僕らが最強だったあの頃

──推しの熱愛についてどう思いますか。

テレビの中で、街頭インタビューが流れている。

・A子さん
「私は絶対に許せないです。だってアイドルっていう職業を自分で選んだんだから、せめて隠し通すべきであると思います。ファンがいてこそのアイドルなんだから、私たちを失望させないで欲しいですね」

・B子さん
「私は推しは推し、と思うタイプなので、特別怒ったりとかはないです。推しだって一人の人間なので恋はすると思いますし、自分が推してるくらいなのでそれなりにモテる人間であって欲しいです。けどまあ、ショックは受けますね。アイドルに本気じゃなかったんだなって」

・Cくん
「僕は肯定派です。別に僕が付き合えるわけじゃないですし……。そりゃ1度くらいはありますよ、付き合えたらな〜とか考えたこと。でも、推しとの恋愛とか夢のまた夢ですよ。本気になんてしたら僕の人生が狂います。恋愛して、より良いパフォーマンスに繋がってるなら、それでいいと思いますけどね」

コンロの火を止める。
気が付けば、手元のことなんてどうでもよくなって、テレビに意識が持っていかれていた。

どの意見も分かるなと思ってしまう。全部、間違っていない。
そして同時に、どれも残酷だなと思う。
ハルキに執着してしまったあの子の話を思い出す。全部を理解出来るわけではない。けれど誰かを推す側の人間として、“好き”が少し形を歪ませてしまう感覚は、分かる気がした。

好きな人に好きな人がいる。たったそれだけの事なのに、どうしても耐えられない。身近な生活でもそうであるように、自分が見つめていた好きな人に別の誰かを想う一面があるなんて、ショックで仕方ない。

芸能人とファン。決して交わらないはずの距離なのに、勝手に期待して勝手に傷つく。
同じような背景の写真に過剰に反応したり、たまたま被った私物に「匂わせだ」と騒ぐ。その文化がどんどんエスカレートするから、アイドル側はパフォーマンス中でも異性に接触する事を異常に避けたり、異性グループのパフォーマンスを地蔵のように1ミリも動かず見届けたりする。
それもこれも過剰なファンのせいでもあり、でも逆に、プロ意識のないアイドルのせいで過剰なファンも生まれる。これは切っても切り離せられない、非常にシビアな問題だ。

「……バカみたい」

誰に向けた言葉なのか、自分でも分からない。
ふと、ソラの顔が浮かぶ。
あの距離も、あの時間も、ただの“推し”なんて言葉で片付けられるものじゃない。当時、熱愛が出ていたのがハルキじゃなくてソラだったら。私は、あの子と同じことを思っていただろうか。

夜22時。電話が鳴った。

「もしもし」
「菜奈、いつものコンビニ来てよ」

美香からのいつもの連絡だった。私たち二人の家を結んでちょうど真ん中に位置するコンビニ。すぐ隣に公園があって、いつもそこでラーメンを食べたり、コーヒーを飲んだりする。

「そう、今そんな感じなんだね」

私が話す考えに、美香はカップラーメンを啜りながら相槌をした。私はアイスクリームを口に運ぶ。

「結局さ、また歌って踊って欲しいって、私らのエゴでしかないよね。彼らは彼らの人生があるわけだし」

「そうなんだよね。最近、彼らに会ってみて思った。私が目指してる未来は、彼らが目指したい未来じゃない。それは何も誰も幸せになれない。私は、みんなに、仮面を被って欲しい訳じゃないもん」
「うん、そうよね……。でも菜奈はさ、なんでそんなに頑張れるの?」
「え?そりゃ……ルミナスが好きだから……?」
「うん、ピアノもルミナスのことも、好きだから全力で、好きだから行動できるんだもんね。本当に、そういう所尊敬してるよ」
「……でも、好きだからって理由で、彼らを求めるのは、違うのかもしれないと思い始めたよ」
「そうだね。彼らが歌って踊るアイドルを、心から好きだと思ってくれてたら、話は別だけどね。ほら、解散した過去が、好きを縛ってるのかもしれないじゃない?」

