11
悠李が死んだ。そんな衝撃な光景を見たにも関わらず、目覚めは穏やかであった。三時間ほどの睡眠だが。無機質で簡素な目覚まし時計は午後十一時四十分を指し、明日の朝、悠李は落ちると分かった。彼は何も言っていなかった。夢を見なかったのか、それとも意思は固まっていたのか。俺にはわからない。どちらにせよ、今から七時間後に悠李は飛び降りる。
「どうすりゃいいんだよ……」
自分で考えていても埒があかないと思い、悠李にメッセージを飛ばした。文面は『話がしたい』、『今から会えるか』、それだけだ。いつもはすぐに返事が返ってくるが、今日はそうもいかなかった。
悠李に会って時間まで抱きしめておけば飛び降りないで済むのかもしれないが、原因がわからないままだと意味がない。失敗した時とは違って、原因を突き止めないとまた次の日に繰り越される。返事が来るまですることもないため、スマートフォンで動画投稿サイトを見ることにした。サイトトップには二宮先生がいた。ちょうど報道番組のコメンテーターとして特別出演していたようだ。
『今回も呼んでいただいて、大変光栄ですよ』
『またまた、先生はもう引っ張りだこですから! こんな番組と思われないか不安に思ってるスタッフもいっぱいいましたし』
『褒め言葉として受け取りますよ?』
『もちろんです』
司会者のベテラン芸人は報道番組でありながらも上手く笑いを誘い、番組の人気を手堅いものとしていた。俺もその話術に惹かれ、不思議と画面を見続けていたが、十分ほどで別の動画が気になり、ダラダラと画面を見続けてしまった。
時刻は午前五時二分。一晩中待ち続けていたが、悠李からの連絡はなかった。悠李が亡くなるまで、そう時間はない。夢で見たのだから、学校には来るだろう。俺はとにかく行かなければと、急いで制服に着替えて家を飛び出した。
駅に着くと、丁度始発列車が停車していた。車内にはくたびれた顔のサラリーマンが数人乗っているだけで、静かな朝を迎えていた。俺は将来どうなるのか、普段はそんなことを考える余裕もあるが、今は兎にも角にも一秒でも早く悠李に会いたかった。
学校に着く頃にはすでに校門は開いていた。腕時計の針は六時二十二分を指している。
「時間がない……!」
焦りつつ、ふと俺たちの教室がある場所を見ると、ベランダに一人、人影が見えた。間違えるはずもない。悠李だった。まだ手すりには座っていない。悠李ははスマートフォンで何か打ち込んでいる様子で、たぶん、酷く思いつめていた。
俺が悠李を助けたいのは、どうしてだろう。今までもそうしてきたから? 目の前で人が死ぬのを見たくないから?
――違う。
ほとんどない体力を使って、全速力で昇降口までのアプローチを走り抜ける。
その時、携帯が鳴った。
『一花 悠李:新着メッセージがあります』
「……悠李!?」
返信が来た。昇降口で上履きに履き替えながら、急いでロックを解除する。メッセージを開くと、そこには複数に分けられた長文が書かれていた。
『千景へ。千景がこのメッセージを読む頃には、きっと、俺は、千景と同じ世界にはいないんだろうな』
悠李。
『ごめん。今、俺、頭が回らなくて、文が変になってるかも』
悠李、待ってくれ。
『俺には大切な人がいて、そこには央子と母さんと、もちろん千景も入るんだ。でもね、俺はきっと不幸にさせてきた。そんな大切な人たちをさ』
廊下を走った。人生で一番速く移動していたと思う。遠くから教師の声がしたが、怒られるくらい何とも思わなかったし、そんな考えすら浮かばなかった。悠李のことしか頭になかった。
