(スズside)
二学期が始まった途端、学校も俺の日常も、一気に慌ただしくなった。
新学期が始まったばかりだというのに、俺は毎日イライラを持て余していた。
理由は単純。最近、俺の息抜きである『非常階段』に行けていないことに重ねて、サクとも山にも行けていないからだ。
家では、相変わらず両親が口うるさく成績や進路のことしか言ってこない。頼りにしてる兄貴も、まだ大学三年だというのにインターンなどで忙しく全然捕まらない。
それに加えて、昼休みも文化祭実行委員の打ち合わせで潰されている。
俺は廊下に誰もいないことを確認してから、大きく舌打ちをした。
いつも委員会をしている空き教室に着き、扉を開ける。
普段は六、七人はいるはずのそこには、他クラスの櫻井さん一人だけがポツンと座っていた。
「あれ? 今日は、俺たちだけ?」
「あ、鈴村くん。……なんか、欠席の子もいるみたいだけど。私も今日、こんなに集まらないとは思わなかった」
櫻井さんは振り返り、申し訳なさそうな顔で答えた。
俺もすぐに、完璧に作った『困り顔』を貼り付け、彼女の隣の椅子を引く。
「ま、もうちょっと待ってみて、誰も来なかったら解散しようか」
「そだね、……お弁当、食べ始めてもいい? お腹すいちゃって」
櫻井さんが、はにかむように笑いながらお弁当を広げ始める。
「うん、俺も食べるよ」
愛想よく返事をしながら、俺は櫻井さんの向かいの席に移動した。
初めは文化祭のことを少し話していたが、途中で「あ、そうだ」と彼女は不意に話題を変えた。
「そういえばさ。夏休み前、アルバイトしてたでしょ」
(――えっ!)
その一言に、俺の顔が一瞬だけ固まった。
けれど、すぐに余裕のある笑顔を作って返す。
「うん。休日だけね。ちゃんと学校の申請はもらってあるし――」
「あ、違うの! それは全然いいの。私、あの辺に住んでて」
「え、どこかで見かけた?」
「ううん。私のお母さんが、その倉庫にパートで行っててね。『美羽と同じ学校の男の子たちが、二人でバイトに来てる』って」
その言葉に、やばい、と思った。
俺一人のバイトがバレることはどうでもいい。けれど、サクと一緒にしていたこと、あいつのプライベートな領域が他人に知られるのだけは、絶対に防がなければならない。
俺は必死にいつもの笑顔を貼り付け、櫻井さんを真っ直ぐにみた。声が少し、強張っているのが自分でもわかった。
「俺たちがバイトしてたこと……他の誰かに言った?」
「え? ううん。誰にも言ってないよ。内緒かもしれないと思ったし」
それを聞いて、俺は隠しきれないほどあからさまな安堵の息を漏らしてしまった。
俺のその余裕のない様子を見たのか、櫻井さんはクスッと笑う。
「櫻井さん。本当に誰にも言ってない? マジでバレたくないんだけど」
「やっぱり、内緒だったの? お母さんにも言っとくね。言いふらさないでって」
「……うん、お願い」
「一緒にやってたの佐久間くん、だよね?」
櫻井さんの言葉に、俺は小さく息をつき、咄嗟に両手で自分の口元を覆い隠した。
焦りと不安で、これ以上『笑顔』を作れる自信がなかったからだ。
口元を隠したまま、警戒するような視線を櫻井さんに向ける。
「……そう、それを誰にも知られたくないんだけど。佐久間は、目立つの嫌いだから」
「そうなの? うん、わかった」
ふわりと微笑む彼女の目には、下心も、他人の秘密を面白半分に探るような色も一切なかった。純粋な了承と、思いやりだけがそこにある。
その顔を見て、俺は思わず目を見開いた。
(……なに、この子。普通にめちゃくちゃ『いい子』じゃん――)
全方位に愛想振りまいて『いい子』を演じている俺と違って、彼女は初めから優しくて気が利く。
俺の『嘘の笑顔』とは違う。彼女の笑顔には、少しの嘘も混じっていなかった。
思わず息を呑み、彼女の表情に見入ってしまった。
――羨ましい。
心の底から思った。
そんな俺の胸の内を知る由もなく、櫻井さんはホッとしたように微笑んだ。
