7
「……ちか」
耳の近くで名前を呼ばれた。悠李の声だ。
暖かい日差しに加え、聞きなれた声で現実に戻ってきたことに気付く。日光に当たらない右肩も少し暖かい。手が置かれていたのだろうか。普段悠李ははそんなことをしないため、少し驚く。
「え……あぁ、おはよう」
「顔、真っ青」
「また変な夢見た」
「それってもしかして……」
「一花くん。私たちも質問して良いかな」
何かを言いかけた悠李を、清楚というよりギャル寄りの女子三人組が囲み、質問攻めを始める。クラスメイトなので一応知っている相手だが、特に勉強している姿を見たことはない。ので、当然悠李目当てだ。
悠李が囲まれていると俺は空気になる。嫌なものを見たし、喉も乾いたため、目立たないようにそっと席離れる。すかさず俺も、と悠李がついてくる。残念そうな女子たちの顔を見て、ここに居なよ、と声をかけるも、彼には効果はなかった。
「何か飲みたいなら俺が買って行ったのに」
「一緒に行きたかったから」
廊下を歩きながら、笑顔で答える悠李。最近過保護すぎないか?とも思うが、あの空間から抜け出したかったと考えると納得がいく。わざわざ本音を言わないあたりが優しいと言われる理由の一つでもあるんだろう。……ただ女子達の視線は痛いのでほどほどにしてくれると助かる。
二人で自動販売機でサイダーを買い、ギリギリ影になってくれている渡り廊下の端に座った。いつもなら誰かがいるこの渡り廊下も、夏休みというアドバンテージのおかげで、俺たちだけの空間となっていた。一口だけサイダーを飲むと、悠李が口を開いた。
「……ちかって、昔階段から落ちて入院したって言ってたよね」
「そうだよ。三年前の夏にね。ほらこの傷」
スラックスを膝までめくりあげると、床に擦りつけた時に出来たであろう傷跡が、右足一帯に広く表れた。母がちょうど片づけをしていたタイミングで落ちたため、床に置かれた荷物で必要以上にけがをしたと入院中に母に説明された。母は自分を責めたような表情であったし、腕にもいくつか怪我の跡があって端から見たら痛々しいらしいが、もう見慣れてしまって自分としては特に違和感がない。そのうち薄れるだろうと、気にかけてもいない。
悠李が膝の傷に触れる。
「この怪我をしたときの状況、どれくらい覚えてる?」
「いや……全然覚えてないんだよね。気がついたら病室にいて、そこには誰もいなくて。頭を強く打ったから、意識を失ってたみたいでさ。階段から落ちたって話も親から聞いただけ」
痛かった記憶を忘れるために、記憶もなくなったのだろうか。
俺が脛の傷跡をなでると、悠李は膝から手を滑らせ、脛に置かれた俺の手に寄り添う形で傷跡をなでた。
「な、なんだよ」
「痛い?」
心配そうに眺める悠李。少し泣きそうな顔をしている。触られた箇所がくすぐったい。やんわりと撫でる手の動きに恥ずかしくなる。
「三年前だし、全力で走ったら痛いぐらいで普段は全然痛くないよ」
「そう……」
「くすぐったいからほどほどにしてくんない……」
しばらく無言の時間が流れる。無言なのにさわさわと撫で続ける悠李。たまにこちらを見てくるので、変に意識してしまう。これ、無意識にやってるならずるい。
腕時計は午後二時四十分を指していた。そろそろ今日の夢の調査に出かけないとまずい。星マークと黒色の紙袋。手がかりはそれしかない。沈黙を破るために、俺は恐る恐る手を挙げた。
「な、なあ……そろそろ俺帰るわ」
「じゃあ俺も帰る」
「今日俺商店街寄るから、途中駅で降りるよ」
「……商店街?」
商店街と聞いた途端、悠李はやっぱり、という顔をした。え、知っていたのか?、と茶化すにも、重く暗い雰囲気が邪魔をする。
「……ちか、今日昼間また夢見た? そこで誰かが亡くなった?」
「怖い、怖い! 見たよ、見たけどそんなに詰め寄らなくても……」
悠李は俺の両手を掴み、グッと詰め寄ってくる。綺麗な顔とはいえども、自分よりも大きな男に詰め寄られるとやはり圧迫感がある。何がそんなに驚くことなのか。はぁぁあ、と大きなため息をついて、悠李は俺を抱きしめた。
「な、なに!」
こんな力強いのか。ぎゅうと力が込められ、腕から悠李の体温が伝わってくる。子犬ぐらい熱い。
「……言うつもりはなかったんだけど」
「はぁ……?」
「俺も、多分、ちかと同じ夢を見てる。昨日の夜見たのは、商店街のスーパーで人が亡くなる夢。上から何かが落ちてきて、男性が亡くなった。小さい女の子とか、おばあちゃんとか近くにいて……」
嘘だろ。悠李は事細かに俺が見た夢の内容を話したのだ。適当に言って当たるものではない。どうして……悠李は知っている?
