祈りの先の物語

 御供養様の始まりは、太鼓の音が鳴り響くでも、夜空に花火が上がるでもなく、村人たちがぞろぞろと集まり、誰かが言った「じゃあ」という言葉を皮切りに、飲んだり食べたりが行われる、というものだった。けれど思い返してみると、祭りの始まりに出くわした記憶はない。地元で行われていた小さな祭りにだって、ふらっと立ち寄り、ふらっと帰っていたのだから。
 しばらくは村人同士が自由に談笑をしていた集会所付近も、ひとたびやぐらに人影を認めると、一気にそちらへ視線と話題が移る。太鼓や笛の音に合わせて舞う穂積さんを、村人は皆好意的な表情で眺めていた。
 俺はふと、視線をやぐらからその下に置かれた神輿へと移す。神輿には、きちんと案山子が積まれていた。
 今朝方、朝食券話し合いが終わった後で、村人たちが気付く前にと慌てて神輿に積んだのだ。誰がって、大和さん以外の四人で。俺や公英さんは、大和さんにも運ぶように詰め寄ったが、穂積さんが「また体調を崩したら大変だから」と庇うので、渋々引き下がったのである。
 そんな大和さんは重労働をサボったおかげか、ピンピンした様子で舞を披露する穂積さんを見上げていた。
「見ているな」
「誰がですか?」
「サクが」
 大和さんが平然とそう言うので目を懲らして鳴子家の方を見るが、朔さんの姿は見えない。
「あんた、耳だけじゃなく目までいいんですね」
「お褒めにあずかり光栄だ」
「……朔さん、どんな顔で穂積さんを見ているんですか」
「さあ」
 大和さんはわざとらしく肩をすくめると、「表情で感情のすべてがわかるわけではないだろう」と言った。その言葉を受けて、昨日数十分だけ相対した朔さんの顔を思い浮かべる。そういえば俺は彼に、感情があまり表に出ない人といった印象を受けたなあ。
「そろそろ行くぞ」
 気が付けば祭りは後半にさしかかったらしく、舞を終えてやぐらを下りていた穂積さんが、顔を覆うような装束姿で神輿に乗り込むところだった。やぐらの側には、その神輿を神妙な面持ちで見つめる公英さんの姿があった。
 俺は祭り会場に背を向ける大和さんの後に続き、夕陽色に染まったあぜ道を歩く。
「あまり危険なことはしないでくださいよ。あんたに何かあったら、俺は志貴に給料を減らされるんですから」
「キミはそればかりだな」
 歩く速度は緩めずに、大和さんは顔の左半分をこちらに向けた。
「そんなに心配なら、キミがオレを守ればいい」
「俺が心配なのは、あんたじゃなくて給料です」
 そんなやりとりも、穂積家の門が見えてきたところで、どちらからともなく終わらせる。
 なるべく息を潜めて門をくぐった先、正面にある玄関ではなく、そこから少し回り込んだ場所、ちょうど俺と大和さんが眠っていた部屋の窓付近に、うごめく影。驚きはしなかった。おそらくこの時間帯にここに彼がいることを、大和さんが予想していたから。
「悪いが、黄リンの埋め込まれた案山子は水に沈めて処分させてもらったよ。キミにはいくつか聞きたいことがあるのでね。できれば、涼しいところで」
「……暑さには弱いようですからね。その後、体調はいかがですか」
 彼にとっては予期せぬ来訪者であろうに、大和さんの声を聞いても取り乱すことなく、影はゆっくりと立ち上がり、こちらへ振り向く。
「おかげさまで、こうしてキミとのお喋りに興じることができる程度には回復したよ」
 大和さんのその言葉を聞き、彼──鳴子朔は、心底安心したように微笑んだ。

「大和さん。あなたはどこまでおわかりになっているのですか」
「何も」
 落ち着いた声色で短く返す大和さんと、眉を少し顰めた朔さん。相対して繰り広げられる二人の会話には、俺の入り込む余地はなかった。