「でも、よかった。佐久間くん、いつも一人でいるし、自分から人を避けていそうで勝手にちょっと心配してた。鈴村くんみたいに仲良い人もいるんだってわかったし、なんか安心した」
「……心配?」
「うん。だって高校でわざと一人でいるのって、相当な覚悟がいるもん。きっと何か理由があるんだろうなって思ってて」
その言葉に、俺は少しだけ驚いて彼女を見た。
ただの好奇心や哀れみじゃない。彼女はサクのことを否定せず、ちゃんとその奥にあるものを思い遣ってくれていた。
(……この子は、サクのこと絶対笑ったりしないタイプだ。信用できるなぁ)
俺の警戒心が、いつの間にか少し解けていた。
俺が小さく息を吐き出すと、櫻井さんが楽しそうに続けた。
「それに、佐久間くんって普通に学年中で有名だから、知ってる子も多いしね」
「……え、有名?」
「うん。あんなに綺麗な顔だから、女子が騒ぐよ。いつも一人でいる『ガチぼっちイケメン』って呼ばれてる」
それを聞いた瞬間。
俺は堪えきれず、貼り付けてあったはずの優等生キャラを守るのも忘れ、笑いのツボに入ってマジで呼吸が止まるかと思った。
「ぶっ……、はははっ!」
「えっ、えっ? 鈴村くん?」
「ガチぼっちイケメン? なにそれ、完璧に目立っちゃってんじゃん! あいつ、自分では誰の記憶にも残らないようにモブとして生きてるつもりなのにっ……」
腹を抱えて笑う俺を、櫻井さんは目を丸くして不思議そうに見ている。
だって、おかしくてたまらなかった。
目立ちたくなくてわざと無愛想にしているサクが、裏でそんな名前つけられて女子に騒がれているなんて。
(サクがこれ知ったら、絶対すげー嫌な顔するんだろうな……)
俺は頭の中に浮かんだサクのむくれた顔を思い出し、しばらく笑いが止まらなかった。
*
その数日後。
やっとのことで非常階段での昼休みを確保できた俺は、正直、朝からずっとこの時間を楽しみにしていた。
久しぶりのサクの隣。けれど、今日のサクは何かがいつもと違った。
いつになくよそよそしいし、パンをかじりながらため息ばかりついている。
俺がいつものように背中にもたれてゲームを始めると、サクが不意に、この前の空き教室でのことを聞いてきた。
「……スズ。ちょっと前、空き教室で女子と二人で弁当食ってたよな」
まさか見られていたとは思わず驚いたが、同時にあの『ガチぼっちイケメン』という単語を思い出してしまい、顔が勝手にニヤけてしまうのを必死に堪えた。
俺は「あの子のお母さんがパートさんで――」と事情を説明し、サクが目立つことを嫌うのを知っているからこそ、安心させるように言葉を続けた。
「大丈夫、俺たちが仲良いことも口止めしといたから、学校には広まんないよ」
背中にくっついて肩を顎に乗せると、サクの体がビクッと硬直したのがわかった。
(ん……?)
至近距離で覗いたサクの首筋から、耳の先までが、めちゃくちゃ真っ赤になっていた。
体調でも悪いのか、と思ったが、そうでもなさそうだ。
(そういえば、今日ここに来てから、一度もサクと目が合ってないな)
いつもなら「重い」とかすぐ文句を言ってくるはずなのに、今日のサクは顔を両手で覆ったまま、固まって不自然にパンをかじっている。
何気なく顔を覗き込もうとするとさらに顔が赤くなった。
(ふはっ、なにこれ。なんか、めっちゃおもろい……かわいー)
俺の心の中に、少し意地悪な感情と、名前のわからない愛おしさが湧き上がる。
わざともっとくっついてやろうと体重をかけながら、無理やり顔を横から覗き込もうとした瞬間。
サクが、俺の顔を両手で押し退けた。
「Shut up! You’re so damn clingy……!」
「え?」
突然叫んだきれいな英語に俺は動きを止めた。
サクは真っ赤な顔のまま、逃げるように飛び出していった。
一人残された階段で、俺は口を開けたまま、サクが消えた扉を見つめた。
(……なんて? ……クリンジー?)