美香の言葉にハッとする。確かに、私の原動力が彼らを好きな気持ちなのなら、彼らもアイドルを好きで、歌って踊るのが好きならば、過去の出来事や悩みが、その想いを縛っているのかもしれない。
トウマ、カイト、ハルキに会ってきて、それぞれが解散に賛成する理由があると言うことが分かった。ただ一つの、ソラの出来事が引き金になっただけで、一人一人が問題や悩みを抱えていた。その再集結を拒む理由をどうにかしなければ、根本的解決にはならない。そこを無視して突き進んでも、それこそ私のエゴを押し付ける形になる。

じゃあその、“好きを縛っている過去”に手を差し伸べて、もう一度自分達で“好き”を選べるようにすることが、私がしなければいけないことで、今の私にしか出来ないことなんじゃ……。

「……美香、私やらなきゃ」

自分の気持ちを口にすると、胸の奥が少しだけ軽くなった気がした。でも同時に、どうしようもない不安も襲ってくる。
本当に、踏み込んでいいのか。
みんなが私に言おうとしない、解散の引き金になったソラの過去に、触れてしまっていいのだろうか。

「……菜奈?」

美香は心配そうに私の顔を覗き込んできた。

「大丈夫。自分の好きも、みんなの好きも、私が守りたい」

ポケットの中のスマホを取り出す。画面を開いて、少しだけ迷ってしまう。
──それでも。
私は、通話ボタンを押した。数コール流れる時間が、心臓の音を強くさせる。

「……もしもし」

聞き慣れた声が、耳に届く。イヤフォン越しに聴いていた声とは違う、少し低くて、静かな声だった。



インターホンを押す指が、どうしても震えてしまう。この家に来るのは3度目なのに、慣れる気が全くしない。ドアの向こうにソラが居ると思うだけで、胸は高鳴るのに、今は同時に少し怖くもあって。

少し息を吸って、力を入れてボタンを押した。
ピンポーンと間の抜けた音が、やけに大きく聞こえる。鍵を開ける音と共に扉が空いた。

「今日は何の人って嘘つくの?」

前にガス会社の点検だと嘘をついたことを思い出し、一気に緊張が緩む。

「今日はちゃんと、マネジメント担当として来ましたよ」
「ああそう、じゃあ、どうぞ」

ソラは前回来た時とは裏腹に、すんなり中に入れてくれた。昨日、画面越しに聞いた声よりもずっと近くて、ずっと優しくも聞こえる。足を踏み入れた瞬間、逃げ場が無くなった気がして、少しだけ息が詰まった。

作業室を通り過ぎてリビングに行く。やはり扉は開いているのに、どこか冷たく、使われているようには見えない。

「何してんの、」

ソラは私の目線の先にある作業室の扉を閉めた。

「あ……いや」
「ほら、話あんだろこっち」

2人でリビングのソファーに腰を下ろした。

「えーっと……」

ソラを目の前にすると、言葉が、気持ちが、出てこなくなる。全てがどうでもよくなると言った方が近いかもしれない。全身が、彼を好きだと、恋しいと言っている。そこに存在を感じるだけで、泣けてくる。

「メンバーに会いに行ったんだって?」

ソラは私がしてきた行動をどうやら知っているような口ぶりで言う。

「はい、会いました。聞いたんですね」
「あいつらから連絡が来たんだよ。みんな同じこと言ってくんの。『馬鹿みたいにルミナスのことが好きな、変わったやつだった』ってさ」
「……ば、ばかって……私はただ純粋に気持ちを伝えただけで」
「ああ、分かってる。みんな悪い気はしてない。滅多に連絡なんてしてこなかった癖に、あんたに会っただけでこうも連絡が来るんだ。気持ちは届いてると思う」

いちばん届いて欲しいのは貴方なんです。と、私は言えない言葉を目をつぶり飲み込んだ。
ソラの顔が緩む。……なんか、嬉しそう。
前回来た時は、あんなにも私を、そしてルミナスの名前やメンバーをも嫌っていたのに。表情も暗くて冷たかったのに、今じゃ微笑んでいる。ルミナスのメンバーと連絡が取れたことが嬉しかったのだと伝わってきた。

