◆
決められた場所に廃棄してから戻ると、屋敷ではちょっとした騒ぎになっていた。
(どうしたのだろう?)
バタバタと下男が屋敷の外へと走り、何やら準備を急いでいる様子。はて、と思いながら屋敷の門をくぐると、待っていましたとばかりに徳次郎が飛び出して来た。
「遅い! 一体、何をやっていたんだい!」
「昨日の物を廃棄に……」
「ええい、そのようなもの、適当にして帰ってくればいいんだ!」
苛々と桜麟の腕を掴むと、そのまま奥へとずんずん引っ張っていく。理不尽はいつものことだが、今日は焦っているようにも見える。屋敷の一番奥に連れて行かれ、そこで待っていた下女へと預けられた。
「よし、これから桜麟を磨いてやっておくれ。着物は先ほど見せたやつだ。化粧も忘れずに。うんと見栄えよくするんだよ!」
下女へ指示する言葉に、桜麟は妓楼へ売られるのだと直感した。徳次郎が立ち去ろうとするその裾を掴んで懇願する。
「徳次郎さま! お願いです、もう一度だけ機会を下さい! 今度こそ頑張りますので、どうか妓楼だけは……」
「ああ、肝心なことを話し忘れていたよ」
ニイィ、と笑みを浮かべて徳次郎が足を止めて振り返る。
「そのもう一度だけの機会が、巡ってきたということじゃよ」
「……どういうことですか?」
「会えばわかるさ。とにかく妓楼に売られたくなけりゃ、この機会を逃さないことだね。せいぜい気に入られるように気張るのじゃよ!」
少しばかり……というか、とても嫌な予感しかしない。
桜麟は下女に言われるがままに風呂へ入り身体の汚れを落とした。その後、奥の部屋で着物に袖を通す。赤を基調とした着物で、金糸で桜が刺繍された豪華なものだ。白粉を塗って唇には紅を引き、綺麗に着飾る。
(ど、どう考えても妓楼行きにしか見えないのだけどっ!)
鏡に映った自分の姿に、心の中で悲鳴を上げる。
燃え盛る炎のように揺れて腰まである鮮やかな赤銅色の髪。同じ色の瞳は気の強さを示すかのように目元が引き締まっている。すっと通った鼻梁に、少し薄めの唇。ほっそりとした顎は彼女の顔を小さく見せる。見目だけは素晴らしい、まるで花魁のようだ……と、徳次郎には評されているが、好きでこのような外見に変化したわけではない。
このまま逃げてしまいたかったが、徳次郎は機会をやると言っていた。彼のあの顔はよい買い手が見つかりそうだという期待のようだった。
開かれた障子の側で逡巡していると、行きますよ、と下女に促される。
(でも、わたしには……)
ここで逃げたら確実に妓楼に売られる。他に道はどこにもない。それならば、と桜麟は腹を括って足を踏み出した。
静々と廊下を進んで縁側へ出ると、すっかり日が暮れていた。中庭には明かりが煌々と焚かれており、障子の閉められた座敷の向こうには二つ影があった。中からは徳次郎の陽気な笑い声が聞こえてくる。
桜麟は縁側に座ってから、中へ一声かけた。
「徳次郎様。参りました」
「おお、やっと準備が出来たのじゃな。お待たせしました。うちの自慢の付喪神をお見せしましょう」
徳次郎の合図と同時に、さっと障子が開かれる。桜麟は平伏して自分の名を告げた。
「斬妖刀の付喪神で、桜麟と申します」
「ふむ……」
聞こえてきた若い男の声に、桜麟は危うく顔を上げるところだった。
(え、え? この声は……?)
騒めく心を鎮めていると、若い男が言った。
「桜麟とやら、顔を上げてくれ」
「はい」
そろりと顔を上げて、桜麟は自分の考えが正しかったと知る。徳次郎の前に座っていたのは、村への道を教えた青年だったからだ。
「このお方は、付喪神奉行の輝久様である。桜麟、今日は失礼のないようにおもてなしするんだよ」
(つ、付喪神奉行!?)
