屋上の扉を抜けて、俺は足早に階段を駆け降りた。
急いで教室に戻り、自分の鞄をさっと掴んで肩にかける。
「あ、なあ、佐久間。さっきは――」
教室の入り口で青田が焦ったように声をかけてきたが、俺はまるで何も聞こえていないかのように、完全に無視をして教室を飛び出した。
あいつらの顔も、声も、今は一秒だって浴びたくない。
飛び乗った電車の中。俺は耳にイヤホンを突っ込み、音量を最大にして音楽を流し、きつく目を閉じた。
(やっぱり誰も、俺のことなんてわかってくれない。……俺が、信じたりしたのが間違いだった)
閉じている目の奥が熱くなってくる。
ぎゅっと奥歯を噛み締めた。
ガンガンと頭に響く音楽で、外の世界の音をすべて遮断する。
それでも、スズのさっきの必死な顔が、何度も俺の胸を抉った。
*
家に帰り、ベッドに倒れ込んだ俺は、その夜、寝付けなかった。
目を閉じても、どうしてもぐるぐると重い思考が回る。
(スズを……信じたかった――)
結局、一睡もできなかった。
朝が来て、今日から二日間の文化祭本番。
熱が出たと連絡をして、二日とも学校を休んだ。
そのまま週末に入り、ずっと薄暗い部屋で一人過ごす。
起きているのか寝ているのかわからない時間の中で、スマホが震えた。
スズからのメッセージだった。
『話聞いて』
『頼むから既読つけて』
その言葉を見て、「どうせまた嘘だろ」と呟き、スマホの電源を切った。
俺はバチが当たったんだ。
一人でいるべきなのに、親友というものを手に入れてしまって。それだけでも奇跡なのに。
俺、何を期待してたんだ?
なんで、ただの友達じゃない気持ちなんか抱いてしまったんだよ。
関係を切り捨てることなら、今までたくさんしてきた。なのに、こんなに苦しかったことはない。
寝返りばかり打って、眠れない週末を過ごした。
週明け。重い体をなんとか動かして朝六時半の電車に乗る。
飽きもせず、ため息が口から漏れる。
教室の中は文化祭明けでも、いつもの日常が戻っていた。
休み時間は、青田が何か言いたそうにしていたが、イヤホンをつけて机に突っ伏していた。
スズの後ろ姿を何度か見たけれど、相変わらずの笑顔を振りまき何も変わらないようだった。
昼休みに俺は恐る恐る非常階段へ行くと、誰もいなかった。ほっとしながらパンを齧った。
スズは『昼も来るな』という俺の言葉を忠実に守っているらしい。その日から数日経っても、本当に姿を見せなかった。
誰もいない静かな非常階段。本来の平穏が戻ったはずなのに、パンの味がしない。
(どうせ、いつかは離れる関係だったんだ。それが少し早くなっただけだ)
言い聞かせるように、パンを口に詰め込んで目を閉じた。
*
そのまま会話もしない、目も合わせない日々が、一ヶ月ほど続いた。
季節はすっかり秋めいていて、朝晩の冷え込みが季節の移ろいをはっきりと告げている。
午後の体育の授業が終わり、一人で教室に戻るときのことだった。
体育館から校舎へ向かう渡り廊下で、冷たい風が容赦なく吹く。
俺がジャージのポケットに手を突っ込んで歩いていると、突然、強い力で腕を引かれた。
「――っ!?」
バランスを崩して壁に背中を預ける形になり、顔を上げると、目の前でスズが俺を見下ろしていた。
「……サク、ちょっと来い」
「は!? おい、離せ!」
「うるせー。黙って来い」
低い声で、怒っているように据わった目で睨みつけてくるスズに、俺も負けじと睨み返す。
けれど、そのまま強引に腕を引かれ、人目のつかない体育館裏まで連れ込まれてしまった。
スズは逃げ道を塞ぐように、腕を組んで俺の前に立つ。
俺と同じくらいの身長で、まっすぐに、俺の目をじっと見た。
「お前、いい加減にしろよ。既読無視すんな」
「……」
「青田から聞いたけど。俺はお前のこと、誰にも言ってない。ただあいつが詮索しようとしたから『お前は首突っ込むな』って追い払おうとしただけだ!」
スズの必死な説明に、俺の心臓が大きく鳴った。
「……また、……嘘だろ」
「嘘じゃねーよ」
「じゃあなんで――」
言いかけて、言葉が喉の奥で詰まった。
(――スズは、俺に一度だって嘘をついたことがあったか?)
