厨二病くんの初恋。

翌朝、神宮寺皇(漆黒院零音)の精神状態はまさに「滅びゆく終末世界」そのものだった
昨夜は一睡もできなかった
目を閉じれば保健室の西日に照らされた悠真の柔らかな唇と自分の袖を掴んだあの指の感触が脳内で無限リピートされるからだ
「くっ、睡眠不足により魔力が枯渇している… 今日の俺は本来の力の半分も出せまい…」
いつものように包帯をセットし、重い足取りで教室のドアを開ける
視線を泳がせ、悠真の席を確認する
あいつはいつも通り真面目な顔で教科書を読んでいるはずだ
そうすれば昨日のことは「夢だった」と思い込める
――はずだった
「あ、皇くん! おはよう 待ってたよ」
教室に入った瞬間、背後から声をかけられた
心臓が跳ね上がる
振り返るとそこにはいつもの微笑みを浮かべた瀬戸内悠真が立っていた
だが何かがおかしい
「ひ、ひるむな我が魂よ… おはよう、光の使徒よ …って、おい、近い! 距離感が狂っているぞ!」
悠真がいつになく近い
普段なら挨拶を交わす程度のパーソナルスペースを軽々と踏み越え、俺の胸元に顔が来るほどの距離で足を止めている
「え? そうかな …あ、皇くん、ここ 寝癖ついてるよ?」
「なっ……!?」
悠真の手が俺の頭へと伸びる
細い指先が俺の髪に触れた
昨日の保健室で自分が触れたいと願って叶わなかった、その指が
俺は全身を硬直させた
まるで石化の呪い(ペトリフィケーション)をかけられた勇者のように指一本動かせない
(ま、待て こいつ、今さらっと俺の本名を呼んだな!? しかもなんだ、この至近距離から漂う石鹸の香りは…! 俺の嗅覚受容器がオーバーロードして爆発する!)
「…よし、直った ふふ、昨日はよく眠れなかったの? 目の下にクマができてるよ」 
悠真が顔を覗き込んでくる
桜色の瞳がいたずらっぽく光った
俺は必死にマント(指定ジャージ)の襟を立て、顔の半分を隠した
「ふ、ふん… 昨夜は異界の門から溢れ出した魔物どもを鎮圧していたのだ 微睡む暇などあるはずもなかろう……!」
「そっか 大変だったね じゃあ、今日の休み時間は僕と一緒に屋上で休もうよ 二人きりで、さ」 
「二人きり」という単語に俺の脳内回路がショートした
(二人きり……!? 昨日の今日で屋上で二人きりだと!? これは……まさか昨日の失態がバレているのか? それとも俺の隠された魔力に惹かれたというのか!?) 
動揺する俺を置き去りにしてその日の悠真の攻勢は止まらなかった
一時間目の休み時間 ノートを借りに来た悠真はなぜか皇の隣の椅子に無理やり腰を下ろした
「ここ教えて」と差し出された問題集
覗き込もうとすれば必然的に肩と肩が触れ合う
「うわあ……! 接触、接触しているぞ悠真! 貴様、この漆黒院零音に不用意に触れれば貴様の清浄な魂が闇に染まるのだぞ!」
「いいよ、染まっても 皇くんの闇ならあったかそうだし」
「――っ!!」 
俺は喉の奥で変な音を出してガタガタと椅子を鳴らした
言動が…言動が昨日までと明らかに違う
これまでの悠真は俺の厨二病的な言動を優しく受け流す「良心的な委員長」だったはずだ
だが今の彼はまるで獲物を追い詰める猟師のような静かな迫力がある
そして昼休み 悠真に連れられ、誰もいない特別教室の後ろ
俺は背中を壁に押し付けられ、目の前には両手で壁を塞ぐように立つ
――いわゆる「壁ドン」の体勢をとる悠真がいた
「おい……光の使徒、よ… これは何の儀式だ? 生贄でも捧げるつもりか?」
俺の声は裏返っていた
悠真の顔が昨日の保健室の時よりもずっと近くにある
悠真はじっと俺の目を見つめていた
その瞳には今まで見たこともないような強い熱が宿っている
「皇くん 昨日、保健室に来てくれたよね」 
ドクン、と皇の心臓が爆発しそうになった
「……な、何を 俺はただ、聖域の汚染を確認しに……」
「僕、起きてたんだよ」 
時間は止まった 俺の思考も、心臓も、厨二病の設定も、すべてが氷結した
「え……あ……」
「皇くんが僕の名前を呼んで…顔を近づけてくれたの すごくドキドキした だから――」
 悠真がさらに一歩、踏み込む 皇の鼻先と悠真の鼻先が触れ合う
「今度は僕の番だと思って 逃がさないよ?」 
悠真の吐息が唇にかかる
俺はもはや「漆黒院零音」を演じる余裕など一ミリも残っていなかった
顔は耳の裏まで真っ赤になり、震える唇から情けない本音が漏れる
「……ま、待て 悠真、それは、ずるい……」
「ずるくないよ …皇くん、目、閉じて?」 
悠真の甘い囁きに皇は抗うことができなかった
「漆黒院零音」という最強の盾を粉砕された神宮寺皇はただ自分を射抜いた天使の命じるままに静かに瞳を閉じた
放課後のチャイムが鳴り響く中、二人の影が教室の片隅で重なる
それは世界を滅ぼす魔王の物語ではなくただの一人の少年が大好きな少年に完敗した、最高に甘い「敗北」の瞬間だった

【厨二病くんの初恋。完】