「ま、待て、それは俺の見た夢だよ。何で知ってんの……?」
「わからない……でも、俺も見たんだ……この間ちかが見たって言った夢も見た……三年前からこんな夢ばっかり……」
抱きしめられている腕の力が強くなる。首に息がかかり、額が当たる感触。泣いているのか、ワイシャツの背中側が次第に濡れていく。ここまで感情的な悠李の姿を見たのは出会ってから初めてだった。
「三年前?」
「ちか、本当に階段から落ちただけ? 間違いない?」
「お、親からはそう聞いたけど……忘れもしない八月十九日の夕方、階段から落ちたって」
何度も確認した話。大きなけがをしたことがなかったため、家族総出でお見舞いにも来てくれた。
嘘だと呟く悠李。顔をあげグッと肩を掴まれ、悠李から逃げられなくなる。いつもの柔らかい眼差しはどこにもない。嘘じゃないと言っても聞かない。
「階段から落ちて、一ヶ月入院。そう言っていたよね……それに未だに傷跡が痛むって、本気で信じてる?」
涙を拭いて続ける悠李の声はずっと震えていた。
「ちか、ちか……死なないで、行かないで、ちか…………」
「一人で喋らないでくれよ! 死なない、俺は死なないよ……」
「でも……」
俺は肩に置かれた悠李の腕を掴み、頭を撫でる。こんなに不安にさせている理由は何だ。その事ばかりが頭を巡って、頭がクラクラと悲鳴をあげる。でも、そんなことでこの会話を終わらせたくなくて。夢が繋がる何て偶然なんて思えなくて。ぐちゃぐちゃになった頭で、気が付いた時には全てを話していた。
「悠李と夢の関係は知らないけど、俺は何回も助けてる。夢の中で見た、亡くなるはずだった人々を助けてる。だから、俺は大丈夫。誰も死なないから」
「やっぱり……おかしいと思った……俺は、事故の前々日にその夢を見るの。ずっと覚えてる……三年前の九月二十日から……」
「九月二十日……」
「わかる? ちかが退院した日あたりからだよ……」
「そんなの偶然じゃ……」
激しく頭を掻く悠李。険しい表情で話を続ける。
「それから俺は人が死ぬのを見てきた……それも全部ちかが助けてきたの……?」
「そ、そうだけど……」
「……遅いよ、遅い……何で……」
再びボロボロと泣きだす悠李に戸惑う。めくるめく表情が変わる彼に、複雑な感情が伴う。不思議と彼から生命力を感じ、ゾクゾクと疼く心臓は、自分自身でも理解できないものだった。
「……俺は確信がないから、お母さんにでも聞いてみてほしい。本当に階段から落ちたのか……そうじゃないなら、きっと俺たちはあの時、中学生の時に出会ってる」
涙を流す悠李にハンカチを渡しながら、その言葉を理解しようとする。
俺は階段から落ちたわけではない。
親に嘘をつかれている可能性がある。
心臓のあたりがグツグツと音を立てている。俺、何のために今まで助けてきたんだろう。誰かを助けて、誰かが生きているのに、どうして悠李を泣かせている?