「これはキミヒデにも言ったことだが、ワタシは探偵でも警察でもない。ただのしがない民俗学者だ。だから、何か一つの事象において、結論づけることはしない。ただ、仮説を提示するだけだ」
「……では、あなたは何に対してどんな仮説を提示したうえで、僕に何を尋ねたいと?」
「キミが父親からどこまで聞いたのかを」
 朔さんは、より一層笑みを深める。いっそ不気味なほどに目は細められ、口角は緩やかに引き上げられていた。
「全てです。三年前の、祭りの前夜。僕は父から、父が知り得た全てを教えられました。さあ、僕は質問に答えましたよ。次はあなたの番です、大和さん。あなたの仮説を全て教えてください」
 大和さんは、一度ゆっくりと瞬きをした。まるで頭の中を整理するように、けれどそれにしては短い時間の中で彼は両目を閉じて、開く。そして、今朝あの食卓で、俺たち四人に聞かせてくれたことと同じ仮説を語り出す。
「十六年前。キミの父親である鳴子望は、村発足八十周年を記念して発行された烏矢津村史の中で、童歌の歌詞の一部変えた。『花だけ供えりゃもう安心』という歌詞を『花だけ頼れやもう安心』へとだ。ところでこの童歌だが、歌詞に出てくる単語と歌われるタイミングから推察するに、まず間違いなく御供養様、およびそこで行われる案山子供養の話をしていると考えていいだろう。案山子を燃やすという『烏矢津の森』が冒頭で出てきた後に、『火をくべる』と出てくるからね。だがそうなると、その先の内容に疑問が生じる。改訂前の歌詞は『目隠し口塞ぎ鼻覆い、花だけ供えりゃもう安心』だが、何の目を隠し、口を塞ぎ、鼻を覆って、何に花を供えて安心するのだろうか。前の文脈からこの対象を案山子だと考えると、ずいぶん散々な仕打ちに思えるが」
「もったいぶらずに教えてください。大和さんはこれが本当に、案山子を指していると思いますか?」
「いいや、思わないね」
「では、誰の目を隠して、口を塞いで、鼻を覆うのだとお考えですか」
「穂積家の人間だ」
 穏やかでありながらも、どこか急かすような朔さんの空気に飲まれることなく、大和さんはいつもの調子で言い切る。朔さんは彼の回答に満足したようで、また口を閉じて傾聴の姿勢を見せる。
「穂積家には、代々伝わる奇妙な風習があったと考えてみよう。いや、それは奇妙と言うよりは愚かな、が近いのだが。兎にも角にもその風習というのが、『黒髪ではない人間を間引くこと』と仮定して話を進めていく。たとえばそうだな、ちょうど、リッカや彼女の母君の髪色がそれに該当したはずだ。穂積家の座敷の一角に、仏壇が置かれているね。そこに置かれたリッカの母君の写真から、彼女とリッカの髪色が非常に似通っていることがわかった。二人とも黒髪ではなく、ところどころが金髪のようにも見える明るい髪色の持ち主だ。そうだろう、サク」
「はい。六花は、彼女の母にそっくりでした。顔立ちも、性格も、声も、そして髪色も」
「つまるところ御供養様とそこで行われる案山子供養とは、『間引き』の体の良い隠れ蓑だ。間引きたい人間を神輿に乗せ、案山子とともに烏矢津の森へ連れて行く。そこで目を隠し、口を塞ぎ、鼻を覆うのだろうね。だからこそ、六年前と今年の祭りは、それぞれ対象者の誕生日付近に行われた。なぜ誕生日付近である必要があるのかは知らないが、時期が秋の終わりではない時点で、案山子の供養が目的ではないことは想像に容易い。これは役目を終えた案山子ではなく、役目を終えた穂積の人間を供養するための儀式だ。童歌の最後でも、ご丁寧に言っているだろう。『たらふく〝稲穂〟を食うために』と」
「……役目、とは」
 そのとき少しだけ、朔さんの表情が固まった。それは、予期せぬ言葉を聞いたときの反応とは違うもののように感じた。
