「――というわけなんだ」
漣の話を聞いてから輝久は、「ふむ」と湯呑みを手に取った。意識して押さえようとしても、微かに手が震えてしまう。
記憶を取り戻した。漣からそう教えてもらったのは、奉行所へ戻ってすぐのことだった。どうやら桜麟が無意識のうちに放っていた霊力が作用し、漣の記憶を呼び戻すきっかけとなったらしい。
人払いをしてほしいと頼まれて、二人きりになってから口を開いた漣の報告は、さすがの輝久も驚きで言葉が出なかった。
「その話は本当なのだな?」
「徳次郎に捕まった時に、よく知っている霊力だったから間違いないよ。ボクは徳次郎の屋敷にあった囲碁盤だよ。桜麟が囲碁を学ぶためにボクを使っていたんだ。どうりで見たことがある手筋だったんだぁ」
「その後、売られた先で人為的に妖魔に堕とされようとした、と」
「うん。お姉ちゃんのおかげで助かったけど……」
漣はその時を思い出したのか、背筋をぶるりと震わせた。
「お前をそんな目に遭わせたのは徳次郎ではなく、売られた先ということだな?」
うん、ともう一度、漣は頷いた。
「その近くには人間の霊力と、もう一つ付喪神の霊力があった。ごめんね、その時はまだ『成って』なかったから、詳しくは覚えていないんだけど……」
漣ができる限りの特徴の説明をしてくれて、輝久も状況を把握する。
「そうか……わかった。よく話してくれたな。今回はお前も大変だったろうから、ゆっくり屋敷で休んでくれ。少なくとも、この屋敷にいる限りは安全だ」
「ありがとう! それと、その……お姉ちゃんはどうするの?」
恐る恐るといった表情で見上げてくる。未だに明確に護り手にすると宣言していないことに不安を覚えているのだろう。もちろん、心の内は既に決まっている。
「悪いようにはせんよ。お前も楽しみにしておけ」
その回答で漣の表情が、ぱっと明るくなった。
「ほんとに!?」
「ああ、本当だ。あいつも疲れているからな。しばらくはゆっくりさせてやりたい。話はその後だ」
「後で気が変わったとかダメだからねー!」
念を押すように言ってから漣は部屋を出る。
(やれやれ、信用されていないな)
夜は更けていて廊下は青白い月明かりが照らしている。寝ている者を起こさないように足音を忍ばせ、桜麟の部屋の前で止まる。少しだけ障子を開くと、布団の上で眠っている桜麟の姿。そのまま慎重に開けてから部屋に入り、彼女の枕元に座った。
(霊力は……安定しているな)
穏やかな寝顔を確認して、輝久は安堵の息を吐く。
急な力の解放で身体に負担がかかったのだろう。ほっと安心したのもあったのかもしれない。彼女は奉行所屋敷までは自分の足で帰って来たが、そこで力尽きたように倒れてしまい、こうしてこんこんと眠り続けていた。
初めは頼りない付喪神だと思ったものだ。徳次郎を疑っていたこともあり、間者かもしれないと用心していたが、こんなに真っ直ぐな性格の付喪神が間者になれるわけがない。徳次郎も本当に金儲けのためだけに使おうとしていたのだろう。九兵衛と同じく、その強欲さが身を滅ぼす元となった。
徳次郎との戦いで見せたあの霊力は、単純な力だけでは籠目を超えていた。経験の浅さから無駄が多いし、きちんと操れてもいないが、鍛えてやれば歴史に名を残す護り手になれるかもしれない。
――二度と護り手は取らない。
そんな決意を、桜麟は真っ向から揺るがしてくれた。何事にもブレない純真な眼差しは、常に輝久へ向いていた。固く閉ざした心へ何度もぶつかってきた。その度に跳ね返してやっても、絶対に懲りない。
(籠目もお節介が過ぎる)
付喪神を祭った神社で桜麟が倒れた時は焦ったものだ。ところが、その中で籠目がいろいろと話していたらしいと聞いてさらに驚いた。あの前後で明らかに桜麟の目の色が変わった。ぶつかって跳ね返されるだけだったのが、しがみついて離さないという姿勢になった。
一体どんな話をされたのやら。二人の邂逅に興味はあったが、籠目からボロクソに言われているような気もしていて、知らないほうが幸せかもしれない。
「俺のそばに居たいだけ……か。それは好いた者に言う台詞だぞ」
頬にかかった髪を払ってやると、不意に桜麟の手が動いて彼の手を掴んだ。起こしたかと冷やりとしていると、眠ったままの桜麟の口がむにゃむにゃと動いた。
「てるひさ……さまぁ……。だいすきです……」
そのまま自分の胸に輝久の手を抱くようにして、すぅすぅ、と軽い寝息を立てる。どんな夢を見ているのか、彼女の緩んだ頬は無防備で、つついてやりたい衝動に駆られる。
まさか、当の本人がこうして隣にいるとは思ってもいないだろう。輝久からしても、夜這いのような状態になるのは不本意だ。
……なのだが。
「まったく……お前には負けたよ」
嘆息しながら輝久は反対側の手で桜麟の髪を梳く。桜麟が満足して彼の手を離すまで、輝久はずっとそうしていたのだった。