やはり、解散の過去が、好きを縛っている。そして彼らを引き離していて、ソラの心を孤立させていた。名前すら聞きたくないなんて、そんなの嘘だ。

「約束しよう。僕らの人生を悔いなく駆け抜けると。約束しよう。僕らは僕らの人生を大切にすると」

私が口にした言葉に、ソラは動き止めた。

「友達になろう。君の手を僕は離さない。友達になろう。苦しくても止まらず共に進もう……ソラが書いた歌詞だよ。覚えてる?」

ソラはひとつため息をついた。

「覚えてるに決まってるだろ。自分の曲は忘れない」
「ソラはいつも誰かに向けて曲を書いてたよね。私達ファンに向けて。孤独と戦う世界の誰かに向けて。お母さんを亡くしたトウマに向けて。それと、自分と一緒に夢に向かって歩んでるメンバーに向けて」
「……あぁ」
「どうして、メンバーの、いや友達の手を離すことになってしまったの……?」
「……俺からは言わないって言っただろ」
「みんなに会ってきて、解散理由がひとつじゃないことが分かったの。それぞれがなにか抱えてる。それと、解散の引き金になったのがソラの出来事だってことも分かった。でもみんなね、ソラの名前を出すと顔色が変わったんだ。安心したような、嬉しそうな、そんな表情だった」
「……」
「みんな、それぞれ過去や悩みを抱えてるけど、でもルミナスのことが好きな気持ちは変わってないんだって思った。過去が、好きを縛ってるの。だから私は、みんながその好きを選べるようにしたい」
「……」
「もう一度、ルミナスの事を選べるようにしたいの。だから……ソラの過去を、教えてほしい。私じゃ頼りないのも分かる。けどもう、好きな気持ちに蓋をしないで」

握る拳に力が入る。

「……軽々しく言うなよ」

ソラの声は低く静かなのに、震えている。

「……好きだけで続けてたら、壊れるものもあるんだよ」
「それは、そうだけど、でも私は……」
「あんた前に、俺の音楽に救われたって言ってくれたよな」
「うん」
「覚えてるよ。月本菜奈。その名前とあの頃のこと」
「……!みんな凄い、私なんかを覚えてるなんて」
「忘れないよ、あんたが俺の音楽の分岐点だから」

ソラはあの頃を思い出しているのか、少し微笑んだ。でもまたすぐに、俯いてしまう。

「……俺はもう、誰かを救う音楽なんて、作れる人間じゃないんだ。俺は、あいつを救えなかった──」

しまった、というように、ソラが息を止める。

「いや、違う。今のは……」

声が震えている。泣いている子供のように聞こえた。

「……ソラ?」
「……もういい。俺の過去とルミナスがどうして解散したのかも、全部、あんたに教えてやる……全部聞いた上で、あんたがどうするのか興味が出てきた」
「……っ」

逃げられない冷たい檻の中にいる気分。
目の前のソラから何を語られようとも、私はもう逃げられない。救ってくれた人を、今度こそ救う時が来た。
ソラの瞳をじっと見つめると、吸い込まれそうな感覚になった。同時に、助けて欲しいと言われているようにも思えた──。



冴島空(ソラ)26歳

幼い頃に両親を交通事故で亡くして、弟と二人で親戚の家の養子になった。叔母さん達は本当によくしてくれたと思う。けれど、ある夜に聞いてしまった。

 「うちもそんなに裕福じゃないし、自分の子供を優先したいと思うのは普通のことでしょう?星矢くんは何かと病気がちだから医療費だって嵩むし……こんなの、姉さんたちが残したお金があっても一生は足らないわよ。いくら姉さんの子供でも、私達に彼ら人生まで背負う義務ってあるのかしら」