あの日と、初めて俺の嘘の顔を見破った時と同じだ。サクの口から、無意識に飛び出したスラング。
あいつは、感情が昂った時に無意識に英語が出るらしい。
「……帰ったら調べよ〜」
*
帰宅して、俺は無駄にいい記憶力を使い、頭の中に記録した音を思い出しながらスマホで調べた。
音からの推測で少し時間がかかったが、ようやく正しいスペルと意味を見つけ出す。
『damn clingy――意味:マジでしつこい・クソ鬱陶しい』
(……めっちゃ拒否ってんじゃん)
そのまま指をスクロールしていくと『他の人はこちらも検索』の欄に、目を疑うような言葉が並んでいた。
「clingy 友達 縁切り」
「しつこい友達 撃退法」
「clingy 嫌われる理由」
解説のページを開くと、そこには聞きたくもないような言葉が並んでいた。
『重い、依存、相手の迷惑を考えずにしがみつく人――』
(……は?)
胸のあたりが、ひやりと冷たくなる。
サクにとって、俺はそんな風に見えていたのか?
(違うだろ。多分、スラングだし……何か他に、もっと意味があるはず)
息が詰まるのを感じながら慌てて首を横に振った。
ネットの直訳なんて当てにできない。ネイティブにしかわからない。
*
「ロバート先生、今、いいですか、ちょっと聞きたいことがあって」
翌日、俺は学校の外国人教師――ALTの先生の元へ、答えを求めて駆け込んでいた。
「オゥ、スズムラ! どうしたの? 今日は日本語?」
「はい。細かいニュアンスを、日本語で聞きたくて」
「珍しいね。そんなムズカシイ顔して。それで、なんです?」
俺が『Damn clingy』とスペルを打ったスマホ画面を見せると、ロバート先生は少し驚いたように眉を上げた。
「Wow……ちょっと汚い言葉ね。まぁ、あまりいい意味じゃない。言った人との関係で変わるけどね。どこで聞いた?」
「……悪口ですか? えっと、映画で。友人同士が言ってて。本当のニュアンスが気になりました」
俺が必死に誤魔化すと、彼は「Oh!」と納得したように頷いた。
「なるほどね。辞書だと『重い、しつこすぎ』という意味になる。だけど、もし心を許している距離の近い相手に言ったのなら、意味が全然変わるよ」
俺は小さく喉を鳴らし、息を呑んで次の言葉を待った。
「相手が親友とか、恋人ならね。『もう、そんなにくっつくなよ』とか、『どれだけイチャイチャしてくるの』っていう……スウィートな、ただの照れ隠しになるんだよ――」
二学期が始まった途端、学校も俺の日常も、一気に慌ただしくなった。
新学期が始まったばかりだというのに、俺は毎日イライラを持て余していた。
理由は単純。最近、俺の息抜きである『非常階段』に行けていないことに重ねて、サクとも山にも行けていないからだ。
家では、相変わらず両親が口うるさく成績や進路のことしか言ってこない。頼りにしてる兄貴も、まだ大学三年だというのにインターンなどで忙しく全然捕まらない。
それに加えて、昼休みも文化祭実行委員の打ち合わせで潰されている。
俺は廊下に誰もいないことを確認してから、大きく舌打ちをした。
いつも委員会をしている空き教室に着き、扉を開ける。
普段は六、七人はいるはずのそこには、他クラスの櫻井さん一人だけがポツンと座っていた。
「あれ? 今日は、俺たちだけ?」
「あ、鈴村くん。……なんか、欠席の子もいるみたいだけど。私も今日、こんなに集まらないとは思わなかった」
櫻井さんは振り返り、申し訳なさそうな顔で答えた。
俺もすぐに、完璧に作った『困り顔』を貼り付け、彼女の隣の椅子を引く。
「ま、もうちょっと待ってみて、誰も来なかったら解散しようか」
「そだね、……お弁当、食べ始めてもいい? お腹すいちゃって」
櫻井さんが、はにかむように笑いながらお弁当を広げ始める。
「うん、俺も食べるよ」
愛想よく返事をしながら、俺は櫻井さんの向かいの席に移動した。
初めは文化祭のことを少し話していたが、途中で「あ、そうだ」と彼女は不意に話題を変えた。
「そういえばさ。夏休み前、アルバイトしてたでしょ」
(――えっ!)
