俺たちの尊い日々


 十一月の終わりの早朝。今日は約束していた山に登る日だ。始発電車を降りて改札を抜けると、待ち合わせ場所のベンチに座っていたスズが手を上げた。

「おはよ」
「おはよ。サク、始発乗ってきたの? 俺はまだ眠いわ……」
 
 大きなあくびをするスズを見て、俺は小さく息を吐いた。
 二人で倉庫のバイト代をはたいて買った、ゴアテックスのジャケット。俺は黒を着ていて、スズは色違いのネイビーを着ている。
 
 休日の駅で待ち合わせをして、お揃いのようなアウターを着て並んで歩く――以前は思ったこともないはずなのに、それがどうしようもなく、気恥ずかしくて早朝の待ち合わせにした。もちろんスズには言ってないけれど。

 お互いの気持ちを打ち明けあってから初めての二人きりの外出だ。
 横目で隣を歩くスズを盗み見ると、眠そうな顔で歩いていた。
 やっぱり、意識してしまっているのは俺だけみたいだ。

「……朝早いと、さすがに寒いな。ほら、行くぞ」

 早足で歩き出す俺の後ろを、スズが笑いながらついてくる。

 *

 以前に二人が登った山へと入った。
 木々の間を抜け、落ち葉を踏みしめながらトレッキングを楽しむ。
 最初は軽口を叩き合っていたが、少し歩くと、お互い口数が少なくなってきた。

「思ったよりきつ……」
「まだ、序盤だっての」

 息を切らしながらぼやくスズに答えるが、俺の方も声に余裕がない。
 ただ体力を削られるだけじゃない。静かな山で二人きり。会話が途切れて風の音だけが耳に残るたび、隣を歩くスズの存在感が異様に大きく感じてしまうのだ。

 やがて中腹の開けた場所に出た。
 前回、『スズ・サク』と呼び合うようになったあの日にも休憩した場所だ。
 丸太の上に並んで腰を下ろして息を整えていると、スズがポケットからチョコを一つ差し出してきた。
 
「サク、ほら」
「サンキュ」

 受け取って口に放り込む瞬間、横から視線を感じてそちらを向くと、スズが目を細めていた。

「え、……なに」
「いや、サクを見てただけ」

 ゴホッ!
 チョコを詰まらしそうになった。

「……は、やめろ、そういうの。登りにくくなる!」
「はいはい。……さ、続き行くか」

 赤くなって抗議する俺に対し、スズは特に表情を変えることなく立ち上がり、歩き始めた。
 ひんやりとした山の空気を吸い込みながら、前を行くスズの背中を見つめる。
 
(あの時の体育館裏での告白って、もしかして俺の夢だったのか?)
 
 そう疑ってしまうほど、スズの態度はいつもと変わらない。その代わりに、俺のほうが以前と同じようには振る舞えなくなっていた。

 さらに少し登ったところで、岩場に突き当たった。

「サク、ほら」

 先に登ったスズが振り返り、俺に手を差し出す。その手を掴むと、強い力で引き上げられた。
 岩場を登り切ると、スズはすぐに手を離し、何事もなかったようにまた前を歩き出した。

(……っ!)
 
 一瞬だけ繋がれた手。自分の掌を握り込み、スズの背後で、俺だけが顔を赤くしてその感触を反芻(はんすう)している。
 自分がどうしたいかもわからないのに、すぐに離された手に、勝手に心がモヤモヤしてしまう。
 俺はスズに聞こえないように、小さくため息をついた。

 気づくと、少し先を歩くスズが振り返っていた。

「サク! 今日ペース遅いぞ。いつも俺が後ろでバテんのに」
「……悪い」

 ダメだ。今は登ることに集中しよう。
 俺は首を振り、頭の中でぐるぐると回る熱を無理やり追い出した。
 
 *
 
「着いた……!」

 前からスズの弾んだ声が耳に届く。
 最後の急坂を登りきると、視界が一気に開け、目の前に絶景が広がった。
 俺は思わずザックを下ろして、景色を見渡した。
 雲一つない青空。遠くの街並みまでが見渡せて、冷たい秋の風が頬を抜けていく。
 