叔母さん達は住む場所や食を提供してくれているだけで、家族ではない。あの日、それを痛いほど思い知った。
それからは自分でお金を稼ごうと決めたけれど、当時中学生だった俺を雇ってくれるお店なんてどこにもない。
その時ふと目に入ったのが、父さんのギターだった。若い頃の父さんは音楽をやっていて、俺たち兄弟にとって父さんのギターを聞いていた時間は大切な思い出として残っている。
叔母さん達の家に来た時に、そのギターを売ったらどうかと言われたことがあったけれど、俺は父さんの肩身としてそれはやめてほしいとお願いをした。

「曲を作って、売ればいいじゃん」

そんな風に簡単に閃いたのは、俺が幼かった証拠だと思う。曲を作ってはSNSに投稿をすると言う作業を半年続け、運良く事務所の人から声が掛かった。川上さんは俺の音楽を絶賛し、ルミナスの最初のメンバーに指名した。

その事を1番喜んでくれたのは、 幼い頃から家が隣だった5歳年上の、酒井優香だった。俺がピアノを弾けるのは、幼い頃から彼女に教えてもらっていたからだ。ギターとピアノ。2人で色んな曲を演奏し、真ん中で弟が歌う。3人で過ごした日々は、今でもたまに夢に見るくらい幸せな時間だった。

デビューをしてから多忙を重ね、優香とは会わない日々が続いた。連絡はとっていても、俺の仕事に気を使っているのか1日に1、2回ほどしか返信が来ない。 幼馴染なんてそんなものかと思いながらも、少し寂しさも感じていた。

ルミナスが活動休止を発表する2ヶ月前。
ツアーの合間をぬって、優香の自宅を訪れた。久しぶりにご飯を食べようと、優香が誘ってくれたからだ。メンバーにはよく、付き合っているのではないかと茶化されるけれど、俺たちの関係はそんなものではない。優香には婚約者もいるし、本当に綺麗な、真っさらな幼馴染の関係だった。俺はそれが心地よくて、そして心強くて。けれどこの時、優香が何を抱えているか、知ろうともしない馬鹿でもあった。

「なんだよ、言いたいことあるなら言えよ」

せっかく久しぶりに会ってご飯を食べているのに、優香の様子が変だった。何かと俺の話に突っかかってくるし、常にイライラしているようで、こっちまで落ち着かない。

「……別に。すっかり世界的アイドルになってる幼馴染を誇りに思うわよ。……ほんといいよね、キラキラしてて」
「何その言い方。こっちの世界だって、色々きついよ?」
「でもいいじゃん。何してもチヤホヤされて、必要とされて。ソラの作った曲、私の職場でもよく流れてるし、ルミナス好きって人周りに沢山いるもん」
「……優香、なんかあった?」
「ん?別に。仕事辛いなってだけ。でも分かってる。社会人なら誰だってそうだって分かってる」
「大丈夫だよ、優香は出来る人だから!今は辛くてもそのうち慣れるって」

新社会人として働き出した優香に対して、俺は在り来りな励ましの言葉をぶつけてしまった。彼女が何を考えて、彼女の身に何が起きているかも、知ろうともしずに。

「……私が、明かりの付いていない家に帰ってきて、一人で泣いてることソラは知らないでしょ!なのにどうしてそんなに簡単に、大丈夫って言うの?!私の事全て分かってるように言わないでよ?!」

優香は俺に対して、急に癇癪を起こし怒り出した。

「な、なんだよ。そんなに怒るなよ。誰だって初めは辛いし慣れないものだって言っただけだろ。優香だって、俺がデビュー当時泣きまくってたのとか知らないだろ?そういうもんなんだよ、みんなそうやって隠すところ隠して、それでも笑って普通に生活しようとしてるんだよ」

俺の言葉に、優香は俯く。

「……そんなの、分かってるんだよ。……ごめん、ストレスぶつけちゃった。空は何も悪くないのに。ごめんね」
「ううん。俺もごめん。……なんかあったら、ちゃんと言って欲しい。力になりたいから」
「うん、ありがとう」

ふと、棚に並べられたルミナスのアルバム達が目に入った。優香にはいつも、プレゼントするからと言っているのに、「こういうのは自分で買うからいいのよ!私も売上に貢献したいしね!」と言って、グッズひとつ無償では受け取らない。

