深夜の都会は死を孕んだ静寂に満ちている
都心の高層ビルの屋上、吹き抜ける夜風が来夢(らいむ)の長い睫毛を揺らした
彼はライフルを構え、スコープ越しに数キロ先のホテルの一室を監視している
指先は凍えるほど冷たいはずなのに引き金を引く感覚だけは研ぎ澄まされていた
「ターゲット、入室しました ――準備はいいですか、朔夜さん」
『ああ、いつでもいける …深呼吸しろ、来夢』
無線越しに聞こえる朔夜(さくや)の低く落ち着いた声
それだけで来夢の心臓の鼓動が一定のリズムを刻み始める
あの日、廃倉庫で「結婚してください」と告げてから一週間
二人の関係は表面的には何も変わっていない
師弟でありバディであり殺し屋とサポーター
けれど来夢の内側にある世界は劇的に変わっていた
スコープの十字(レティクル)の先にターゲットの男が重なる
七つの極秘任務、その第一項目
標的は武器密売組織の幹部
本来なら複数人で当たるべき強敵だが来夢は独り、一撃で終わらせることを選んだ
(これを終わらせれば残り六つ そうすれば…僕は朔夜さんの隣にいける)
肺の中の空気をすべて吐き出し、鼓動の合間に指を動かす
――パシュッ
サプレッサーによる消音された銃声
数秒後、ホテルの窓ガラスに赤い花が咲き、男は糸の切れた人形のように崩れ落ちた
「任務完了… 離脱します」
『……了解した 裏ルートから車を出す 三分で来い』
手際よくライフルを分解し、専用のケースに収める
屋上を駆け下り、人目に付かない路地裏へ出ると黒塗りのセダンが静かに停車していた
助手席に乗り込むと朔夜がハンドルを握ったまま、ちらりとこちらを見た
「無傷か」
「はい かすり傷一つありません 約束しましたから …死なないって」
来夢が少し誇らしげに言うと朔夜はふいっと視線を前に戻した
アクセルを踏み込むその横顔は相変わらず何を考えているのか読み取れない
けれど車内に流れる空気は以前よりもどこか密やかで柔らかな熱を帯びている気がした
「腹は減っているか」
不意の問いかけに来夢は目を丸くした
「……え、あ、はい、少し」
「そうか …寄るところがある」
朔夜が車を停めたのは深夜まで営業しているごく普通の二十四時間スーパーだった
殺し屋が潜伏する隠れ家(セーフハウス)とは対極にある生活感の塊のような場所
「えっ、ここ入るんですか?」
「『普通』の結婚生活がしたいんだろう? なら飯の買い出しくらい覚えておけ」
朔夜はそう言うと戸惑う来夢を置いてスタスタと店内へ入っていく
来夢は慌ててその後を追った
蛍光灯の明かりが眩しい店内には仕事帰りの会社員や夜食を買いに来た若者たちがまばらにいた
その中で、漆黒のコートを纏った朔夜と来夢は明らかに浮いているように思えた
けれど朔夜は慣れた手つきで買い物カゴを手に取り、野菜の鮮度を確かめている
「……朔夜さん、料理するんですか?」
「俺をなんだと思っている 道具としての管理には食事も含まれる …ほらお前は何が食いたい」
来夢は並んだ食材を眺めながら胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた
これだ
自分がずっと血の匂いの向こう側に夢見ていたものは
何を食べるか悩み、一緒に歩き、レジで会計を済ませる
そんな一般人にとっては退屈でしかない時間が来夢には眩しくて仕方がなかった
「……肉、お肉がいいです ガッツリしたもの」
「子供だな …じゃぁステーキにでもするか」
朔夜が肉のパックをカゴに入れる
その指先を見て来夢は思い出した
この指は数えきれないほどの命を奪ってきた指だ
自分を地獄から救い上げ、同時に地獄で生きる術を教えてくれた指
その指が今は二人で食べる夕食のために食材を選んでいる
(あの日、僕が言ったこと…朔夜さんは本気で考えてくれているんだ)
買い物を終え、車に戻る道すがら来夢はビニール袋を両手に下げて歩いた
袋の中でネギの青い部分が少しだけ覗いている
それがなんだかとても誇らしくて来夢は思わず隣を歩く朔夜に笑いかけた
「どうした 気持ち悪い笑い方をするな」
「だって嬉しいんです 任務の後にこんな…『普通』のことが待ってるなんて …幸せすぎて怖いくらいです」
朔夜は足を止め、じっと来夢を見つめた
その瞳は深い闇を湛えているけれどそこには明確な拒絶も嘲笑もなかった
「……来夢 お前はまだ一つ目の任務を終えたに過ぎない この先はもっと過酷になる」
「わかっています 僕が死ぬと思っているんですか?」
「死なせない …俺がお前をその『普通』とやらに叩き込んでやる」
朔夜の手が来夢の頭に置かれた
大きな掌、少しゴツゴツとした男らしい感触
彼はそのまま乱暴に来夢の髪を掻き回すとさっさと歩き出した
来夢は顔を真っ赤にしながらその広い背中を追いかけた
明日にはまた次の標的を仕留めるために引き金に指をかけなければならない
けれど今の来夢には守るべき「日常」の光が見えていた
一つ目の任務完了
来夢の指先に残る硝煙の匂いはスーパーの袋から漂う夕食の香りにほんの少しだけ上書きされた