徳次郎の言葉に、桜麟は驚きで絶叫してしまうところだった。
付喪神奉行とは付喪神関連の事件を解決する者の中で、最高位に位置する者だった。そんな偉い人が、どうしてわざわざこんな小さな村に足を運んだのだろうか。徳次郎が焦るのも無理はない。
「また会ったな」
「え、ええと」
ふふり、と微笑みかけられ、桜麟は返答に窮した。どう返すのが正解かと悩んでいると、徳次郎のほうが先に口を開いた。
「おや、輝久様は桜麟の噂をどちらで聞かれたのですか?」
「いやいや、噂ではない。この村へ来る途中に、大八車を引いているのを見かけただけだ。道を教えてもらって助かったぞ」
「おお、それはそれは!」
徳次郎が手を叩いて喜んだ。
「困っている者には進んで助けを、と教育した甲斐がありましたな。これ、桜麟。いつまでもそこで畏まっておらずに、輝久様にお酌をしなさい」
「は、はい……」
我に返った桜麟は、おっかなびっくり輝久の隣に座った。差し出された盃にお酒を注ぐと、輝久はぐいっと一気に煽る。豪快な飲みっぷりで、相当お酒に強そうだ。
そこから料理が運ばれてきて宴会が始まった。徳次郎が一方的に桜麟の良さを並べ立てて、輝久が料理をつまみながら適当に相槌を打つ。
徳次郎の言葉は全て桜麟の褒め言葉だった。やれ美人だの、性格がいいだの、霊力が高いだの……むず痒くて別の意味でここから逃げ出したい。自分を売り込む口上だとはいえ、さすがにやり過ぎではないだろうか。
(……って、この人は何を求めて訪れたのだろう)
輝久にお酌をしながら考える。そういえば目的をまだ聞いていない。桜麟に何をさせようと言うのだろうか。
(ま、まさか、このまま夜伽とか……)
それは困る。非常に困る。それでは妓楼に売られるのと同じではないか。
金持ちの中には、付喪神をそういう目的で買っていく者もいると聞いたことがある。付喪神奉行ともなれば、権力だけでなくお金も相応に持っているだろう。
風呂で隅々まで身を清められ、花嫁のように豪華な着物を着せられた。そして隣でずっと侍っている。この状況から考えると、ちょっと一晩お試しを……とか言われても不思議ではない。
(変な人には見えないけれど……)
いくら付喪神は人間の道具だからといって、自分はそんなことに使われたくはない。妖魔を倒せなくとも斬妖刀の付喪神なのだ。己の誇りを守るためにも、座して待つわけにはいかなかった。
「あ、あのっ!」
桜麟は意を決して口を開いた。すぐに徳次郎が、黙っていろと睨んでくるが、それを無視して桜麟は続けた。
「輝久様は、何を求めてここへいらしたのですか?」
「何を……か」
輝久は飲みかけていた杯を膳に置いた。その顔がゆっくりと桜麟の方へ向く。まるで彼女を見定めるかのように、上から下までゆっくりと視線が動いた。やはり夜伽を命じられてしまうのだろうか。そうなったら滅茶苦茶に暴れてやろう。きっと元の姿に戻されて、真っ二つにされてしまうだろうが、付喪神奉行相手に討ち取られるなら諦めもつく。
果たして答えは――桜麟は緊張してごくりと喉を鳴らした。
「――お前は弱そうだな」
「……弱そう?」
思いがけない自分の評価に、桜麟は戸惑いながら問い返していた。
彼女の目の前に座るのは付喪神奉行。妖魔の脅威から町の治安を守るお役目の青年だ。その補佐として付喪神を使っていることくらいは知っている。ならば、強い護り手が必要なのは当然だろう。桜麟も霊力だけならば、そこらの妖魔に負けない自信はあった。
それを弱そう、とは……。
桜麟が返す前に、主の徳次郎が慌てたように割り込んできた。
「輝久様、ご安心ください。この桜麟は虫も殺せぬほど心優しい付喪神ですが、いざとなれば何倍もの霊力を……」
「だが、それがいい」
徳次郎の話は全く聞いていない様子で輝久の手が伸びた。逃げる間もなく、あっという間に桜麟は抱え上げられると、輝久の膝の上に座らされる。
その次に告げられた言葉に、桜麟は言葉を失った。
「気に入ったぞ、徳次郎。この付喪神を俺の護り手として買い求めよう」
(ま、護り手に~っ!?)
付喪神奉行に買われる。妖魔を倒せない斬妖刀の付喪神なのに。
桜麟は心の中で悲鳴を上げていたのだった。
決められた場所に廃棄してから戻ると、屋敷ではちょっとした騒ぎになっていた。
(どうしたのだろう?)