その一言に、俺の顔が一瞬だけ固まった。
けれど、すぐに余裕のある笑顔を作って返す。
「うん。休日だけね。ちゃんと学校の申請はもらってあるし――」
「あ、違うの! それは全然いいの。私、あの辺に住んでて」
「え、どこかで見かけた?」
「ううん。私のお母さんが、その倉庫にパートで行っててね。『美羽と同じ学校の男の子たちが、二人でバイトに来てる』って」
その言葉に、やばい、と思った。
俺一人のバイトがバレることはどうでもいい。けれど、サクと一緒にしていたこと、あいつのプライベートな領域が他人に知られるのだけは、絶対に防がなければならない。
俺は必死にいつもの笑顔を貼り付け、櫻井さんを真っ直ぐにみた。声が少し、強張っているのが自分でもわかった。
「俺たちがバイトしてたこと……他の誰かに言った?」
「え? ううん。誰にも言ってないよ。内緒かもしれないと思ったし」
それを聞いて、俺は隠しきれないほどあからさまな安堵の息を漏らしてしまった。
俺のその余裕のない様子を見たのか、櫻井さんはクスッと笑う。
「櫻井さん。本当に誰にも言ってない? マジでバレたくないんだけど」
「やっぱり、内緒だったの? お母さんにも言っとくね。言いふらさないでって」
「……うん、お願い」
「一緒にやってたの佐久間くん、だよね?」
櫻井さんの言葉に、俺は小さく息をつき、咄嗟に両手で自分の口元を覆い隠した。
焦りと不安で、これ以上『笑顔』を作れる自信がなかったからだ。
口元を隠したまま、警戒するような視線を櫻井さんに向ける。
「……そう、それを誰にも知られたくないんだけど。佐久間は、目立つの嫌いだから」
「そうなの? うん、わかった」
ふわりと微笑む彼女の目には、下心も、他人の秘密を面白半分に探るような色も一切なかった。純粋な了承と、思いやりだけがそこにある。
その顔を見て、俺は思わず目を見開いた。
(……なに、この子。普通にめちゃくちゃ『いい子』じゃん――)
全方位に愛想振りまいて『いい子』を演じている俺と違って、彼女は初めから優しくて気が利く。
俺の『嘘の笑顔』とは違う。彼女の笑顔には、少しの嘘も混じっていなかった。
思わず息を呑み、彼女の表情に見入ってしまった。
――羨ましい。
心の底から思った。
そんな俺の胸の内を知る由もなく、櫻井さんはホッとしたように微笑んだ。
「でも、よかった。佐久間くん、いつも一人でいるし、自分から人を避けていそうで勝手にちょっと心配してた。鈴村くんみたいに仲良い人もいるんだってわかったし、なんか安心した」
「……心配?」
「うん。だって高校でわざと一人でいるのって、相当な覚悟がいるもん。きっと何か理由があるんだろうなって思ってて」
その言葉に、俺は少しだけ驚いて彼女を見た。
ただの好奇心や哀れみじゃない。彼女はサクのことを否定せず、ちゃんとその奥にあるものを思い遣ってくれていた。
(……この子は、サクのこと絶対笑ったりしないタイプだ。信用できるなぁ)
俺の警戒心が、いつの間にか少し解けていた。
俺が小さく息を吐き出すと、櫻井さんが楽しそうに続けた。
「それに、佐久間くんって普通に学年中で有名だから、知ってる子も多いしね」
「……え、有名?」
「うん。あんなに綺麗な顔だから、女子が騒ぐよ。いつも一人でいる『ガチぼっちイケメン』って呼ばれてる」
それを聞いた瞬間。
俺は堪えきれず、貼り付けてあったはずの優等生キャラを守るのも忘れ、笑いのツボに入ってマジで呼吸が止まるかと思った。
「ぶっ……、はははっ!」
「えっ、えっ? 鈴村くん?」
「ガチぼっちイケメン? なにそれ、完璧に目立っちゃってんじゃん! あいつ、自分では誰の記憶にも残らないようにモブとして生きてるつもりなのにっ……」
腹を抱えて笑う俺を、櫻井さんは目を丸くして不思議そうに見ている。
だって、おかしくてたまらなかった。
目立ちたくなくてわざと無愛想にしているサクが、裏でそんな名前つけられて女子に騒がれているなんて。
(サクがこれ知ったら、絶対すげー嫌な顔するんだろうな……)
俺は頭の中に浮かんだサクのむくれた顔を思い出し、しばらく笑いが止まらなかった。
*
その数日後。
やっとのことで非常階段での昼休みを確保できた俺は、正直、朝からずっとこの時間を楽しみにしていた。
久しぶりのサクの隣。けれど、今日のサクは何かがいつもと違った。
いつになくよそよそしいし、パンをかじりながらため息ばかりついている。
俺がいつものように背中にもたれてゲームを始めると、サクが不意に、この前の空き教室でのことを聞いてきた。
「……スズ。ちょっと前、空き教室で女子と二人で弁当食ってたよな」
まさか見られていたとは思わず驚いたが、同時にあの『ガチぼっちイケメン』という単語を思い出してしまい、顔が勝手にニヤけてしまうのを必死に堪えた。
俺は「あの子のお母さんがパートさんで――」と事情を説明し、サクが目立つことを嫌うのを知っているからこそ、安心させるように言葉を続けた。
「大丈夫、俺たちが仲良いことも口止めしといたから、学校には広まんないよ」
背中にくっついて肩を顎に乗せると、サクの体がビクッと硬直したのがわかった。
(ん……?)
