僕らが最強だったあの頃


──ピピピ

朝6時30分。いつものようにアラームが鳴った。歯を磨いて寝癖を直す。
ソラに会えた日から、非日常に思えて仕方がなかった毎日が、昨日でやっと、現実なんだと思い知った。
私は、とんでもない企画を遂行しようとしている。ソラだけじゃない。アキも、トウマも、カイトも、みんな私の目の前にいた。

鏡の前で頬をつねってみる。

「夢じゃないんだもんね……」

ちゃんと、現実みたいだ。
食パンを食べながら、昨日トウマに言われた言葉を思い出す。

「君がソラのファンだから」

沢山考えた末、解散理由にソラが関わっていると伝えたかったのだと解釈をした。私が、ソラのファンだから言えないこと。

……もしかして女関係?

アイドルのソラが、女性関係で何かやらかしたとすれば……いやでも熱愛程度のものだったら、ハルキだって出たことがあるし。
もしかして、熱愛程度って言えない何かが?!
例えば……妊娠、とか……いやいやいや、そんなの考えたくもないや。

辿り着かない考えを巡らせていると、スマホの着信音が鳴った。アキからだった。
……やっぱり非日常すぎる。

「もしもし」
「あ、菜奈さん?俺、アキ」
「はい、何かありました?」
「今日ハルキん所一緒に行くって話だったじゃん?俺行けなくなった!」
「えっなんで!!」
「いやー、どうしても外せない用事が出来ちゃってさ」
「困ります!アキが居ないと一人でなんて……無理無理絶対むり!」
「そこをなんとか頑張って!ほら、ハルキの所って日程とかずらせないじゃん?ズラしたら次いつ空いてるか分かんないしさ」
「そう、ですけど……」
「じゃ、とにかく頑張って!ばーい!」
「あっまって!……って切れてるし」

どうしても外せない用事って何よ!
ルミナス再集結より大事なことなんてあるの?!

私はそんなことを思いながらコーヒーを飲み干した。
ふとテレビのCMに目が行く。
『倉田自動車』のCMだった。

……今からここにいくのか。

そう、今ハルキがいるのはこの倉田自動車の本社で、なんとこの倉田自動車という会社が、ハルキの父親の会社なんだとか。
こんな情報、アイドル時代、どこにも出回っていなかった。相当事務所が徹底して守っていたんだと思う。

何故アキが知っていたのかは知らない。昨日の車での帰り道、つい出てしまったあくびみたいにポロッと教えてくれた。

「お待ちしておりました、月島様ですね。ご案内致します」

オフィスビルに着くと、綺麗な秘書の方が私を待っていてくれた。高いハイヒールを履いて、髪の毛にはツヤがあっていい匂いもする。後ろを着いて歩くのが烏滸がましいくらいに、凛としていて居心地が悪い。

案内されたのは、静まり返った会議室だった。
真っ白な空間に、大きな窓ガラス。こんな高層階、今まで来たことがあっただろうか。

私が窓ガラスから下を覗き込んでいると、会議室のドアが開いた音がした。振り返ると、そこにはあの頃と何も変わっていないハルキが立っていた。

「……ハルキだ」
「え……?」
「ああ、すみません!初めまして、サクラエンターテインメントから来ました月本菜奈です」
「倉田春樹です。どうぞかけてください」
「はい、ありがとうございます」

さっきまでさほど緊張なんてしていなかったのに、ハルキの顔を見た瞬間に身体中がじんわりと汗をかいた。
ルミナスの中でも1番と言っていい程のビジュアルの持ち主。恐るべし、ビジュ担。

「あの、アキは……?」
「朝急に来れないと連絡がありまして」
「……ったくあいつ、相変わらず自由だなぁ」

わ、わ、今の顔、あの頃のハルキだ。末っ子のアキを可愛がってた頃のハルキだ。

「話は大体アキから聞いてます」
「はい、それであの今日はこの資料を……」
「いらないです、俺はあの世界に戻る気なんてありません。もし再集結する日が来るとしたら、それはルミナスが4人になった日ですね」
「え……じゃあなんで今日会ってくれたんですか」
「そりゃ、直接俺の意思を伝えたかったってのもあるし……月本菜奈に直接会ってみたかったってのもある」

資料を持つ手がピクリと動いた。

「あなたのことはよく覚えてますよ。あれだけ騒がれてたら、いやでも耳にしましたからね、あなたの名前を何度も」
「……そう、ですか」
「でも顔は雑誌でちらっとしか見てなかったから覚えてなくて。調べても昔の写真ばっかだったから、今のあなたに会ってみたくなったんですよね」
「何故ですか……?」
「そりゃ、有名人、だから?にしても凄い綺麗になったね!母親に似て美人だ」
「……!」

これは、本当にハルキなの?すごく嫌味ったらしく話してくる。私に早く帰って欲しいから?
もうなんなの?

