祈りの先の物語

 おそらくあれが、フラグというやつだったのだ。
 まばゆい光。清々しい風。素敵な一日の始まりを予言するかのような朝の気配に、布団から上半身を起こした俺は、枕元に置いた眼鏡をかけて障子を開ける。
 まずは日光を浴びなければ。そんなことを呑気に考えていた俺は、開けた障子をすぐに閉める。それはもう、ものすごい勢いで。人様の家の障子を乱暴に扱ってしまった俺を、どうか責めないでほしい。朝一番で大絶叫をかますよりは、よほど良心的な対応ではなかろうか。
「もうヤダ……帰りたい……」
 頭を抱えながら、右手で障子の近くに寝ていた大和さんを叩き起こす。彼の機嫌なんて知ったことか。俺のメンタルの方が不安定なんだぞ。
「大和さん、大和さあん」
「……なんだ」
 案の定不機嫌そうな低い声の大和さんにも、俺は怯まず縋りつく。プライドなんてどうでもいい。メンタル。メンタルが安定していてこその人生。
「朝から鬱陶しいな。案山子に焼き殺される夢でも見たか」
「案山子に殺されるかもしれません……」
 俺が人差し指で示した障子を、大和さんはそれなりの勢いをつけて開ける。この人は、こういうところでも遠慮がないらしい。
「なんだ、案山子か」
「『なんだ、案山子か』で済む話ですか!?」
 反射的に声を荒げたことで大和さんは顔をしかめるが、彼の表情などお構いなしに事の重要さを訴える。
「だってこの案山子は昨日、俺や公英さんたちが神輿に積んだものですよ!」
 そう。問題はこれである。
 たしかに、朝起きて障子を開けたら窓に案山子が貼り付いていました、というだけでも十分怖いが、ここは案山子の村と言っても過言ではないほど案山子が多いところだ。俺が知らないだけで、たとえば毎朝案山子を天日干しにする風習なんてものがあるのかもしれない。
 しかし今回に限っては、俺たちの寝姿を覗き込むかのように置かれた案山子たちに見覚えがあるという点が、俺の恐怖心をあおる最たる理由だった。なぜなら、頭に頭巾を巻いたお婆さん風の案山子や、作業服を着た男性風の案山子は、昨日の祭りの準備中、穂積家の田んぼから抜き取り、集会所前に用意された神輿に、確実に積み込んだ個体なのだから。
「誰かが何かのために、わざわざ神輿から持ち出してここに置いたとしか考えられないじゃないですか」
「では、誰が。何のために」
「それは……」
 さすがにそこまでは思い至らず言葉を詰まらせていると、襖の奥からどたばたと複数の足音が聞こえてきた。足音はこの部屋の前で止まると、ノックや声かけのないまま、襖が勢いよく開かれる。
「み、瑞穂さん! 表に案山子が、うわわ、ここにもいる!?」
「おい、俺らが昨日積んだ案山子……って、クソ、こっちもかよ!」
「あかん、もう泣きそうや。朝からなんでこんな怖い目に遭わないかんの」
 同時にやって来た穂積さん、公英さん、春田さんの三人が、案山子を見て三者三様の反応を見せる。穂積さんと公英さんの言葉から察するに、この部屋以外の場所にも昨日積んだはずの案山子が置いてありそうだ。
 とにかく一刻も早く案山子の視線から逃れたかった俺は、三人と大和さんにリビングへ行くことを提案する。
「状況の整理を、一旦行いましょうよ。あと……」
 俺の言葉に続くように、ぐーきゅるきゅる、というどこか間抜けな音が響く。全員の視線が音の主へと向けられ、渦中の人物である春田さんは、顔を赤らめて自身の薄い腹をさすった。
「お腹も減ったから、ご飯食べながらにせえへん? 腹が減ってはなんとやら、やし」
 言うが早いが、春田さんは俺たちに背を向けると、穂積さんの手を取ってリビングの方へと歩きだした。春田さんが言わなければ俺が言おうとしていた提案であったため、俺は素直に二人の後に続く。公英さんも、そしてその後ろから三歩ほど遅れて大和さんも、揃ってリビングへと足を運ぶのだった。

 人数分のトーストとハムエッグ、レタスとキュウリとトマトのサラダに、豆腐とわかめの味噌汁。それらを手分けして用意していく間、示し合わせたように誰も案山子のことを話題には出さなかった。
 食べ始めて少し経った頃。今朝は俺の隣ではなく、穂積さんと大和さんの間のいわゆるお誕生日席に座った公英さんが「それで」と口を開く。