「リッカの母君の役割は、リッカを産み落とすこと。穂積家の跡取りとしてリッカが生まれたことで、黒髪を持たないリッカの母君の役目は終わった。しかし、ここで誤算が生じる。リッカが母親にそっくりな子どもだったことだ。つまり、黒髪ではない穂積の人間がまた一人増えてしまった。リッカは生まれたその瞬間から、供養されることが決まっていた。ただしその前に、黒髪の穂積姓の人間を増やす手立てを考えなくてはならない。そんなとき、蒲家に黒髪の子どもが生まれた。キミヒデだ。彼はリッカと同年代の男子で、黒髪を持ち、そして──幸か不幸か、彼は穂積の血を持って生まれた」
 今朝、この仮説を聞いたときの公英さんの顔が、今でも鮮明に思い出せるほど強烈に、目に焼き付いている。
 あの瞬間の彼は、いったい何に絶望していたのだろう。これまで見て見ぬ振りをしてきた父親の存在か、早くに亡くなった母親の死の真相か。それとも、隣で顔を覆って泣きじゃくる穂積さんと自身との、本当の関係性にだろうか。
「キミヒデの母君は、彼が三歳の時分に亡くなったというが、それはおそらく、今から十八年前に行われた御供養様で殺されたのではないだろうか。不貞の証拠を早く消し去りたいという、人間の愚かな心理のせいでね」
 辺りは日が落ちて薄暗くなり、それと同時に朔さんの笑みも消えていく。
「キミヒデの母君が亡くなってからか、もしくはその前からか。全てを悟ったリッカの母君は、来るべきときに備えて入念な施しをした。それは己の死を回避するためではなく、愛する我が子たちを守るために。どこまでの情報を開示したのかは定かではないが、恐らくキミの父親には娘が危険であることまでは打ち明け、村史に載せる童歌の歌詞を改訂した。大幅な改訂は村の連中に言及される恐れがあるため、『花だけ供えりゃもう安心』という歌詞の部分のみを『花だけ頼れやもう安心』へと変えさせた。娘であるリッカと息子同然のキミヒデ、そして、彼女たちと常にともにあるよう願ったキミたち三人が大人になったとき、花を頼りに安心できる場所へと迎えるように、とね」
 穂積さんの母親が、自身が朔さんと穂積さんが結ばれることを望んでいるかのような刷り込みを公英さんへ行ったのもこの時期だと、大和さんは推測していた。子ども相手に酷なことをしていた事実に変わりはないが、万が一にも穂積さんと公英さんという、半分血の繋がった兄弟同士が結婚することのないよう、本人の意思としてその道を選ばせないことに必死だったのかもしれない。
「こうして地盤を整えたリッカの母君は、十五年前の御供養様で命を落とした。キミの父親……ノゾムがリッカとキミヒデの血縁関係を知ったのは、リッカの母君が亡くなったあとなのではないかな」
「そのようでした。父は、六花の母である(しおり)さんが亡くなった日から三年前の御供養様で事件を起こすまでの間、その心に村への復讐と撓さんへの想いだけを宿して生きていました。父がどうやって村中に火を起こしたのか、大和さんは見当がついていますよね。さっきおっしゃっていましたから」
「ああ。黄リンの自然発火現象を利用したものだろう」
 聞き慣れない単語が飛び出してきて思わず身じろぐと、俺にちらりと目線を寄越した大和さんは、放火の詳細について話し始める。
「黄リンはその名の通りリンの一種だ。その特徴のひとつに自然発火がある。昔はマッチ棒の側面部分にこの黄リンが使われていたが、空気中の酸素と反応しやすく、発火点が約三十五度と非常に低いため、事故が多発して使用が中止された。昨今のマッチ棒の側面に使用されているのは、同じリンでも安定感があり発火点の高い赤リンだ。黄リンは空気に長い間触れていると煙を出し続け、少しの衝撃が加わっただけで激しく燃える。よって、案山子の頭部などに黄リンを入れて置くだけで、たとえばその案山子を煩わしく思い、移動させようとしたときの僅かな衝撃で、あっという間に発火するという寸法だ。……ノゾムは理科教諭だったそうだね」
