亡霊の忘れ花

「着いたよ」
転んでからさらに歩き続けて数十分。もう声も出ない涼介は、姉の声に顔を上げーーー絶句した。
山の頂上。“それ”は一目で分かった。木々で雑然としていた山の頂上はまるで野原のように不自然とひらけているのに、ほのかに薄暗かった。広く広く丈の低い草花が咲き乱れ、しかし生き物は見えない。

そしてその中央に、“御大樹様”はいた。

直径数メートルはあるであろう、太い幹。そこから別れる枝は高く高く伸びており、その一本一本が普通の木と同等か、それ以上に太い。枝につく葉は青々としており、枝と一緒に広く地に影を作っている。

薄暗い理由は、この大樹のせいだったのだ。
静かに佇むそれは、重厚感と並々ならぬ生命力を持ち合わせており、涼介にもそれが“ただの木”ではないことがわかった。
しばし唖然とした涼介は、引き寄せられるように大樹へと足を伸ばす。この世のものではないようなものとの対峙に、胸が震えた。
霞子は少し離れてその様子を見守る。
涼介は大樹の前で立ち止まり、ゆっくりその太い幹に手を伸ばしーー触れた。
その途端、樹に異変が起きた。

涼介が触れた場所から枝先へ徐々に、ぼんやりとひかり出したのだ。
その光は少しずつ膨らみ、強くなり、ついに樹からこぼれ落ち始めた。無数の光のかけらが、涼介に、霞子に、植物たちに降り注ぐ。

ーー俺に、この樹が応えてくれた。
やっとみんなが言っていたことがわかった。アニミズムとか、そういうものと似て非なるものが、特別なものがこの樹には確実にある。
霊とやらも、本当にいるのかもしれない。
祓い屋のことはあまりまだわからないけど、少なくともこの樹は生涯において大切なものであるだろうという予感がした。



どこかぼんやりと樹に対峙する涼介と降り注ぐ眩いばかりの光の粒に、霞子は動けないままでいた。
さっきからずっと心が叫び喚いている。
おかしい。こんなのおかしい、と。
ーー私の時は、こんなことなかったのに!
そういえば、と不意に思い出した。
霞子と御大樹様の初の対面の時、付き添ったのは父だった。
その時大樹は光らず、ただただ霞子を圧倒するだけだった。大樹に畏怖を覚えて父の上着の裾を握った霞子に、父は確かにつぶやいたのだ。
“選ばれなかったか”ーーと。
それはもしかして力を授けられなかったのかとその時は不安になったのだが。

結局ちゃんと視えるようになったから、今の今まで父の言葉はすっかり忘れていた。
どこかに感情を置いてきたような瞳で大樹と向き合う弟に、目眩がした。

悪夢を見ているような心地だった。ずっと優秀な長女として周りに応えてきたつもりだった。難ありの弟の代わりに頑張らないと、と自分が家を支えるつもりで全てを捧げてきた。
それなのに。
こんな光景を見せつけられたら流石に悟る。
霞子は“違った”。

選ばれたのは、内心馬鹿にしていた弟の方だったのだ。