それから、ちょうど一週間後の昼休み。
学内中がそれなりの喧噪に包まれる時間だというのに、この研究室は相も変わらず暗闇と静寂に満ちていて、酷く現実離れしていた。
授業内レポートに苦戦したせいで、ワンコイン日替わり定食を勝ち取ることができなかった俺は、菓子パン三つを目の前にぶら下げられながら志貴に誘導され、気付けばまたこの場所にいる。
「いい加減志貴からの変な誘いにホイホイ乗るのは嫌なんだよな。でも志貴って俺の需要を完璧に理解しているんだかなんだか、いつも妙に良いタイミングで良い餌をぶら下げてくるんだよな。この前だってあれよあれよという間に俺は志貴の代わりに合コンに出ていたんだ。だってどうしても必要だった参考書貸してくれるって言うし。合コンの次の日に駅前に新しくできたラーメン屋奢ってくれたし。でも待てよ。俺が志貴にいいように使われるのって、俺が金に困ってることが原因なんじゃないか? やっぱりこの世は金だ。お金がないから不幸になるんだ。これだから万年金欠苦学生なんてなるもんじゃあないよ。別になりたくてなったわけではないんだけれども」
「じゃあ、バイトしない?」
俺の独り言を容赦なく遮り、爽やかな笑顔の志貴は言う。
バイト。バイトか。なんだか少し前にも、志貴からアルバイトに誘われたような覚えがある。
「そう、この前も言ったね。内容は、兄さんが外出するときの荷物持ち。兄さんは基本実地調査というかフィールドワークというか、とにかく興味のある『起源』があれば、すぐに外へ飛び出すタイプなんだ。でも見ての通り華奢だから心配で。荷物持ち兼、ボディーガード……いや、お手伝いさんかな。そんな立ち位置で、兄さんの外出に同行してほしい」
「えー……うーん」
正直、かなり迷う。大和兄が悪い人ではないことはわかったが、良い人ではないこともわかっているため、なかなか即決は難しいのだ。
というか、大和兄自身は俺がアルバイトとして外出に同行するのは許容できるのだろうか。俺、この前かなりこの人に呆れられている気がするんですけれども。
「あの、大和……さん、って。呼ぶのでもいいですか? 俺も『マサキ』なんで、下の名前だとちょっと呼びづらいというか、いやまあ、普通に先生って呼ぶんでも、というかそっちの方が自然なのか。直接教わっていないとはいえ、同じ大学の学生と教授なんだし」
「どうぞお好きに。キミがオレをなんと呼ぼうが、それでキミの給料が増えたり減ったりするわけではないよ」
あれ。おいおい。もしかして俺がバイトをすることは、大和兄──もとい、大和さんの中では決定事項なのだろうか。そんなふうに取れる口ぶりだったぞ、今。
「あ、じゃあ『大和さん』にします。……えっと、あのこれって俺、もう大和さんの荷物持ちをすること、決定なんですか?」
「今なら特別価格、日給十万円でご案内するよ」
「よろしくお願いします、大和さん」
「善きにはからえ、ミズホ」
いつの時代の領主だよ。と思わないでもないが、そんなことより脳内は志貴が発した「日給十万円」という単語で満たされている。
「持つべきものは懐の温かい友人だよな、志貴よ」
「あはは。瑞穂くんって面白いね」
この際、すべてが志貴の掌の上だろうがどうでもいい。俺は今この瞬間、荷物を持つだけで十万円が手に入る方法を得たのだ。
ビバ、青春。
ビバ、友情。
あぁ、なんて素晴らしい世界!