「元気ない時、俺たちの曲聴いてみて」
「……聴いてるよ、元気もらってる」
「ほんと?!良かった」

優香は、ご飯から目線を外さなかった。元気を貰ってる人には到底みえない。
俺はこの時、あの天才ピアニストのことを思い出していた。ファンレターの中に、「月本菜奈」と書かれた名前が入っていた時の感情は今でも覚えている。そこには感謝の言葉が綴られていて、リハビリを頑張って俺たちに会いに来ると書かれていた。そうやって、俺の音楽が、誰かの人生を救い、そして夢を与えた事は、それが初めてで。
元気がない優香にも、そうなって欲しいと思った。そんな独りよがりな自己満足と、デビューしてからの順風満帆な生活により、自分の音楽に自信があったから、新曲を優香に向けて創った。新しい生活に慣れず頑張っている人に向けての応援ソング。
優香に早く聴かせたくて、配信より先にデータを送った。すると、既読はついたのに返信が来なかった。いつもならすぐに感想が来て、その言葉が俺に自信をくれるのに。

新曲の配信日。今までで1番、制作からレコーディングまでの期間が短かったにも関わらず、世間の反応は過去最高だった。それくらい、今のルミナスが注目されているということでもあり、期待されてるということ。この流れを離さないように、次から次へと新曲をつくることを川上さんから指示された。
配信が開始して12時間が経った午後6時。俺は変わらず作業室に居て、昼なのか夜なのか分からない感覚に陥っていた。ヘッドホンを取り、一息をつこうとした時、メンバーが作業室に入ってきた。

「ソラ、新曲反応めっちゃいいよ!」

アキが、新曲の再生回数を見せる。

「ほんとだ過去最高じゃん」
「いや〜いい曲つくったよね!俺これ1番好きかも!」

アキはソファーでくつろぎながら、嬉しそうにコメントを見始めた。そしてトウマはアイスコーヒーを差し出して、俺の肩を叩く。

「お疲れ。もう今日は帰った方がいいんじゃない?疲れてるでしょ?明日から活動始まるし」
「そうだな〜、ちょうど今キリがついたし帰ろうかな」
「明日から怒涛の1週間だー、俺体力持つか不安だわ」

カイトがあくびをしながらそう言うと、ハルキがカイトの頭を撫でた。

「頑張ろうぜ、遅刻厳禁な」
「そこなんだよー、朝が早いのだけ。毎回不安なんだよな〜」
「分かる分かる。川上さんの鬼電ちょー怖いからなー……って、そう言えば、ソラ。今回優香ちゃんからの感想は?」

ハルキの質問に、少しの居心地の悪さを感じた。聞かれたくなかった、みたいなそんな気持ち。

「あー……それが、返信無くてさ」
「え、珍しいね?いつも1番にくれるのに」
「そうなんだよ、最近あいつ様子おかしくてさ」

俺の言葉を聞いて、カイトが口を開く。

「いつも笑顔で明るい子ほど、なにか抱えてるって言うよね……」
「なに、カイト。なんか知ってるの?」

アキはカイトの言葉に突っかかる。

「いや全然?ほら、優香ちゃんって俺たちに対して平等に接してくれるし、いつも笑顔でちょーいい子じゃん?でも、この前ライブ来てくれた時さ、なんか……上手く笑えてない気がしたんだよね。気のせいかもしれないけど」
「あー、それは俺も少し感じたかも」

ハルキがカイトの言葉に賛同した時、俺は少しの焦りを感じた。ライブに来てくれたのは、俺と優香が二人で食事をする前の話だ。俺は優香の変化になんて、全く気がついていなかった。カイトやハルキでさえ、感じていた変化を、幼馴染の俺が感じなかっただって……?