「ええ。大学では科学を専攻していたそうです」
「ならば黄リンの特徴や扱い方は、得意分野だろうな」
 そのとき不意に、朔さんが一歩右へと体をずらす。唐突な彼の行動に、咄嗟に大和さんの視界を遮るように前に出るも、朔さんは俺たちではなく、そのさらに背後に目を向けていた。
「父はあなたを殺すかどうか、最後まで悩んでいましたよ。あなたは村の外から来た人間で、撓さんの父である前村長の言いなりでもありましたから、前村長に逆らえないだけなのではないかとね。父はあれでいてひどくお人好しですから、肉親が二人ともいなくなってしまう六花と公英の心情を慮ってもいました。だから三年前、穂積家の風習を知る人間の中で、あなたのことだけは生かしたのですよ。まさかあなたに殺されるとも知らずに!」
 朔さんの目線をたどって振り返った先には、血の気の引いた顔で全身を震わせて佇む村長の姿があった。
「さ、さっきから何をごちゃごちゃと訳のわからないことを。それに貴様、鳴子朔だろう。鳴子の人間が穂積の敷居を跨ぐなど、許した覚えはない!」
「ところで大和さん。なぜ、父が使ったものが黄リンだと? 理科の教師として扱う知識の上では、ほかにも自然発火の危険性がある物質は存在しますよ」
 朔さんは激しく主張する村長を冷ややかな目で見ていたかと思えば、すぐに大和さんへと顔の向きを変える。大和さんも村長のことなど気にも留めず、聞かれた質問に淡々と答えていた。
「決め手はニンニクの匂いだ。黄リンは燃焼時、ニンニクやニラに似た悪臭を放つとされている。三年前の事件当夜、燃えている家からニンニクに似た香りがしたことを、リッカが覚えていた」
「お前たち、いったい何の話をしているんだ!」
 痺れを切らせた村長が割り入る。
「この村に残る童歌についてだよ。キミはご存知かな?」
「何を偉そうに……。案山子を運ぶときに歌う、あれのことだろう」
「では、その童歌の歌詞が、十六年前に変わったことは?」
「はあ? 何を言って……」
 狼狽える村長に、大和さんはなおも畳みかけた。
「改訂された歌詞が載った十六年前発行の村史に、鳴子望が関わっていたことは? 同村史編さんに携わった人間が皆、三年前の火事で亡くなっていることは? 穂積撓が御供養様が行われた日に亡くなったことは? その三年前に蒲公英の母君が亡くなったことは? 穂積六花と蒲公英の血縁関係は? キミは何を知っていて、何に関わっているのかな」
「あと、僕からもひとつ」
 右手を頭の高さまで上げた朔さんが、静かに尋ねる。
「三年前に亡くなった村人の多くが、火傷や一酸化炭素中毒による死因であったのに対して、鳴子望だけが、頭部への損傷による出血が死因であったことは、ご存知ですか」
「黙れ!」
 脂汗をまき散らして声を荒げる村長からは、昼間に相対したときに振りまいていた爽やかさは微塵も感じられない。興奮した勢いのままで、村長は一歩俺たちの方へと近付く。俺はなるべく村長の視界に大和さんの姿が映らないように、再度さりげなく体の位置をずらす。
「若造がいい気になりやがって、探偵気取りか? 黙って聞いていれば過去のことをべらべらと。犯罪者の息子と、村に関わりのない人間の戯れ言に、私が付き合う義理などない」
「穂積六花と蒲公英の血縁関係については、過去の話ではないだろう」
「過去の話だ。あの男はもう蒲ではない。穂積の人間なのだから」
「なるほど。やはり狙いはそれか」
