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暮れ六つから任務へ出るから、それまでに準備をしていろ。
朝餉の時にそう言い渡されて、桜麟はずっとそわそわして一日を過ごしていた。きっと見廻りに出るのだろう。正式な護り手となっての初仕事。気分が高揚しないわけがない。
おまけに立派な隊服まで用意してもらった。それに袖を通せば落ち着けというほうが無理な話だ。隊服に掛けられた輝久の霊力が、ふわりと全身を包んでくれて、しばらくの間うっとりとしてしまった。
このままではにやけた顔を誰かに見られてしまいかねない。気合を入れるためにも、少し早めに輝久の部屋を訪れていた。
「輝久様! 準備終わりました!」
「ああ……って早いな。まだ半刻くらい――」
と、文机から顔を上げた輝久の動きが固まった。目を丸く見開いて、桜麟の頭の先からつま先まで、視線が上下に何度も動く。
途端に不安になってきて、桜麟は自分の姿を見下ろした。
どこか間違ってしまったのだろうか。隊服の表裏を間違えるなんて、そんな馬鹿なことはしていないはずだ。小袖に袴は男装の装いだが、それは見習いの時も同じだ。斬妖刀も忘れず腰に差している。
「あの……どこかおかしいですか?」
「……いや。それらしい姿をすれば、お前も立派な護り手に見えるなと思っただけだ」
「え、酷くないですか!?」
抗議の声を上げる桜麟の鼻先で、ぴしゃりと障子が閉まった。
「俺も準備をするから待っていろ。覗くなよ?」
「覗きませんよ!」
中から着替える音がして、桜麟は慌てて庭へと回れ右をした。見えるわけはないのだが、ここでガン見しているところを他の者に見られたら、何をしているのかと思われてしまう。
しばらくして、見廻り用の隊服に着替えた輝久が障子を開けた。
「少し早いが、ゆっくり行くか」
(ゆっくり? 行く?)
昨夜の話から思っていたが、どうもいつもの見廻り任務とは違う気がする。奉行所の門を出てから桜麟は訊ねた。
「今日のお仕事って、いつもの見廻りなのですよね?」
「表向きは、な」
ま、黙ってついてこい。そんな輝久の言葉を信じて桜麟は歩く。
町の中心に近づくにつれて、いつもより人間が多いと感じた。
朝から日暮れまで、武揚の町は賑わっている。それを考慮したとしても、今日の人通りは異常だった。歩くだけで肩が当たるし、既に酒を飲んで酔っ払っている者もいる。左右には出店が数歩おきに並んでいて、これも数がおかしい。そこで買い求める人たちが、さらに通りを複雑なものにしていた。
「わっ、わっ……」
足を踏まれそうになってそれを避けていると、今度は輝久の背中が遠ざかる。何とか人の間をすり抜けると、輝久が足を止めて待ってくれていた。
「手を出せ。はぐれてもらってはかなわん」
「う……すみません」
その大きな手に自分の手を重ねると、すっぽり包み込むようにして握られた。
(暖かい手……)
輝久の手からは、彼の霊力を直に感じられる。桜麟が一目惚れした、あの爽やかで静謐な霊力だ。しっかりと触れていたくて、自分からも強く握り返す。
そこからはぐれるような危機もなく、順調に歩くことができた。
四半刻ほど歩くと、だいぶ日が暮れた。人通りは少なくなるどころかますます多くなる。途中からその流れが一定の方向に向かっていることに桜麟は気が付いた。
「これって、大川に向かっているのですか?」
「そうだ。思ったより人が多いな。早く出発してよかった」
大川とは武揚の町を流れる一番大きな川だ。生活や農業のための水だけでなく、水運をも支える重要な川であり、多くの積み荷が行き来している。
さらに少し歩くと、その大川へと到着する。
「うわぁ……ここも多いですね。一体何が始まるのですか?」
輝久は桜麟の手を引いたまま、大川の橋へと移動する。ここにも人が山ほどいたが、何とか欄干まで出る。眼下に何艘も浮かんだ舟や、河原に詰めかけた人々、そしてその一角で、何やら仕掛けをしている人間の姿が確認できた。
日はほぼ暮れて周囲はかなり暗くなっている。そろそろか、と輝久が呟いた時、それは起きた。
――どんっ!