「……帰る。んで、優香の家寄ってみるよ」
「おう、風邪とか引いてるのかもしれないし、なんか差し入れ買ってったれよ〜」
「……おう」

作業室にメンバーを置いて、俺は一足先に帰宅することにした。この時の俺は、平然を装っていたけれど、内心はとても取り乱していた。最近の優香の姿や言葉が頭に浮かんで、嫌なところまで考えてしまう。彼女が出していたSOSを、自分も苦労したからと言って見逃していたとしたら。一人一人、物事の感じ取り方は違う。その事を、俺は既に知っていて、音楽にもしてきたのに──……。


コンビニで、優香の好きないちごチョコのお菓子を買った。昔、これを食べると疲れが吹っ飛ぶと話していたことを思い出したからだ。
優香はいつも明るくて、親がいない俺たち兄弟にも平等に接してくれた。叔母さんの家で居心地が悪い時は、俺たちの腕を引っ張って売店へ行き、年上だからってお菓子を買ってくれたりした。「私の方がお姉ちゃんなんだから、いつでも頼ってよ」ってよく口にしていたし、俺はその優しさに何度も甘えてきた。

インターホンを押しても返答がない。一応、家のパスコードは知っているから、静かに開けて入ってみる。

「優香―?」

部屋の中は真っ暗で、人がいる気配はしない。けれど、優花がいつも仕事で履いているパンプスは玄関に置いてある。
リビングに行くと、水道の蛇口が緩んでいて、少しの水がゆっくりと流れ落ちていた。雨が降り始めたのか、外からの雨音が響き渡る。
俺は蛇口を閉めて、辺りを見渡す。机の上に一枚の紙が置いてあることに気がついた。それはチラシの裏に乱雑に書かれた、優香から俺へのメッセージだった。
肌が一気に冷たくなった。血の気が引いて、脳みその輪郭を感じる。

空へ。
新曲きいたよ。感想伝えられなくてごめん。
ごめん、ごめんなさい。
音楽は、少なくとも私にとっては、
何も助けにならないみたい。
こんなにも素敵な歌なのに、ほんとごめんね。

遠くから近づいてくる救急車の音。突然の雷の光は、以前来た時とは似ても似つかない姿の部屋を照らした。誰かが暴れたのか、はたまた空き巣が入ったのか。全て優香の仕業だと結論づけるには、俺はあまりにも優香の抱えていた悩みを知らなすぎた。


「優香?……優香!!!」

近くで止まった救急車の音に吸い込まれるように部屋を出た俺は、人だかりをかき分けた先の光景に、名前をただ叫ぶことしか出来なかった。
雨に打たれたアスファルトの上で、救急隊員によって運ばれていく。雨の音も、サイレンの音も、野次馬の声も、全てが遠のいて聞こえる。これが、俺の世界から音が消えた瞬間だった。



「ちょっとソラ!デモどころか曲が出来てないってどういう事よ?!」

川上さんがものすごい形相で作業室に入ってきた。あれからアイドルの仕事をそつなくこなして魅せた俺に、周りの人達は「流石だ」と言った。寝たきりで意識のない幼馴染を抱えているのに、新曲の活動を完璧にこなした俺は、プロ意識があるとスタッフから称された。

けれど、俺はあの日を境に、音楽が作れなくなった。何を奏でても、嘘に聞こえる。締切が近づく新曲の、メロディーすら浮かばない。声で歌ってみても、ピアノやギターで弾いてみても、救えなかった優香の顔が浮かぶ。

「明日まで待つから、せめて曲だけは作って。歌詞は誰かに任せるから」
「……川上さん」
「……なに。何言おうとしてるの、やめて」

デビュー前を含めると約6年。一緒に走り続けてきた川上さんは、俺の表情を見ただけで何を言うか分かるみたいだった。

「音楽が……作れない」

喉の奥に詰まった言葉を吐き出せた反動で、涙が止まらない。あの日から溜まっていた涙が、一気に静かに流れる。そんな俺を、川上さんは怒った表情で見つめていた。
それからルミナスは、ツアーの合間を縫って何度も会議を重ねた。

