俺たちの尊い日々


 あれから、俺たちは何も変わっていない。
 いや、変わったのか?
 
 文化祭が終わって一ヶ月、二人で過ごす以前の時間が戻ってきた。
 非常階段でパンを食べて、スズが隣に座って、くだらない話をする。表向きは今まで通りの日常だ。

『ただの友達とは違う』

 そう、はっきりと言ってしまったあの日の夜。
 俺は布団の中で、何度も自分のその言葉を繰り返した。

 ……言わなきゃよかった、とは思っていない。
 けれど、それが一番困るんだ。

 一つだけはっきりと変わったのは――俺が、隣に座るこいつの横顔を盗み見る回数が、前より確実に増えたことだ。

 *
 
 今日の昼休みも、階段でいつものようにパンを食べている。でも、何かが違う。
 スズの距離がいつもより少しだけ近い。それに、俺に向ける視線が少しだけ長い……気がする。
 いや、俺が意識しすぎているだけなのか。

(でも……これって、なんなんだよ。『友達じゃない』なら、俺たちって今、なんなんだよ)

 チラッと横を見ると、スズは俺の隣で壁にもたれ、気怠げにスマホのゲームをしている。
 そのマイペースな横顔に、なんだか無性に歯痒さを感じる。けれど、自分から『俺たち付き合ってんの?』と聞ける勇気なんて、あるはずもなかった。

「なあ、サク。再来週に行く山ってさ。俺らが初めて二人で登った山じゃね?」
「あー……確か、そう。なんか、ずっと前のことのように感じるけど」
「な。マジで楽しみだわ。俺、文化祭前からウズウズしてたんだから」

 スズはスマホをポケットにしまうと、俺の後ろに回り込み、背中から抱きつくようにして俺の肩にぐりぐりと顎を押し付けてきた。

「……っ、いや、肩痛いんだけど。お前、わざと力入れてやってんだろ」
「あ、そいえばさ。青田が話したいって言ってたぞ。謝りたいんじゃないかな」
「……そっか。あいつ、悪気なかったんだもんな。いつかは話さないといけないとは思ってた」
「まぁ、サクがしたいようにしたらいいんじゃね?」
 
 あの日以来、青田やクラスメイトとは一切喋っていない。けれど、俺が海外で過ごしていた過去も、まるで初めからなかったことのように誰も触れてこなかった。
 
「……スズ、あの後みんなに何か言ったのか?」
「ま、ちょっとな」

 その短い返事に、俺はふっと笑いが漏れた。

「……ありがとな。青田に放課後空いてたら話そうって伝えて」
「分かった。俺も一緒にいちゃダメ?」
「なんで? ……別に、いいけど」
「んじゃ、放課後残れよ」

 予鈴がなり、俺たちはバラバラに教室へ戻った。
 授業が終わり、休み時間。ふと前の方から明るい声が聞こえ、思わず顔を上げてチラッと視線を向けた。

「ハルくん、この前はありがと!」
「いいえ。あれ、役に立った?」
「うん。めちゃくちゃ助かっちゃったよ〜。今度お礼するね!」

 スズの前の席の女子が、スズの机に両手をつき、笑顔で少し身を乗り出している。
 一方、スズはいつもの完璧な笑顔で爽やかに答えていた。

 ……別にいつものことだ。常に周りには人が集まっているし、学校ではああやって誰にでも愛想を振りまいている。
 そう頭では分かっているのに、俺はその光景を横目でじっと見つめ続けてしまっていた。
 
 ハッと我に返り、慌てて自分の机へ視線を落とす。

(あれ……なんで俺、あんなにずっと見てんだ)
 
 ……さっきのあの女子、ちょっと距離近くないか?
 ……別に、今までなんとも思っていなかったはずなのに。
 
 いや、でも俺がどうこう言えることじゃない。胸の奥に、チクチクとした嫌な熱がこもった。

(なんか、ムカつく、あいつら)
 
 *

 放課後。教室に残っているのは俺とスズ、そして青田の三人だけだ。
 俺の前の席にスズが座り、通路を挟んだ隣の席の椅子を青田が引いた。

 スズも俺も黙っていると、青田がひどく申し訳なさそうに口を開いた。

「……佐久間、あの時は本当にごめん。俺、何も考えずに軽く言いすぎた」

 青田は事情も分からずに勝手にみんなの前で話してしまったことを、何度も謝った。
 そしてその流れで、俺とスズが非常階段で昼休みを過ごしていることについても話し始めた。

「あのさ、非常階段のこと。鈴村が急に昼休みに一人で消えるようになったから、最初の頃、気になってこっそりついてったんだよ。そしたら佐久間がいてさ。……鈴村が内緒にしてたっぽいから、あの日まで誰にも言わなかったけど、バラしちゃった形になったのも、ほんとごめん」

「……別に、もういいから」

 俺がそう返すと、前の席からスズが至近距離まで顔を近づけてきた。
 そして、いつもの意地悪そうな『素の顔』で口を挟む。

「お前さ、そこはもうちょっと『許す』とかわかりやすく言ってやれよ」
「うるさいって。お前は黙ってろよ」

 俺たちの遠慮のないやりとりを、青田は目を丸くして見つめていた。

「……鈴村、お前そんな顔もするんだな」

 青田はスズと俺の顔を交互に見て、どこか安心したように笑った。

「お前ら、ほんと仲良いんだな。学校で喋ってんの見たことなかったのに」

 スズは青田の方に体ごと向け、さらっと言ってのけた。

「俺らのこと、誰にも言わないでいてくれると助かる」
「おぅ……分かった。でも、なんか安心したわ。……佐久間、俺にもたまには話しかけてくれよな!」

 青田が人懐っこく言うと、スズがさらに身を乗り出し、青田と俺の間に割って入るようにして言った。

「ダメ。基本こいつ、俺としか喋んないから」
「はや!? なんでお前が答えんだよ!」

 青田の素早いツッコミに、俺はフッ、と堪えきれず吹いてしまった。
 声を立てて笑ってしまった俺が珍しかったのだろう。青田は目を見開いて俺を凝視し――なぜかスズは「お前は人前で笑うな」とむくれていた。


 そのまま部活に向かう青田と別れ、俺とスズは二人で校門を抜けた。

「……なんか、スズと一緒に帰るの、久しぶりだな」
「あー、前は大雨の時だった! こうやって帰んの二回目だな」

 スズが笑いながら言う。
 もう二度とないと思っていたのに。
 こうしてまた隣に並んで歩けていることが、少しだけくすぐったい。
 
「そうだ。再来週の山、何時集合?」
「……早い方がいい。六時とか」
「はっや! まぁいいけど。マジで楽しみだな」

 文句を言いつつも嬉しそうなスズの横顔を見て、俺は無言でこくりと頷いた。
 
 並んで歩く道は、もう日も沈みかけていて、冷たい風が吹いている。
 ブレザーの上から羽織ったマウンテンパーカーのジッパーを、喉元まで引き上げた。
 そしてまた、ゆっくりと駅までの道を歩く。

 隣を歩くスズは、特に何も言わずに黙って歩く。

 ……それが、なんか、悪くなかった。