都心の高層ビルの屋上、吹き抜ける夜風が来夢(らいむ)の長い睫毛を揺らした
彼はライフルを構え、スコープ越しに数キロ先のホテルの一室を監視している
指先は凍えるほど冷たいはずなのに引き金を引く感覚だけは研ぎ澄まされていた
「ターゲット、入室しました ――準備はいいですか、朔夜さん」
『ああ、いつでもいける …深呼吸しろ、来夢』
無線越しに聞こえる朔夜(さくや)の低く落ち着いた声
それだけで来夢の心臓の鼓動が一定のリズムを刻み始める
あの日、廃倉庫で「結婚してください」と告げてから一週間
二人の関係は表面的には何も変わっていない
師弟でありバディであり殺し屋とサポーター
けれど来夢の内側にある世界は劇的に変わっていた
スコープの十字(レティクル)の先にターゲットの男が重なる
七つの極秘任務、その第一項目
標的は武器密売組織の幹部
本来なら複数人で当たるべき強敵だが来夢は独り、一撃で終わらせることを選んだ
(これを終わらせれば残り六つ そうすれば…僕は朔夜さんの隣にいける)
肺の中の空気をすべて吐き出し、鼓動の合間に指を動かす
――パシュッ
サプレッサーによる消音された銃声
数秒後、ホテルの窓ガラスに赤い花が咲き、男は糸の切れた人形のように崩れ落ちた
「任務完了… 離脱します」
『……了解した 裏ルートから車を出す 三分で来い』
手際よくライフルを分解し、専用のケースに収める
屋上を駆け下り、人目に付かない路地裏へ出ると黒塗りのセダンが静かに停車していた
助手席に乗り込むと朔夜がハンドルを握ったまま、ちらりとこちらを見た
「無傷か」
「はい かすり傷一つありません 約束しましたから …死なないって」
来夢が少し誇らしげに言うと朔夜はふいっと視線を前に戻した
アクセルを踏み込むその横顔は相変わらず何を考えているのか読み取れない
けれど車内に流れる空気は以前よりもどこか密やかで柔らかな熱を帯びている気がした
「腹は減っているか」
不意の問いかけに来夢は目を丸くした
「……え、あ、はい、少し」
「そうか …寄るところがある」
朔夜が車を停めたのは深夜まで営業しているごく普通の二十四時間スーパーだった
殺し屋が潜伏する隠れ家(セーフハウス)とは対極にある生活感の塊のような場所
「えっ、ここ入るんですか?」
「『普通』の結婚生活がしたいんだろう? なら飯の買い出しくらい覚えておけ」
朔夜はそう言うと戸惑う来夢を置いてスタスタと店内へ入っていく
来夢は慌ててその後を追った
蛍光灯の明かりが眩しい店内には仕事帰りの会社員や夜食を買いに来た若者たちがまばらにいた
その中で、漆黒のコートを纏った朔夜と来夢は明らかに浮いているように思えた
けれど朔夜は慣れた手つきで買い物カゴを手に取り、野菜の鮮度を確かめている
「……朔夜さん、料理するんですか?」
「俺をなんだと思っている 道具としての管理には食事も含まれる …ほらお前は何が食いたい」
来夢は並んだ食材を眺めながら胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた
これだ
自分がずっと血の匂いの向こう側に夢見ていたものは
何を食べるか悩み、一緒に歩き、レジで会計を済ませる
そんな一般人にとっては退屈でしかない時間が来夢には眩しくて仕方がなかった
「……肉、お肉がいいです ガッツリしたもの」
「子供だな …じゃぁステーキにでもするか」
朔夜が肉のパックをカゴに入れる
その指先を見て来夢は思い出した
この指は数えきれないほどの命を奪ってきた指だ
自分を地獄から救い上げ、同時に地獄で生きる術を教えてくれた指
その指が今は二人で食べる夕食のために食材を選んでいる
(あの日、僕が言ったこと…朔夜さんは本気で考えてくれているんだ)
買い物を終え、車に戻る道すがら来夢はビニール袋を両手に下げて歩いた
袋の中でネギの青い部分が少しだけ覗いている
それがなんだかとても誇らしくて来夢は思わず隣を歩く朔夜に笑いかけた
「どうした 気持ち悪い笑い方をするな」
「だって嬉しいんです 任務の後にこんな…『普通』のことが待ってるなんて …幸せすぎて怖いくらいです」
朔夜は足を止め、じっと来夢を見つめた
その瞳は深い闇を湛えているけれどそこには明確な拒絶も嘲笑もなかった
「……来夢 お前はまだ一つ目の任務を終えたに過ぎない この先はもっと過酷になる」
「わかっています 僕が死ぬと思っているんですか?」
「死なせない …俺がお前をその『普通』とやらに叩き込んでやる」
朔夜の手が来夢の頭に置かれた
大きな掌、少しゴツゴツとした男らしい感触
彼はそのまま乱暴に来夢の髪を掻き回すとさっさと歩き出した
来夢は顔を真っ赤にしながらその広い背中を追いかけた
明日にはまた次の標的を仕留めるために引き金に指をかけなければならない
けれど今の来夢には守るべき「日常」の光が見えていた
一つ目の任務完了
来夢の指先に残る硝煙の匂いはスーパーの袋から漂う夕食の香りにほんの少しだけ上書きされた