「ソラ以外のプロデューサーに楽曲制作を委任する。それと、ソラにはしばらくの間、活動を休止して、回復を目指してもらおうと思う」

川上さんがそう結論づけると、メンバーは反論した。

「俺たちは、ソラがいないルミナスなんてやりたくない」

トウマが代表して口を開くと、川上さんは酷く怒った。

「じゃあなによ、全員で仲良く休む?!……馬鹿じゃないの。そんなの許されるわけないじゃない」
「でも、ソラの曲じゃないと、歌いたくないんです」
「そんなワガママ……しょうがないじゃない、私だってソラが作る曲に拘ってきたわ。でも……ソラは今作れないの。その穴を埋める方法が他にあるの?無いでしょ?」
「じゃ、じゃあさ、ソラがいない期間、新曲は出さないってのはどう?俺もソラがいないルミナスは嫌だけど、こうなったら飲み込むしかない。でも音楽に関してはソラの曲しか歌いたくない。ほら、間とったらこれが一番いいんじゃない?!」

会議の雰囲気に耐えかねたのか、アキはいつもの明るい声で、代替案を出した。アキ以外のメンバーは、それでもどこか譲れなさそうで、ルミナスの活動休止を強く意見した。
その後行われた社長も加えた会議では、大人の話が沢山飛び交った。お金や契約の話。結論、ルミナスは無期限の活動休止をすることになった。決定打は、俺の回復が最優先だと、メンバーが強く意見したからだ。事務所も、活動休止することで売上は減るが、その後の新曲の注目度を優先した。

発表は早い方がいいと、決まった2日後にメディアに向けて公式発表をした。様々な意見が世間を飛び交う。ほんの数時間前まで笑顔でステージに立っていたからか、余計に色んな噂が流れた。けれどどれも、的を得た意見はなかった。

誰も、俺が音楽を作れなくなったなんて、予想もしない。まさか、俺のせいでルミナスの活動が止まっているなんて、俺自身でさえ信じ難い事実だった。

復帰することを見据えた上での、無期限の活動休止だったのにも関わらず、新曲は一向に作れない。作業室に毎日通い、制作しようと努力しても、抜け殻のように何も浮かばなかった。次第に、川上さんは俺に期待をしなくなった。当たり前だ。こんなくすぶっているタレントより、新しい人材に目を向けた方が売上に繋がる。
活動休止から1ヶ月と半月が経とうとしていた時、メンバーだけで作業室に集まり、話し合いをした。俺のせいで活動休止に追い込んでしまったから、申し訳なさでメンバーの顔が見られなかった。
この時、解散という言葉を1番に口にしたのは、ハルキだった。

「……解散、するのはどうかな」
「……え?」
「いやさ、デビューして以来、こんな長い休み初めてで、色々考えたんだ。無期限ってなってるから、ファンの子はずっと期待してくれてるだろ?反対に侮辱してくる人もいるけど。でも大半の人は、俺達が帰ってくるって信じてくれてる。もちろん、そうなれたらいいんだけど……ソラに無理して欲しくない」
「俺も同意見」
「……カイト」
「久しぶりにアイドルとして生活しなかったからか、気が抜けたというか……解散も、ありだと思う」
「ぼ、僕は……みんなと離れたくない。けど、無期限で活動休止するよりは、キッパリした方がいいのかも。その方が各々次のステップに行けるし。でも、ルミナスを辞めたくはない……」
「アキ……」
「ソラはどうしたい?……俺は、ソラの音楽に救われた一人だから。ソラの意見を尊重する」
「トウマ……俺は……」

みんなが俺を見つめる。5年の歴史がいっぱい詰まったこの作業室で、俺は、俺達は、決断をするしかなかった。

「俺は、もう音楽が作れそうにない。ごめん……」
「……」
「……」
「……」
「……ッ」
「……解散しよう」

それぞれが、それぞれの意見を口にして、同時に言えなかった事も飲み込んで、俺達は解散を決めた。
みんなの将来を縛れない。また、誰かを救う音楽が作れるようになるまで、待っていてくれなんて、絶対に言えない。
……そう言える強さも、作れるようになる未来も、この時の俺には何も無くて、何も見えなかった。

誰も居なくなった作業室で、俺は自分の作った音楽を、ただ見つめることしか出来なかった。綺麗に並べられたルミナスのアルバム達。大きく飾られた俺たちのポスター。ここが全てで、俺の人生そのものだったのに、全部俺のせいで手放すことになった───。