「わっ!?」
腹の底から響くような爆発音に、思わず輝久に抱き付いてしまう。その前で、ひゅるる~、という風を切る音とともに一条の光の筋が上がった。それを追いかけていくと、夜空に高く上がったところで、大きな橙色の花が咲いた。
「す、すごい……」
言葉もなく見上げる中で、再び大きな爆発音がして、別の場所に大輪が咲く。
「きれい……」
「お前は見るのは初めてか?」
輝久の問いかけに、明るく彩られた夜空を見上げたまま、こくこくと頷く。
「これは花火と言ってな。武揚の夏の風物詩だ。いつもは金持ちどもが買って上げているが、今日は祭りで特別多く花火が上がる日だ。お前に見せられてよかった」
「本当に綺麗です」
次から次へと花火が打ち上がる。その度に「た~まや~」「か~ぎや~」と見物人が掛け声を上げていて、桜麟も自然と叫んでしまいたい気分になる。
「……って、わたしたち、こうして一緒に楽しんでいてよいのですか?」
少し花火が途切れた時に我に返って問いかける。
「いちおう、妖魔が出た時のための任務だな」
「じゃ、じゃあ、やっぱり見廻らないと!」
また上がり始めた花火から強引に視線を戻す。だが、輝久は彼女の両肩を掴むと、花火の方へ向けさせた。
「とはいえ、祭りの陽の雰囲気は妖魔の気配を祓う。この日ばかりは付喪神奉行も息抜きの日だな。お前は歓迎会などいらんと言ったが、これがお前のための歓迎と思って受け取ってくれ」
「輝久様……」
胸が熱くなってしまって何も言えなくなる。こんなに立派な隊服を作ってくれただけでなく、こうして見たこともない経験をさせてくれる。
彼の護り手になれて本当によかった。その実感がじわじわと沸いてきた。
付喪神の中には、何の楽しみも与えられず、容赦なく使い潰されてしまう付喪神も多いだろう。その中で自分はこうして、まるで人間のように扱ってもらえる。
それ以上に、彼の力になれることが幸せだった。ひと月前からは考えられない。お払い箱にされる崖っぷちの状況から、輝久の隣に立つことを許されるまでになれた。もちろん、まだまだ開始地点に立てただけ。本当に彼の力になり、彼の思い描く夢の助けになれるかは、自分の頑張り次第だ。
(輝久様、大好きです)
心の中だけでそれを呟く。
その後で急に恥ずかしくなって輝久を見上げて確認してしまう。いまの呟きが声に出てしまってはいなかっただろうか。
「ん? どうした?」
視線に気が付いたのか、不思議そうに輝久が首を傾げる。「いえ、何でも」と呟いて、桜麟は逃げるように花火へと視線を戻した。
幸いにも心の声は漏れていなかったらしい。もしくは花火の音がかき消してくれたのか。もしも聞かれていたら、この大川に身投げをするところだった。
自分がそのような存在になるなんておこがましい。彼の心の中には籠目という存在がいるのだ。あくまでも自分は護り手。輝久の心を独り占めなんてできはしない。
(だけど、今だけは……)
隣で見物人に押されるようにして、自分の身体が輝久へと寄る。転ばないようにという心遣いからか、輝久は背中に回ると、桜麟の身体の両脇から欄干へと手を伸ばした。背中に当たる輝久の体温が暖かくて、まるで背後から抱きすくめられているような錯覚に陥る。
(わたしだけの輝久様でいてほしい)
そんなささやかな願いを抱きながら、花火に照らされる輝久を仰ぎ見たのだった。
暮れ六つから任務へ出るから、それまでに準備をしていろ。
朝餉の時にそう言い渡されて、桜麟はずっとそわそわして一日を過ごしていた。きっと見廻りに出るのだろう。正式な護り手となっての初仕事。気分が高揚しないわけがない。