 意味深に納得する大和さんに疑問を抱いたのは俺だけではなかったようで、村長は俺越しに大和さんを睨みつける。その目は「何が言いたい」と雄弁に語っていた。
「キミたちが今年の祭りでリッカに危害を加える算段を企てた理由だよ。シオリのように、リッカにも子どもを産ませてから消せばよかったものを、なぜ今の時期なのかどうにも疑問でね。さすがに近親婚の子どもを懸念したのかと思っていたが、重要なのはキミヒデが正式に穂積の人間になることか。つまりリッカの役目は、キミヒデを婿として迎えること。役目を終えたリッカは供養し、キミヒデは穂積姓のままで、誰か別の女と再婚させれば万事解決とでも思ったのかな。キミたち穂積家の、その異様なまでの黒髪信仰には、それこそどんな『過去の話』があるのだろうね」
 大和さんの最後の一言が、村長の琴線に触れてしまったのだろうか。それまで興奮状態で赤らんでいた彼の顔が瞬時に色を無くし、同時に勢いよく大和さんへと襲いかかった。
 俺は咄嗟に大和さんを自分の背中に押しやり、けれど体格の良い成人男性との対峙方法などわからずに、来るべき衝撃に備えて目をつぶることしかできなかった。
 まるで走馬灯のように、脳裏に七十万円が舞う。
 ……これで俺が大怪我でもしたら、逆に治療費を請求できないかな。
 そんなことを考えながら体全体に力を入れるが、数十秒経っても痛みはやってこない。まさか、痛みを感じないほど一瞬で意識を失ってしまったとでもいうのだろうか。けれどこうして脳内で思考ができているということは、意識は失っていないわけで。
 おそるおそる目を開けると、俺たちに襲いかかってきたはずの村長が、地面に倒れ伏していた。虫のようにうごめきながら抵抗する村長の背中に乗り上げて、その身柄を拘束していたのは、俺たちのよく知る人物であった。
「──春田さん! どうしてここに。穂積さんの代わりに、森へ行ったんじゃ……」
 穂積さんが烏矢津の森で危険な目に遭うと予想した俺たちは、舞を踊ってから神輿に乗り込むまでの数分で、穂積さんと春田さんを入れ替えるという作戦を計画していた。なぜか入れ替わり作戦に乗り気だった春田さんが、公英さんとの入念な打ち合わせの末、無事に正体がバレることなく神輿に乗り込んだところまでは、俺も大和さんとともに見ていたのだが、そんな彼女がなぜここにいるのだろう。
「あー。なんかな、森の奥に入って神輿が止まったと思ったら、神輿担いでた男四人が寄って集って布みたいなもん押しつけてこようとしたから、全員伸してしもーたわ」
 からっとした声で笑いながら、中々パワフルな発言をかます春田さんに、俺は思わず苦笑いをする。この人は何者なのだろう、と疑問を抱いた春田さんの正体は、ほかでもない彼女自身の言葉で判明した。
「いきなり押さえつけてしまって堪忍な、村長さん。せやけどウチ、暴力行為は見逃せんねん。おまわりさんやから」
「け、警察がなぜここに!」
「なんでやろなあ。たまたま匿名で送られてきたタレコミで、あんたに公文書偽造罪の容疑がかかってんねんけど、それはウチの管轄外やし」
「容疑、だと……」
「あんた、なんや知らんけど、蒲公英くんが三歳くらいのときに公英くんの戸籍書き換えてるやろ。たしかに法律上は軽微な訂正は法務局に許可取らんでも、村長の立場を使えば勝手に書き換えられる。せやけど、あんたが父親の名前の漢字を書き換えたおかげで公英くんは今、この世に存在しない、あんたと一字違いの名前した父親がいることになってんで。てなわけでそろそろ管轄のおまわりさん来るから、職権乱用による公文書偽造罪の容疑で、署までご同行願います」
「俺はそんなもの知らな、」