「ハルキが、有名人とか言わないでよ。ルミナスと私なんて、比べ物にもならない」
「それはそうだけどさ、世間のお騒がせ者って括りでは一緒でしょ」
「……ねえ、さっきからなんなの?喧嘩売られてるようにしか思えないんだけど」
「そう思うなら帰れば?俺は元から話なんて聞く気なかったし」

……やっぱり。私に早く帰って欲しいからわざと挑発してきてるんだ。
でも残念。私は知ってるよ。ハルキがどれだけ優しい人かってこと。だってルミナスのファンだもん。

「はぁ……分かった。帰るけど、一つだけ聞きたいの」
「なに?」
「ルミナスが解散した1番の理由が知りたいの」
「……なんで」
「ソラに言われたから。『理由も知らない人の話なんて、全てが軽い』って。それでほかの3人にも聞いたんだけど、私がソラのファンだって知って教えてくれなかった。だからソラに何かあるのだけは分かったの。だから……ってハルキ?」

ふとハルキの顔を見るととても驚いているような、何かを思い出しているような顔をしていた。

「ソラに会ったのかよ……」

その顔はどこか悲しそうで、でも嬉しそうでもあった。

「はい、一番最初に。結構強引に話を聞いてもらいましたよ。呆気なく帰らされましたけど」
「ははっだろうな」
「それで、解散理由は」
「……ソラの家に行ったんだよな」
「はい」
「じゃあもう一度ソラの家に行けば分かるんじゃん?」
「え、どういう意味」
「ソラのファンなんだろ?あのラジオで書いてあったみたいにソラの音楽が好きなんだろ?だったら家行けばわかると思うぜ」
「……まあいいです分かりました」
「はいはい、じゃー帰った帰った」
「あ、」
「まだなんかあんのかよ」

ハルキが芸能界の復帰を拒む理由を、実は私は既に知っていた。ここに来る前に事務所に寄った時、デスクにメモが置いてあって、見てみるとそれは和泉さんからで、知り合いに頼って調べてくれたみたいだった。

「怖いですよね。有名人」
「ん、ああ、君の気持ちはわかるよ。俺もアイドルだったわけだしね」
「いや、私は名前ばかり知られてただけ。でもルミナスはアイドルで、夢と希望を与えるお仕事。ファンは現実と憧れを行き来する。中でもハルキは、熱烈なファンが多かった」
「何が言いたいんだよ」
「ファンだった子が、ストーカーにでもなったら、怖くて仕方がない。そして、とても悲しい」
「……知ってんのかよ」
「はい」
「はぁ……知ってるなら話は早いじゃん。そうだよ、ファンの子がストーカーになった。付き纏われるだけならまだ我慢できたよ。でも、彼女の言葉が頭から離れないんだ。5年経った今でも、鮮明に思い出せるくらいに」

ハルキはまた、何かを思い出している顔をした。恐怖というよりかは、悲しい顔。

「解散理由だけどさ」
「えっはい」
「君は今、ソラに何かあるってだけ思ってるんだろうけど、俺たちはあの頃、それぞれが色々抱えてた。君達ファンには悟られないように、裏で必死になってた。大きな理由はソラかもしれないけど、みんながみんな、解散を了承したってことは、そういう事なんだよ」
「……」

彼らは私たちファンの前ではいつだって笑顔だった。世界を飛び回っていても、疲れた顔ひとつ見せずに、手を振ってくれた。そんな彼らがそれぞれ抱えていたもの。

もしかして、遅かれ早かれ、ルミナスは解散してたってこと……?

