重なる景色に、花束を。



 降りた駅から自転車で十分程度の場所に花屋は立地していた。夢の中で目覚めた位置で止まり花屋が目に入ると、まだある、と安心感を覚える。今は看板息子が出かけているおかげで、店内は混み合っていないようだ。自転車から降りて横断歩道を渡り、花屋に向かう。幸い営業時間は午後七時までであり、たっぷりと調べることができる。

 俺の能力は、事故の前日に『ある人物に関する明日の事故の夢』を見ることだ。そしてある日、夢の中の少女から、どうにかしてその事故を止めてほしいと言われたのである。その目的や理由は一切わからない。ただ、俺が事故を止めれば、人が助かることは間違いない。だからこそ俺はずっとずっとその願いに応え続けていた。
 今回のターゲットは卯守さんで間違いない。事故を止めるには、『俺が事故の原因を知り、凶器に触れなければならない』と、これまでの経験で理解している。とにかく卯守さんが戻ってきて店が混む前に、早く情報を掴まなけばと、俺は本腰を入れた。
 花屋に到着すると、店内には五人の影があった。エプロンをしている店員が一人、客が四人。店内はおよそ三〜四十平米、奥に店員の作業スペースがある形で、二階建ての建物の、一階部分が全て花屋として利用されているようだ。となると二階は居住スペースだろうか。三分ほど花を眺めていると、ニコニコとした五十代前後の女性店員が近くに寄ってくる。きっと卯守さんのお母さんだろう。彫の深い目元がよく似ている。

「こんにちは。お客様、どんなお花をお探しですか?」
「あっ……ええと、彼女が明日誕生日で、サプライズに持っていこうかな〜、なんて……普段女性がたくさん来ているようですから」
 店員が目をまん丸にした。当然彼女など居ない俺はその様子を見て、言った側から後悔する。今時高校生が彼女の誕生日に花なんか持っていくか。どこまでキザなんだ。恥ずかしい。消えたい。

「ごめんなさい。高校生にはまだ早かったですね」
「いえ! そんなことないです。逆に嬉しくて。こんなに若い方にまだ花を贈る文化があることが。今はテーマパークのチケットだとか、化粧品だとか、美味しい料理だとか、そういうものが流行りでしょう?」
 嬉しそうでありながら、寂しげな顔を見せる女性は、さすがあの息子の母親ということで、魅力的な雰囲気を醸し出していた。
「そ、そうですね」
「花はプロポーズや母の日といった、とても大きな気持ちを伝えるために使われるイメージですけど、もっと気軽に使ってほしいってずっと思っているんです。家族の誕生日とか恋人の誕生日とか、何でもない日だって、異なった季節に違う花を送りあって、その色や香りを楽しむ。それだけで人生がパッと明るくなると思うんです」

 女性はそう言ってひまわりに触れる。その様子は愛おしい誰かに触れているようで、本当に花が好きで、愛しているんだなと感じた。息子の力だけではなくて、この気持ちが花屋の人気の理由であってほしいと願った。そしてうわべの言葉で話をしたことを後悔した……。
「おばさんにこんなこと言われても困っちゃいますよね」
「僕は素敵な考えだと思います」
「あら、ありがとう。息子も最近やっとわかってくれたみたいで、わからせるまで大変だったのよ」
「意外ですね」
「ふふ、大切な人が出来ると違うみたいね」
 大切な人、か。内緒よ、と笑ってひまわりを三本手に取り、これはどうかしらと勧めてくれるその女性の笑顔を、絶対に守らなければと強く心に刻んだ。

 店を出て、例のタクシーを探す。クリーム色のタクシーはこの辺りでは珍しく、携帯電話で調べてみるとすぐに特定することが出来た。タクシーは"みかみタクシー"というらしい。個人経営のもので電話またはアプリで三上配車センターから配車可能らしい。例の運転手の男性はベテランで、話し上手と大人気だと口コミに書いてあった。予約状況を調べると、明日の朝七時にはバツが付いており、あの女性が予約したのだと考えた。既に予約が入っている以上、今のうちにタクシー運転手と接触する必要がある。
 そう考えた俺はアプリの情報をもとに、クリーム色のタクシーを探しに三上配車センターへと向かった。