「一応言っとくけどちゃあんと令状出とるから。あとこれは余談やけど、穂積家のあんたの自室の棚裏に隠してある、農作業用の平鍬な。先端部分の黒ずみ、DNA鑑定してもらおか? なんであんなもんいつまでも取っておいたんや。勲章のつもりなん?」
 まさかその平鍬というのが、朔さんの父親を襲った凶器の可能性が高いということだろうか。すっかり言葉を失った村長は暴れるのを止め、諦めたように地面に顔を伏せた。春田さんが警察官だったことにも驚きだが、それ以上に彼女が犯行に使われたと思われる凶器まで見つけていたことに驚愕する。
「……満足か」
 弱々しい声が響く。声の主は、地面に伏している村長だった。
「鳴子朔。それから、そこの黒い服の男。俺はお前たちの望み通り、罪人として捕まるぞ。これで満足か」
 馬鹿にしたような声色の村長を、大和さんは心底不思議そうな顔で、俺の背後から見下ろした。
「何を言っている。今までワタシが列挙したことは、単なるワタシの妄想だ。ワタシはただ、この村に伝わる童歌の歌詞がある時点を境に改訂されたという事実から、それに付随する様々な事象を都合良く当てはめ、ひとつの仮説を提示したにすぎない。ワタシは事実にも史実にも、ましてキミの罪になど、毛ほども興味がないからね」
 本当に興味のなさげな声と表情で大和さんは続ける。
「ワタシは過去を裁きたいのではない。人の創り出したものに託された誰かの祈りを、想像したいだけなのだから。……以上だ。何か質問は?」
 村長はうなだれたまま口をつぐみ、春田さんの宣言通り、穂積家の門の外に赤いランプを灯した警察車両がやってくるまで、身動きのひとつも取らなかった。
 ふと振り返って朔さんを見遣る。彼はただぼんやりと、夜空に浮かぶ満月を見上げていた。


 到着した地元警察に連行された村長の姿を見届けた春田さんはこの後荷物をまとめたら、署で聞き取り調査に参加するとのことだった。
「じゃあ、もう行ってしまうんですね」
「そうやね。二人は明日までおるんやろ。六花ちゃんたちによろしゅう伝えといて」
「そういえば結局、春田さんとこの村との関係って何なんですか」
 警察官であることはわかっても、彼女が改訂される前の童歌の歌詞を知っていた理由などが、俺にはまだわからない。今を逃せば聞くタイミングがなくなってしまいそうで問いただすと、春田さんではなく、なぜか大和さんが呆れた声で答えた。
「キミ、まだわからないのか。紫苑とは蒲公英と同じ、キク科の多年草の名前だ。おまけにフルネームである『春田紫苑』から、ライター名だとかいう『タヌキ』、つまり『タを抜く』と『春紫苑』になる。これもまた、キク科の多年草だな」
「え、じゃあつまり春田さんって……」
「名字である春田は偽名だろうな。オカルトライターというのも、下手な関西弁もフェイクだ」
「下手なんて酷いなあ。これでも本場の友人に教わったのに」
 俺にとっては衝撃的な大和さんの言葉に、当事者である春田さん──紫苑さんは、あっけらかんとした態度だった。すっかり標準語のイントネーションで話す紫苑さんに、俺は大きな違和感を覚える。けれど彼女の関西弁は、大和さん曰く「中途半端」であったそうだ。
「初めから妙に典型的な関西弁を話してはいたが、あのレベルで話すならばアイスコーヒーのことを『レイコー』と言ってもよかったのではないかな。時々イントネーションが関西のそれではなくなることがあったし、極めつけは穂積家での行動だ。オレたちよりも一日早く村に着いていただけにしては、ずいぶんと勝手知ったる様子で動いていたね。蔵の位置を把握していたり、台所で飲み物を用意したり。まあ、確信したのはこれを見たからだが」
 そう言って、大和さんはまたどこからともなく、巻物の入った長細い箱を取り出す。それは昨日、あの二冊の村史とともに蔵から持ち出したものだった。
