こちら、付喪神南町奉行所っ!~新入り護り手はお払い箱になりたくない~

 ――時間としては一瞬だったかもしれない。
 ゆっくりと輝久が振り返るのを見て、ごくり、と桜麟は唾を飲み込んだ。
「て、輝久様……」
「そうじゃ、やり合うがいいぞよ!」
 ふぉっふぉっふぉ、という徳次郎の高笑いが森に響く。
「生き残りたくば、桜麟も抵抗するのじゃ。見事この男を倒した暁には、我が配下に加えてやろうではないか。今のお主は、少しは使えそうじゃからのう」
 徳次郎の言葉が信用できるわけがない。彼の目的は輝久を倒すこと。もしくは、付喪神奉行として立ち上がれなくしてしまうことだ。二度も自分の護り手を斬ったとなれば、輝久の精神は崩壊してしまうかもしれない。
 だからといって、桜麟も輝久を斬ることはできない。彼女の心の中で大きな場所を占めている輝久の存在。そんな彼を自分の手で殺してしまえば、それこそ桜麟自身が妖魔へと堕ちてしまう。
(わたしは死ねないし、輝久様を斬ることもできない……!)
 桜麟にとっては完全に八方塞がりの状況。
「さあさあ! 殺し合うがよいのじゃ!」
「……そういうことらしい。覚悟するのだな」
 輝久の姿が一気に大きくなった。迷っている間に距離を詰められた。下がるのは間に合わない。輝久の斬妖刀の剣先が霞んだ。
「輝久様っ!」
 上段からの攻撃を、真っ二つにされる寸前で弾いた。重い攻撃で桜麟の手が痺れる。斬妖刀の付喪神だからか、剣術は人型へ『成った』時から身に付いていた。それでも輝久の霊力を併用した攻撃は素早く、瞬く間に桜麟は防戦一方になっていた。
(くうっ……押し切られるっ!)
 力強い一撃の連続。こんなのを受け続けていたら、あっという間に自分の腕が駄目になってしまう。
「輝久様。お願いです、やめてください!」
「やめる?」
 ふん、と輝久が鼻で笑った。その一瞬の隙を見つけて、何とか桜麟は間合いから逃れる。
「この村は俺の全て……いや、籠目の生きた証のような場所だからな。できることは全てやらねばならんのだ」
「わたしを倒したところで、徳次郎が約束をまもるわけがありません!」
「それはお前が死にたくないだけの言い訳だろう。そもそもお前は、この村にいることを拒んでいるだろうが。そんなお前に俺の気持ちがわかるわけがない」
 じりじりと詰められる間合いを、半円を描くようにして距離を保つ。
 輝久と籠目。
 二人はお互いを信頼し合い、固い絆で結ばれていたのだろう。それは死んだ付喪神を祭った神社へ行った時に見せつけられた。桜麟へ自らの姿を現した籠目は、元の姿に戻った後も輝久が心配だったのだろう。いくら桜麟の霊力が特殊でも、それだけの理由であんな邂逅なんて起こり得ない。そんな二人には嫉妬の感情ばかりが浮かんでしまう。
 それでも桜麟は負けたくなかった。今の護り手は自分だ。まだ認められていなかったとしても、自分しかいない。死者なんぞに譲ってたまるものか。
「確かにわたしは、この村に居ることを拒みました。ですが、それは村が嫌いだからではありません。わたしの居場所はここではないからです」
 ちらりと徳次郎を見ると、二人のやり取りをニヤニヤと見守っている。無防備に見える姿は自らの勝利を確信しているのだろう。
 桜麟は狙った位置で足を止めた。間合いを詰められるままになりながら、輝久の心に届けとばかりに叫んだ。
「どんなに嫌われてもわたしは輝久様の護り手になりたい。わたしは、輝久様のおそばに居たいだけなのですから!」
「ふ……」
 輝久の唇が微苦笑のように歪んだ。
「その真っすぐでひたむきなところはお前の長所だ。だが、それだけで誰かを救うことはできんぞ」
 一瞬だけ、輝久の動きが止まった気がした。
(今だっ!)
 桜麟は自ら輝久の間合いへと踏み込んだ。
 輝久を行動不能にして、漣を助けて、徳次郎を倒す。三つも同時にやるとか神業としか思えないが、自分がやらなければ誰も助けられない。
「輝久様、失礼いたします!」
 勝機は一度きり。
 輝久からの猛烈な突きを弾くのではなく胸元へ飛び込んでかわす。そのような捨て身をされるとは思っていなかったのだろう。桜麟の体当たりを輝久はもろにくらった。彼の体が崩れたところに小手を打つ。輝久の手から斬妖刀が離れて地面へと落ちた。
 その勢いのまま桜麟は走った。一気に徳次郎との間合いを詰める。とても迎撃できる構えではない。
「徳次郎! かくご……っ!?」
 斬妖刀を振り下ろそうとして、ぎりぎりのところで桜麟は止まっていた。彼女が纏っていた霊力に当てられて、徳次郎の姿が別の者になったのだ。
「漣!?」
 そうだ。徳次郎は妖狐。人を欺くのを得意とする妖魔。
「ほほう。これを破るとは、お主もやるのう」
 はっ、と顔を上げると、縛られて木に吊るされていたはずの漣が、徳次郎の姿へ変わっていた。
「しまっ……」
 直後、足元で徳次郎の霊力を感じたと思った瞬間、それは蔦となって桜麟の足に絡みつき自由を奪う。
「じゃが、まだ若いの。『成って』二年だと、その程度かもしれんのう」
 桜麟の前に立った徳次郎が、勝ち誇ったように見下ろしてくる。その右手に強力な霊力の塊が宿る。
「安心するのじゃ。お主を屠った後で、すぐに輝久も送ってやるぞ。仲良く二人であの世に行くがよい」
「う……ぐっ……」
 完全に罠に嵌ってしまった。逃れようともがくも、強力な霊力は桜麟を離さない。
(輝久様……っ!)