バタバタと下男が屋敷の外へと走り、何やら準備を急いでいる様子。はて、と思いながら屋敷の門をくぐると、待っていましたとばかりに徳次郎が飛び出して来た。
「遅い! 一体、何をやっていたんだい!」
「昨日の物を廃棄に……」
「ええい、そのようなもの、適当にして帰ってくればいいんだ!」
苛々と桜麟の腕を掴むと、そのまま奥へとずんずん引っ張っていく。理不尽はいつものことだが、今日は焦っているようにも見える。屋敷の一番奥に連れて行かれ、そこで待っていた下女へと預けられた。
「よし、これから桜麟を磨いてやっておくれ。着物は先ほど見せたやつだ。化粧も忘れずに。うんと見栄えよくするんだよ!」
下女へ指示する言葉に、桜麟は妓楼へ売られるのだと直感した。徳次郎が立ち去ろうとするその裾を掴んで懇願する。
「徳次郎さま! お願いです、もう一度だけ機会を下さい! 今度こそ頑張りますので、どうか妓楼だけは……」
「ああ、肝心なことを話し忘れていたよ」
ニイィ、と笑みを浮かべて徳次郎が足を止めて振り返る。
「そのもう一度だけの機会が、巡ってきたということじゃよ」
「……どういうことですか?」
「会えばわかるさ。とにかく妓楼に売られたくなけりゃ、この機会を逃さないことだね。せいぜい気に入られるように気張るのじゃよ!」
少しばかり……というか、とても嫌な予感しかしない。
桜麟は下女に言われるがままに風呂へ入り身体の汚れを落とした。その後、奥の部屋で着物に袖を通す。赤を基調とした着物で、金糸で桜が刺繍された豪華なものだ。白粉を塗って唇には紅を引き、綺麗に着飾る。
(ど、どう考えても妓楼行きにしか見えないのだけどっ!)
鏡に映った自分の姿に、心の中で悲鳴を上げる。
燃え盛る炎のように揺れて腰まである鮮やかな赤銅色の髪。同じ色の瞳は気の強さを示すかのように目元が引き締まっている。すっと通った鼻梁に、少し薄めの唇。ほっそりとした顎は彼女の顔を小さく見せる。見目だけは素晴らしい、まるで花魁のようだ……と、徳次郎には評されているが、好きでこのような外見に変化したわけではない。
このまま逃げてしまいたかったが、徳次郎は機会をやると言っていた。彼のあの顔はよい買い手が見つかりそうだという期待のようだった。
開かれた障子の側で逡巡していると、行きますよ、と下女に促される。
(でも、わたしには……)
ここで逃げたら確実に妓楼に売られる。他に道はどこにもない。それならば、と桜麟は腹を括って足を踏み出した。
静々と廊下を進んで縁側へ出ると、すっかり日が暮れていた。中庭には明かりが煌々と焚かれており、障子の閉められた座敷の向こうには二つ影があった。中からは徳次郎の陽気な笑い声が聞こえてくる。
桜麟は縁側に座ってから、中へ一声かけた。
「徳次郎様。参りました」
「おお、やっと準備が出来たのじゃな。お待たせしました。うちの自慢の付喪神をお見せしましょう」
徳次郎の合図と同時に、さっと障子が開かれる。桜麟は平伏して自分の名を告げた。
「斬妖刀の付喪神で、桜麟と申します」
「ふむ……」
聞こえてきた若い男の声に、桜麟は危うく顔を上げるところだった。
(え、え? この声は……?)
騒めく心を鎮めていると、若い男が言った。
「桜麟とやら、顔を上げてくれ」
「はい」
そろりと顔を上げて、桜麟は自分の考えが正しかったと知る。徳次郎の前に座っていたのは、村への道を教えた青年だったからだ。
「このお方は、付喪神奉行の輝久様である。桜麟、今日は失礼のないようにおもてなしするんだよ」
(つ、付喪神奉行!?)
