着々とキャンバスに色が乗り始め、あとは細部を詰めようとしていた、そんな日のことだった。
クラスの掃除が長引いていたことを、これほどありがたく思ったことはなかったと、この日を振り返って俺は思った。
「おつかれー」
「あ」
「ヒロ部長!」
「ちょっと!」
「え?」
美術室に入って早々、切迫したみんなの声が雪崩れ込んできた。
その一番前に担ぎ出されたのは、後輩くんだった。今にも泣き出しそうな彼は、ひたら俺に謝っている。
「ご、ごめんなさい、あの、部長……っ!」
「よりによってド真ん中とか、何してんの!」
「いやでも、棚に戻そうとしただけで……っ、わざとじゃ」
「そんなのはわかってるってば!」
「えっと……?」
「「コレ見て」」
部屋の中央には、自分の絵があった。
しかし、昨日の夜に見たものとは全く異なっていた。
自分のキャンバスの中央が、大きなひっかき傷でえぐれていた。ちら、とほかの部員を見ると、だいたいは後輩くんを一瞬見たあと、絵をみた。
つまり、彼に何がしかの原因があるということだろう。
俺の作品だったものが、その中央で悲壮感をたたえている。正確に言えば、それを囲むみんなの表情が、なのだが。
「……」
俺はその空気に耐えかねて、自分の絵の状態を確認することにした。
上部から中央にかけて、綺麗な一筋の裂け目ができてしまっていた。ギリギリキャンバスは裂けていないが、今後破れる可能性があることは明白だ。
「えっと、なにがあったか聞いても?」
「ぼ、僕がっ」
「そうそう、この子が」
「やらかしたの」
「二人はいいから、えっと……教えてもらっても?」
「は、はいっ」
聞けば、後輩くんが、イーゼルを片付けために取り落としてしまい、奥に立てかけていた俺の作品の方向に落としてしまったとか。
現場にいたの一年生何人かと双子だけだったらしい。
真っ青になった後輩くんには「大丈夫だから」と何度も伝えたけれど、正直どうにもなりそうもなくて、顧問の先生に預けてしまった。
破損したところを確認してみれば、木枠には問題がなさそうだから、別のキャンバスを張り直すときに上から貼り付けたら問題なく展示ができそうだった。
半立体にするつもりもないし、これでまかなえそうと目処が立った気がしていて。そう思えばなにも恐くなかった。
「ヒロ部長……」
「これ、どうするんですか」
「大丈夫。これならなんとかできるから」
「ほ、んとに?」
「あの子かばってるとかじゃないですよね?」
「もちろん」
この先どうしようか、という不安はあるが、作品のテーマが決まらなかったときに比べたら、なんてことはない。
ただ、周りの空気が重たく立ちこめていることには対処しなければならないだろう。
ここはひとつ、と俺は口を開いた。
「その代わり」
「っ」
「なんですか」
「明日からお菓子、ちょっと多めにしよっか」
作業時間が遅くなるため、個包装タイプのお菓子を持ち込むことは、常識の範囲内で許されている。普段は自分のためだけに持ち込む部員がほとんどだが、これは彼へのフォローだ。
「……わ、かりました」
「ミルクチョコ、高いけど増やそうか」
「そうだね」
双子がぽつりとつぶやいた言葉が、漣のように部員みんなに広がった。
自然な気遣いがなんとなく伝わったのだろう。チョコは、彼が好んで食べていたものだと気づいたのは、きっと俺だけじゃないだろうから。


