君の影が溶ける前に。〜理系委員長と呪われた大型犬の、不合理な延命プロトコル〜

 放課後の地学準備室。
 ここは現在、男子生徒二名による、非科学的かつ不毛な実験場と化していた。
 ……少なくとも、僕、高宮玲央の主観では。

「いいか、瀬名。時間は厳守だ。タイマーが鳴るまでの十五分間、お前は僕の左手にのみ接触を許す。それ以外の部位、特に首筋や腰への接触は、不衛生かつ公序良俗に反するため、断固として拒否する」

「ええ〜。玲央は、相変わらず厳しいな。……でも、手だけでも結構あったけぇわ」

 パイプ椅子を並べ、僕たちは手を繋いでいた。
 僕は右手に持ったストップウォッチを睨みつけ、左手から瀬名に向けて僕から流れていく——瀬名曰く、バッテリー?を分け与えるという、非合理極まりない行為をデータ化しようと躍起になっていた。

(手のひらが密着して、じわじわと汗ばんでくる。筋肉質な瀬名の手は節くれだっていて、僕の手を包み込むように大きい。……しかも何なんだ、その温度が心地よいと脳が誤認し始めている)

 そんな僕たちの膝の上で、まめたが「きゅぅ〜♡」と鳴きながら、二人の繋いだ手の上に自分の短い前足を重ねてきた。
 しれっと混ざって来るんじゃない!

「瀬名。この呪いの毛玉をどかせ。せっかくジャブジャブ洗ってやったのに、また毛並みが異常にツヤツヤしてきているじゃないか」

 不細工マスコットの尻尾が、メトロノームのようにぱたぱたと動いている。

「あはは、玲央、良くわかるね? 俺には普通のマスコットにしか見えないのに。もしかして霊感とかそういうのある系なんじゃ?」

「あるわけないだろ! 僕は非科学的なものは一切信じない! ただ実際的な問題としてその呪物は、――ッ」

 その時だ。
 瀬名がふと、僕の手の甲を親指でなぞった。
 ピクリ、と心臓が跳ねる。

「玲央に触れてると、息切れしないのすげえ不思議」

 瀬名が視線を繋がれている手に落とす。
 頬に落ちる睫毛の影。

「――くそ。これは『充電』という名の、人道的救助活動だ。深い意味など一ミリも——」

 その下に居るまめたが、きゅるんと顔を心持ち上げて、小首を傾げる。

「玲央。これ、終わったら今日も、俺ん家来てよ。……じいちゃんの蔵から、すっげーもん見つけたんだ」

「ん、高瀬博士のコレクションか? ならば検討の余地はあるが……」

「化石より、すごいかも。玲央にも、見せたいんだ」

そう言って笑う瀬名の顔は、相変わらずアイドルみたいに整っていて、それでいてどこか孤独を隠しきれていない、捨てられた大型犬のような危うさがあった。

 僕は「十五分だけだぞ」と、自分でも驚くほど自然に答えていた。


 夕闇が迫る瀬名の家は、この世との境界線が曖昧になっている。
 古い木の匂い。
 線香の残り香。
 そして、母屋から渡り廊下で繋がっている土蔵の、吸い込まれるような漆喰の白。

 瀬名は僕を縁側に座らせると、奥の工房——彼がシルバーアクセを作っている、古い作業場から一つの小箱を持ってきた。

「これ。作ったやつ」

 差し出されたのは、銀色の鈍い光を放つリング。
 その中央には、漆黒でどこまでも深い輝きを持つ石が嵌め込まれていた。

黒曜石(オブシディアン)か。しかも、この条線はかなり質の高い天然石だな」

「じいちゃんのコレクションの中にあったんだ。黒曜石ってたしか『魔除け』になるって聞いたから。玲央、俺のせいで変なことに巻き込まれてるだろ? だから、お守りに、どぞー」

 瀬名は僕の返事も待たず、僕の左手を取った。
 そして、そっと僕の小指に、そのリングを滑り込ませる。

「……っ、瀬名、お前……」

「よし、ぴったり。そういうのも、似合うじゃん」

 大きな瀬名の指先が、僕の細い指に触れる。
 その瞬間、リングの黒曜石が、微かに、本当に微かに、内側からカッと熱を帯びた気がした。

「あれ、やっぱり今、温かくなったよな? やっぱり、高宮のパワー、すげーわ」

「バカか。これは単なる熱伝導だ。銀は、金よりも熱伝導性が高いから」

 僕はおもわず顔を背けたが、指先に残る瀬名の感触と、リングの重みが、僕を逃がしてくれない。
 すると、瀬名がそのまま、僕の膝の上に頭を預けてきた。

「おい、瀬名!? 充電はさっき準備室で——」

「足りない。……もっと欲しくなる。玲央の、匂い……安心するわー……もっと、嗅がせて……」

 瀬名が僕の腰を抱き寄せ、首筋に鼻を押し当ててくる。
 百八十五cmの巨体が、僕に縋って子供のように丸まっている。
 首筋に当たる熱い吐息。
 うなじをくすぐる瀬名の茶色い髪。
 不快だ。
 ……不快、なはずなのに。
 僕の手は無意識に、瀬名の背中の、バキバキに硬い筋肉を宥めるように撫でていた。

「……五分だけだぞ、瀬名」

「ん~」

 まめたが満足げに「きゅうぅ♡」と鳴く声が聞こえる。
 小指の黒曜石が、瀬名の体温に反応して、まるで鼓動するように小さく、小さく、闇の中で赤く光っていたことに、僕はまだ気づいていなかった。

(この不合理な熱は)

 古い家の静寂の中で、僕たちの心音だけが、重なり合って響いていた。