てことは、そのそれぞれの悩みを解決しない限り、再集結は難しいんじゃ……私の気持ちが届けばなんて、甘ったるいこと、なんで私はそれしか考えられなかったんだろう。

「ねえ、大丈夫?」
「あっ、すみません、大丈夫です」
「まあ、他の4人が再集結についてどう思ってるかは分かんないけどさ、俺は、もう二度とあんな思いはしたくない」
「……」

何も言い返す言葉が見つからない。大丈夫、私に任せて。なんて、普段の私だったら言えるのに。

「やけに静かになったじゃん、アキから聞く話だと、君の熱量が凄いって聞いてたんだけどな」
「いや……なんかハッとしたと言うか、」
「なにを?」
「私たちファンからしたら、今私がしてることって正義だと思うんです。もう一度ルミナスが見たい、ステージに戻ってきてほしい、あの日常を取り戻したい。そんな思いを叶えたら、すごく正義で、ヒーローで。」
「でも、それって凄くエゴだなって。今やっと気づきました。ルミナスのみんなに仮面かぶってステージに立てって言ってるのと同じだなって。私が望んでるのはそんな事じゃないのに」

何を今更、食らっちゃってるんだろう。ソラに拒絶された時も、まだまだだとやる気に満ちたのに。もしかして私すごく、から回ってる?

「君はさ、こんな無謀なことをするくらい俺たちのことを好きでいてくれたんでしょ」
「えっはい、それはもちろん」
「昨日さ、カイトから夜連絡があった」
「カイトから……」
「変な奴に会ったって」
「私……ですか」
「うん。馬鹿みたいに真っ直ぐで、ルミナスを好きでいてくれて、俺らを求めてくれてる。あの世界に戻るのは確かに怖いけど、待ってる人がいるっていいかもって言ってたよ」

目頭が熱くなる。気を張っていないと、泣いてしまいそうだ。

「なんでそんなこと……ハルキは、戻る気ないのに、なんで慰めてくれるの」
「そりゃ……俺だって今でもファンの子は大切に思ってるからだよ。ストーカーされて、嫌なこといっぱい言われて、怖くて悲しかった。でも彼女が言っていたことは殆ど当たってて、俺が良くなかったことも事実だった」
「……?」
「こんなんでも、一応後悔はしてんだよ。あの頃の俺、どこか真剣にアイドルやれてなかったし。見せかけだけ完璧で、裏では遊んでたしね」
「えっ」
「あはは、知らなかっただろ。事務所に揉み消してもらった記事がいくつあるか……」
「あ、そういえば熱愛でてた……!」
「あれは記事というかSNSで流出したやつだから、どうすることも出来なくてそのままって感じ」
「後悔してるなら、再集結してみたら……」
「後悔してるから、中途半端な気持ちでまた始めるなんて無理。……まああんな思いはしたくないって気持ちと、やり直したいって気持ちが、こう、ごちゃごちゃしてんだよ。さっきはあんなに強く無理って言っちまったけどさ……」
「う、う、ハルキ……」
「はっなんでお前泣くの!」
「だって……全くルミナスには未練ないみたいに……4人でやれば?みたいな感じだったから……ルミナスは5人じゃなきゃダメなのにぃ……」
「あーあーわかったわかった、泣くなって。一旦さ、考える時間ちょうだいよ」
「えっ?!」
「きっと他のメンバーも薄々思ってると思うんだ。あの頃がいちばん楽しかったって。だからさ、俺は俺でやるべきことやって、気持ちの整理が必要なわけよ」
「えっそれは、もちろん!沢山考えて!」

何このどんでん返し。
ハルキが1番反対してくると思ってたのに。ハルキ、やっぱり優しくて突き放したりはできない人なんだ。今は、前向きに考えてくるだけで十分。

「んじゃあ、また連絡する」
「はい……!待ってます」

ハルキは資料を手に取って会議室を出ていった。
良かった。……良かったんだよね?
私の勝手なエゴで進めてるのに、少しだけ前に進んだ気がする。

……このまま進んでいいんだよね?
……ソラ、今何考えてるんだろう。

1人残された会議室で、私はソラの顔を思い出していた。あの冷たい家にいる、ソラの悲しそうな顔が頭に浮かぶ。

私はルミナスが大好き。でも、それだけでは無かったのかもしれない。
ただ好きで再結成して欲しいのではなくて、「都合のいい理想」を押し付けていただけだった。

「もう一度だけでいいから」なんて言葉は、彼らの人生をもう一度縛る言葉だ。

それでも、やっぱり、ルミナスを諦めるなんてこと出来ない。
どうしても、私はみんなに戻ってきて欲しい。あのステージを、もう一度みたい。
今更止まる理由なんて、どこを探しても見つからないはずなのに、この奥に詰まったような気持ちはなんだろう。

私は今、ルミナスのファンの、ヒーローになろうとしてるのかな。
それとも、彼らのヴィランになろうとしてる?