──と、浮かれていたあの日の俺よ。お願いだから立ち止まってくれ。
雲ひとつない青い空の下、肌を焦がす太陽の光に照らされて、俺は過去の自分に怨念を飛ばす。
そうでもしなければ、目の前に佇む大量の案山子のうちのどれかしらと目が合いそうで、恐ろしくてたまらないからだった。
学内中がそれなりの喧噪に包まれる時間だというのに、この研究室は相も変わらず暗闇と静寂に満ちていて、酷く現実離れしていた。
授業内レポートに苦戦したせいで、ワンコイン日替わり定食を勝ち取ることができなかった俺は、菓子パン三つを目の前にぶら下げられながら志貴に誘導され、気付けばまたこの場所にいる。
「いい加減志貴からの変な誘いにホイホイ乗るのは嫌なんだよな。でも志貴って俺の需要を完璧に理解しているんだかなんだか、いつも妙に良いタイミングで良い餌をぶら下げてくるんだよな。この前だってあれよあれよという間に俺は志貴の代わりに合コンに出ていたんだ。だってどうしても必要だった参考書貸してくれるって言うし。合コンの次の日に駅前に新しくできたラーメン屋奢ってくれたし。でも待てよ。俺が志貴にいいように使われるのって、俺が金に困ってることが原因なんじゃないか? やっぱりこの世は金だ。お金がないから不幸になるんだ。これだから万年金欠苦学生なんてなるもんじゃあないよ。別になりたくてなったわけではないんだけれども」
「じゃあ、バイトしない?」
俺の独り言を容赦なく遮り、爽やかな笑顔の志貴は言う。
バイト。バイトか。なんだか少し前にも、志貴からアルバイトに誘われたような覚えがある。
「そう、この前も言ったね。内容は、兄さんが外出するときの荷物持ち。兄さんは基本実地調査というかフィールドワークというか、とにかく興味のある『起源』があれば、すぐに外へ飛び出すタイプなんだ。でも見ての通り華奢だから心配で。荷物持ち兼、ボディーガード……いや、お手伝いさんかな。そんな立ち位置で、兄さんの外出に同行してほしい」
「えー……うーん」
正直、かなり迷う。大和兄が悪い人ではないことはわかったが、良い人ではないこともわかっているため、なかなか即決は難しいのだ。
というか、大和兄自身は俺がアルバイトとして外出に同行するのは許容できるのだろうか。俺、この前かなりこの人に呆れられている気がするんですけれども。
「あの、大和……さん、って。呼ぶのでもいいですか? 俺も『マサキ』なんで、下の名前だとちょっと呼びづらいというか、いやまあ、普通に先生って呼ぶんでも、というかそっちの方が自然なのか。直接教わっていないとはいえ、同じ大学の学生と教授なんだし」
「どうぞお好きに。キミがオレをなんと呼ぼうが、それでキミの給料が増えたり減ったりするわけではないよ」
あれ。おいおい。もしかして俺がバイトをすることは、大和兄──もとい、大和さんの中では決定事項なのだろうか。そんなふうに取れる口ぶりだったぞ、今。
「あ、じゃあ『大和さん』にします。……えっと、あのこれって俺、もう大和さんの荷物持ちをすること、決定なんですか?」
「今なら特別価格、日給十万円でご案内するよ」
「よろしくお願いします、大和さん」
「善きにはからえ、ミズホ」
いつの時代の領主だよ。と思わないでもないが、そんなことより脳内は志貴が発した「日給十万円」という単語で満たされている。
「持つべきものは懐の温かい友人だよな、志貴よ」
「あはは。瑞穂くんって面白いね」
この際、すべてが志貴の掌の上だろうがどうでもいい。俺は今この瞬間、荷物を持つだけで十万円が手に入る方法を得たのだ。
ビバ、青春。
ビバ、友情。
あぁ、なんて素晴らしい世界!
──と、浮かれていたあの日の俺よ。お願いだから立ち止まってくれ。
雲ひとつない青い空の下、肌を焦がす太陽の光に照らされて、俺は過去の自分に怨念を飛ばす。
そうでもしなければ、目の前に佇む大量の案山子のうちのどれかしらと目が合いそうで、恐ろしくてたまらないからだった。