「案山子のことだけど。昨日、俺や正木や、村の奴らで神輿に積んだ案山子が、なぜか今朝になってこの家に置かれていたって共通認識でいいか」
「家の中を覗き込むみたいにっちゅうの、追加してや。家の人間がビビるようにか知らんけど、わざわざ一体ずつ向き揃えて立て掛けてるやろ、どう考えても」
 春田さんが、彼女らしくないぶっきらぼうな口調で言い放つ。気分の良い出来事ではないから、無理もない。
「嫌がらせにしては、手が込んでいますよね。誰が、何の理由でこんなことをしたんでしょう」
「知らんよ。知りとうもないし。暇人やなあとは思うけど」
 さらに投げやりな態度の春田さんに、空気が重たくなるのを感じる。そんな中、覇気のない声で「あの」と言いながら、おずおずと手を上げる穂積さんに、四人の視線が集まる。
「……お祭り、中止にするべきかな」
 突拍子もないように思える穂積さんの提案に対して、意外なことに、公英さんが肯定するように言葉を続ける。
「たしかに、それも視野に入れるべきかもしれない。どうする、とりあえず村長に連絡を……いや、でもあの人は簡単に中止に頷くようなことはしないか」
「まずは村の人たちに相談してみようよ。みんなが参加に乗り気じゃないって知ったら、お父さんにも話をつけやすいし」
「ちょいちょい、お二人さん。ぽんぽん話進めんと、ウチらお客人にもわかるよに説明してほしいんやけどなあ」
 いつもの調子に戻った春田さんの言葉にはっとした顔の穂積さんと「そういやコイツらいたな」くらいの顔でなぜか俺を見る公英さん。そんな顔で見られる筋合いはないと無表情を貫く俺に構わず、公英さんは三年前の祭りの日の話を始めた。
「三年前の朝も、同じだったんだ。前日に神輿に積んだはずの案山子が、ある家の前に置かれていた」
「ある家って?」
「祭りの最中に燃えた家だ」
 俺の質問に淡々と返された公英さんの答えに、俺と春田さんは息を呑む。俺の隣に座る大和さんだけは、まるで質問の答えが初めからわかっていたように無反応のまま、コーヒーを飲んでいた。
「今朝のこの家の状況は、あの日とそっくりってことだよ。しかもざっと見た数から考えて、今日供養するはずの案山子が全部、この家の周りに置かれているだろうな」
 つまり、穂積家自体か、もしくはこの家の誰かが危険な目に遭う可能性が高い、ということか。事の深刻さに誰もが押し黙っていると、「ひとつ聞くが」というやけに落ち着いた声が、俺の右隣から聞こえた。
「なぜ、祭りは今日行われるのだ」
 大和さんはコーヒーの入ったグラスを置くと、自身の目の前に座る穂積さんを真正面から捉えて言う。
「最初から引っかかっていたのだがね。どの資料にも、御供養様の開催時期についての明確な記述はなかった。ところでキミたちは、ひな祭りの起源を知っているかな」
 また突拍子もない大和さんの質問に、俺も含めた四人は一様に首を横に振る。それを見た大和さんは「諸説あるが」と切り出した。
「一説には、古来日本で行われていた祓えの一種で、けがれを人形に移し、川や海に流す行事があり、それが後に貴族の女子が好んだ遊びと融合して、今のような行事の形になったとされている。つまり日本では古くから人形に人の何かを移すという概念があったのだ。現代の日本においてもその感覚は残っており、人形のものには殊更情を持って接することが多い。人形供養もそのひとつだね」
 人形供養という単語には聞き覚えがある。たしか、長年愛用していた人形を手放すときに、そのままゴミ箱に捨てるのではなく、寺や神社でお祓いや読経を受けてからお焚き上げをするというものだったはずだ。
「さて、『供養』とは本来死者に用いられる単語だ。死者の冥福を祈って法要を営むことを供養と呼ぶ。つまり、役目を終えた案山子を燃やすことは、供養には当たらないと考えられるべきだ。案山子は死者ではないのだから」
 けれど案山子を人形とするならば人形供養という言葉が当てはまる、と大和さんは言った。この村の案山子はただでさえ人間そっくりに作られているのだから、そのままゴミ袋に入れて捨てるのは忍びないと思う心は、俺には大いにわかる。下手な扱いをしたら呪われそうだ。