私はただ、あの頃に戻って欲しいだけなのに───。



倉田春樹(ハルキ) 26歳

アイドルになるために生まれてきた人なんて存在しない。俺はそう思っている。
幼い頃からアイドルになることが夢で、私生活にも気を配って、異性と遊ぶのなんて将来どう影響するか分からないから控えている。

なんて人、相当なバカじゃない限り存在しない。

俺は親の買い物に付き合うために行ったショッピングモールのベンチで、時間潰しに携帯を触っていた時に、事務所にスカウトされた。

「あまりにかっこいいから声をかけてしまいました」

こうやって声をかけられるのはいつものことだった。
昔から顔だけは良くて、男からは憧れの目で見られ、女からは無駄にモテる。みんな見た目しか見ない。顔がかっこよくてスタイルが良ければ中身はどうでもいいってか。誰も、俺の中身を見ようとしない。

 どうせ地下アイドルや無名の事務所だと、名刺だけ受け取ってその場を凌ぎ、家に帰った後、姉ちゃんが名刺を発見し事務所に連絡した。最初は何勝手に連絡してんだよと怒ったけれど、姉ちゃんによると超大手の事務所だと言う。名刺にある事務所の名前を検索してみると、テレビで見たことある俳優や女優の写真が出てきた。

 あの時事務所に出向いたのは、別に芸能の世界に興味があったからとかじゃない。ただ、俺がずっと好きだった女優に会えるかも、という単純な理由だった。

「春樹くん、君はアイドルになろう」

社長にそう言われた時は、何を言われているのかさっぱり分からなかった。社長の隣に座っていた俺をスカウトした川上という女性は、音楽に精通したとても偉い人らしい。

そんなこと言われても、俺は音楽なんてさっぱり分からないし、紹介されたところでいい反応もできなかった。
俳優や女優の事務所だって姉ちゃんから聞いてきたのに、話が違う。そう思った。

「俺がアイドルですか、歌もダンスも未経験だし、無理っすよ」

俺が呆れた口調で言うと、川上さんがニコッと笑い、自信に満ち溢れた顔で言った。

「大丈夫よ!練習期間は設けてあるわ。私が作るアイドルグループには、貴方が絶対に必要なの。前向きに考えてくれないかしら」

会うのが2回目の俺に、絶対に必要なんて言うか?こいつも見た目しか見てないんだろ、と呆れた。

「顔ですか。俺をアイドルにしたい理由って。結局、この世界は見た目ばっかりで…」
「いいえ、正直、貴方がこんなに綺麗な顔をしているなんて、今日初めて知ったわよ。だって私が名刺を渡した時、あなたフードを被っていたでしょう?目をつけたのは確かに見た目ね、骨格を見て惹かれた」
「でも貴方の顔は見てなかった。後、名刺を渡したのは、貴方が、赤ちゃん連れのお母さんを助けている姿を目にしたからよ。みんなが見て見ぬふりをしたのに、貴方だけが手を差し伸べた。そう言う人はアイドルに向いているわ」
「なっ……なんだよそれ」
「あれ、照れてるの?」
「は、はあ?そんなわけ」

正直、俺がアイドルになろうと思ったのは、川上さんが俺の中身を見てくれたからだ。他の人とは違うかもしれない。川上さんからはそう感じたから。

「春樹、なんで最近遊んでくれないの?」
  
来る者拒まずだった俺は事務所に入る前は散々遊んでいて、急に付き合いが悪くなったからか、複数の女から良くそんな連絡が来るようになっていた。
その度に、甘い言葉を吐いて、適当に過ごした。当時の俺は、まだアイドルという仕事が分かっていなくて、気分で女と会って、気分じゃなくなったら捨ててを繰り返した。

だから、デビューしてまもない頃、昔遊んだ女からのリーク記事が事務所に送られてくるという事件が起きた。デビューしてすぐに自分でも想像していた以上の人気を得てしまっていたから、社長がその記事をもみ消して、世の中に知られることはなかったけれど、俺は社長と川上さんにしっかりと怒られ、アイドルの恋愛事情について強く叩き込まれた。

そんな事件がありながらも、俺は思ってしまっていたんだ。
別に、人間だから色恋沙汰の一つや二つ、あってもいいだろと。
それに、ガチ恋してるわけじゃないんだし、少しの息抜きくらいさせてくれって。そんな甘い気持ちが、あの事件を起こした。


デビューして2年。超多忙な生活を繰り返し、絶大な人気を誇っていた俺たちは世間からはAIみたいだなんて言われ、時には完璧すぎて怖い、とも言われていた。
確かに俺以外のメンバーもみんな顔がいいし、歌も上手い。ダンスだって完璧にこなす。でもそれは裏での苦労があるからだ。
俺はなんとなくアイドルになってしまったけれど、他のメンバーは違う。二人で過ごすことが多いソラは、弟の治療費や生活費の為に音楽を産んだ。アサヒもトウマもアキも、それぞれ頑張る理由がある。それなのに俺は、特に何も目標がない。