『千景と出会って、世界は変わったよ。千景の言う通り、千景には央子と同じ匂いを感じてた。千景の姿に央子の姿を重ねてた。そうなんだって自覚した。でもね、千景といると、いつでも楽しかった。俺だけに手を差し伸べてくれる千景が、いつの間にか俺の一番大切な人になっていたんだ。この気持ちだけは間違いなく、千景に対してだけ感じてるものだよ』
それなら、俺の前から、いなくならないで。
『俺、今でも央子と千景、どっちのが大切なのかなんてわからないんだ。俺にとってどっちも大切で、それぞれが失いたくない人の一人で。でもね、央子がいなかったら、千景とは友達にならなかったかもしれない。千景のことを、好きにならなかったかもしれない。毎日、高校で千景と会うことが、生きる希望になってたの』
どっちが大切とか、そんなのいいから。
『央子の容態が急変したって聞いたんだ』
『俺にできることって何だろ。これまで誰かにくっついてばっかりで、眩しい二人の側にいて、俺、何もできなかった。央子は轢かれて、千景は誰かを助けててさ』
『どうしたら良い? せめて、二人とも、ずっとずっと長生きして欲しいなぁ、なんて、そんなことばっかり考えてて』
『俺にできることって、多分これくらいしかないんだよ』
嫌な予感がする。夢の通りになってしまうのではないかという予感だ。階段を駆け上り、教室のドアを開けた。
『千景と一緒にいたい』
『これからの人生、二人と一緒にいたかった』
『こんな弱い自分で』
悠李は手すりを跨ぎながら、こちらに気が付いた。
ごめんね。
悠李の口が動いた。彼はゆっくりと落ちていく。
「ゆうり――――ッ!!」
夢の中と同じだった。手を伸ばしても彼に届くことはなかった。手摺りに着く頃には、彼は地面と接していた。千景以外の観測者は誰もいない、静かな最期だった。
「ぁ……あぁ……」
手が震える。息が乱れる。吸っても吸っても酸素が足りない。悪夢だ。過去最悪の悪夢。髪の毛に涙がついた。へばりつく髪をはらう頃には小さな血溜まりができていた。彼の形を保った何かは、ピクリともしなかった。俺が殺した? また俺が? なぁ、生きてる価値がないのは俺なんじゃないか? 悠李、頼むから、返事してくれよ。後ろからひょっこり現れてくれよ。いつもの笑顔を見せてくれよ……俺の隣にいてくれよ…………。
俺が、誰かを救うだなんて大層なことを自責の念が頭を駆け巡り、ブチ、と頭の何かが切れた。
視界が白くぼやけていく――。
――
白い世界。
見慣れていたはずの景色も、くすんで見えた。今にも崩れそうな雰囲気があり、哀歌や鎮魂歌が流れてもおかしくない。いつもと違うのはそれだけではない。
ワンピースを着た女性が倒れている。動かないまま、
「!? なぁ! おいッ!」
死んだ……のか? あまりの事態に目が覚めたが、頭の整理は付いておらず、本能のままに動いていた。グッと肩を持つと、体のほとんどが真っ黒で、そして掴むことを許さなかった。彼女――央子さんの体が今すぐにでも機能しなくなることは明白だった。
「……けて」
「え?」
「私を助けて……」
「どういうことだよ……!」
ぎゅう、と彼女は俺のシャツを握りしめた。弱っているとは思えないほど力強いものだった。
「私を助けてくれればいい……お願い……お願い……!」
「悠李はどうするんだよ!」
悠李の名前を出すと、彼女は何かを言おうとして、やめた。にこ、と笑う彼女の顔は何処か優しかった。
「……任せ、ました」
「な、なぁ、何か見えてるのか……? もしかして……」
彼女は左手の指で俺の口を塞いだ。
「お願い、助けて……私たちを……救って……」
どうして、と言おうとした時、白くもやがかかり始めた。意識が遠のいていく。彼女の消えかかった右手を握ると、一枚のカードが握られていた。書かれた文字は読み取れなかったが、その色を見て感づいた。
そうか。俺のこの能力は――。
白の世界は崩壊を始めた。