「よって、案山子を燃やす祭りに供養という単語が使われる一応の説明は付く。が、それにしては時期に違和感がある」
 一度言葉を区切った大和さんは、再度穂積さんを見つめると、先程と同じ問いかけをした。
「なぜ、祭りは今日行われるのだ。まだ稲穂の実らないこの初夏に、案山子はどんな役目を果たして供養されるのだ」
 静まりかえる食卓。四人の視線は大和さんに、大和さんの視線は、穂積さんに注がれている。
「……さん、年前は」
 穂積さんは言葉を詰まらせながら、それでも大和さんの質問に答えようと、彼から一瞬も目を逸らさずに話す。
「この時期ではありませんでした。おっしゃるとおり、秋の終わり頃、稲の収穫がすべて済んでから、田畑で使っていた案山子を運んで、御供養様を行いました。大体いつも御供養様は秋の終わり頃で、だから今年はたしかに、イレギュラーな時期の開催です。……でも」
 こくん、と穂積さんの喉が鳴る。泣き出す寸前のような顔をした穂積さんは、静かに大和さんに訴えていた。
「でも十五年前は、六月でした。母が亡くなった年の御供養様は、母の誕生日の一週間前、土砂降りの雨が降った、六月に行われました」
 穂積さんはただ事実を述べているだけなのに、俺は彼女のその言葉を聞いて、得体の知れない恐怖心に体がこわばる。
「あの日、母は案山子の積まれた神輿に乗り込んで、烏矢津の森に行きました。案山子を燃やすためです。私は、公ちゃんとこの家で眠っていました。当時六歳の私たちにとっては、もう遅い時間のことだったから」
 いつの間にか穂積さんに寄り添うように、公英さんは彼女の近くにいた。座っていた椅子ごと、彼女の側にさりげなく移動したらしい。まるで、彼女が崩れ落ちるのを支えるように穂積さんに肩を寄せる公英さんの目は、大和さんを見ていた。
「次の日の朝、私と公ちゃんは、泣きじゃくった朔ちゃんに揺すり起こされました。朔ちゃんは、私の母が田んぼで亡くなったと、教えてくれました。案山子の供養が終わって一人、帰宅する途中、足を滑らせて田んぼに落ちたそうです。打ち所が悪かった、そうです。父はその時、祖父の仕事の関係で地方に出張に出ていました。公ちゃんと朔ちゃんが、ずっと隣にいてくれました。母の葬儀で、誰よりも子どものように泣きじゃくっていたのは、朔ちゃんのお父さんでした。……大和さん、あのね」
 穂積さんの左目から、涙が一筋流れ落ちる。彼女はそれを拭わずに、そしてそれ以上の涙を決して流さずに、大和さんに微笑みかける。
「私ね。来週、二十一歳の誕生日なんです」
 驚愕に見開かれた目で、春田さんが穂積さんを見る。公英さんの噛みしめられた唇は、すでに血の色をなくしていた。
 誰もが不用意に言葉を発せないまま、数分が経過したように思う。口火を切ったのは、やはり大和さんだった。そして彼は案の定淡々と、いつもと同じ無表情で、いつもと同じ無感情を声に宿して問う。
「案山子を運ぶときに歌う童歌だが」
 大和さんは穂積さんと公英さんの両名を視界に入れながら、「歌詞の改訂に気付いているか」と続けた。
「改訂?」
 怪訝な顔で公英さんが首を傾げ、穂積さんも心当たりはないと言ったように首を横に振る。大和さんは次いで春田さんに目を向けると、「シオンは知っているだろう」と言う。
「あんた、ウチの名前も呼び捨てかいな」
「シオン、キミは知っているね。『前の歌詞』を」
 しばし無言で見つめ合った二人。先に根を上げたのは、春田さんだった。
「『目隠し口塞ぎ鼻覆い』のあと」
「『花だけ頼れやもう安心』ですか?」
 穂積さんの言葉に頷いた春田さんは、観念したように肩をすくめて呟いた。
「『花だけ供えりゃもう安心』だった。……昔はね」
「昔っていつのことだよ。それに、なんでタヌキ女がそのことを知ってんだ」
 睨むように春田さんを見る公英さんの疑問は最もで、しかし彼女は笑顔のまま黙している。すると、大和さんがどこからともなく、昨日穂積家の蔵から持ち出した二冊の資料を机の上に並べると、公英さんの「昔とはいつのことか」という問いに「十六年前だ」と答えた。
「十六年前?」