徳次郎の言葉に、桜麟は驚きで絶叫してしまうところだった。
付喪神奉行とは付喪神関連の事件を解決する者の中で、最高位に位置する者だった。そんな偉い人が、どうしてわざわざこんな小さな村に足を運んだのだろうか。徳次郎が焦るのも無理はない。
「また会ったな」
「え、ええと」
ふふり、と微笑みかけられ、桜麟は返答に窮した。どう返すのが正解かと悩んでいると、徳次郎のほうが先に口を開いた。
「おや、輝久様は桜麟の噂をどちらで聞かれたのですか?」
「いやいや、噂ではない。この村へ来る途中に、大八車を引いているのを見かけただけだ。道を教えてもらって助かったぞ」
「おお、それはそれは!」
徳次郎が手を叩いて喜んだ。
「困っている者には進んで助けを、と教育した甲斐がありましたな。これ、桜麟。いつまでもそこで畏まっておらずに、輝久様にお酌をしなさい」
「は、はい……」
我に返った桜麟は、おっかなびっくり輝久の隣に座った。差し出された盃にお酒を注ぐと、輝久はぐいっと一気に煽る。豪快な飲みっぷりで、相当お酒に強そうだ。
そこから料理が運ばれてきて宴会が始まった。徳次郎が一方的に桜麟の良さを並べ立てて、輝久が料理をつまみながら適当に相槌を打つ。
徳次郎の言葉は全て桜麟の褒め言葉だった。やれ美人だの、性格がいいだの、霊力が高いだの……むず痒くて別の意味でここから逃げ出したい。自分を売り込む口上だとはいえ、さすがにやり過ぎではないだろうか。
(……って、この人は何を求めて訪れたのだろう)
輝久にお酌をしながら考える。そういえば目的をまだ聞いていない。桜麟に何をさせようと言うのだろうか。
(ま、まさか、このまま夜伽とか……)
それは困る。非常に困る。それでは妓楼に売られるのと同じではないか。
金持ちの中には、付喪神をそういう目的で買っていく者もいると聞いたことがある。付喪神奉行ともなれば、権力だけでなくお金も相応に持っているだろう。
風呂で隅々まで身を清められ、花嫁のように豪華な着物を着せられた。そして隣でずっと侍っている。この状況から考えると、ちょっと一晩お試しを……とか言われても不思議ではない。
(変な人には見えないけれど……)
いくら付喪神は人間の道具だからといって、自分はそんなことに使われたくはない。妖魔を倒せなくとも斬妖刀の付喪神なのだ。己の誇りを守るためにも、座して待つわけにはいかなかった。
「あ、あのっ!」
桜麟は意を決して口を開いた。すぐに徳次郎が、黙っていろと睨んでくるが、それを無視して桜麟は続けた。
「輝久様は、何を求めてここへいらしたのですか?」
「何を……か」
輝久は飲みかけていた杯を膳に置いた。その顔がゆっくりと桜麟の方へ向く。まるで彼女を見定めるかのように、上から下までゆっくりと視線が動いた。やはり夜伽を命じられてしまうのだろうか。そうなったら滅茶苦茶に暴れてやろう。きっと元の姿に戻されて、真っ二つにされてしまうだろうが、付喪神奉行相手に討ち取られるなら諦めもつく。
果たして答えは――桜麟は緊張してごくりと喉を鳴らした。
「――お前は弱そうだな」
「……弱そう?」
思いがけない自分の評価に、桜麟は戸惑いながら問い返していた。
彼女の目の前に座るのは付喪神奉行。妖魔の脅威から町の治安を守るお役目の青年だ。その補佐として付喪神を使っていることくらいは知っている。ならば、強い護り手が必要なのは当然だろう。桜麟も霊力だけならば、そこらの妖魔に負けない自信はあった。
それを弱そう、とは……。
桜麟が返す前に、主の徳次郎が慌てたように割り込んできた。
「輝久様、ご安心ください。この桜麟は虫も殺せぬほど心優しい付喪神ですが、いざとなれば何倍もの霊力を……」
「だが、それがいい」
徳次郎の話は全く聞いていない様子で輝久の手が伸びた。逃げる間もなく、あっという間に桜麟は抱え上げられると、輝久の膝の上に座らされる。
その次に告げられた言葉に、桜麟は言葉を失った。
「気に入ったぞ、徳次郎。この付喪神を俺の護り手として買い求めよう」
(ま、護り手に~っ!?)
付喪神奉行に買われる。妖魔を倒せない斬妖刀の付喪神なのに。
桜麟は心の中で悲鳴を上げていたのだった。