悠李が死んだ。そんな衝撃な光景を見たにも関わらず、目覚めは穏やかであった。三時間ほどの睡眠だが。無機質で簡素な目覚まし時計は午後十一時四十分を指し、明日の朝、悠李は落ちると分かった。彼は何も言っていなかった。夢を見なかったのか、それとも意思は固まっていたのか。俺にはわからない。どちらにせよ、今から七時間後に悠李は飛び降りる。
「どうすりゃいいんだよ……」
自分で考えていても埒があかないと思い、悠李にメッセージを飛ばした。文面は『話がしたい』、『今から会えるか』、それだけだ。いつもはすぐに返事が返ってくるが、今日はそうもいかなかった。
悠李に会って時間まで抱きしめておけば飛び降りないで済むのかもしれないが、原因がわからないままだと意味がない。失敗した時とは違って、原因を突き止めないとまた次の日に繰り越される。返事が来るまですることもないため、スマートフォンで動画投稿サイトを見ることにした。サイトトップには二宮先生がいた。ちょうど報道番組のコメンテーターとして特別出演していたようだ。
『今回も呼んでいただいて、大変光栄ですよ』
『またまた、先生はもう引っ張りだこですから! こんな番組と思われないか不安に思ってるスタッフもいっぱいいましたし』
『褒め言葉として受け取りますよ?』
『もちろんです』
司会者のベテラン芸人は報道番組でありながらも上手く笑いを誘い、番組の人気を手堅いものとしていた。俺もその話術に惹かれ、不思議と画面を見続けていたが、十分ほどで別の動画が気になり、ダラダラと画面を見続けてしまった。
時刻は午前五時二分。一晩中待ち続けていたが、悠李からの連絡はなかった。悠李が亡くなるまで、そう時間はない。夢で見たのだから、学校には来るだろう。俺はとにかく行かなければと、急いで制服に着替えて家を飛び出した。
駅に着くと、丁度始発列車が停車していた。車内にはくたびれた顔のサラリーマンが数人乗っているだけで、静かな朝を迎えていた。俺は将来どうなるのか、普段はそんなことを考える余裕もあるが、今は兎にも角にも一秒でも早く悠李に会いたかった。
学校に着く頃にはすでに校門は開いていた。腕時計の針は六時二十二分を指している。
「時間がない……!」
焦りつつ、ふと俺たちの教室がある場所を見ると、ベランダに一人、人影が見えた。間違えるはずもない。悠李だった。まだ手すりには座っていない。悠李ははスマートフォンで何か打ち込んでいる様子で、たぶん、酷く思いつめていた。
俺が悠李を助けたいのは、どうしてだろう。今までもそうしてきたから? 目の前で人が死ぬのを見たくないから?
――違う。
ほとんどない体力を使って、全速力で昇降口までのアプローチを走り抜ける。
その時、携帯が鳴った。
『一花 悠李:新着メッセージがあります』
「……悠李!?」
返信が来た。昇降口で上履きに履き替えながら、急いでロックを解除する。メッセージを開くと、そこには複数に分けられた長文が書かれていた。
『千景へ。千景がこのメッセージを読む頃には、きっと、俺は、千景と同じ世界にはいないんだろうな』
悠李。
『ごめん。今、俺、頭が回らなくて、文が変になってるかも』
悠李、待ってくれ。
『俺には大切な人がいて、そこには央子と母さんと、もちろん千景も入るんだ。でもね、俺はきっと不幸にさせてきた。そんな大切な人たちをさ』
廊下を走った。人生で一番速く移動していたと思う。遠くから教師の声がしたが、怒られるくらい何とも思わなかったし、そんな考えすら浮かばなかった。悠李のことしか頭になかった。