「そう、キミたち幼馴染み三人が五歳の頃だね。そして、リッカの母君が亡くなる一年前。その年、烏矢津村発足八十周年を記念した村史が発行されている。この村は二十年に一度のスパンで村史を発行しているようだが、あいにく穂積家の蔵に収容されていた村史は十六年前に発行された発足八十周年のものと、その二十年前である、今から三十六年前に発行された、発足六十周年のもののみだったよ」
 大和さんは二冊をそれぞれめくり、とあるページを開いた。
「ここに『烏矢津村に伝わる民謡』として例の童歌の歌詞が記載されているが、歌詞の該当部分を見ると、十六年前と三十六年前で、違う言葉が書かれていることが確認できる」
 そう言われて指で示された部分を覗き込む。たしかに大和さんの言うとおり、「目隠し口塞ぎ鼻覆い」の後の歌詞が、比較的紙質が新しいものは「花だけ頼れやもう安心」となっているのに対して、紙の黄ばみやシミが目立つ方のものは「花だけ供えりゃもう安心」と書かれている。
「些細だが、重要な事実だ。文献の内容が変更されるということには、必ず意味がある。そうする必要があった意味が、だ」
 さらに二冊のページをめくった大和さんは、それぞれの奥付が書かれた部分を開き、俺たちへと向けた。
「十六年前と三十六年前で、村史発行に関わった人間はほとんど変わっていない。二十年に一度という、比較的短いスパンでの発行だ。おそらく村史編さんに携わる人間は、自ずと固定されているのだろう。ただ、この中で一人だけ、三十六年前にはおらず、十六年前に名前のある人間がいる」
 単純に考えれば、三十六年前には生まれていないとか、とても幼くて村史の編さんとやらに携わることができない年齢だったというだけで説明がつく。しかし俺はおろか、大和さんでさえもその可能性を考えてなお、何か別の意図を勘ぐってしまう名前が、そこにはあった。
「……鳴子、(のぞむ)?」
「朔ちゃんの、お父さんの名前です」
 疑念を持って読み上げた名前の持ち主は、穂積さんの補足によって、予想通りの人物であることが確定する。
 鳴子望。鳴子朔の父親で、三年前の火事で亡くなった村人のうちの一人。その事件の犯人ではないかという噂が今でも囁かれていて、穂積さんの母親が亡くなったときに、一番涙を流していた人物。
 そんな人が編さん者として携わった村史で、童歌の歌詞が一部改訂されている。
 これは偶然なのだろうか。けれどきっと、大和さんは偶然ではないと思ったからこそ、この資料を持ち出したのだ。彼の頭の中では今、どんな起源が想像されているのだろう。
「なあ、ちょっと待ってくれ」
 俺が、恐怖とも高揚とも言えない感情に心臓を鷲づかみされそうになったとき、公英さんの戸惑った声が響く。
「その新しい方、朔の父親の名前が書かれている方の奥付を、もう少しよく見せてほしい」
 大和さんが公英さんの方へと資料を寄せる。食い入るように奥付部分を眺めていた彼はしばらくして、「やっぱりそうだ」と呟く。その顔は心なしか青ざめていた。
「十六年前の村史に関わって、ここに名前が載っている村人。こいつら全員……朔の父親も含めた全員、三年前の火事で死んでる」
 ひゅ、と。喉が鳴った。たぶん、俺のものだった。
 誰もが言葉を失う中で、大和さんだけが動いた。彼は俺の隣に座ったままで、左手の親指と薬指をつけて作った小さな輪の先を、ぼんやりと眺める。【アヤノさん】という降霊術にまつわる事件の話をしたときに研究室で見た、志貴曰く「集中しているときに出る癖」。
 彼は今、歌詞の変わった童歌の起源を見つけようとしている。そしておそらく、三年前の事件についても。
「なにが、どうなっているんですか。今までこの村で何が起こっていて、これから何が起こるんですか」
 震える声で問うた穂積さんに、大和さんは直接的な回答はしない。彼は探偵や刑事ではないからだ。
 しかし彼は、民族学者であった。当事者である穂積さんと公英さん、この村と関わりのある素振りを見せた春田さんと、さらには荷物持ちである俺に、彼は学者らしく、彼自身が考えたひとつの仮説を提示してみせた。
「さて。このはじまりに、誰かの祈りを見出そうじゃあないか」
 朗々と、つまびらかに。完成された論文を読み上げるかのように語られたそれはたしかに、誰かの祈りの果てに生まれた物語であった。