おまけに立派な隊服まで用意してもらった。それに袖を通せば落ち着けというほうが無理な話だ。隊服に掛けられた輝久の霊力が、ふわりと全身を包んでくれて、しばらくの間うっとりとしてしまった。
このままではにやけた顔を誰かに見られてしまいかねない。気合を入れるためにも、少し早めに輝久の部屋を訪れていた。
「輝久様! 準備終わりました!」
「ああ……って早いな。まだ半刻くらい――」
と、文机から顔を上げた輝久の動きが固まった。目を丸く見開いて、桜麟の頭の先からつま先まで、視線が上下に何度も動く。
途端に不安になってきて、桜麟は自分の姿を見下ろした。
どこか間違ってしまったのだろうか。隊服の表裏を間違えるなんて、そんな馬鹿なことはしていないはずだ。小袖に袴は男装の装いだが、それは見習いの時も同じだ。斬妖刀も忘れず腰に差している。
「あの……どこかおかしいですか?」
「……いや。それらしい姿をすれば、お前も立派な護り手に見えるなと思っただけだ」
「え、酷くないですか!?」
抗議の声を上げる桜麟の鼻先で、ぴしゃりと障子が閉まった。
「俺も準備をするから待っていろ。覗くなよ?」
「覗きませんよ!」
中から着替える音がして、桜麟は慌てて庭へと回れ右をした。見えるわけはないのだが、ここでガン見しているところを他の者に見られたら、何をしているのかと思われてしまう。
しばらくして、見廻り用の隊服に着替えた輝久が障子を開けた。
「少し早いが、ゆっくり行くか」
(ゆっくり? 行く?)
昨夜の話から思っていたが、どうもいつもの見廻り任務とは違う気がする。奉行所の門を出てから桜麟は訊ねた。
「今日のお仕事って、いつもの見廻りなのですよね?」
「表向きは、な」
ま、黙ってついてこい。そんな輝久の言葉を信じて桜麟は歩く。
町の中心に近づくにつれて、いつもより人間が多いと感じた。
朝から日暮れまで、武揚の町は賑わっている。それを考慮したとしても、今日の人通りは異常だった。歩くだけで肩が当たるし、既に酒を飲んで酔っ払っている者もいる。左右には出店が数歩おきに並んでいて、これも数がおかしい。そこで買い求める人たちが、さらに通りを複雑なものにしていた。
「わっ、わっ……」
足を踏まれそうになってそれを避けていると、今度は輝久の背中が遠ざかる。何とか人の間をすり抜けると、輝久が足を止めて待ってくれていた。
「手を出せ。はぐれてもらってはかなわん」
「う……すみません」
その大きな手に自分の手を重ねると、すっぽり包み込むようにして握られた。
(暖かい手……)
輝久の手からは、彼の霊力を直に感じられる。桜麟が一目惚れした、あの爽やかで静謐な霊力だ。しっかりと触れていたくて、自分からも強く握り返す。
そこからはぐれるような危機もなく、順調に歩くことができた。
四半刻ほど歩くと、だいぶ日が暮れた。人通りは少なくなるどころかますます多くなる。途中からその流れが一定の方向に向かっていることに桜麟は気が付いた。
「これって、大川に向かっているのですか?」
「そうだ。思ったより人が多いな。早く出発してよかった」
大川とは武揚の町を流れる一番大きな川だ。生活や農業のための水だけでなく、水運をも支える重要な川であり、多くの積み荷が行き来している。
さらに少し歩くと、その大川へと到着する。
「うわぁ……ここも多いですね。一体何が始まるのですか?」
輝久は桜麟の手を引いたまま、大川の橋へと移動する。ここにも人が山ほどいたが、何とか欄干まで出る。眼下に何艘も浮かんだ舟や、河原に詰めかけた人々、そしてその一角で、何やら仕掛けをしている人間の姿が確認できた。
日はほぼ暮れて周囲はかなり暗くなっている。そろそろか、と輝久が呟いた時、それは起きた。
――どんっ!