 結局、最後まで何も出来なかった。輝久の足を引っ張るだけだった。籠目から頼まれたのに、それも叶わず終えていく。
 強制的に地面に這わされた桜麟を、徳次郎の膨れ上がった霊力が狙う。今にも吹き飛ばされようとした時、その声は確かに桜麟の耳へと届いた。
「やれやれ。最後まで気が付かんとはな。まあ、それがいい隠れ蓑になったのだが」
(え……?)
「――左近、玄亀、今だ!」
 突如、森の中から霊力と霊力。二つの大きな力を感じた。
「それきた!」「あいよぉっ!」
「なにっ……!?」
 驚愕の声は徳次郎のもの。何とか顔を上げると、亀の甲羅のようなものに閉じ込められつつある徳次郎の姿があった。その向こう側の繁みからは、左近と玄亀が協力して霊力を操っている。
「お、お主らぁ、たばかったな!」
 徳次郎は抵抗するも、術の制御に輝久も参戦して亀の甲羅が徐々に閉じていく。最後の悪あがきとばかりに、徳次郎は四方八方に火矢を放った。そのうちの数本が桜麟と漣を襲った。
「避けろ、桜麟!」
 輝久の声に桜麟は我を取り戻した。いつの間にか蔦からは自由になっている。己の斬妖刀を握り直すと、迫り来る火矢を全て斬り払った。
「ぐぬぅ……あと一息というところで……」
「化かし合いは俺の勝ちだな。本当に騙されていた奴はここにもいるが」
 最後にひと際強く輝久が例力を流し込むと、重々しい音を立てて亀の甲羅が完全に閉じた。嘘のような静けさがその場に残る。
「遅いぞ、左近。何をやっていた」
「いやぁ、ごめんごめん。この妖狐にまんまと騙されてしまってねえ」
「まったく……間に合ったからよかったようなものを」
 厳しい表情で腕を組む輝久へ、玄亀が封印の強化を施す。
「おいらは二人を信じてたからねー。特に桜麟は活躍したんじゃない?」
「活躍も何も……見事に騙されていたが」
 ついさっきまでの緊迫した雰囲気はどこへやら。和気あいあいと話す三人を、桜麟は呆然と見詰めていた。
 少し前から、輝久は仲間の気配を察知していたのだろう。勝利を確信していた徳次郎は、周囲への注意を完全に怠っていた。だから、桜麟と対峙する振りをして、仕掛けられた全ての罠を暴こうとした。
 何が起きたのか頭では理解できた。しかし、感情のほうが追いついてこない。
「大丈夫か、桜麟」
 微笑みながら輝久が近寄ってくる。
「左近と玄亀が潜んでいるのには気が付いていたからな。悪いと思いながらも、お前の純真さを利用させてもらった。すまなかったな。だが、そのおかげで奴は仕掛けを全部失った。この場を誰の犠牲もなく乗り切れたのは、間違いなくお前の手柄だぞ」
「て、輝久様……」
 斬妖刀がぽろりと桜麟の手から落ちた。見上げる彼女の頭に、大きな手が優しく乗った。
 助かった。誰も失わなかった。何より輝久がここにいる。護りたかった主がいる。籠目との約束も守れた。
 そんな現実が、じわじわと桜麟の心の中に染み込んできて、桜麟は視界がどんどんぼやけていった。
「輝久さまぁ……うえええええっ!」
 張り詰めていた緊張が、ふっと途切れると、後はもうどうにもならない。滝のように涙を流しながら、桜麟は輝久の胸へとすがりついていた。
「酷いです……こんな……っ! わたし、わたし……うああああああっ」
「本当に悪かった。お前はよくやったぞ」
 優しく抱きしめられるままになりながら、桜麟はますます強くしがみついた。滅茶苦茶に叫んでいるが、もう意味を成す言葉になっていない。
 怖かった。本当に怖かった。
 思えば村が妖魔に襲われた時から、全てが無我夢中で戦っていた。輝久を失いたくない。その一心で刃を振るっていた。
 けれど、自分の力が及ばず徳次郎に刃が届かなかった。自分のせいで何もかもを失ってしまうかと思った。輝久から全ては策略のうちだったと明かされても、あの絶望感は忘れられない。輝久の胸を拳で叩きながら、桜麟はうわ言のように叫び続けた。
「輝久様、輝久さま、輝久さまああああ」
「もう大丈夫だ。安心しろ。お前はよく頑張ってくれた」
 幼子のように泣きじゃくる桜麟を、輝久はずっと受け入れ続けた。そんな二人を左近が茶化す。
「あ~あ、護り手を泣かせてしまうとは、酷い主だねぇ」
「オイコラ、うるさいぞ!」
「ずぴー」
「うわ、桜麟! 俺の小袖で鼻水を拭くな!」
 慌てたような輝久の声。もちろん、桜麟の耳には届いていない。玄亀の笑い声が夜空に響く。
 輝久の小袖が絞れるくらいになるまで、たっぷりと桜麟は泣き続けたのだった。