夜の空を赤い炎が染めていた。
小さな爆発音が起きて屋根の瓦が飛んだ。別の場所では、焼け落ちた家が火の粉をまき散らす。直後に不気味な方向が響いた。
恐怖に駆られた大勢の人々が、通りの真ん中に立つ輝久の横を通り抜けていった。
その流れに逆らうように輝久は歩いていた。一歩一歩、踏みしめるように歩く様は、草履に鉛でも入っているかのよう。能面を被ったかのような表情は、爆発音が近くなってきても一切変わらず、感情というものが読み取れない。
やがて、長屋の壁を破って、黒い靄に包まれた妖魔が飛び出してきた。別の長屋を破壊しようとして、輝久の気配に気が付いたのか動きを止める。
「籠目……」
それまで無表情だった輝久の顔が、初めてくしゃりと歪んだ。
「こっちへおいで。奉行所へ戻ろう」
籠目と呼ばれた妖魔は、四つん這いの姿勢で輝久を見上げた。黒い靄の奥から、強烈な敵意を向けられる。
――ウウウゥ。
かつての護り手は、もう、人間の言葉が通じるような状態ではない。それを自覚させられ、輝久の両眉が下がった。
「籠目……どうして、そのような姿になってしまっ……!?」
諦めきれずに呼びかけると、妖魔が一直線に飛びかかってきた。それを斬妖刀の鞘で払いながら叫ぶ。
「籠目! 籠目っ! 正気を取り戻すのだ! 俺はお前を斬りたくない!」
一度、妖魔に堕ちた付喪神は元に戻らない。その事実を知りながらも、輝久は斬妖刀を抜くことはできなかった。
付喪神奉行になる前から知っていた護り手だ。阿吽の呼吸で何度も危機をくぐり抜けてきた。そんな家族のような護り手を、この手でどうして斬れようか。
(俺は……)
斬妖刀の柄に手を掛けたまま、妖魔の攻撃を何度もしのぐ。
付喪神奉行としての役目はわかっている。護り手の主として、責任を取らなければいけない。何より妖魔が……いや、籠目にこれ以上の罪を重ねさせてはいけない。
「籠目!」
覚悟を決めて輝久は斬妖刀を抜く。正面から突進してくる妖魔を真っ直ぐに見据えた。
せめて、苦しまぬよう一撃で。
妖魔が間合いに入る。輝久は気合とともに斬妖刀を振り下ろし――
「なっ……」
完全に自分の間合いだった。真っ二つにしたはずだった。だが、その瞬間、妖魔は目の前からかき消えていた。
――テ、テ、テ。
背後からの殺気に振り返ると、いつの間に移動したのか妖魔が視界を埋め尽くしていた。とても避けられる体勢ではない。
(ああ、そうか……)
今さらながらに後悔する。
どうしてあの時、斬ってしまったのだろう。自分の方が倒れていればよかったのだ。そうすれば、こんな想いを抱くことなんてなかった。籠目とともに命潰えているべきだったのだ。
妖魔の鋭い爪が輝久の首筋に迫る。斬妖刀を下ろしたまま輝久は微笑んだ。
「いいぞ。お前の思うようにするがいい」
ゆっくりと目を閉じ――その時は永遠に来なかった。
代わりに死者すら起こすような悲鳴が、悪夢を見事に粉砕する。
「――輝久様! 目を覚ましてくださいっ!」
小さな爆発音が起きて屋根の瓦が飛んだ。別の場所では、焼け落ちた家が火の粉をまき散らす。直後に不気味な方向が響いた。
恐怖に駆られた大勢の人々が、通りの真ん中に立つ輝久の横を通り抜けていった。
その流れに逆らうように輝久は歩いていた。一歩一歩、踏みしめるように歩く様は、草履に鉛でも入っているかのよう。能面を被ったかのような表情は、爆発音が近くなってきても一切変わらず、感情というものが読み取れない。
やがて、長屋の壁を破って、黒い靄に包まれた妖魔が飛び出してきた。別の長屋を破壊しようとして、輝久の気配に気が付いたのか動きを止める。
「籠目……」
それまで無表情だった輝久の顔が、初めてくしゃりと歪んだ。
「こっちへおいで。奉行所へ戻ろう」
籠目と呼ばれた妖魔は、四つん這いの姿勢で輝久を見上げた。黒い靄の奥から、強烈な敵意を向けられる。
――ウウウゥ。
かつての護り手は、もう、人間の言葉が通じるような状態ではない。それを自覚させられ、輝久の両眉が下がった。
「籠目……どうして、そのような姿になってしまっ……!?」
諦めきれずに呼びかけると、妖魔が一直線に飛びかかってきた。それを斬妖刀の鞘で払いながら叫ぶ。
「籠目! 籠目っ! 正気を取り戻すのだ! 俺はお前を斬りたくない!」
一度、妖魔に堕ちた付喪神は元に戻らない。その事実を知りながらも、輝久は斬妖刀を抜くことはできなかった。
付喪神奉行になる前から知っていた護り手だ。阿吽の呼吸で何度も危機をくぐり抜けてきた。そんな家族のような護り手を、この手でどうして斬れようか。
(俺は……)
斬妖刀の柄に手を掛けたまま、妖魔の攻撃を何度もしのぐ。
付喪神奉行としての役目はわかっている。護り手の主として、責任を取らなければいけない。何より妖魔が……いや、籠目にこれ以上の罪を重ねさせてはいけない。
「籠目!」
覚悟を決めて輝久は斬妖刀を抜く。正面から突進してくる妖魔を真っ直ぐに見据えた。
せめて、苦しまぬよう一撃で。
妖魔が間合いに入る。輝久は気合とともに斬妖刀を振り下ろし――
「なっ……」
完全に自分の間合いだった。真っ二つにしたはずだった。だが、その瞬間、妖魔は目の前からかき消えていた。
――テ、テ、テ。
背後からの殺気に振り返ると、いつの間に移動したのか妖魔が視界を埋め尽くしていた。とても避けられる体勢ではない。
(ああ、そうか……)
今さらながらに後悔する。
どうしてあの時、斬ってしまったのだろう。自分の方が倒れていればよかったのだ。そうすれば、こんな想いを抱くことなんてなかった。籠目とともに命潰えているべきだったのだ。
妖魔の鋭い爪が輝久の首筋に迫る。斬妖刀を下ろしたまま輝久は微笑んだ。
「いいぞ。お前の思うようにするがいい」
ゆっくりと目を閉じ――その時は永遠に来なかった。
代わりに死者すら起こすような悲鳴が、悪夢を見事に粉砕する。
「――輝久様! 目を覚ましてくださいっ!」