「……ちかは間違ってない。間違っているのは多分神様なんだよ」
「……なぁ、どういう……――ッ!」
叫ぼうとした途端、一瞬だけ、視界が真っ暗になった。夏の暑さに耐えきれなくなったのか、これもまた夢なのか。首が掴まれ、体が揺れた。
瞬く間に、口で呼吸が出来なくなった。
悠李が塞いだせいだ。
「……ちか」
耳の近くで名前を呼ばれた。悠李の声だ。
暖かい日差しに加え、聞きなれた声で現実に戻ってきたことに気付く。日光に当たらない右肩も少し暖かい。手が置かれていたのだろうか。普段悠李ははそんなことをしないため、少し驚く。
「え……あぁ、おはよう」
「顔、真っ青」
「また変な夢見た」
「それってもしかして……」
「一花くん。私たちも質問して良いかな」
何かを言いかけた悠李を、清楚というよりギャル寄りの女子三人組が囲み、質問攻めを始める。クラスメイトなので一応知っている相手だが、特に勉強している姿を見たことはない。ので、当然悠李目当てだ。
悠李が囲まれていると俺は空気になる。嫌なものを見たし、喉も乾いたため、目立たないようにそっと席離れる。すかさず俺も、と悠李がついてくる。残念そうな女子たちの顔を見て、ここに居なよ、と声をかけるも、彼には効果はなかった。
「何か飲みたいなら俺が買って行ったのに」
「一緒に行きたかったから」
廊下を歩きながら、笑顔で答える悠李。最近過保護すぎないか?とも思うが、あの空間から抜け出したかったと考えると納得がいく。わざわざ本音を言わないあたりが優しいと言われる理由の一つでもあるんだろう。……ただ女子達の視線は痛いのでほどほどにしてくれると助かる。
二人で自動販売機でサイダーを買い、ギリギリ影になってくれている渡り廊下の端に座った。いつもなら誰かがいるこの渡り廊下も、夏休みというアドバンテージのおかげで、俺たちだけの空間となっていた。一口だけサイダーを飲むと、悠李が口を開いた。
「……ちかって、昔階段から落ちて入院したって言ってたよね」
「そうだよ。三年前の夏にね。ほらこの傷」
スラックスを膝までめくりあげると、床に擦りつけた時に出来たであろう傷跡が、右足一帯に広く表れた。母がちょうど片づけをしていたタイミングで落ちたため、床に置かれた荷物で必要以上にけがをしたと入院中に母に説明された。母は自分を責めたような表情であったし、腕にもいくつか怪我の跡があって端から見たら痛々しいらしいが、もう見慣れてしまって自分としては特に違和感がない。そのうち薄れるだろうと、気にかけてもいない。
悠李が膝の傷に触れる。
「この怪我をしたときの状況、どれくらい覚えてる?」
「いや……全然覚えてないんだよね。気がついたら病室にいて、そこには誰もいなくて。頭を強く打ったから、意識を失ってたみたいでさ。階段から落ちたって話も親から聞いただけ」
痛かった記憶を忘れるために、記憶もなくなったのだろうか。
俺が脛の傷跡をなでると、悠李は膝から手を滑らせ、脛に置かれた俺の手に寄り添う形で傷跡をなでた。
「な、なんだよ」
「痛い?」
心配そうに眺める悠李。少し泣きそうな顔をしている。触られた箇所がくすぐったい。やんわりと撫でる手の動きに恥ずかしくなる。
「三年前だし、全力で走ったら痛いぐらいで普段は全然痛くないよ」
「そう……」
「くすぐったいからほどほどにしてくんない……」
しばらく無言の時間が流れる。無言なのにさわさわと撫で続ける悠李。たまにこちらを見てくるので、変に意識してしまう。これ、無意識にやってるならずるい。
腕時計は午後二時四十分を指していた。そろそろ今日の夢の調査に出かけないとまずい。星マークと黒色の紙袋。手がかりはそれしかない。沈黙を破るために、俺は恐る恐る手を挙げた。
「な、なあ……そろそろ俺帰るわ」
「じゃあ俺も帰る」
「今日俺商店街寄るから、途中駅で降りるよ」
「……商店街?」
商店街と聞いた途端、悠李はやっぱり、という顔をした。え、知っていたのか?、と茶化すにも、重く暗い雰囲気が邪魔をする。
「……ちか、今日昼間また夢見た? そこで誰かが亡くなった?」
「怖い、怖い! 見たよ、見たけどそんなに詰め寄らなくても……」
悠李は俺の両手を掴み、グッと詰め寄ってくる。綺麗な顔とはいえども、自分よりも大きな男に詰め寄られるとやはり圧迫感がある。何がそんなに驚くことなのか。はぁぁあ、と大きなため息をついて、悠李は俺を抱きしめた。
「な、なに!」
こんな力強いのか。ぎゅうと力が込められ、腕から悠李の体温が伝わってくる。子犬ぐらい熱い。
「……言うつもりはなかったんだけど」
「はぁ……?」
「俺も、多分、ちかと同じ夢を見てる。昨日の夜見たのは、商店街のスーパーで人が亡くなる夢。上から何かが落ちてきて、男性が亡くなった。小さい女の子とか、おばあちゃんとか近くにいて……」
嘘だろ。悠李は事細かに俺が見た夢の内容を話したのだ。適当に言って当たるものではない。どうして……悠李は知っている?
