後輩くんの事件があった二日後に、ヒロトくんが唐突に美術室に現れた。
「……っ、ぶ、ちょうさん、いますか」
聞き覚えのない声に、「森山くん」と聞こえたので入り口のほうを向くと、目を伏せつつ、部屋の中をちらちら覗き込む彼が見えた。
「あ、ヒロトくん」
「!」
俺の声が珍しく通ってしまって、めちゃくちゃ恥ずかしくなったけど、そこには触れずにいようと思う。
「……この前の子」
「また来たんだ」
めざとい双子がそう言ったということは、間違いなく、この前来たのはヒロトくんだとわかった。
俺は予備の椅子を出して、自分の横に来るよう手招きした。ヒロトくんは「失礼します」と言って、俺の横にちょこんと座った。
「ごめんね。この前来てもらったのに」
「あ……そ、すね」
「……敬語?」
「なんか、ちゃんとしないとって怒られて」
「……ふふ、そう」
ちら、と後輩くんのほうを見れば、一応自分の絵に集中しているように見えた。今日はもう動かないようにするのだろう。
俺の、まだ裂けたままの絵を見て、ヒロトくんは目をぎょっとさせた。
「これ、どうなるんですか」
「そうだね。顔のパーツは描かずにやってみようかなって思ってる」
正直、自分は気にしていないのだが、やはり衝撃は大きいのだろう。俺の顔とキャンバスを交互に見ながら、ヒロトくんは首を傾げている。
俺はポンと背中を叩いて、言った。
「あの日感じたことを描こうと思ってるだけだから、気にしなくて大丈夫だよ」
「なんか、その」
「うん?」
「芸術、なんにもわかんなくて」
――そんな割り切れるもんなんですか。
気を遣ったのか、自分にしか聞こえなさそうな音量でヒロトくんがつぶやいたので、俺は「よくわからないや」と呟き返すに留めた。
「今日、せっかくだしキャンバス張り直すから、よかったら手伝って……いや、やってみる?」
「え?」
「木枠に、このクリップみたいなこれを使ってキャンバス伸ばして、こっちの柔らかい釘でトントン。簡単でしょ?」
「……わ、かりました。でも、ちょっと」
「そっか」
まあ、そのうちやりたくなったら、試してもらえばいいし。釘打ちは美術だけでやるわけでもないし。
今回は空振りか、なんて画材を詰めたケースを開くと、独特の残り香にヒロトくんは顔をしかめていた。
「匂い、きつい?」
「それなりに」
「まあ、慣れちゃうし、乾けば多少マシかな」
そこから先も、三十分ほどじっくりと作業を見られていた。どのチューブから何色を出して、パレットに乗せて、どのくらい薄めて描くかまで、じっと。
あまりにしっかりと観察されているものだから、描きたいのかと思って声をかけたけれど「別にそういうのじゃないんで」と言いながら、俺が出していた個包装のクッキーをちまちまと食べていたので、どうやら描くことには興味がないらしい。
「またいつでも来てね?」
「っす……」
あれから何度か、ヒロトくんはだいたい二日に一度ペースで来訪してくれるようになった。
そのたびに「違和感」とか「なんか気持ち悪い」とか、新鮮な感想を聞くことができて、俺はとても助かっている。
どうやら自分は、彼の反応を期待してしまっているらしい。それを見かねた双子曰く「「部長かデレてる」」とか。正直その差はわからない。
隣で宿題らしきノートを、首をかしげながら埋めている姿を見ていると、ついつい余計な口を挟んでしまいたくなる。ただ自分は、絵に集中すべしと、ぐっとこらえることにしていた。
さすがにヒロトくんは一週間前には来なくなった。理由が「完成するの、もったいないから」というかわいい理由だった。
おかげで筆も進み、作業最終日にもしっかりと描き足すことができた。
作品説明には「友人との出会いの瞬間を形にしました」と書き添えた。
伝えていないけれど、どうせ見られてしまうのだ、と開き直って、書き足すことにした。
ヒロトくんのおかげでこんなふうに動くことができた。その感謝も込めて。


