私の帰る場所

 彼はその言葉に頷きながら私をチラリと見遣り、柔らかく微笑んだ。
 その笑顔に胸がときめいた私は、自分の気持ちを誤魔化すように慌てて目を伏せ俯いた。ドキドキと波打つ胸の鼓動を落ち着かせるようにそっと呟く。

「全部で何匹、飼っているんですか?」
「犬も猫も八匹ずつだよ」

 遙さんはそう答えると、何故か少し心配そうな表情を浮かべたのだが、すぐに穏やかな笑顔に戻り言葉を続けた。

「父も僕も美空市内で獣医をしているんだ。この子たちは皆、捨てられていたり、飼い主の都合で育てることが出来なくなった子たちなんだよ。それを僕たち親子が拾ってきたり譲り受けたりしている。そのうち家の中が犬と猫で溢れかえりそうだ」

 それを聞いた私は彼の先ほどの言葉を思い出した。

― このテのことはしょっちゅうなんだ

 成る程、父親が拾ってきた闖入者には免疫が出来ているというわけだ。只、それが動物と人間との違いで彼は少し戸惑ったのだ。

 しかも若い女性。どうしていいのか分からず、最初のちょっと素っ気無い態度の理由が分かったような気がした。照れ屋さんなのだと。

「遙さんも大地さんも、優しい獣医さんですね」

 私は思ったことを素直に口にして微笑んだ。
 その拍子に頭に巻いてあったタオルが解けて床にはらりと落ちた。少しだけ乾き始めていた、しなやかな長い黒髪がはらりと顔全体に下りてくる。

 私が髪を掻き上げると、彼は息を止め、まじまじと私を見つめていた。その視線に私が訝しげに小首を傾けると、遥さんは慌てたように言った。

「あ……。俺、父に洗面所を空けるように言ってくる。早く髪を乾かさないとね。気が付かなくてごめん」

 彼は素早く立ち上がると、リビングをそそくさと出ていく。私はその後姿を訳も分からずにきょとんとした表情で眺め、又、タオルを頭に巻いた。

 すぐに大地さんがリビングへと戻って来た。

「すみませんね。どうぞ洗面所を使って下さい。ドライヤーは置いています。男やもめだから、こういうことにはほんとうに気が付かなくて」

 大地さんは照れくさそうに頭を掻いた。
 男やもめ? そういえば、ここに来てから大地さんと遙さんの二人以外、誰にも会っていないことに気が付いた。
 でも、河埜家の家庭状況を詮索しても仕方ない。今は助けてくれた二人に感謝することが第一なのだと、私は思っていた。

「いえ、私こそ生活のリズムを狂わせて、ほんとうにすみません」

 心からの気持ちを伝え、私はこれ以上、河埜家に面倒を掛けないようにと洗面所へと急いだ。


 借りたドライヤーで髪を乾かし、リビングに戻ると遙さんは大地さんと何かしらの話をしていた。
 私に気が付いた大地さんは、いきなり「えっ……」と、声にならないような呟きを上げた。
 そして、先程の遙さんと同じように彼も息を止め、まじまじと私を見つめた。

「あの、私が……何か?」

 先程からの二人の行動に、少しばかりの不安を覚えた私は思わず大地さんに尋ねていた。
 彼は振り返り、遙さんを見たあと、又、私を見る。大地さんも遙さんも驚いたような、そして不可思議な表情で私を見ている。

 少しの沈黙が流れたあと、大地さんが言いにくそうに口を開いた。

「……失礼しました。お嬢さん、あなたが私たち親子の知り合いとあまりにも似ていたもので」

 彼は大きな溜息を吐いて目を伏せた。


ー 似ている? 一体、誰に?


 戸惑うような私を見て、遙さんがいきなり頭を下げた。

「ごめん。気を悪くしたなら俺からも謝ります」

 彼は私を見つめ、言葉を続けた。

「キミは十二年前に亡くなった母にそっくりなんだ。父も俺も、まさかと目を疑ったくらいに。キミがずっと俯いていたから気が付かなかった」

 遙さんに同調するように、大地さんが目尻を擦りながら小さく頷いた。

「私が……、お母様に?」

 思いがけない言葉に私は驚いた。
 ますます自分が誰なのかが分からない。

 狼狽し、何と言っていいのかさえも分からなかった。しかし、そんな私を大地さんが気遣うように言ってくれた。

「あなたの記憶を混乱させるようなことをしてすまなかった。ただ、ほんとうに瓜二つだったものだから……。私は妻が帰ってきてくれたのかと思ったよ」

 大地さんが少し濡れた目で私を見つめ、柔らかく微笑んでくれた。彼の笑顔はほんとうに穏やかで、郷愁を感じさせる何かに満ち溢れている。彼の心優しい言葉で、私は安堵の溜息を吐いた。

 しかし、心の中にひとつの疑問が浮かんでいた。私はこの河埜家に何か関係がある存在なのかと。
 記憶の糸を探りそれを考えようとしたが、大地さんの言葉がそれを遮った。

「いやいや、二人ともほんとうにすまなかった。この話はここまでにしよう。他人の空似という言葉もある。さぁ、遙にお嬢さん。遅くなったが晩メシにするとしよう」

 彼は努めて明るい声で手をパンと叩き、食事の支度をするため、いそいそとキッチンへ向かった。

 今は考えることはよしておこう。いずれ何かしらの記憶の欠片が戻るかもしれない。
 ひとつずつ思い出せば良いことだと、私は頭を切り替えた。


 すぐに食事の準備が整い、席に着いた遙さんの「よし」という声とともに、おあずけをくらっていた犬たちが一斉にボウルに鼻先を突っ込んで食事をはじめた。

「いただきます」と、大地さんと遙さんが手を合わせたので、私もそれに見習い手を合わせ、食事をご馳走になった。

 空腹だったのか食欲は旺盛だった。お代りも頂いたのだが、何処で躾られたのか食べ方の作法だけはきちんと覚えていた。
 そんな私の姿を大地さんがひとつひとつ確かめるように眺めていた。


 会話も弾んだ楽しい食事を終えて後片付けが済むと、コーヒーが入った大きめのマグカップを持った大地さんが一人掛けのソファに深く腰掛け、私と遙さんを見て口を開いた。

「さてと、今から今夜の経緯を話そうと思う。何かしら気付いたり、思い当たることがあれば、あとで聞かせて欲しい」

 遙さんと私もマグカップを手にソファへと座り、小さく頷いた。
 大地さんは言葉静かに私を見つけたバス停のところから話をし始める。私はそっと目を閉じて、彼の話に耳を傾けた。