「穂積家の家系図だ。ただ、注目するべきはこの巻物自体ではなく、それが入った箱だがね。この箱の中底部分だけ、ほかの四面と比べて木の色が若干違う。これは……」
 大和さんは箱の底部分に対して、外側から何度か衝撃を与える。すると数秒の後、底の板が浮く。
「二重底だ。底の部分にだけ、全く同じ大きさの新しい木の板を入れて、本来の底との間にこれを隠した。おそらく作成者は、リッカの母であるシオリだ」
 彼の手によって開かれた二枚折りの小さな紙には、いくつかの名前と線が書かれていた。
「これはリッカとキミヒデから見た、三親等までの親族図だな。手書きのために法的根拠は乏しいが、シオリと村長と、キミヒデの母との関係がはっきり示されている。そして、キミヒデの母の姉妹──つまりキミヒデの叔母に当たる位置に『紫苑』という名があったよ」
「……撓ちゃんってば、そんな盛大なネタバレの紙を用意してたのかあ」
 穂積さんの母親を「撓ちゃん」と親しげに呼んだ紫苑さんは、大人びた微笑を浮かべる。
「リッカやキミヒデはこの紙はおろか、巻物のことさえ知らないようだったから、誰かに伝えるためのものではなかったのかもしれない。しかし、キミの存在は童歌で示唆している。『花だけ頼れやもう安心』の花とはキミのことだね、シオン。そして歌詞の通りに県外で警察官として働くキミに匿名で連絡をしたのは、おそらくサクだ」
 朔さんは三年前、彼の父から全てを聞いたと話していた。その中で、公英さんの叔母にあたる紫苑さんの存在とその所在も、教えられていたのかもしれない。
「大和くんは、どうして撓ちゃんがこんなものを、わざわざ二重底まで作って隠したんだと思う?」
「証を、残したかったのかもしれない」
「……証?」
「自分が穂積の人間として生きていた証。自分が産んだ子どもがいる証。自分の子どもと半分だけ血の繋がった存在の証。自分の伴侶が罪を犯した証」
 大和さんは再度紙を折り、二重底へと元通りに隠した。
「誰にも見つからずとも、誰かに燃やし屠られようとも。ただその証を書き記したという事実だけを、彼女は求めていたのかもしれない」
「もしそれが本当なら……撓ちゃんは、強いね」
 荷物をまとめて村を出る直前、紫苑さんは俺たちを呼び止めて、朔さんの今後について教えてくれた。曰く、本人は放火未遂を認めてはいるが、俺たちが今朝、彼の仕掛けた発火材入りの案山子を処分したため、証拠不十分で連行はしないとのことだった。
「これから村長の余罪が認められたら、そのときはまた署で話を聞くことはあるかもしれないけれど、彼が罪に問われる可能性は、今のところ低いかな」
 そこも含めて本人たちに伝えておいてと彼女は言い残し、村を後にする。紫苑さんの言う「本人たち」とは、いつの間にか姿を消していた朔さんと、今ここにはいない穂積さんと公英さんのことだろう。
「穂積さんたちは今、鳴子家にいるんですよね」
「リッカの舞が終わったあと、事が済むまでそこで隠れていると、今朝は話していたな」
「……三人、会えましたかね」
「さあな」
 興味を無くしたように短く言うと、大和さんはそのまま穂積家の戸を開ける。
「ちょっと、いくら泊まらせてもらってるからって、勝手に入っていいんですか? 穂積さんたちを呼びに行くとか……」
 そこまで言いかけて、俺は口をつぐむ。彼女たちは今頃、三人で鳴子家にいるはずだ。積もる話もあるだろう。俺のような部外者がそこに割り込むのは無粋である。
「やっぱりお邪魔して、昨日の座敷で寝させてもらいましょうか。……って、もう入ってるし」
 大和さんの後を追いかけて穂積家へ足を踏み入れる。
 こうして、大和さんの烏矢津村での起源調査は、幕を閉じたのだった。