――

 配車センターに向かう途中、なんと近隣のコンビニに目的のクリーム色が停まっていることに気がついた。運がいい。タクシーには運転手は乗っておらず、コンビニの中にいるようであった。一度タクシーとい凶器に触れた俺はただちに店内に入り、タクシーの運転手を探す。どうやら彼は浮腫特集と書かれた健康雑誌を読み、健康には気を遣っている様子だ。
 彼はしばらく雑誌に夢中だろうと思い、二八〇ミリリットルのお茶を一本買って外で待つことにした。俺今日茶、飲みすぎかも。

 数分後、彼はペットボトルで新発売のカフェオレを持って現れた。
「あの、すみません」
「? こんにちは。何か御用ですか?」
「実はタクシーに興味があって」
 もちろんタクシーについて興味は持ったことがない。
「ああ、そういった方もたまにいらっしゃいますね。これから戻るところですので、良かったら乗ってみます?」
「……じゃあ、お言葉に甘えて少しだけ」
 運転手が助手席のドアを開け、ボタンを押すと後ろの席のドアが開く。クリーム色のボディとは違って、車内はダークグレーを基調としたクラシックな内装だった。お邪魔します、と乗り込み、声をかけてお茶を一口飲む。運転手がキーを回すと、内装とは似合わない、まったりとした曲調で一昔前のJ-popが流れてきた。今日は中年の方を送迎したのだろうか。考察しているうちに曲が変わり、現代的なキラキラとした曲が流れてくる。……俺に合わせてくれたのだろうか。よかったらこれ名刺、と渡された紙には山根孝昭《やまね たかあき》と書かれていた。山根さん。名前を聞いてからこれからのことを考えると、込み上げてくるものがある。

「君は高校生?」
「はい」
「そっかそっか。お客さんは大人が多いから、高校生と話すなんて久々だなぁ。新鮮で良い」
 ハハッと笑う運転手は、カフェオレを手に取る。高校はどこかだとか、夏休みじゃないのかといった当たり障りのない話をしつつも、タクシー運転手の強みを存分に発揮され、あれよあれよと二十分近く話してしまった。トーク力の高さを実感していると、彼は急に後ろを振り、こう言い放った。
「ねぇ君、本当はタクシーに興味ないでしょ」
「え! どうして……」
「ありゃ、正解? だって君ずっと僕と話してるだけで何も触ったりしないから」
 成る程。それは確かにそうだ。興味があると言っておいて世間話をしているようでは、まるで興味がないそぶりと取られて間違いない。
「すみません」
「いいよ、訳ありって顔してるしね」
 そう言ってチョコあげるね、といちごが描かれた小袋を渡す彼の手はシワだらけで、仕事への誇りと歴史を静かに感じた。感謝を述べてチョコを受け取る俺は、謝罪の言葉を続ける。
「訳……もあるんですけど、先程健康雑誌を読んでいたじゃないですか。もし突然運転できなくなることがあったら、運転手さんはどうするんですか。前にそういう現場を見てしまって、なんだか突然怖くなって……」
 自分でも無理やりな話題提供だなと思う。
「そうだね……それが一番怖いことかもしれないね。今ではもう三十年ぐらい運転手をやっているけど、歳を取ってから僕は毎年四回は欠かさず、人より多めに健康診断を受けてるよ。今月末にも検診があるから、しっかり診てもらわなきゃ」

 嘘一つない笑顔で話す彼の様子を見ると、今回の事故は不慮の事故だと考えられた。その場合、彼がタクシーに乗らないように誘導しなければならない。悪意のない事故、何よりもこれを止めるのが一番難しいのだ。
 彼を車に乗せないためには、まず女性の予約を取り消さなければならず、そして、その時間帯以降に予約を入れ、配車センターにて彼の不調を確認してもらい、乗車できないことにする必要がある。
「……あの、明日の朝八時頃、僕のこと学校まで送って行ってもらえませんか」
 
