俺たちの尊い日々


(スズside)

 
 高校二年。新しいクラスになってから、一ヶ月ほどが経とうとしていた。
 地元が一緒の奴や、一年生のときからのクラスメイトもいて、俺がクラスの中心に馴染むのには全く時間が掛からなかった。
 
 そんな中、無口なのくせにやたら目を引く奴がいた。
 そいつの名前は『佐久間(さくま)(はる)
 いつも耳にイヤホンを突っ込んでいて、誰かが声をかけてもガン無視を貫いている。
 顔はひどく整っているのに、常に人を睨みつけるような目つきで、周囲を完全に寄せ付けないようにしていた。

(あいつ、もっと上手くやればいいのにな。関わると面倒くさそう)

 それが、俺の佐久間に対する第一印象だった。
 
「おはよー、鈴村」
「ハルくん、おはよ」
「おはよう!」

 挨拶をされれば、もう作り慣れた『嘘の笑顔』で愛想よく返事をする。
 鏡の中の自分が、いつからこんなに「嘘つき」になったのかは覚えていない。
 小学生の頃から、俺の顔にはこの完璧な笑顔が張り付いている。悲しくても、苛立っていても、人前に出れば勝手にスイッチが入る。

 それは両親からのプレッシャーによるものだと、中学に入る前には自覚していた。
 成績表の数字、教師からの信頼、親戚への愛想笑い。
 それらを完璧に揃えて初めて、俺はこの家で『春日(はるか)』として存在が許される。

 先にその息苦しい道を通ってきた兄貴が、俺に教えてくれた。

春日(はるか)、いい? こうやって上手くやれば、誰も俺たちに文句は言わないから』

 兄貴は俺以上の期待を課せられ、俺以上に苦労をしている。だからこそ、今はお互いの存在だけが『息のできる相手』となっていた。
 そんな兄貴に教えてもらった息抜きの方法が、『登山』だ。

 山を登っている間だけは、誰の目も気にしなくて済む。
 どんな怠そうな顔をしていても、汗まみれの無様な姿になったとしても、誰も俺たちに『優等生』を求めない。
 やっと、笑わなくて済む。
 ――それが兄貴と俺の唯一の息抜きであり、二人の秘密だった。

 *

 新しいクラスもすっかり慣れてきたある日の昼休み。
 教室で、あのいつもイヤホンをしている佐久間の隣を通り過ぎた時のことだ。

「……That fake-ass smile.」

 すれ違いざまに、ボソッと冷たい言葉を吐き出されたのがわかった。
 俺は足を止め、咄嗟に振り返った。けれど、佐久間は俺の方を一切見ていなかった。

(え? ……フェイク、……アス?)

 英語だった。だが、ネイティブのように発音が良すぎて、すぐには意味がわからなかった。
 俺は成績はいい方だし、もちろん英語も得意だ。
 それでも聞き取れなかったことに驚いたが、それ以上に、その声に込められた『嫌悪感』と、俺をバカにするような冷たい雰囲気に、無性に腹が立った。
 
 俺は昔から耳がいい。
 今、聞いた言葉の『音』を頭にしっかり記録し、いつもの笑顔を貼り付けたままその場を立ち去った。

 そして帰宅後。
 自室のベッドに寝転びながら、記憶した音を頼りにスマホで検索をする。
 少し苦戦しながら調べると、画面にこう出てきた。

 『fake-ass smile』――意味:嘘くさい笑顔、クソみたいな作り笑い。

 それを見た瞬間、怒りよりも、ニヤけそうになるのを抑えられなかった。

(すげぇ、暴言じゃん。……俺の完璧な顔、あいつ見破ってんの?)

 みんなに好かれる完璧な優等生。
 それをちらっと見ただけで『嘘くさい』と見抜き、あんな綺麗な顔で、心底嫌そうに吐き捨てたんだ。

 腹がたつはずなのに、ゾクゾクした。
 誰もが騙される俺の「本当の姿」に気づいて、あんな暴言吐いた奴は、初めてだった。

「えー……おもろ」

 ベッドの上で、笑いが込み上げてきた。
 関わると面倒そうだから、放っておこうと思ったのに。
 ――この日から、俺の頭の中は『佐久間晴』のことでいっぱいになってしまった。

 *

 アウトドアショップの帰り道。電車に揺られながら、スマホの画面を見つめていた。
 
 写真フォルダを開くと、この前の週末、偶然一緒に登った山の山頂で撮った俺と佐久間――サクの写真が出てくる。
 俺の腕の中で目を丸くし、完全に驚いた顔で映っているサク。それを見るたびに、たまらず「ふはっ」と笑いが漏れた。
 
 画面をスワイプさせると、今度はさっきの駅前のアウトドアショップで撮った写真が現れる。
 コンパクトバーナーを手に取って、ほんの少しだけ口角を上げて笑っていたサクの姿。あいつが夢中になっている隙に、こっそり撮ったものだ。

 サクは最近、俺の前だけはかなり喋るようになった。
 それが純粋に嬉しいし、俺自身も、作り笑いを捨てて『本当の自分』を出せるのは、あいつの前だけだった。
 
 サクの英語がなぜあんなに完璧なのか。なぜそんなに家が遠いのか。
 気になって聞いてみたけれど、彼は頑なに口を閉ざして、言いたくないようだった。
 なんでこんなにガード固いんだ? そう思いはしたけれど、俺はそれ以上、深く踏み込まなかった。
 
 無理に詮索して、せっかくの息抜きができる場所を失うことの方が、ずっと嫌だったからだ。
 
 誰にでも、言いたくない過去や秘密の一つくらいある。俺自身がそうであるように。
 あいつがあんなに頑なに一匹狼でいることも、きっと何かの理由があるんだろう。
 でも、俺にはそんなこと、どうだっていい。
 お互いに秘密を抱えたまま、ほんの一部だけを共有し合える仲間。それが心地よかった。

(あいつといると本当に息がしやすい)

 常に周りの期待に応え、愛想笑いを振りまいてきた俺にとっては。
 サクは本当の意味での、俺の『友達第一号』だ。
 
 今まで、一緒に山に登るのは、兄貴以外考えられなかったけれど。
 今はサクと登る次の山が、楽しみで仕方ない。

(それにしても、バイト一緒にやるとか……俺、ナイス提案すぎじゃん!)

 五万七千円のジャケットを見て途方に暮れていたサク。
 それを思い出し、自然と口元が緩む。
 
 さて。
 あの厳しい親に、バイトを始める言い訳をどう説得しようかな。
 頭の中でいくつかもっともらしい理由を思案しながら、俺は帰る家へと向かった。