 ふと隣を見ると、スズも景色を眺めながら無言で笑っていた。
 それは学校での嘘の笑顔でも、俺をからかう時の意地悪な顔でもない。山好きの高校生の、本当に楽しそうな横顔だった。
 
(……前も見たことのある景色のはずなのに。今日は、全然違って見える)

 絶景よりも、隣にいるこいつから目が離せない……。
 出発を早めたおかげか、山頂には俺たち以外誰もいなかった。

「スズ……ここ、来てよかったな」
「な! 最高だ」

 スズは無邪気に笑うと、ゴソゴソと自分のザックを開けた。
 
「サク、休憩しよ。行動食、また新しいプロテインバー持ってきた」
「え、もしかしてまた海外製?」
「そうだけど、格付けチェックでは出してない新作のやつ! ほら」
「自信満々に出すなよ。またクソまずかったらどうすんだよ」

 大きな石の上に並んで座りニコニコしながら渡されたプロテインバーを口に入れる。

「思ったより悪くねーな」
「ん、一応羊羹も保険で持ってきたけど。これはまぁまぁいけるわ」

 スズは水を飲み、思い出したように言った。

「あ、今日の写真、まだ撮ってねーな、サク、こっち」

 スズに手を引かれ、景色が綺麗に映る岩場まで移動する。
 スズがスマホのカメラを構え、俺の肩に腕を回して、頬がくっつきそうなほど顔を近づけた。
 近すぎる距離に、鼓動が早まるのを誤魔化すため、俺は必死に無表情を作ってカメラを見つめた。

「よし、撮れた。お前にも送っとくよ」

 スズは楽しそうに画面の写真を確認している。
 俺は顔を背けて、再び眼下の景色の方へ視線を戻しながら、ため息を飲み込んだ。

(なんなんだろう。俺、何が不満なんだろう)

 こうして二人で笑い合って、山に登っている。体育館裏で『好きだ』と言われた。俺も認めた。……だけど、ずっとこのまま曖昧な関係のままなのか。普通の恋愛って、そういうものなのか?
 それとも、高校を卒業するまでの関係のつもりだから、あえてこれでいいということなのか。
 正解がわからないから、こんなにもモヤモヤしているのかもしれない。

 じっと景色の方へ視線を向けて考え込んでいると、横からスズが覗き込んできた。

「うわっ……!」

 突然のことに驚き、思わず体を反らせる。

「……今、何考えてた? お前、今日なんか変だぞ」
「いや……、まぁ。俺たちのこと……」
「俺たちの?」
「……」

 静かな山頂に、風の音だけが聞こえる。
 俺はスズから視線を外し、遠くの山並みを見つめながら、ずっと言えなかった言葉をようやく口にした。

「なぁ、スズ。……俺ら、ずっとこのままな感じなの? 卒業しても」
「え? どういう意味」
「……だからさ、俺たちって今、どういう関係なんだよ」

 勇気を振り絞って聞いた俺の言葉に、スズはきょとんとした顔をして、首を傾げた。
 
「はぁ? 俺ら、とっくに両思いになったって思ってんだけど」
「いや、まぁ。俺もそうだと思ってるけどっ。……ちゃんと『付き合う』とか、そういう話はしてないだろ」

 俺が少しむくれて抗議をすると、スズは「あー……」と頭を掻き、照れたように続けた。
 
「確かに、してなかったかも。……じゃ、今言う」

 スズは俺に向き直り、ニッと笑って目を細めながら言った。
 
「好き。付き合って」
 
「――っ! 軽っ! めちゃくちゃ『ついで』の感じ、なんなんだよ!?」
「えー? だって。サクが俺を好きになったって分かった時点で、もう『俺のもん』って思っちゃって」
「なんだよそれ!」

 噛み合っていない価値観に、俺はたまらず両手で顔を覆い、その場でうずくまった。

「……俺が真剣に悩んだこの時間、マジでなんだったんだよ……」

 頭を抱える俺を見下ろして、スズは「はははっ!」と楽しそうな声をあげる。
 俺の消え入りそうな抗議の声は、山頂の青空に空しく吸い込まれていった。