そんな自分に嫌気がさしていた時だった。
 
「大丈夫……ですか」

深夜、気分転換に散歩へ出掛けて、公園で座っていると、ある女の人に声をかけられた。

「これ、飲みますか?」
 
そうやって差し出してきたのは水だった。
 
「え…」
「お酒って飲んでる時楽しいけど、酔うと辛いですよね」 「えっと……俺、酔っ払ってないっす。ただ気分転換に…」
「え!!すみません、私てっきり…」

どうやら、よっぽど苦しそうな顔をしていたらしく、酔っ払いと勘違いをさせてしまったようだった。
 
 「いえ、逆にすみません、心配をかけて」
 「気分がいいならよかったです!あまりに辛そうな顔していたので、勘違いしちゃいました」
 「ああ、まあ酔ってはないですけど、酔いたいくらいには気分が落ちてるっていうか……」
 「じゃあお水じゃなくて、お酒買ってこればよかったですね」
 「はは、そうっすね」

こんな深夜なのに、明るく笑う人だなと思った。こんなことを言ったらクサイけれど、月の光に照らされた彼女の笑顔は、その時の俺にとっては眩しくて、心地よくて、どこか初めて会った気がしなかった。懐かしいような気持ち、そんな感覚だった。

彼女の笑顔をその時初めて見たと思っていた俺は、次に同じように公園で会った時も、特に何も思わず仲良く話した。
彼女は一切俺をアイドルのハルキだって言ってこない。それが心地よかったし、久しぶりに一人の男になれた気がして嬉しかった。

なのに、ふと、彼女のカバンの中に俺のグッズのキーホルダーが見えた。見間違いかと思ったけれど、やはり俺のグッズだった。
その瞬間、裏切られたような感覚に陥り、彼女にキツく当たった。すると、彼女は言った。

 「ハルキだって、私のこと忘れてたじゃない」
 「は?そんな、俺のファンは世界中にいるんだ、ちょっと会ったくらいじゃ覚えてないに決まってんじゃん」
 「ハルキ、私のこと、初めて握手したファンだって言った……」
 「え?」
 「初めての握手会、私の順番は一番だった。ハルキが好きで、会いたくて、頑張った。そう言ったらハルキは、君が初めて握手したファンだよって、覚えてるねって言った」
 「そんな昔のこと…」
 「でも!覚えてるって言った!!ここで初めて会った時、ああ覚えてないんだなって、ショックだった。……知らないふりして近づいて、試すようなことしてごめんなさい。ハルキが苦しそうな顔してて、見て見ぬふり出来なかった。あの時ここで見かけたのは偶然。これは本当」

 何が嘘で、何が本当か、一瞬のうちに分からなくなった。

 「……もう、ここには来ない。あんたとは会わない」

 俺は振り返ることなく、その場を後にした。家でいくら考えても彼女のことは思い出せなかった。初めて握手をした人。覚えていてもいいのかもしれないけれど、俺はすっかり忘れていたし、世界を飛び回っているのに、どうやって覚えていられると言うのか。
「覚えているね」なんて、アイドル染みた言葉をかけたからこうなった。彼女から感じていた懐かしさはこう言うことだった。

なんだ、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、心の拠り所になる人を見つけたと思ったのに。

それからと言うもの、彼女は俺の自宅の前で待ち伏せをするようになった。

 「騙して近づいてごめんなさい」
 「あなたの力になりたかったのは本当よ」
 
何度言われても、一度裏切られた気持ちになった俺は止まらなかった。マネージャーも彼女に注意をし、次に来たら警察に通報すると言ったらしい。大事にはしたくない。けれど、事務所は彼女を要注意人物として調べ上げ、情報はマネージャーたちに共有された。

 彼女の行為に悩まされながら過ごして、半年が経った頃。好きな人ができた。アイドルが恋をするのは御法度。そんな世の中で、俺は一目惚れをしてしまった。

相手は、俺らが出演した音楽番組で司会をしていた女優の「橘怜奈」だった。彼女は超が付くほどの清純派で、私生活は謎に満ちている。そんな彼女を初めて見た時、こんなに美しい人は見たことがないと思った。