至近距離で覗いたサクの首筋から、耳の先までが、めちゃくちゃ真っ赤になっていた。
体調でも悪いのか、と思ったが、そうでもなさそうだ。
(そういえば、今日ここに来てから、一度もサクと目が合ってないな)
いつもなら「重い」とかすぐ文句を言ってくるはずなのに、今日のサクは顔を両手で覆ったまま、固まって不自然にパンをかじっている。
何気なく顔を覗き込もうとするとさらに顔が赤くなった。
(ふはっ、なにこれ。なんか、めっちゃおもろい……かわいー)
俺の心の中に、少し意地悪な感情と、名前のわからない愛おしさが湧き上がる。
わざともっとくっついてやろうと体重をかけながら、無理やり顔を横から覗き込もうとした瞬間。
サクが、俺の顔を両手で押し退けた。
「Shut up! You’re so damn clingy……!」
「え?」
突然叫んだきれいな英語に俺は動きを止めた。
サクは真っ赤な顔のまま、逃げるように飛び出していった。
一人残された階段で、俺は口を開けたまま、サクが消えた扉を見つめた。
(……なんて? ……クリンジー?)
あの日と、初めて俺の嘘の顔を見破った時と同じだ。サクの口から、無意識に飛び出したスラング。
あいつは、感情が昂った時に無意識に英語が出るらしい。
「……帰ったら調べよ〜」
*
帰宅して、俺は無駄にいい記憶力を使い、頭の中に記録した音を思い出しながらスマホで調べた。
音からの推測で少し時間がかかったが、ようやく正しいスペルと意味を見つけ出す。
『damn clingy――意味:マジでしつこい・クソ鬱陶しい』
(……めっちゃ拒否ってんじゃん)
そのまま指をスクロールしていくと『他の人はこちらも検索』の欄に、目を疑うような言葉が並んでいた。
「clingy 友達 縁切り」
「しつこい友達 撃退法」
「clingy 嫌われる理由」
解説のページを開くと、そこには聞きたくもないような言葉が並んでいた。
『重い、依存、相手の迷惑を考えずにしがみつく人――』
(……は?)
胸のあたりが、ひやりと冷たくなる。
サクにとって、俺はそんな風に見えていたのか?
(違うだろ。多分、スラングだし……何か他に、もっと意味があるはず)
息が詰まるのを感じながら慌てて首を横に振った。
ネットの直訳なんて当てにできない。ネイティブにしかわからない。
*
「ロバート先生、今、いいですか、ちょっと聞きたいことがあって」
翌日、俺は学校の外国人教師――ALTの先生の元へ、答えを求めて駆け込んでいた。
「オゥ、スズムラ! どうしたの? 今日は日本語?」
「はい。細かいニュアンスを、日本語で聞きたくて」
「珍しいね。そんなムズカシイ顔して。それで、なんです?」
俺が『Damn clingy』とスペルを打ったスマホ画面を見せると、ロバート先生は少し驚いたように眉を上げた。
「Wow……ちょっと汚い言葉ね。まぁ、あまりいい意味じゃない。言った人との関係で変わるけどね。どこで聞いた?」
「……悪口ですか? えっと、映画で。友人同士が言ってて。本当のニュアンスが気になりました」
俺が必死に誤魔化すと、彼は「Oh!」と納得したように頷いた。
「なるほどね。辞書だと『重い、しつこすぎ』という意味になる。だけど、もし心を許している距離の近い相手に言ったのなら、意味が全然変わるよ」
俺は小さく喉を鳴らし、息を呑んで次の言葉を待った。
「相手が親友とか、恋人ならね。『もう、そんなにくっつくなよ』とか、『どれだけイチャイチャしてくるの』っていう……スウィートな、ただの照れ隠しになるんだよ――」