漣の話を聞いてから輝久は、「ふむ」と湯呑みを手に取った。意識して押さえようとしても、微かに手が震えてしまう。
記憶を取り戻した。漣からそう教えてもらったのは、奉行所へ戻ってすぐのことだった。どうやら桜麟が無意識のうちに放っていた霊力が作用し、漣の記憶を呼び戻すきっかけとなったらしい。
人払いをしてほしいと頼まれて、二人きりになってから口を開いた漣の報告は、さすがの輝久も驚きで言葉が出なかった。
「その話は本当なのだな?」
「徳次郎に捕まった時に、よく知っている霊力だったから間違いないよ。ボクは徳次郎の屋敷にあった囲碁盤だよ。桜麟が囲碁を学ぶためにボクを使っていたんだ。どうりで見たことがある手筋だったんだぁ」
「その後、売られた先で人為的に妖魔に堕とされようとした、と」
「うん。お姉ちゃんのおかげで助かったけど……」
漣はその時を思い出したのか、背筋をぶるりと震わせた。
「お前をそんな目に遭わせたのは徳次郎ではなく、売られた先ということだな?」
うん、ともう一度、漣は頷いた。
「その近くには人間の霊力と、もう一つ付喪神の霊力があった。ごめんね、その時はまだ『成って』なかったから、詳しくは覚えていないんだけど……」
漣ができる限りの特徴の説明をしてくれて、輝久も状況を把握する。
「そうか……わかった。よく話してくれたな。今回はお前も大変だったろうから、ゆっくり屋敷で休んでくれ。少なくとも、この屋敷にいる限りは安全だ」
「ありがとう! それと、その……お姉ちゃんはどうするの?」
恐る恐るといった表情で見上げてくる。未だに明確に護り手にすると宣言していないことに不安を覚えているのだろう。もちろん、心の内は既に決まっている。
「悪いようにはせんよ。お前も楽しみにしておけ」
その回答で漣の表情が、ぱっと明るくなった。
「ほんとに!?」
「ああ、本当だ。あいつも疲れているからな。しばらくはゆっくりさせてやりたい。話はその後だ」
「後で気が変わったとかダメだからねー!」
念を押すように言ってから漣は部屋を出る。
(やれやれ、信用されていないな)
夜は更けていて廊下は青白い月明かりが照らしている。寝ている者を起こさないように足音を忍ばせ、桜麟の部屋の前で止まる。少しだけ障子を開くと、布団の上で眠っている桜麟の姿。そのまま慎重に開けてから部屋に入り、彼女の枕元に座った。
(霊力は……安定しているな)
穏やかな寝顔を確認して、輝久は安堵の息を吐く。
急な力の解放で身体に負担がかかったのだろう。ほっと安心したのもあったのかもしれない。彼女は奉行所屋敷までは自分の足で帰って来たが、そこで力尽きたように倒れてしまい、こうしてこんこんと眠り続けていた。
初めは頼りない付喪神だと思ったものだ。徳次郎を疑っていたこともあり、間者かもしれないと用心していたが、こんなに真っ直ぐな性格の付喪神が間者になれるわけがない。徳次郎も本当に金儲けのためだけに使おうとしていたのだろう。九兵衛と同じく、その強欲さが身を滅ぼす元となった。
徳次郎との戦いで見せたあの霊力は、単純な力だけでは籠目を超えていた。経験の浅さから無駄が多いし、きちんと操れてもいないが、鍛えてやれば歴史に名を残す護り手になれるかもしれない。
――二度と護り手は取らない。
そんな決意を、桜麟は真っ向から揺るがしてくれた。何事にもブレない純真な眼差しは、常に輝久へ向いていた。固く閉ざした心へ何度もぶつかってきた。その度に跳ね返してやっても、絶対に懲りない。
(籠目もお節介が過ぎる)
付喪神を祭った神社で桜麟が倒れた時は焦ったものだ。ところが、その中で籠目がいろいろと話していたらしいと聞いてさらに驚いた。あの前後で明らかに桜麟の目の色が変わった。ぶつかって跳ね返されるだけだったのが、しがみついて離さないという姿勢になった。
一体どんな話をされたのやら。二人の邂逅に興味はあったが、籠目からボロクソに言われているような気もしていて、知らないほうが幸せかもしれない。
「俺のそばに居たいだけ……か。それは好いた者に言う台詞だぞ」
頬にかかった髪を払ってやると、不意に桜麟の手が動いて彼の手を掴んだ。起こしたかと冷やりとしていると、眠ったままの桜麟の口がむにゃむにゃと動いた。
「てるひさ……さまぁ……。だいすきです……」
そのまま自分の胸に輝久の手を抱くようにして、すぅすぅ、と軽い寝息を立てる。どんな夢を見ているのか、彼女の緩んだ頬は無防備で、つついてやりたい衝動に駆られる。
まさか、当の本人がこうして隣にいるとは思ってもいないだろう。輝久からしても、夜這いのような状態になるのは不本意だ。
……なのだが。
「まったく……お前には負けたよ」
嘆息しながら輝久は反対側の手で桜麟の髪を梳く。桜麟が満足して彼の手を離すまで、輝久はずっとそうしていたのだった。