誰にでも嘘の笑顔を振りまくけれど。俺の前でだけは、ずっと本当の顔だった。
その事実に気づきながらも、信じて裏切られるのが怖くて、認めたくない俺がいる。
俯いて黙り込んだ俺を見て、スズも声を荒げるのをやめた。
遠くの鳥の声しか聞こえないような静かな体育館裏に、スズの真剣な声が響く。
「お前さ。……俺がどれだけこの一ヶ月、死にそうだったかわかってんの? 非常階段もめちゃくちゃ我慢したのに」
「……」
俺がまた黙っていると、スズが一歩踏み出し、俺の肩に手を置いて目線を合わせてきた。
「お前から離れたくないの、俺」
「……は?」
「……それだけじゃないけど」
スズは真剣な瞳で、俺の顔を覗き込んできた。
久しぶりにこんな至近距離で見るスズに、一気に顔が熱くなるのを感じた。俺は視線から逃げるように顔を逸らし、口を開く。
「……何それ、意味わかんねーよ」
「わかんねーの? ……お前が好きだって言ってんだろ」
心臓が、……ありえないくらいに大きく跳ねた。
その一言を聞いて、俺は思わず顔を上げてスズを見る。
スズは俺とは視線を合わさず、左手の甲で口元を隠すように向こうに目線を向けていた。けれどその耳と目元が、わずかに熱を帯びて赤くなっているのがはっきりと見えた。
「はぁ!? お、お前なに、マジで――」
俺はスズのその顔を見た瞬間、思わずその場にしゃがみ込み、両手で口元を覆った。
顔が熱すぎる。頭が真っ白だ。今、絶対まともな顔ができていない。
「お、お前、今自分が何言ってるか、わかってんの!?」
何も整理できなくて、震える声でよくわからない言葉が飛び出す。
俺を見下ろしながら、スズは少し赤い顔でポツリと言った。
「俺、一応、緊張してんだけど」
「っ! ス、スズのそれはっ……、ただの執着だろ!」
俺が必死に抵抗すると、スズは「は?」と眉をひそめ、俺の前にしゃがみ込んで視線を合わせてきた。
「俺は、お前を離したくないけど。一緒にいたいけど。でも、お前が本気で嫌だって言うなら引くよ」
スズはそう言いながら、気恥ずかしそうに頭を掻き、俺の目を見て続けた。
「俺、お前に笑ってて欲しいんだよ……。これが好きじゃなかったら、なんなの?」
俺はもう目を逸らすことができなかった。
鼓動が速まって、声も出せないほど固まっていた。スズは俺の真っ赤な顔や首筋を見て、安堵したように、そして少し意地悪に口角を上げた。
「で? ……サクはどうなの?」
「……っ」
「あの時、俺に『大っ嫌い』って言ったの、嘘だろ?」
そうくるか?
両手で口を覆ったまま、何かを言おうとして、でも言葉が出てこなかった。
誤魔化そうとしたところで、頭が働いていない。結局出てきた言葉は、自分でも呆れるほどの馬鹿正直な答えだった。
「……大嫌いは嘘……だった」
「うん」
「俺だって……お前とは、ただの友達とは、違う」
言い切って、その言葉が自分の耳に届いた瞬間。
全身が熱くなるほどの恥ずかしさに襲われ、俺は勢いよく立ち上がった。
今の自分の顔は、きっと真っ赤だ。
「――っ、帰る!」
俺は顔を隠したまま踵を返し、まともに振り返ることもできずに歩き出した。
すぐ後ろから、「あははっ!」と心底嬉しそうなスズの笑い声が聞こえ、あっさり追いつかれてしまう。
「はい、捕まえた」
スズが俺の肩に腕を回し、引き寄せる。
そして、真っ赤になっている俺の耳元で、わざと甘えるように囁いた。
「じゃ、今月のどっかで絶対『山』な」
「……分かったからっ! Too close!(おい、近いって!)」
「ははっ! それは調べなくてもわかるわ」
スズに纏わりつかれながら、並んで歩く歩調を少しだけ早めて、教室へと向かった。