「わっ!?」
腹の底から響くような爆発音に、思わず輝久に抱き付いてしまう。その前で、ひゅるる~、という風を切る音とともに一条の光の筋が上がった。それを追いかけていくと、夜空に高く上がったところで、大きな橙色の花が咲いた。
「す、すごい……」
言葉もなく見上げる中で、再び大きな爆発音がして、別の場所に大輪が咲く。
「きれい……」
「お前は見るのは初めてか?」
輝久の問いかけに、明るく彩られた夜空を見上げたまま、こくこくと頷く。
「これは花火と言ってな。武揚の夏の風物詩だ。いつもは金持ちどもが買って上げているが、今日は祭りで特別多く花火が上がる日だ。お前に見せられてよかった」
「本当に綺麗です」
次から次へと花火が打ち上がる。その度に「た~まや~」「か~ぎや~」と見物人が掛け声を上げていて、桜麟も自然と叫んでしまいたい気分になる。
「……って、わたしたち、こうして一緒に楽しんでいてよいのですか?」
少し花火が途切れた時に我に返って問いかける。
「いちおう、妖魔が出た時のための任務だな」
「じゃ、じゃあ、やっぱり見廻らないと!」
また上がり始めた花火から強引に視線を戻す。だが、輝久は彼女の両肩を掴むと、花火の方へ向けさせた。
「とはいえ、祭りの陽の雰囲気は妖魔の気配を祓う。この日ばかりは付喪神奉行も息抜きの日だな。お前は歓迎会などいらんと言ったが、これがお前のための歓迎と思って受け取ってくれ」
「輝久様……」
胸が熱くなってしまって何も言えなくなる。こんなに立派な隊服を作ってくれただけでなく、こうして見たこともない経験をさせてくれる。
彼の護り手になれて本当によかった。その実感がじわじわと沸いてきた。
付喪神の中には、何の楽しみも与えられず、容赦なく使い潰されてしまう付喪神も多いだろう。その中で自分はこうして、まるで人間のように扱ってもらえる。
それ以上に、彼の力になれることが幸せだった。ひと月前からは考えられない。お払い箱にされる崖っぷちの状況から、輝久の隣に立つことを許されるまでになれた。もちろん、まだまだ開始地点に立てただけ。本当に彼の力になり、彼の思い描く夢の助けになれるかは、自分の頑張り次第だ。
(輝久様、大好きです)
心の中だけでそれを呟く。
その後で急に恥ずかしくなって輝久を見上げて確認してしまう。いまの呟きが声に出てしまってはいなかっただろうか。
「ん? どうした?」
視線に気が付いたのか、不思議そうに輝久が首を傾げる。「いえ、何でも」と呟いて、桜麟は逃げるように花火へと視線を戻した。
幸いにも心の声は漏れていなかったらしい。もしくは花火の音がかき消してくれたのか。もしも聞かれていたら、この大川に身投げをするところだった。
自分がそのような存在になるなんておこがましい。彼の心の中には籠目という存在がいるのだ。あくまでも自分は護り手。輝久の心を独り占めなんてできはしない。
(だけど、今だけは……)
隣で見物人に押されるようにして、自分の身体が輝久へと寄る。転ばないようにという心遣いからか、輝久は背中に回ると、桜麟の身体の両脇から欄干へと手を伸ばした。背中に当たる輝久の体温が暖かくて、まるで背後から抱きすくめられているような錯覚に陥る。
(わたしだけの輝久様でいてほしい)
そんなささやかな願いを抱きながら、花火に照らされる輝久を仰ぎ見たのだった。