『千景と出会って、世界は変わったよ。千景の言う通り、千景には央子と同じ匂いを感じてた。千景の姿に央子の姿を重ねてた。そうなんだって自覚した。でもね、千景といると、いつでも楽しかった。俺だけに手を差し伸べてくれる千景が、いつの間にか俺の一番大切な人になっていたんだ。この気持ちだけは間違いなく、千景に対してだけ感じてるものだよ』
それなら、俺の前から、いなくならないで。
『俺、今でも央子と千景、どっちのが大切なのかなんてわからないんだ。俺にとってどっちも大切で、それぞれが失いたくない人の一人で。でもね、央子がいなかったら、千景とは友達にならなかったかもしれない。千景のことを、好きにならなかったかもしれない。毎日、高校で千景と会うことが、生きる希望になってたの』
どっちが大切とか、そんなのいいから。
『央子の容態が急変したって聞いたんだ』
『俺にできることって何だろ。これまで誰かにくっついてばっかりで、眩しい二人の側にいて、俺、何もできなかった。央子は轢かれて、千景は誰かを助けててさ』
『どうしたら良い? せめて、二人とも、ずっとずっと長生きして欲しいなぁ、なんて、そんなことばっかり考えてて』
『俺にできることって、多分これくらいしかないんだよ』
嫌な予感がする。夢の通りになってしまうのではないかという予感だ。階段を駆け上り、教室のドアを開けた。
『千景と一緒にいたい』
『これからの人生、二人と一緒にいたかった』
『こんな弱い自分で』
悠李は手すりを跨ぎながら、こちらに気が付いた。
ごめんね。
悠李の口が動いた。彼はゆっくりと落ちていく。
「ゆうり――――ッ!!」
夢の中と同じだった。手を伸ばしても彼に届くことはなかった。手摺りに着く頃には、彼は地面と接していた。千景以外の観測者は誰もいない、静かな最期だった。
「ぁ……あぁ……」
手が震える。息が乱れる。吸っても吸っても酸素が足りない。悪夢だ。過去最悪の悪夢。髪の毛に涙がついた。へばりつく髪をはらう頃には小さな血溜まりができていた。彼の形を保った何かは、ピクリともしなかった。俺が殺した? また俺が? なぁ、生きてる価値がないのは俺なんじゃないか? 悠李、頼むから、返事してくれよ。後ろからひょっこり現れてくれよ。いつもの笑顔を見せてくれよ……俺の隣にいてくれよ…………。
俺が、誰かを救うだなんて大層なことを自責の念が頭を駆け巡り、ブチ、と頭の何かが切れた。
視界が白くぼやけていく――。
――
白い世界。
見慣れていたはずの景色も、くすんで見えた。今にも崩れそうな雰囲気があり、哀歌や鎮魂歌が流れてもおかしくない。いつもと違うのはそれだけではない。
ワンピースを着た女性が倒れている。動かないまま、
「!? なぁ! おいッ!」
死んだ……のか? あまりの事態に目が覚めたが、頭の整理は付いておらず、本能のままに動いていた。グッと肩を持つと、体のほとんどが真っ黒で、そして掴むことを許さなかった。彼女――央子さんの体が今すぐにでも機能しなくなることは明白だった。
「……けて」
「え?」
「私を助けて……」
「どういうことだよ……!」
ぎゅう、と彼女は俺のシャツを握りしめた。弱っているとは思えないほど力強いものだった。
「私を助けてくれればいい……お願い……お願い……!」
「悠李はどうするんだよ!」
悠李の名前を出すと、彼女は何かを言おうとして、やめた。にこ、と笑う彼女の顔は何処か優しかった。
「……任せ、ました」
「な、なぁ、何か見えてるのか……? もしかして……」
彼女は左手の指で俺の口を塞いだ。
「お願い、助けて……私たちを……救って……」
どうして、と言おうとした時、白くもやがかかり始めた。意識が遠のいていく。彼女の消えかかった右手を握ると、一枚のカードが握られていた。書かれた文字は読み取れなかったが、その色を見て感づいた。
そうか。俺のこの能力は――。
白の世界は崩壊を始めた。