「ま、待て、それは俺の見た夢だよ。何で知ってんの……?」
「わからない……でも、俺も見たんだ……この間ちかが見たって言った夢も見た……三年前からこんな夢ばっかり……」
抱きしめられている腕の力が強くなる。首に息がかかり、額が当たる感触。泣いているのか、ワイシャツの背中側が次第に濡れていく。ここまで感情的な悠李の姿を見たのは出会ってから初めてだった。
「三年前?」
「ちか、本当に階段から落ちただけ? 間違いない?」
「お、親からはそう聞いたけど……忘れもしない八月十九日の夕方、階段から落ちたって」
何度も確認した話。大きなけがをしたことがなかったため、家族総出でお見舞いにも来てくれた。
嘘だと呟く悠李。顔をあげグッと肩を掴まれ、悠李から逃げられなくなる。いつもの柔らかい眼差しはどこにもない。嘘じゃないと言っても聞かない。
「階段から落ちて、一ヶ月入院。そう言っていたよね……それに未だに傷跡が痛むって、本気で信じてる?」
涙を拭いて続ける悠李の声はずっと震えていた。
「ちか、ちか……死なないで、行かないで、ちか…………」
「一人で喋らないでくれよ! 死なない、俺は死なないよ……」
「でも……」
俺は肩に置かれた悠李の腕を掴み、頭を撫でる。こんなに不安にさせている理由は何だ。その事ばかりが頭を巡って、頭がクラクラと悲鳴をあげる。でも、そんなことでこの会話を終わらせたくなくて。夢が繋がる何て偶然なんて思えなくて。ぐちゃぐちゃになった頭で、気が付いた時には全てを話していた。
「悠李と夢の関係は知らないけど、俺は何回も助けてる。夢の中で見た、亡くなるはずだった人々を助けてる。だから、俺は大丈夫。誰も死なないから」
「やっぱり……おかしいと思った……俺は、事故の前々日にその夢を見るの。ずっと覚えてる……三年前の九月二十日から……」
「九月二十日……」
「わかる? ちかが退院した日あたりからだよ……」
「そんなの偶然じゃ……」
激しく頭を掻く悠李。険しい表情で話を続ける。
「それから俺は人が死ぬのを見てきた……それも全部ちかが助けてきたの……?」
「そ、そうだけど……」
「……遅いよ、遅い……何で……」
再びボロボロと泣きだす悠李に戸惑う。めくるめく表情が変わる彼に、複雑な感情が伴う。不思議と彼から生命力を感じ、ゾクゾクと疼く心臓は、自分自身でも理解できないものだった。
「……俺は確信がないから、お母さんにでも聞いてみてほしい。本当に階段から落ちたのか……そうじゃないなら、きっと俺たちはあの時、中学生の時に出会ってる」
涙を流す悠李にハンカチを渡しながら、その言葉を理解しようとする。
俺は階段から落ちたわけではない。
親に嘘をつかれている可能性がある。
心臓のあたりがグツグツと音を立てている。俺、何のために今まで助けてきたんだろう。誰かを助けて、誰かが生きているのに、どうして悠李を泣かせている?
「……ちかは間違ってない。間違っているのは多分神様なんだよ」
「……なぁ、どういう……――ッ!」
叫ぼうとした途端、一瞬だけ、視界が真っ暗になった。夏の暑さに耐えきれなくなったのか、これもまた夢なのか。首が掴まれ、体が揺れた。
瞬く間に、口で呼吸が出来なくなった。
悠李が塞いだせいだ。