 「ハルキ、やめろって。相手、橘怜奈だろ?撮られたらやばいって。あと、俺たちはアイドルだから、この意味わかるよな?」

カイトはいつも俺にそう言ってきていた。その忠告を無視して、想いのまま動いてしまったから、匿名のSNSから動画が流出した。1度だけ、彼女が食事に行ってくれた時の映像だった。別にどうなったとかはない。ただの食事だ。

流出した動画はどんどん広がっていき、ニュースにもなった。俺は活動休止を提案されたが、悪い事をした自覚がなかったから拒否をして、事務所にも「ここで休んだら認めたことになる」と言い放った。

世間は俺を援護する人もいたし、反対にファンを辞めると言っている人もいた。

そして、ニュースが出た一週間後、しばらく姿を現さなくなっていたあの女が、家のエントランス前で待ち伏せをしていた。マネージャーは既に帰宅していて、迷った末、しっかりと自分の口で辞めてくれと話すことにした。

「あのさ、話あるからちょっと来て」

そう話しかけると、彼女は驚いた顔をして、俺の後ろを静かについてきた。
この公園で彼女と話すのはいつぶりだろうか。あの時みたいに、月明かりが彼女の顔を照らしていた。

「あのさ、もう辞めて……」
「これ」

彼女は何かがたくさん入った紙袋を渡してきた。

「もう、今日で最後にするから」
「は?そんなの信じれるわけ……」
「熱愛、みたよ」
「……わざわざそれ言いに来たの」
「今日で最後だから、ハルキに聞いて欲しいことがあるの」

彼女は両手を胸の前でギュッと握りしめて話し始めた。少し下を向いて、申し訳なさそうに。ストーカーのくせに、自信が無さそうに。

「裏切られたなんて思ってないの。私は……っ、私は……人は恋をすると思うし、恋をしてるからこそいい歌が歌えたり、いい表情ができたりするのは理解出来るの。その感情を知ってる人と知らない人では大きな差があるのも分かるの」
「ただね、せめてバレないようにして欲しかったの。せめて隠して欲しかった。ワガママだけど、夢を見させて欲しかった」
「何、説教?俺のこと好きなのは分かるけどさ、」
「だって!!私にとってハルキは、辛くて死にたかった時に、救ってくれたヒーローだから。あの時生きようって思えたから、また笑えた。心が暖かくなる気持ちも、嬉しくて涙が出るのも、人生で初めて味わった」
「……っ」

何か言い返してやりたいのに、何も言葉が出てこない。何言ってんだと思う気持ちの中に、ヒーローという言葉にハッとする自分がいたからだと思う。

「私が見てる世界では、ハルキはヴィランじゃない。ヒーローなんだよ?ヒーローだから……」

彼女はすごく苦しそうに俺の顔を見た。ようやく目が合った気がした。


「世界中にいるファンために、好きな人を犠牲にしてほしかった───」


春の夜はまだ寒い。背筋が凍るような風が、二人の間をすり抜けた。

「そのくらいの覚悟を持ってアイドルしてるって、信じたかった」

彼女は言いたいことだけ行って、走って逃げて行った。きっと視界に巡回している警察官が目に入ったからだと思う。

「……っなんなんだよ」

家に帰ると、言いたいことが言えずに終わってしまったことにむしゃくしゃして、彼女が渡してきた袋をゴミ箱に投げつけた。
どうせ気持ち悪い物や手紙が入ってんだろ。ほんと、ストーカーがすることは理解できない。
その気持ちを洗い流すようにシャワーを浴び、その日は眠った。

次の日のスケジュールはハードで楽屋で大きな溜息をついた。

「ハルキさ、疲れたの?」
「ああ、まあ今日のスケジュールいつもよりハードだったしな〜」
「アイドル、疲れた?」

俺はこの時、唐突に自分の中にある何かを見つける決定的な事を言われたと思った。

「……ん?」
「今のあんたのままだったら、アイドルやらない方がマシね。泣く子が減るわ」
「何言ってんの川上さん」
「外を歩けばチヤホヤされて、微笑んだだけで人幸せにできて、目を合わせただけで他人の人生救えるんだもん。……こんな仕事立派だよ。存在してるだけで人救えるんだよ。誰にでもできることじゃない。」
「えっ何、俺疲れてるんだけど」
「だからって、自由に生きていいなんて、まさかそんなつまんないこと考えてないよね?」
「……何が言いたいんだよ」
「ハルキ、あんたは真実よりも嘘をつくのよ」
「は?」
「誰にでもできる仕事じゃない分、簡単に辞められない分、嘘をついてとことん夢を見させてみなさいよ。彼女たちの世界では、あんたはヒーローなんだから。あんたにとっての真実なんてどーでもいいの。……この仕事に疲れて飽きて、逃げ出したいんじゃなければ、真実よりも嘘をつけ。突き通せ」

