王子様の俺はモブに落ちました。


「…はぁ、まじで全員まとめて消えてくんねぇかな」
放課後の生徒会室、誰もいない室内で俺は机に突っ伏してこれまでにないほどド黒い毒を吐き散らかしていた
今日は朝から最悪だった
クラスの女子の恋愛相談(どうでもいい)に笑顔で乗り、先生からの無茶な頼まれごと(面倒くさい)を爽やかに引き受け、昼休みはファンクラブの集団に囲まれて一歩も動けなかった
「完璧な学園の王子様・御子柴周」を演じ続けるのは想像以上にエネルギーを消費する
(どいつもこいつも俺の顔と『都合のいい優等生』っていう肩書きしか見てねぇ …まぁその仮面のおかげで極上の優越感を味わえてるんだから自業自得だけどよ…)
重い溜息をつきながら誰もいないはずの廊下へ出る
すっかり夕暮れ時だ
窓の外はオレンジ色から不穏な紫色のグラデーションへと変わりつつある
疲れ果てた俺の顔はとてもじゃないが「王子様」と呼べるシロモノではない
ただの目つきの悪い、性格のひねくれた男の顔だ
トボトボと階段を降り、渡り廊下を渡ろうとした、その時だった
「…あ、御子柴先輩」
聞き慣れた、あの低くて心地いい声
ビクリとして顔を上げると前方から部活のジャージを着た蓮野が歩いてくるところだった
(げっ、蓮野…! クソ、この疲れ切った顔を見られるわけには___)
脳のスイッチが強制的に「王子様モード」に切り替わる
俺は一瞬で背筋を伸ばし、口角を上げ、いつもの完璧なロイヤルスマイルを作り出した
「やあ、蓮野くん 部活帰りかい? 今日もお疲れ様」
我ながら完璧な切り替えだ
声のトーンも表情も、一ミリの隙もない
だが近づいてきた蓮野はいつものようにペコリと頭を下げなかった
黒ぶち眼鏡の奥にある、あの少し三白眼気味の驚くほど澄んだ瞳がじっと俺の顔を覗き込んでくる
(…な、んだよ 何を見てるんだ 俺の髪型、崩れてるか?)
沈黙が痛い
蓮野は俺の「完璧な笑顔」を見つめたまま、一歩、また一歩と距離を詰めてくる
そして誰もいない静かな渡り廊下で蓮野がぽつりと呟いた
「…先輩、今無理して笑ってます?」
ドクン、と心臓が嫌な跳ね方をした
「え…? 何を言ってるんだい、俺はいつも通り___」
「目が全然笑ってないです」
蓮野の声は優しかった
だけど俺の心の奥底を容赦なく抉り取っていく
「いつもの先輩の笑顔ってすごくキラキラしてて綺麗ですけど…今の笑顔はなんか、すごく寒そうです 本当はすごく疲れてるんじゃないですか?」
(…っ!?)
頭を殴られたような衝撃だった
誰も気づかなかった
クラスの奴らもファンクラブの女子たちも先生も
みんな俺の「作った笑顔」を本物だと信じて崇めていたのに
この、前髪もっさりで視力も0.03しかない、ただの地味なモブのはずの男が俺の「裏の顔」のシグナルを正確に受信している
「な、何を知ったような口を…っ」
焦りからいつもの爽やかなトーンが崩れ、地声に近い低い声が出てしまう
だが蓮野は怯えるどころかさらに一歩踏み込んできた
「僕、ド近眼だから人の顔のパーツはよく見えないんです」
蓮野がゆっくりと手を伸ばす
その手が俺の制服の袖をきゅっと優しく掴んだ
「でも見えないからこそ、相手の雰囲気とか声のトーンとか…そういうのは人より敏感に分かっちゃうみたいで …先輩、僕の前では、そんなに頑張って笑わなくても大丈夫ですよ」
無自覚、完全に無自覚
こいつは自分がどれほど傲慢な王子のプライドを粉々に踏みにじっているか、分かっていない
だけどその掴まれた袖から蓮野の体温がじわじわと伝わってきて俺の体中に毒のように回っていく
(…あ、ダメだ)
悔しい、めちゃくちゃに悔しい
心の中で悪口を言う気力さえ、その優しい言葉の前で綺麗に溶けていく
張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、俺はふいっと蓮野から顔を背けた
「…うるさい お前に何がわかるんだよ」
口から出たのは王子様とは程遠い、ただの生意気で子供っぽい本音の言葉だった
だけど蓮野はそれを聞いて今日一番の本当に嬉しそうな笑顔を浮かべたのだ
「あ、今の声すごく好きです 先輩、本当はそういう話し方するんですね」
「…は?」
「そっちの方がずっと格好いいです」
ドッゴォォォォン!!!
心臓の奥の一番柔らかい場所を本日最大級の弾丸が完全に撃ち抜いた
顔が、耳が首筋までが夕焼けの赤さなんて比じゃないくらい一瞬で沸騰する
「も、もう知らないっ!!お前なんか大嫌いだ!!」
俺は蓮野の手を振り払うと(今回は全然強くない力で)カバンを抱え直して本日何度目かも分からない全速力でその場から逃げ出したのだった

「…なんなんだよ、あいつ まじで、なんなんだよ…!!」
夜、自室のベッドで枕を殴りつけながら俺は涙目で絶叫していた
鏡を見るまでもない
自分の顔がどれだけ腑抜けた赤裏返り方をしているか、全部分かる
完璧な王子様という仮面を見破られ、おまけに「そっちの方が格好いい」と言われてときめくなんて王子の歴史、いや俺の人生最大の敗北だ
「誰が落ちるかよ…!あんな、人の心に土足で踏み込んでくる天然タラシに……!!」
しかし、掴まれた袖の感覚とあいつの「僕の前では無理して笑わなくても大丈夫」という言葉が胸の奥をじんわりと温め続けている
プライドの防壁はすでに内側から完全に崩壊していた