何、飲みます?」
「コーラ」
「好きですもんね」
「何で知ってんの?」
「たまに練習終わりに飲んでるじゃないですか」
「あー……うん。確かに」
ドリンクサーバーにグラスを置き、コーラのボタンを押す。
「渋澤先輩の好みは?」
「ん、コーラの話?」
「人間の話です。どんな人が好みのタイプ?」
前置きのない質問だったのでボタンを押す指先が揺れた。
「……どうだろ。あんま考えたことない」
「年上とか年下とか、同い年がいいとか」
「話題がずれない範囲ならこだわらない、かな」
俺の答えはお気に召したのだろうか、そうでもなかったのだろうか。甘田はもう一つのドリンクサーバーにグラスを置き、ほんの数口分だけアイスティーを注いだ。席へと戻る途中で、思い出したように口を開く。
「俺は年上一択ですけどね」
「へぇ」
「誰のことかわかります?」
「……へ?」
甘田は笑っていなかった。今まで見たことのない真面目な顔をして俺のことを見つめていた。息が止まる。
返す言葉を見つけるよりも早く、甘田はくるりと向きを変え席へと戻って行ってしまった。俺はドリンクサーバーの前で立ち尽くした。
甘田の行動はいつだって不可解だ。俺が口をつけたものをやたらと欲しがって、口を開けば好きだのなんだの。みんなの前で言われるだけなら冗談だろうと割り切れるのに、わざわざ二人きりになってまで伝えてくるのは何なんだ。
本気? いやまさか、そんなはずない。だって俺は甘田に好かれる理由がない。一目惚れされるような容姿じゃないし、面倒見がいいわけでもない。尊敬されるような記録も持ってない。誇れるものなんて何もないのに。
「あー……」
考えたくなくて意味もなく声をだした。
甘田の好きはただの気まぐれ、あるいはただの女除け。好きな人はいないのかと聞かれたとき、「渋澤先輩が好き」と答えておけば角は立たないだろうから。ついでに笑いもとれるし。
いつの間にか満杯になってしまったグラスに口をつけた。冷えたコーラが喉に染みる。どんなつらい練習の後でもコーラを飲めば気分が晴れるのに、今日はちっともだった。グラスの底から次々と湧いてくる気泡みたいに、不可解な感情が消えることはない。
――甘田は気まぐれや女除けのために誰かを利用するような奴じゃない。そんなことはよくわかっていた。