「どうしたんだい? おじさんのファンになったのかい?」
彼は「若者が興味を持ってくれるなんてなぁ」とにこやかに話しつつ、遠くを見た。
「でも申し訳ないんだけど、その時間帯はもう予約が入っていて行くことはできないんだ」
「そこを何とかお願いできませんか。どうしても明日の朝、あなたの車に乗りたいんです」
「……これも何か訳ありなの?」
「……はい。理由は聞かないでください」
 うーんと悩む彼に対し、出来るだけ真剣な表情で見つめ返す。これがだめならどうしよう。手荒な真似はできるわけがないし、手がかりのない女性を探すしかないのだろうか。
 渡されたチョコの裏に書かれた占いが、大吉だったことに気付き、当たっていないじゃないかと思うと同時に、彼はわかったとつぶやいた。
「そんなに頼まれちゃ仕方ないね。一度配車センターに連絡してみるよ。他の運転手さんと代わってもらうから。ダメだったら仕方ないけど……それで良いね?」
「はい! 我儘言ってしまってすみません。ありがとうございます」
「これも何かの縁だよ。それじゃあちょっと待ってね」

 彼は車から降りて、俺たち高校生と変わらないスピードで白色のスマートフォンを操作し、センターへ電話をかけ始めた。俺の親ですらそんなに早く操作できないのに。手慣れている。
 車の中から様子を伺うこと数分、彼はスマートフォンをポケットへとしまい、そして後ろの席の窓ガラスをノックした。それに呼応するようにガチャ、とドアを開けるとOKサインが見えた。

「大丈夫だって。では明日、お迎えにあがりますね」
「良かった……ありがとうございます!」
 それでは、と挨拶を交わして俺は自宅へ戻った。時刻は午後六時を回ろうとしていた。

――

 玄関のドアを開けて履き慣れたローファーを脱ぎ、隅に揃えてそっと置いた。昔一度だけ母に揃えて脱ぎなさいと言われてから、無意識のうちにこの習慣がついてしまった。大きくなった今、親の教育の大切さをふと実感してしまうことがある。
「千景、おかえり〜」
「ただいま」
「随分遅かったじゃない」
「悠李とフラフラしてた」
「仲良いわね〜」
 夢のために動く時は大抵悠李を言い訳に使っている。母は去年の学祭で悠李を見つけた途端、どうもお気に入りとなってしまったらしく、ことあるごとに家に連れてこい、とうるさくなってしまった。美しい男はこうも誰からも愛されるのか。
「夕飯は? 今日は春巻きだけど、千景好きでしょ」
「食べる」
「手、洗ってきなさい」
「うん」
 手を洗い、ご飯を食べ終える。母の作るパリパリの春巻きは中身がジューシーで、ご飯が進む。きっと大きくなったらこれをつまみに酒を飲むんだ、そう漠然と思った。おいしいでしょと、母が自慢しつつふくらはぎを揉んでいる。何をしているのかと聞いたときにテレビを指さす母。それを見て、なるほどと腑に落ちた。

 風呂上がりに母に明日の朝早く起きると告げ、自室に戻る。時刻は午後七時二十分。明日の朝が早いとしても、まだ寝る時間ではない。今日の授業の復習をしながら眠くなるのを待つか、と優等生な考えが頭をよぎったが、失敗した時に備え、今日得た情報を手帳に記録した。手帳は事故の記録専用として買ったものではあるが、それ以外にも日常的に利用しており、傍からみたら現実と空想とが入り混じる怪しげな本だ。万が一落としたら妄想癖といじられてしまうかもしれない。でも、貴重な記録だ。
 記録を終えて読書をし、できるだけ安眠できるように普段はつけないストライプのアイマスクを装着して、静かにベッドへと潜った。