王子様の俺はモブに落ちました。

「ありえない 絶対に何かの間違いだ 俺は幻覚を見ている」
不良どもが悲鳴を上げて逃げ去ったあとの静まり返った裏庭
俺は呆然と立ち尽くしたまま、目の前の光景を脳内で処理できずにいた
地面にまだうっすらと残る、一本背負いの激しい摩擦の跡
そしてその中心に佇むのはいつもおどおどとお弁当箱を抱えているはずの蓮野碧だ
「…ふぅ、びっくりした」
蓮野はそう呟くと鋭かった三白眼を一瞬で元の眠そうなタレ目に戻し、ふにゃりと息を吐いた
そして乱れた前髪を直すこともせず、黒ぶち眼鏡をクイッと押し上げる
「あの、御子柴先輩 …怪我、ないですか? どこも殴られてない、ですか?」
蓮野はタタッと俺の目の前まで駆け寄ってくると心配そうに俺の顔や腕を覗き込んできた
さっきまで不良を地面に叩きつけていた男とは到底思えない、いつものピュアで地味なモブの顔だ
(…いやお前、何が『びっくりした』だ びっくりしたのは俺の心臓と脳みそだよ 古武道って何!? 道場って何!? お前、実はモブじゃなくてバトル漫画の主人公だったのかよ!?)
心の中で過去最高速度のツッコミと悪口を爆走させるが喉の奥がカラカラに乾いて言葉にならない
何よりさっき彼に助けられた瞬間、俺の胸の奥が「ドクン!!」と今までで一番激しく、暴力的な音を立てて跳ね上がったのだ
少女漫画でヒロインがピンチの時にヒーローに助けられる、あのベタなシチュエーション
俺はいつも「あんなので落ちる不細工どもは脳がハッピーセットかよ」と心の中で毒を吐いていた
なのに
(…格好いい、って思っちゃったじゃねぇか…っ)
認めざるを得ない
不良の腕を掴んだ時のあの綺麗な身のこなし、俺を背中に隠した時の広い背中、そしてすべてが終わったあとに俺だけに向けるこの優しい瞳
完璧な王子様であるはずの御子柴周がただの地味系男子(物理最強)に完全にヒーローの座を奪われた瞬間だった
「せ、先輩…? 本当に大丈夫ですか? 顔、さっきの不良より青白いっていうか…あ、やっぱり無理して笑顔作ろうとしてます?」
蓮野がさらに顔を近づけてくる
学校の制服のはずなのになぜか実家の道場の畳の匂いというか、お日様のような匂いがふわっと鼻をくすぐった
「…っ、うるさい!! 触るなバカ!!」
俺は限界まで達した照れとパニックで思わず蓮野の手をバッと振り払ってしまった
いつもの爽やかなロイヤルスマイルなんてもう一ミリも残っていない
「俺は学園の王子様だぞ!? あんな雑魚ども、俺が本気を出せば指先一つでひねり潰せたんだよ! 余計なことしやがって…!」
「あ…」
蓮野は振り払われた自分の手を見つめ、それからシュンと犬のように眉を下げた
前髪の隙間から覗くその顔が本当に申し訳なさそうに歪む
「…すみません 僕、先輩が心配でつい出しゃばった真似を… 先輩のプライド、傷つけちゃいましたよね ごめんなさい」
ペコリと深く頭を下げる蓮野
その姿を見た瞬間、俺の胸の奥が今度はキュウッと雑巾を絞られるように痛んだ
違う、そうじゃない
プライドが傷ついたから怒ってるんじゃない
お前があまりにも格好良すぎて自分の心臓がもたなくて自分が完全に「乙女」みたいな反応をしてしまったことが恥ずかしくて、だから__
「…ちが、」
「え?」
顔を上げた蓮野に俺は真っ赤になった顔を必死でそっぽへ向けながら消え入りそうな声で呟いた
「…違う、怒ってない …ありがと、な」
「…あ」
蓮野が目を丸くする
俺は自分の心の中の毒舌マシーンが完全に敗北を認め、白旗を振っているのを感じていた
もう抗えない
あいつがモブだろうがド近眼だろうが一本背負いの達人だろうが、関係ない
「…怪我、お前こそねぇのかよ あいつの手首掴んだ時、痛めたりしてねぇだろうな」
「はい、全然大丈夫です! …えへ、先輩、やっぱり優しいですね」
蓮野は本当に嬉しそうにメガネの奥の目を細めて笑った
(優しいんじゃねぇよ… お前に完全に狂わされてるだけだよ、バカ…)
夕暮れの裏庭
王子様・御子柴周の「完璧な仮面」は最強のモブ男子によって完全に粉砕された
しかし本当の戦いはここからだ
自分の恋心を完全に自覚した周がどのようにしてこの「底なしのモブ沼」で生きていくのか