王子様の俺はモブに落ちました。

「フッ、今日こそあいつの理性を粉々に粉砕してやる」
翌日の放課後、俺は校舎の裏階段で手鏡を見ながら完璧な不敵な笑みを浮かべていた
昨日の屈辱は忘れない
視力が0.03だろうがなんだろうが関係ない
要はあいつが嫌でも俺を意識せざるを得ないような、強烈なシチュエーションを叩き込んでやればいいのだ
名付けて『王子のハニートラップ作戦』
数多の女子を気絶させてきた俺のモテテクをあいつに惜しみなく叩き込んでやる
ターゲットの動向はすでに把握済みだ
蓮野は週に数回、放課後に一人で社会科準備室のプリント整理を手伝っているらしい
今は先生も出払ってあの中には蓮野が一人きり
(勝ったな、完全なる密室 そこで繰り出される王子の壁ドン…! 想像しただけで哀れだな、蓮野 お前の心臓、爆発させてやるよ)
フフフ、と暗い笑い声を漏らしながら俺は社会科準備室のドアを静かに開けた
ガラガラ…
「あれ、御子柴先輩? どうしたんですか?」
部屋の奥、うず高く積まれたプリントの山から蓮野がひょっこりと顔を出した
今日ももっさりした前髪に黒ぶち眼鏡、絵に描いたようなモブだ
「やあ、蓮野くん 通りかかったら君が見えたから少し手伝おうと思ってね」
俺はあえて声を一段低くし、大人の色気を演出(のつもり)しながら近づいた
蓮野は「え、悪いですよ」と恐縮している
よしよし、ここまでは予定通りだ
俺はわざと蓮野のすぐ隣のプリントの束を手に取り、作業を始める
そして彼が次の束を取ろうと壁際に移動した、その一瞬の隙を見逃さなかった
(今だ…!!)
ドンッ!!!
静かな準備室に小気味いい音が響く
俺は蓮野の退路を断つように彼の耳のすぐ横の壁に勢いよく右手を突いた
世に言う『壁ドン』である
距離はわずか十数センチ
俺の国宝級の顔面が蓮野の目の前にある状態だ
(さあ、どうだ! この至近距離ならいくらド近眼のお前でも俺の顔がハッキリ見えるはず! 少女漫画の定番に顔を真っ赤にしてガタガタ震えるがいい!)
俺は挑発的にだけど甘く微笑みながら蓮野の目をまっすぐに見つめた
「ねえ、蓮野くん 俺がここにいると集中できない、?」
我ながら完璧なセリフだ
背筋が痒くなるようなキザなセリフも俺の顔面があればすべてが正義になる
しかし、蓮野は怯えるどころかメガネの奥の目を丸くしてじっと俺の顔(特に鼻のあたり)を見つめてきた
沈黙が流れる
…あれ? 赤くならない
すると蓮野はおむむろに自由な左手を伸ばし、俺の頬にそっと触れてきた
(ふぇっ!? え、手のひら、あったか…って、何してっ……!?)
予想外のボディタッチに逆に俺の心臓がドクンと大きく跳ね上がる
蓮野は真剣な顔で俺の顔をのぞき込みながら言った
「…御子柴先輩、もしかしてどこか具合悪いんですか?」
「は、はいぃ!?」
「だって、急に壁に突進してきたし息も少し荒いし、もしかして貧血ですか? 倒れそうになって咄嗟に壁に手を突いたんじゃ…」
蓮野の瞳には一切の邪念がなかった
あるのはただただ、目の前の先輩を心配する純粋で優しい光だけ
「顔も昨日よりずっと赤いですよ ほら熱があるんじゃ…」
そう言って蓮野は俺の頬に触れていた手を今度は俺の額へと移動させた
前髪が払われ、蓮野の手のひらが俺の額にぴったりと密着する
(あ、熱い、蓮野の手が熱い っていうか、距離、近、っ…!!!)
「…あれ、本当に熱い やっぱり保健室行った方が…」
「い、行かないっっっ!!!!」
俺は蓮野の手をバッと振り払うと壁ドンしていた手を引き剥がし、情けない声を上げながら三歩下がった
(な、何なんだよこいつ!! 壁ドンだぞ!? 普通は『ドキッ』とか『何するんですか…っ』とかだろ!! なんで介護施設のおばあちゃんを見るような目で俺を心配してんだよチクショウ!!!)
心の中で血の涙を流しながら毒を吐くが俺の身体は正直だった
額に触れられた感触がまだ熱を持って残っている
ドクドクとうるさいくらいに脈打つ心臓が自分の敗北を告げていた
「ご、ごめん! 用事を思い出したから、失礼するよ!!」
「えっ、あ、先輩! プリント…!」
呼び止める声を無視して俺は社会科準備室から文字通り逃亡した
今週に入ってから俺はあいつの前で逃げてばかりだ
校舎の裏庭まで走り込み、冷たい水道水で顔を洗う
鏡に映った自分の顔はハニートラップを仕掛けた側とは思えないほど情けなく真っ赤に染まっていた
「くそっ…! 天然タラシめ…! モブのくせに俺の心臓を弄びやがって…!」
王子のプライドはすでに消えかけの風前の灯火
仕掛けた罠に自分が一番深くハマっていることに御子柴周はまだ認めたくない頑固さで抗い続けるのだった