……またヒーローって。昨日のあいつと同じこと言いやがって。

「俺に、AIかなんかになれって言ってんの?俺だって人間なんだよ!心がある。好きな人だってできるし、反対に嫌いな人もいる。それに蓋をして、無かったことにして、甘い言葉だけ吐いて、外では笑ってろって?俺もただの人間なんだよ……!」

川上さんに声を荒らげたのはこの時が最初で最後だと思う。前日にあの女に言われっぱなしでむしゃくしゃしていたのが、消化しきれていなかったせいだ。

「……そう思うなら辞めれば?世界にはアイドルなんて山ほど居るわけだし、他の人に心の拠り所見つけるなんて、意外と簡単なことよ?…あんたは、本当のアイドルを知らない。知ろうとしてない」
「……っ」

実際、ほかのメンバーよりもアイドルに真剣じゃないのなんて自分でもよく分かっていた。だから言い返せなかった。


昨日から本当についていない。嫌なこと続きで、痛いところ突かれて、それでもファンの前では笑う。3日くらい休みもらって海外にでも行きたい気分だ。そんな俺をさらに陥れる事件がこの三日後に起こった。

最後だと言っていたのに、またあの女がエントランスで待ち伏せをしていた。警備員に声をかけ、対応してもらおうとした瞬間、彼女はナイフと取り出し、警備員に切りかかった。

「ハルキ!いるんでしょ出てきてよ!」

急いでマネージャーに連絡をし、幸い近くにいたからすぐ駆けつけてくれた。
警察に連絡し、彼女は逮捕された。物陰から見ていた俺にも聞こえる声で彼女はずっとこう叫んでいた。

「ハルキ!!なんで私を選んでくれないの!!なんでヒーローになってくれないの!!」

その後、警察から連絡が来て、彼女の供述を聞いた。

──ハルキに好きな人がいるって知って、死のうと思った。でも、私のいない世界でハルキがまた恋愛するのが耐えられなかった。一緒に死のうと思った。

あの女、何やってんだよほんと。
俺1人の行動で自分の人生全て終わったみたいに……。死のうとするなんて馬鹿すぎる。
ふと、あの女に渡された紙袋が目に入った。
そういえば、あの袋妙に重たかった。……何が入ってるんだろう。

ベッドの上で中身をひっくり返してみる。すると、俺が出た雑誌の切り抜き。ライブのチケット。俺のサインが書かれているトレカ。包み紙が大量に入った瓶。そして、小さなUSBが入っていた。妙に重たかったのは、この瓶のせいだ。中身を全部出してひとつ開けてみる。

「……なんだこれ」

包み紙の中には500円玉が入っていて、紙には『ハルキと初めて握手した日』と書かれていた。もしかしてこれって……
その他もいくつか開けてみると、『初めてライブに行った日』『ハルキが1人でバラエティ番組に出た日』『インスタライブをしてくれた日』などが書いてあって、中にはお金が入っていた。

こんなにも、俺の事を……──。

USBもPCにさして開くと、中には、デビューしてからの日記が綴られていた。

『今日は待ちに待ったルミナスのデビュー日!事務所から発表された時は驚いたけど、パフォーマンスやトーク、ビジュアルもこんなにいいグループは他にいない!私は、チャラくて勘違いされがちだけど、メンバーのことを気にかけれる心優しいハルキが大好き!ずっと応援していきたいと思うし、共に成長もしていきたい!私もルミナスに負けないくらい看護の勉強がんばるぞ!!ハルキに恥じない自分になりたい!』

ほんの数時間前に刃物を持って、俺の名前を叫んでいた人の日記とは思えない内容だった。俺に執着をして、付き纏っていた人とはまるで別人だ。


……違う。
俺が、別人にしてしまったのか───。


初めはこんなに純粋に応援をしてくれていたんだ。俺だってもう覚えていないような雑誌のインタビューの切り抜きまで丁寧に残して、ライブチケットもこんなにも……。
サインが書いてあるトレカも、何度も個人のイベントに来てくれていた証拠だ。
こんなにも、きっと至近距離で何回も会っていたはずなのに、どうして俺は覚えていなかったんだろう。

