重なる景色に、花束を。



 あれから数週間。補習も佳境に入り、最後の締めくくりの試験に向けた補習終わりの午後。クラス全員が何としても補習を回避したいと言わんばかりに必死になって勉強をしていた。
「どうせ悠李が今回も一位なんだろうな」
「うーん……どうかな」
 悠李は頭が良く、学力テストではいつも学年一位を取っていた。天が二物を与えた例だ、と思ってしまうところだが、勉強に関しては人一倍努力していることを俺は知っているため、妬ましく思われるべきものではなかった。しかも俺に勉強を教えてくれることも多いので、頭はずっと上がらない。
 教室の隅で小さな声で談笑していると、二人の女子が近づいてきた。
「あの、一花くん! 勉強教えてくれないかな……」
「私も! 化学でわからないところがあって……」
 話しかけられた悠李は女子たちを適当にあしらうこともなく、ちょっと待ってね、と科学の教科書をカバンから引っ張り出した。ちやほやされることは苦手だが、困っているなら放っておけないらしい。
「どこがわからないの?」
「えっと、電気分解の話で……」
「どれ、見せて」
 悠李は髪を耳にかけ、提示された箇所を目で追っていく。
 相談事には親身になって話を聞くところも、彼の魅力だ。普通なら、自分で何とかして、とかそもそも頭が良くないから聞かないでーとかあるはずなのに。そもそも彼女たちは本気でわからないのか、とかは考え始めたらきりもない。まあ、俺に質問が来ることはないと思うからいいか。
 悠李は過不足無く質問の回答をするが、彼女たちはもう少し話をしていたいと、次々質問をぶつけ始める。そのやり取りを見て、しばらくかかりそうだと思った俺は、木漏れ日に当たりながら眠りについた。

――

 目を開くと、俺は持ち手に綺麗な文字で『ちか』と書かれた、可愛らしい黄色のビニール傘を右手で持っていた。街はどんよりと薄い灰色が占めており、ざあざあと水の落ちる音が彼方此方から聞こえてくる。遠くには青空が見える。急に降った雨なのだろう。幸い、俺は商店街に位置するスーパーの前に立っていたため、ほとんどの雫はオーニングによって防がれ、雨樋から漏れた雫に当たるだけで済んでいた。
 あまりにも鮮明すぎる夢。どうやらご指名のようだ。
 ここ最近、夏らしい日差しを浴びて生活してきた俺にとって、久しぶりのジトジトした気候は耐えきれないものであった。天気予報は晴れだった気がするのに。
「あっつ……」
 何か飲み物を買おうと、スラックスのポケットを漁る。夢の中での持ち物は毎度バラバラで、今回はこの子供っぽい傘以外にめぼしい持ち物はなかった。だが幸いポケットには五百円玉が入っており、有難く使わせてもらうことにした。
 自動販売機で甘い炭酸水を買い、二口ほど飲んで、今回の被害者を探す。天気が悪いこともあり、人通りは少なかった。入り口の周囲には三人の雨宿りをしている人がいた。一人は入り口のベンチで座り込んでいる、紺のTシャツを着た細身の男性。一人は迎えを待っているであろう、薄手の小花柄のワンピースを来た少女。もう一人は散歩の途中で駆け込んだ、子犬を抱きかかえたおばあさんだった。
 今は何時だろうか。時間を確認することを忘れていることに気が付いた俺は、急いでスマートフォンを取り出す。スマートフォンは相変わらず外界との通信を遮断していたが、時だけは刻み続けていた。

 八月十八日。午後三時二十七分。ものの数分の間に雨は次第に強くなっている。スーパーの二階から四階はアパートとなっていて、雨に気が付いた住人が洗濯物を取り込み始めた。
 俺も一人暮らしを始めたら掃除も洗濯も自分でやらなければならないと思うと気が狂いそうだ。家事が苦手というわけではないが、母親の几帳面さのせいで些かハードルが上がっている。将来に思いを馳せていると、上の方からあっ、と声がした。
 声が聞こえてから一秒、雨でもかき消されない悲鳴が鳴り響いた。

「いやあぁあぁあああ!!」

 ドス、と何かが凹む音がして、振り向いた先には、頭部が一部欠けている細身の男性が膝から崩れ落ちていた。上半身は雨に当たり、流れ出た血を薄めていく。凶器は? 床を見ると二十センチ程の青色のレンガの一片が転がっている。青、珍しい。重さもかなりありそうで、そう簡単に落ちるものではない。聞こえた悲鳴は頭の上からだった。
他に手がかりはないか。そう考えじっと目を凝らすと、彼は星マークのついた黒色の紙袋を持っていた。どこかで見たことがあるような気がする……高級ブランドのものだろうか。他には――考え始めた矢先、真横にいたワンピースの少女が大声をあげて泣き喚く。異常事態への理解が追いついたのか、やっと状況が飲み込めたらしい。
 こんなもの、子供に見せてはいけないと俺は咄嗟にワンピースの少女の手を取り、自分自身の後ろに隠した。例え夢の中でも絶望に支配された子供の顔を見ていられなかったのだ。慌てて駆け寄る大人。この少女の知り合いらしい。少女がおばさん、と呼んでいたから、多分、近所の人か何かなのだろう。

 数秒後、バチ、と頭に電撃が走り、意識が遠のいていく。
 その時、誰かの手が、俺の腕に触れていた。

「…………って、待って……やっぱり……」
 
――

 白い世界。
 例の女性がそこにいた。

「……」
「……どうした」
「また、お願いします」
 また、というセリフに苛立ちを感じながら、彼女の表情を見る。彼女の目はやはりどこか悲しそうで、同情を誘われる。俺が悪いみたいだ。引け目を感じた俺は思わず了承の返事をする。
「わかった、わかったけどさ、二つだけ聞いていいか」
「……答えられるものなら、答えます」
「名前ぐらい教えてくれないかな。あとどうやって俺をここへ呼んでいる?」
「名前は……少し考えさせてください。これを告げて、助けてもらえなくなったらどうしたらいいか……」
「……そう」
 彼女は言葉を濁して下を向く。本当に何も知らないわけではなさそうだ。何か伝えたい気持ちがあるが、今の状況が変わる可能性を少しでも避けたいと思っている様子だ。それにしても、助けてもらえない、というのはどういうことなのだろう。俺にとって不都合があるのだろうか。彼女に聞いても答えはくれなさそうだ。
「もう一つの質問なんですけど……私、呼んでいません。私も気が付いたらここにいて。でも、あなたが助けてくれるって……」
「え?」
 ちょっと待て、と手を伸ばすが、彼女の存在は認識できなくなっていた。この夢は、彼女の意思ではない? 彼女自体も、何かの力によって導かれている……そういうことなのか?

 消えゆく意識の中、俺の右手に大きな擦り傷が見える。
 白の世界に、溶け込んでゆく。