そういえば、悲しかったって言ってたな。そりゃ、悲しいよな。こんなに純粋に逢いに来てくれていたのに、やっぱり覚えてないんだって……。その上、熱愛まで出て……。

一人の大切なファンを、ここまで変えてしまったのは俺だ。彼女の中の世界で、俺はヒーローで。そんなヒーローがこんなんじゃ、好きでいる側も変わっちまうよな。


……どうして俺は、この子のヒーローで居てあげられなかったんだろう。


アイドルはヒーローなんだ。純粋に好きでいてくれる気持ちを、守る仕事なんだ。
俺はやっと、アイドルという仕事を理解した気がした。

「ハルキ」
「……ソラ」
「聞いたよ、昨日のこと」
「ああ、ちょっとトラブったけど大丈夫!マスコミには俺の名前が出ないように事務所が手回してくれたみたい。ルミナスに迷惑はかけないから!」
「お前、何言ってんの?」
「へ?」
「俺はお前の心配をしてんだよ。別にルミナスの名前がこーゆー形で世の中に知られても、俺はいいよ」
「え、でも、まだ俺たちこれから大事な時期で……」
「音楽で魅せてやるから、いいんだよそんなこと気にしなくて。でもお前は、大事なメンバーだから、心配だって言ってんの。なんか思うことあんなら、話してみろよ。聞くから」
「ソラ……お前そんな良い奴だったか」
「うるさい、早く話せよ!」
「あはは、……うん、今思ってること話す」

ソラは黙って俺の話を聞いてくれた。ただ相槌をしてくれて、責めることも慰めることもしてこなかった。俺が話し終えると、やっとソラは話し始めた。

「確かに、アイドルは誰かの人生を壊せてしまう仕事だな」
「うん、今回のことでよく分かった。川上さんがなんで俺に強く言ったのかもよく分かったよ」
「でも反対に、誰かを救えるすげぇヒーローでもある」
「そりゃ、そうだけど。今の俺には……」
「自信ない?」
「ああ、なんも持ってなかった所から、歌頑張ってダンスも頑張って、でもそれだけじゃアイドルじゃないから。俺はこの先また誰かを壊してしまうかもしれない」

ソラは俺の言葉にひょうきんな顔で答えた。

「壊す壊さないとかじゃなくてさ、」
「……?」
「壊しちまうかもしれないって思いながら、それでもやるのがこの仕事だろ」
「……」
「完璧に壊さないようになんて思ってる時点で、ちょっとズレてんだよ」
「……っ、それは」
「それでさ」
「……」
「俺たちを真っ直ぐ見てくれてる人達いるだろ、眩しすぎるくらいに。まずはその人たちのことをちゃんと見ろ」
「……」
「全員は無理でも、その時その時に目の前にいるファンを、全力で救うんだよ」
「……」
「それすら出来ないなら、お前はアイドルを辞めた方がいい」
「……」

言葉が何も出なかった。正しい正しくないとかじゃない。ただ逃げ場がなくなった気がして、でもそれもソラの優しさに思えた。

アイドルがどう言う仕事なのか、この時俺に教えてくれたのは、間違いなくソラだった。俺はヒーローになれなかった自分を許せなかったけど、ソラが居たから今目の前にいるファンのために頑張ろうと思えた。

それなのに、あの時の俺はソラに対して、何を声掛けたらいいのか全く分からなかったんだ。壊れていくソラの背中を、ただ見つめることしか出来なくて。今でもあのソラの表情は、脳裏に焼き付いて離れない。

ヒーローになれなかった自分を未だに許せていないのは、あの時のソラの、そばに居ることを諦めた事実があるからだと思う。結局俺は誰も救えていない。その事実を覆すチャンスが、月本菜奈の存在で訪れたのにも関わらず、俺はこの期に及んで後退りしている。何がそんなに怖いのか。

クローゼットにあるダンボールを取り出す。中にはあの彼女が最後に俺に渡してきた、アイドルだった俺の記録の数々が入っている。こんなの捨ててやろうと何度もゴミ袋に入れては、結局この箱に戻ってきていた。USBに残っている日記は、もう何度読み返したか分からない。

俺は、また誰かのヒーローになるのが怖い。
それならいっそ、突然姿を消したルミナスのメンバーとしてヴィランのままでいる方が、心地いい。俺だけが責められる世界じゃないから、このままで居たいと思う。

でも……。

俺は、こんな自分を変える何かをこの5年ずっと探していた。もしかしたらその探していた何かは、月本菜奈、彼女のような、俺の意思を越えて突拍子もないことを言ってくる、そんな救いの存在だったのかもしれない。